異世界転生してモブ王子になったんだけど
ブラコン(重度)設定ですが、受け取り方によっては『ボーイズラブ』に見えるかもしれませんので、苦手な方は要注意でお願いします。
今思えば、オレはとても幸せな男だった。とても恵まれた人生を送っていたと思う。
小さな頃に両親を亡くしたけれど、それからは年の離れた姉が必死にオレを育ててくれた。裕福ではなかったけれど、愛情に飢えた事など一度もない。
明るく優しかった姉は結婚してからもオレを大切にしてくれていたし、義兄となった姉の旦那さんもオレに優しかった。
新婚の二人に遠慮して、一人暮らしをしようとした時など、泣いて引き留められたくらいだ。何故か、義兄まで泣きながら引き留めてくれた。意味が分からなかったが、純粋に嬉しかった事はしっかりと覚えている。
義兄は再婚で、病気により他界した前の奥さんとの間に二人子供がいた。可愛らしい兄妹だ。
甥っ子と姪っ子は年の離れた兄の様にオレを慕ってくれて、オレも二人をとても可愛がっていて、傍にはいつだって優しい姉夫婦が笑っている。
いつまでもこうしていられる訳ではないと知っていたけれど、余りにもその場所が温か過ぎて、気が付けば独身のまま四十代に突入しかけていた。いや、これは言い訳かもしれない。ぶっちゃけモテなかったせいである。
でも、それでもいいと思っていた。だって、オレは十分幸せだったから。
家族に恵まれ、友人に恵まれ、仕事だって恵まれていた。
両親よりも更に前に亡くなっていた祖父母の遺産である剣術道場の師範を務める傍ら、趣味の料理で教室も開いていたオレは、仕事と趣味を両立出来ている稀有な状態だったのだ。
そんなオレの死因は交通事故で、子供を庇ったからだったから、死に様にも満足している。
死ぬ直前に見たオレを轢いたトラックの運転手はガックリとハンドルに倒れ掛かっていたから、きっと何かしらの理由で既に意識がなかったのだろうと推測した。
誰も悪くない。不幸な偶然が重なった事故。きっとこうなる運命だったのだろう。
不思議な事に痛みもなく、静かに意識を失ったオレが、次に目覚めたのはとある国の『王宮』の一室だった。
何を言っているのか分からないだろうが、事実だ。
オレは二、三才位の小さな子供の姿だった。
当初こそ大混乱していたし、夢だと思っていたけれど、それが一年も続けば流石に何かがおかしいと気付く。
見た事もない世界に、見た事もないカラフルな人々。
不思議と言葉に困る事はなかったが、周りの人たちの様子を観察し、ここは自分の知る世界ではないのではないかと感じていた。
過去とも未来とも違う不思議な世界。
オレはそんな世界に生まれ変わったのではないか。この現象はいつだったかアニメやゲームが大好きだった姪っ子が話していた『異世界転生』ではないかと思い始めていた。
だが、まだ事故で植物人間になってしまったオレが見ている壮大な夢の可能性もある。
だって、この世界でのオレの立ち位置は何と『第二王子』なのだから。
超絶ド庶民、独身三十路ドロップアウト寸前だったオレが王子様。夢だと思わない方がおかしい。
しかし、一方でこれは現実ではないかとも思う。
何故なら―――
「見て、第二王子だわ」
「あら、本当」
「相変わらず王族とは思えない程『普通』ね」
「………」
―――そう。これである。
この世界のオレの家族。若き国王である父は金髪に緑色の目をした美形、王妃である母は銀髪に青い目をした美女。王太子の兄は金髪に青い目をした超優秀な超絶美形。
…にも拘らず、オレは『茶髪』に『茶色の目』をした『超絶平凡顔』なのである。
どうせ夢なら、オレも美形になりたかった。兄程ではなくてもいいけれど。
両親の良いとこ取りをした兄は神掛かった美貌を持っている。あのレベルになると、鏡を見るのも怖いのでそこそこでいい。
まぁ、今の顔も不細工ではないから、前世の強面を思えば寧ろ恵まれているけれど。いや、かなり恵まれている気がする。うん、恵まれているな。オレ、結構いい男じゃないか? 鏡を見ていると地味だけど整っているように見えるし。周りが美形過ぎて目立たないだけだな、これは。
因みに能力も平凡だ。頭は普通、能力も普通。前世のお陰で剣術は少しだけ得意。この程度である。
そんなオレだが、何故か両親には溺愛されていた。意味が分からない。
どうも話を聞けば、亡くなった母の兄にオレはソックリらしく、兄を慕っていた母も、義兄を尊敬した父もオレが生まれて大喜びだったというのだ。
この世界での父も母も決して薄情な人間ではないが、国のトップに立つ立場上、やはり厳しい人達ではある。何故かオレには激甘だが、王太子である兄にはやはり厳しい。
期待の裏返しなのだろうが、兄には思わず顔を逸らしたくなるほど厳しい要求をしている。それを難なくこなしているように見える兄はやはり優秀なのだろう。
普通なら甘やかされる弟を憎らしく思っていてもおかしくはない兄は、オレに対してきつく当たったりはしない非常に出来た人間だ。現在の体で言えば、三つほど年上だが、元の年齢からすれば二回りほど年下であるのに。
オレは精神年齢では年下である兄を人間として尊敬している。
幼い頃から兄を見ていたので、何でもできる兄が陰では努力を怠らない人だと知っていたから余計に。
そんな完璧超人の兄だが、それでもまだ子供である事には変わりない。
時には理不尽に思う事もあれば、両親に優しく接してほしい時もあるだろう。
例えば、苦手な事を必死の努力で成し遂げた時などに。
その努力の結果を王太子なのだから当然だと流されてしまった時、普段は穏やかな笑みを浮かべている兄が、寂しそうな顔をして俯いていた。それを見た時、オレはどうしても放ってはおけなかった。
だって、オレの姉はいつも褒めてくれたから。
出来た事ではなく、『頑張った事』をいつだって褒めてくれたから。
「兄さん!」
呼びかけながら近くに椅子を引き摺ってくる。オレの行動に驚き、困惑ながらも兄は手伝ってくれた。やっぱり兄は優しい。優しいこの人にあんな顔をさせてはいけない。
「どうしたの? 何か私に用かな?」
「兄さんは頑張ってるよ!」
「ん?」
「兄さんは凄く頑張ってるよ!」
「うん?」
疑問符を浮かべている兄の頭に手を伸ばして、その滑らかな髪を撫でた。凄いキューティクルだ。女の子が嫉妬してハンカチを噛むレベル。
兄は目を見開いて驚いている。
「オレは知ってるよ! 兄さんは凄く凄く頑張ってて立派だ! 兄さんは偉い!」
「………うん」
兄は目を細めて、少し泣きそうな顔をした。
オレは兄の髪がグシャグシャになるまで撫で続ける。
キューティクルヘアーをグシャグシャにしたせいで、兄の世話役に怒られたけれど、兄はそんなオレを庇ってくれた。やっぱり兄は優しい人だ。普段、笑みを崩さないから何を考えているのか分からない時もあるけれど。
その後も、オレは兄を褒め続けた。優秀な兄はいつだって周りに褒められていたけれど、いつもよりも頑張った時はオレの所に来るようになったから、オレは一生懸命頑張った兄を褒める。
元々優しかったけれど、兄は前よりも更にオレに優しくしてくれるようになった。この世界でも嬉しい事ばかりだとオレは幸せに思う。
★★★★★
数年経ち、オレと兄のやり取りに弟が加わるようになった。
弟はオレの一つ下で、父よりも濃い金髪に緑色の目をしている美少年だ。何故オレだけが平凡顔…と思わなくもないが、やはり弟は可愛い。
弟は何故かオレにとても懐いた。生意気で我儘だけど、慕われれば悪い気はしない。
父も母も兄に対して程は口を出してこないが、オレ程には弟を構わない。だから、オレは父と母に代わり、弟を構い倒して躾けた。
とは言っても、大したことはしていない。オレに教えられる事は殆どないからだ。何せオレは平凡で普通の奴だから一つ違いの弟に教えてあげられるような秀でた能力はない。兄なら何でも教えられるだろうけれども、忙しい兄に頼むのも心苦しい。
オレがやったのは良い事をすれば褒めて、悪い事をすれば叱る。それだけだ。けれど、何故か弟はオレにベッタリになった。不思議だ。
「兄上、兄上!」
「どうした?」
「今日、家庭教師に褒められた! 前は出来なかったところがちゃんと出来るようになったって!」
「おお! 凄いじゃないか! 頑張ったんだな!」
グリグリと頭を撫でてあげれば、頬っぺたを赤くしながら誇らしげな顔をしている。可愛い。ちょっとおバカだけど、そこが可愛い。
「あー! ズルいですわ! レイナルド様ばかり褒められて!」
そこへやってきたのは鮮やかな赤い髪に琥珀色の目をした美少女。
少女は小走りに駆け寄ってきて、オレに飛びついた。
「私もマナーレッスンで褒められたんですのよ! ベアトリスも褒めて下さいませ!」
目をキラキラさせている少女に苦笑しながら、オレは頭を撫でる。嬉しそうにはにかむ様子が可愛らしい。いや、別に幼女趣味がある訳ではない。姪っ子の小さい頃を思い出して微笑ましいだけだ。…本当だよ?
素直に慕われれば悪い気なんてしないだろう。
しかし、そこで黙っていられないのが割とブラコンの気がある弟だ。
「ベアトリス、兄上から離れろ! 僕の兄上だぞ!」
「レイナルド様にはアレクシス様という兄上もおられるではありませんか!」
「アレクシス兄上は何か怖いから嫌だ!」
「―――そうなのかい? それは知らなかったなぁ」
静かな声が掛かる。
弟は真っ青になった。
恐る恐る振り返れば、そこにはいつもの微笑みを浮かべた兄が立っている。
「お前がそんなに怖がっていたとは気づかなかった。でも、少しづつでも歩み寄る努力はしようじゃないか。兄弟だもの。ねぇ、レイナルド?」
「ご、ごめんなさいぃぃぃ」
ニッコリと笑っているのに目が笑っていない兄に、泣きそうな顔で腰が抜けそうな弟。
人知を超えた美貌の兄のその表情は向けられていないオレでも怖い。
流石に弟が可哀想で、オレは間に入った。
「アレク兄さん、その辺で勘弁してやってくれないか? レイも謝った事だし…」
「そうだね。まぁ、今回は大目に見てあげよう。ジョニーに免じて、ね」
兄は肩を竦めて、今度は優し気な笑みを浮かべる。
お気づきだろうか?
そう―――オレの名前の事だ。
『ジョニー』
それが今現在のオレの名前。
三つ上の兄は『アレクシス』、一つ下の弟は『レイナルド』。因みに、二年前に生まれた一番下の弟は『ラファエル』という。
…オレの名前だけ、何かちょっと方向性おかしくない?
まぁ、生前の『正一』よりはカッコいい…気もしないでもない。生前の名前も気に入っていたけど。
「流石はジョニー様ですわ!」
頬を染めて何故かオレを絶賛している美少女の名前は『ベアトリス』。この国の重鎮であり、王弟でもある公爵様の一人娘だ。つまり、オレ達にとっては従妹姫となる。
この美少女も中々に我儘でおませな子なのだが、同い年である弟と一緒くたに構い倒していたら何故かオレに凄く懐いてくれた。
まだ話は出ていないが、公爵家の一人娘である彼女は将来的に婿を取らないといけない立場であり、恐らく弟たちのどちらかが婿に入る事になるだろう。
そういう大人の事情もあって、彼女は小さな頃から仲を深める為に王宮へよく遊びに来ているのだ。
血筋的には王太子である兄に嫁いでもおかしくない程なので、まだどうなるかは分からない。
でも、兄弟の誰と結ばれても問題はないだろう。彼女も兄弟たちもとてもいい子だから。
どんな未来が来ても、きっと大丈夫。
「ジョニー、私も頑張って税を不正に着服していた役人たちを取り締まって来たよ。褒めてくれないの?」
「………」
甘えるようにオレの肩へ頭を乗せてくる兄。兄さん、あんたもか。
それを皮切りに、褒めて褒めてと寄ってくる弟と従妹姫。オレは交互に褒めながら、思う。
どんな未来が来ても、きっと大丈夫―――だよね?
だって、皆まだ子供だし。これからの成長に期待しよう。うん。大丈夫大丈夫。行ける行ける。
★★★★★
それからも色々あったが、オレの予想通り、兄も弟たちも優秀に育っていった。
オレはまぁ、ボチボチ頑張ってた。だって、兄弟の中でオレだけ凄い平凡スペックだし。でも、出来る事を頑張るしかないよな。無理して背伸びしたってどうしようもない。足りない所は他で補って、どうしても無理な所は助けて貰って、少しづつ頑張るしかないんだから。
家族仲は悪くないし、兄弟仲は滅茶苦茶いい。
何がどうしてこうなったのか、兄はオレに激甘だし、弟たちはオレにベッタリだ。
十二年の月日が流れ、オレは十七歳、アレクシス兄さんは二十歳、レイナルドは十六歳、一番下の弟のラファエルは十四歳になった。
そして現在、オレは従妹姫であるベアトリス公爵令嬢と婚約している。
………いやいやいや。
何でこうなったんだろうか?
美少女だった彼女は十六歳現在、美少女の面影を残しつつ、絶世と言ってもいいほどの美女へと成長していた。どれくらいかと言えば、兄と並んでも絵になるレベル。つまり、人外レベルだ。
もちろん、中身も申し分ない。才色兼備で何をやらせてもそつ無くこなし、人柄も良し、家柄も良しの国内屈指の優良物件である。
王太子である兄とでも婚約できる彼女だが、何故か選んだのはオレだった。
「ジョニー様、ベアトリスをお嫁さんにして下さいませ!」
幼い日に目を輝かせて言った彼女に、いいよ、と答えたのはオレだ。
ただし、大きくなっても気持ちが変わらなければね、とちゃんと付け加えていたのだが。
ベアトリスとの婚約に一番ショックを受けていたのはレイナルドだった。
「そんな…兄上とベアトリスが婚約だなんて…!」
凄くショックを受けていたので、もしかしたらレイナルドはベアトリスが好きだったのではないかと思いついて焦る。
「レイ…その、何て言っていいか…」
「…僕は認めない」
「レイ…」
途方に暮れていると、レイナルドは『ベアトリスを突き飛ばし』、『オレにしがみ付いた』。
「兄上は渡さない! 兄上の一番は僕だ!」
「そっちか!!」
ブラコンを拗らせていただけだった。
そんなレイナルドにベアトリスは勝ち誇った顔で笑う。
「ふふん! 所詮は負け犬の遠吠え! 悔しかったらジョニー様の子供を産んでみなさいよ!」
「く、悔しいぃぃ! 兄上! 僕はどうすれば兄上の子供を産めますか!?」
「いや、無理だからな!?」
十六歳になるというのに、このおバカさ。弟の将来が心配だ。
「僕もジョニー兄様と結婚するー!」
「いや、無理だからな!!?」
レイナルドに便乗して、末っ子のラファエルまで変な事を言い出してしまった。
こんな所まで似なくていいのに…末っ子の将来も心配だ。
しかし、心配なのはもう一人いる。
「ジョニーの子供か。きっと、可愛いんだろうね」
何を想像しているのか、ニコニコ笑う兄、アレクシスだ。
兄はオレよりも三つ上で二十歳になるというのに、まだ婚約者がいない。
勿論、自薦他薦合わせて王宮の一室が埋まるほど申し込みは殺到しているが、いまだに浮いた話一つないのだ。
さり気無く聞いても、のらりくらりと躱されるばかり。
「私に子供が出来なくても、跡取りにはジョニーの子がいるから大丈夫だよ」
兄よ、それは一般的には最終手段です。
しかも、まだ子供どころか結婚すらしていないのに当てにされている。
更に、弟たちも親や、家臣たちも全員『じゃあ、いっか』みたいな感じなのだ。いやいや、良くないだろう。弟たちにも全く色恋の気配はなく、オレだけがハラハラしている中、それはやって来た。
「第二王子の『ジョニー』様ですね?」
「え?」
やってきたのは茶色の髪に灰緑の瞳をした美しくも可愛らしい女の子。
彼女は強い意志を秘めた目でオレを見て、祈る様に手を合わせながら訴える。
「どうか、もう止めて下さい! アレクシス様、レイナルド様、そして、ラファエル様を解放してあげて!!」
「え、何の話?」
オレはギョッとして聞き返すが、彼女はこちらの意見など聞きもせず、グイグイとオレに迫って来た。近い近い、何これ怖い!
「私、知っているんです! 貴方がベアトリス様を使って王子様方を唆しているって! だから、あの方たちは誰も選ばないのよ!」
「だから、何の話なの?」
「とぼけないで、白々しい! 貴方がベアトリス様を利用して、王子様方を誑かしているのは知ってるんだから!」
「誑かす!? ベアトリスを使って!?」
寝耳に水もいい所だ。
混乱しながらも詳しく話を聞けば、つまりこういう事だ。
オレは婚約者である立場を利用し、ベアトリスに兄や弟たちを誑かす様に命じた。
その結果、兄弟たちはベアトリスを奪い合って険悪な関係になり、オレはそんな兄弟たちの共倒れを狙っている。―――自分が王位につくために。
更には全てが終わった後は用済みのベアトリスを公爵家共々潰すつもりだという。
それを察知した彼女は決死の覚悟で止めに来た。それがこの国の『聖女』としての彼女の務めだから。
………何だ、その大悪人。
え………オレの事、だと…!?
「―――ゴメン、突っ込みどころ多すぎて捌き切れないけど、これだけは言える。誤解だ!」
「いいえ、私には分かるの! だって、そうじゃなきゃおかしいじゃない! ベアトリスは王太子のアレクシス様か、第三王子のレイナルド様、もしくは第四王子ラファエル様の婚約者になる筈なのよ! なのに、モブである第二王子の婚約者!? ありえない!」
「モブって…」
「おかしいわ、こんなの絶対おかしい…私が攻略対象を選んだ時点で彼女の婚約者は変化する筈なのよ。あの三人以外の人を選んだ場合でも、基本的には王太子の婚約者な筈。なのに、どうして…ああーもう、意味わっかんない! カァーッ、クッソ! 面倒くせぇ!」
頭をガシガシと掻きむしりながら、忌々し気にそう言う聖女。美少女だと思ったんだけど…おっさん?
けれど、その仕草と口調がどこかで引っかかる。
オレの前ではした事ないけど、一緒に住んでいたんだから偶然『素』の場面に出くわすこともあった訳で。主に自分の部屋で一人ゲームに熱中していて、攻略に詰まった時にこうやって荒れていた。
「………『明音』?」
「っ!」
思わず懐かしい名前を口にすれば、弾かれた様に聖女は顔を上げる。
その綺麗な目が大きく見開かれた。
「…何でその名前…」
「明音、なのか? 本当に?」
呟きながら、オレは彼女の頭に手を乗せる。
くしゃりと撫でれば、益々目を丸くした後、聖女は震える声で言った。
「この感じ…まさか、正兄ちゃん…?」
「うん」
目を細めて頷いた瞬間、聖女は顔を歪めて飛びついてくる。
「正兄ちゃん、あい、会いたかったぁ…! 何で勝手に死んじゃったのよ! 何で置いて行ったの!? もう一度だけでも会えたらって、私、私…っ」
「オレもまた会えて嬉しいよ、明音」
わぁわぁと大泣きした後、オレの服をベチャベチャにした聖女、改め、オレの姪っ子の『明音』はオレが死んだ後の事を話してくれた。
オレが死んだその一年後、まだ大学生だった明音も又、亡くなったのだという。
「お前まで死んだなんて…事故か? それとも病気…」
「ううん。違うよ。正兄ちゃんが死んだ後、親戚の人が借金の形に正兄ちゃんの道場を勝手に入れてたの。それで怖い人達が来てね、私、抵抗したんだ。だって、正兄ちゃんの形見だもん。そしたら、お金がないなら体で払えって連れていかれちゃって…」
「え、ま、まさか、お前…」
「連れていかれた先の事務所で大暴れ。組員を残らず薙ぎ倒して、約束手形を燃やした後、最期は組長と相討ちした。イエス!」
「女子大生の最期とは思えない程、壮絶な生き様だな!?」
「そんな訳で、死んでこの世界に転生した訳。この乙女ゲーム『キラキラ王子様と胸キュンラブ!~聖女は誰のもの?~』にね」
「オレそんな恥ずかしいゲームの世界に生きてるの!?」
ダブルでショック過ぎる。でも、乙女ゲーム…あれって確か美形男子ばっかり出てくるんだよな? だから、兄弟たちは揃って美形なのか。納得。
頭が真っ白になりながらもそんな事を考えているオレを余所に、明音はうんうんと何度も頷いて納得している。
「成程ねぇ。正兄ちゃんがオープニングで魔王の手下に殺される第二王子に転生してた訳か。だから、他の王子様たちが『アレ』な訳ね。ふんふん、納得だわ」
「今さらっと凄い情報言わなかったか?」
「いや、どの王子様に話しかけても、どんな話題を振っても、必ず最後には第二王子の話になってるから、どんな深刻なバグが起きてるんだって思ってたよ。本当に物語が始まらなさすぎて言いがかりつけるしかなかったもの」
「言いがかりって言っちゃったよ…それに関しては何かごめんな? 何か分からないけど、兄弟愛が止まる事を知らない状態になってて」
「いや、中身が正兄ちゃんなら納得だから」
よく分からないけど、明音には納得できることらしい。
それから、明音はゲーム内でのオレの事についても話してくれた。
オレが第二王子でありながらモブなのは、第二王子が魔王軍による最初の犠牲者であるかららしい。
二番目とはいえ王子を殺されたことによって、王国と魔王軍は全面的に対立していき、魔王軍に対抗する為に神によって聖女が選ばれた。それが聖女『キャロライン』。明音が転生した女の子で、ゲームではヒロインだったという。
ゲームでは聖女の成長と共に、魔王軍と戦いながら、王子様たちとの恋愛も楽しめる仕様になっているらしい。恋愛に現を抜かさず、真面目に戦ってくれと思うのはオレだけなのだろうか。
そのゲーム内ではライバルキャラが出てくるのだが、悪役令嬢と呼ばれるその子の名前がベアトリス。ゲーム内ではヒロインに陰湿な嫌がらせを行うという。オレの知っているベアトリスと違い過ぎるんだけど。
色々突っ込みながら話を聞いていたが、可笑しな部分がある事に気付いた。
「ん? 話を聞いてて思ったんだけど、お前が聖女に選ばれてるって事はもうゲームは始まってるんだよな? なんでオレは死んでないんだ?」
そう。ゲームは第二王子の死から始まってると言っても過言ではない。
なのに、オレはまだ生きている。
「うーん…それは私もちょっと引っかかってたんだよね。被害はね、出てるんだよ。だから、私が選ばれた。でも、死んだ人はいないんだ」
言い辛そうに眉を下げながら、明音は言った。
「ゲームでは第二王子は王宮に侵入した魔族に殺されたんだけど…どうも王太子の指示で王宮にありえない程、強い魔法の結界が張ってあるみたいで魔族は侵入できないんだって。天才肌の王太子と魔法が得意な第四王子が共同開発したんだって噂だよ」
「え?」
「更に言えば、第三王子が悪意を察知できる特殊能力を持ってるらしくて、悪意のあるものは片っ端から叩き斬ってるとかなんとか」
「え?」
「ただの公爵令嬢だった筈のベアトリスも国内屈指の魔法剣士で、第三王子とタッグを組んで周辺の魔物を一掃してるとかって話」
「え?」
「…正兄ちゃん、愛されてるね」
「え、えええええええ…」
兄弟と婚約者がオレの死亡フラグを全力で折っていたらしい。
何で…と戸惑いながら明音を見れば、愛の力? とよく分からない返事が返された。
兄たちも転生者である可能性もあるが、そんな素振りはなかったと思う。
だが、思い当たる事はあった。母の兄、オレとよく似ているというその人は魔族によって殺されたのだ。遊びに来ていたまだ幼い父と、年の離れた妹である母を庇って。
その話をどこかで聞いたのかもしれない。伯父にオレを重ねて、心配したのではないだろうか。言われてみれば、弟たちはいつもオレから離れなかったし、どこかへ行くときは兄も同行していた。守られていたのか。―――だから、オレはまだ生きているのか。
「オレは愛されてるんだな――――『この世界』でも」
そう言って笑えば、明音は目を潤ませてオレにしがみ付いた。
「大丈夫だよ。正兄ちゃんは私が守るから」
「…それはちょっと情けないんだけど」
「今度は絶対死なせないよ。絶対に!」
「明音…」
思わずジンとしたオレに、明音は満面の笑顔を浮かべる。
「私だって兄ちゃんの事、ちゃんと愛してるんだからね!!」
「―――聞き捨てなりませんわね」
ヒヤリとした声が響いた。
思わずビクリとした後、そっと振り返れば、そこには兄と二人の弟、それから、今にも血管が切れそうな従妹姫が立っている。
オレがヒィッと情けない呻き声を上げてしまう中で、前世の姪っ子は不敵な笑みを浮かべながらベアトリスを見返した。
「聖女キャロライン。お下がりなさい。その方は私の愛しい婚約者でしてよ」
「いや、僕の兄上だ」
「僕の兄様だよー!」
「私の可愛い弟なんだけど」
「お黙りなさい、この馬鹿兄弟!」
オレの兄弟が横槍入れてくるせいで今一つ締まりがない。何かごめんね。謝ってばっかりだな、オレ。
「嫌だと言ったら?」
殺気立っている相手を挑発するように言い返す明音。
そうやって、誰でも喧嘩売るの悪い癖だってオレ言ったよね? だから、美人なのに彼氏がいなかったんだよ。
「彼氏いなかったのは正兄ちゃんのせいだから」
「あれ? オレ、口に出してた?」
「顔が言ってるもの。やっぱり恋敵はベアトリスになるのね」
「え? え?」
「でも、この程度の障害、前世に比べれば屁の河童よ! かかってらっしゃいブラコン! いやジョニコン共!」
「ジョニコン!?」
この後、聖女と王族、公爵令嬢による仁義なき戦いが始まった。
勿論、大騒ぎになったが、数時間後には賭け事の対象となり、半日後には屋台が出ていた。逞しすぎる。
そして、丸一日経った時、彼らは肩を組んでお互いを認め合っていた。どういうことなの?
「「一時休戦!」」
「「「打倒、魔王!!!」」」
とりあえず、魔王を倒すことで決着がついたらしい。うん、本当にヨカッタネ。
腹を空かした子たちの為におにぎりを握りながら、オレは思った。
魔王、逃げろ。―――と。
そして、今日もオレは幸せな人生を生きている。
【おしまい】