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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.2 すべてはここから
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すべてはここから(2)

 『千秋』を出ると、もうすっかり良い時間だった。終電が近い。こんな遅くまで、大してお金も落とさない騒々しいだけの学生に居座らせてくれるのだから、『千秋』は本当に良心的でいい店だ。

 まだ少し肌寒さの残る夜気やきにさらされて。シンはアユムと顔を見合わせて苦笑した。

 シンよりも背が低くて、どう見ても体力には自信のなさそうなアユムは、ぐにゃぐにゃになったヒロエに肩を貸していた。顔を真っ赤にして、眼鏡が縦になった状態のヒロエは、アユムの身体に覆いかぶさるようにしてぐったりとしている。

「うあー、さっき頼んだ生、まだきてないよぉ?」

「とっくにきて飲んだ。今日は終わりだ馬鹿者」

 ヒロエはもう思考が朦朧としてきているらしい。アユムはよいしょ、とヒロエの身体を支え直した。不愉快千万という表情を浮かべながらも、置いていくという意志はないようだった。

「ヒロエは僕が送るから、榊田はそっちを頼む」

 アユムに酔っ払いを二人も任せることはできない。シンは背中に当たる柔らかい感触を、極力意識しないようにした。

「んー、あれ? 何がどうなってんの?」

 シンの背中で、コトハが素っ頓狂な声を上げた。こちらもだいぶできあがっている。普段ならコトハの担当はユイなのだが、今日は生憎あいにくの欠席だ。

 飲み会は、泥沼の様相だった。ヒロエはアユムと口喧嘩をしながら、ばんばんビールを飲みまくる。それを見ながらコトハも上機嫌になって、チューハイやらサワーやらをがぶがぶ空ける。お好み焼きもじゃんじゃん追加して、最後の方は二、三枚分をまとめて勝手にジャンボサイズにして焼いていた。酔っていてもそれをひっくり返せるコトハは、大したものだった。

 そしてそれらが全てが終わる頃には、飲酒した二人は完全にノックアウトの状態だった。ユイがいれば、このような惨状におちいる前にブレーキをかけてくれていただろうに。シンは今更ながらに、ユイの存在の有難みを痛感した。

「ほら、ヒロエ、帰るぞ」

「えー、まじかー。まだアユムに言いたいことがあるのにー」

「今日はお前のところに泊まるって言っただろ。とりあえず明日の朝聞くから、もう帰って寝るぞ」

「んだよー、ちぇー」

 駅の方に歩いていく二人を、シンは呆然と見送った。

「あの二人、付き合ってないんですよね?」

「本人たちの言を信じるならなー」

 酔いの抜けていないコトハが、妙なテンションで応えた。

「丸川君とヒロエはちょっと複雑な関係だ。仲が良くて、信頼し合ってて。でも恋人とかではない。面白いだろう?」

「面白いとか言ったら失礼でしょう。ほら、宮屋敷先輩も帰りますよ。送っていきますから」

 シンもそれほど筋力がある方ではない。コトハの身体は重くはなくても、軽くもないのは確かなことだった。残念ながら、半分ぐらいは自分の足で立ってもらわなければ困ってしまう。

 アユムから聞いた話によると、コトハの家はここから歩いていける距離だということだった。シンは、コトハが魔法研究会の部室で寝泊まりしているとすっかり思い込んでいたが、よくよく考えてみればそんなハズはなかった。いくら魔法使いとはいえ、あの何もないプレハブで生活することは不可能だ。

「えーっとね、あれ」

 コトハが斜め上を指差した。その先には、真っ暗な空が見える。

「あれが私の家だ」

「宮屋敷先輩、いい加減にしてください。終電なくなっちゃうんですけど」

 そろそろコトハの冗談には付き合ってもいられない時刻だった。今日は日曜日で、明日は月曜日。普通に午前中から講義がある。ゼミだけ出席しておけばいい四年のコトハとは違って、シンには一般教養科目をたっぷりと履修する必要があった。

「いやいや、榊田君。私は酔ってはいるが、自分の家を見失うほどに泥酔しているつもりはないのだがな」

 改めて、シンはコトハの指差す先に目を凝らしてみた。夜の闇、だと思ったら、丁度そこには大きなビルが建っている。大きすぎて今一つ距離感が掴みにくいが、あれは高層マンションだろうか。

 まさか。

「え、あのマンションですか?」

 コトハはこっくりとうなずいた。シンは言葉を失った。毎朝電車で大学に向かう時に、車窓から見える高級マンションだ。どんな人間が住んでいるのだろうか、自分とは無縁な存在だろうな、などと夢想したこともあったが。

 その住人が、今シンの隣でぐったりと寄り掛かってきている。世の中何が起きるか判ったものではない。

「ちょっと歩くよー。まあ、酔い覚ましには良いかもねー」

 そんなことを言いながら、コトハはシンから離れたが、不安定な千鳥足で、全然一人で歩ける様子がない。シンはコトハに駆け寄ると、腕を取って肩を貸した。酒の臭いに混じって、ふわり、と甘い香りがした。



 駅前から離れると、静かな住宅街に出た。マンションの光ははるか前方に見えている。近付いているのかいないのか、スケールに全く実感がともなわない。シンははぁ、と息を吐いた。

 コトハはシンに半分体重を預けて、すっかり夢見心地だ。むにゅん、という感触がずっとシンの二の腕に押し付けられている。シンのことを信頼しているからなのか何なのか。魔女先輩は無防備すぎた。

 人気ひとけが少なくなってきた辺りから、二人の前にはシキが姿を現していた。まるでこれから二人がどこに向かうのかを知っているかのように、軽い足取りで先導している。コトハに似て、それでいてコトハよりもふんわりとした長い黒髪。真っ白なノースリーブのワンピース。玩具みたいな小さな手足。シキの外観は、シンとコトハの中にある『娘』のイメージなのだという。

 普通の人間には見ることのできないシキは、シンとコトハの間に産まれることになる娘の魂だ。いつか二人は子供を設けることになり、そこに入ることになる魂なのだという。産まれる前の娘が父親の下を訪れて、それがえんで母親となる女性と出会うことになったなど。非常識にもほどがある話だった。

 未来は不確定だから、絶対ということはない。コトハはそうも言っていた。今目の前にシキの姿があるからといって、必ずしもシンとコトハが結ばれるとは限らない。しかしそれでも、シンにとってコトハは特別な存在に思えるし。

 コトハの方も、シンに対しては色々と思うところがありそうだった。

「宮屋敷先輩って、一人暮らしなんですか?」

「んー、残念ながら私一人ではないんだな。召使いが一人いる。ごめんねぇ、送りオオカミできなくて」

 送りオオカミどうのこうのは、どうでもいいこととして。

 シンはとりあえず納得した。普段あれだけだらしないコトハが、一人で生活などできるはずがない。誰かが常に面倒を見ている必要があるだろう、というシンの見立ては正しいものであったようだ。

 そして同時に、さらりと『召使い』という単語が飛び出したことに驚いた。魔法使いとして高名な一族だとは聞いていたが、金持ちというところまでは知らなかった。高級マンションに召使い。その暮らしぶりが想像できず、シンは眩暈めまいがしてきそうだった。

「お金持ち、なんですね」

「そうだね。一般に言うところのお金持ちなんだとは思うよ、宮屋敷の一族は」

 逆玉の輿で、婿養子むこようしになるのだろうか。そんなことを考えていたら、シキが振り返ってにこっと微笑んだ。シンは慌てて、そんなつもりはない、と頭を左右に振って妄想を振り払った。

「どうだい? そういう未来があるということに喜びを感じちゃったりするかい?」

 コトハがくつくつと笑った。すぐ近くにあるコトハの顔と、前を歩くシキの背中と。それから目の前にそびえ立つマンションを見て。

「うーん、それはあんまり感じないですね」

 シンは正直にそう応えた。

 シンの家庭は、それほど裕福だったわけではない。幼い頃は母子家庭であったし、母親が再婚した後も、妹の誕生などもあって金銭的にはいつもカツカツだった。

 しかし、お金があればなんとかできたという話でもなかった。シンが欲しいものは、もっと身近で、温かいものだった。

 もし自分に子供ができて、きちんと愛情を注いで育てることができたなら――シンにとって大事なことは、それだけだ。お金があるとかないとか。そういうことは、シンにはそれほど重要であるようには思えなかった。

「あるには越したことがないんでしょうけど、俺にはピンとこないです」

 コトハは唐突に足を止めると、じいっとシンの顔を凝視した。

「宮屋敷先輩?」


「じゃあ、私が宮屋敷の家を出て、榊田君のところにいってもいいんだな?」


 どきん、とシンの心臓が大きく跳ね上がった。シンの肩に乗せられたコトハの手に、わずかに力が入るのが感じられる。ごくり、とシンはつばを飲み込んだ。

「・・・俺、宮屋敷先輩の身の回りのお世話をしなきゃいけないんですか?」

「最近の家電は全自動化が進んでるからへーきへーき」

 コトハは大きくのけ反って、ケラケラと愉快そうに声を上げて笑った。シンは呆れてそれ以上は何も言わず、再び歩き始めたコトハの身体を黙って支えた。

 誰もいない、街灯の光に照らされたアスファルトの道路の上で。シキが、くるくると踊るように二人の前を歩いていた。



 マンションの入り口に立って、シンは自分がそこにいていいのかどうか判らなくなった。シンのアパートとは何もかもが異なっている。とりあえず、自分がいる場所がエントランスであるということが、かろうじて理解できる全てだった。

 巨大な自動ドアの前には、小さな端末が床から生えている。液晶画面と数字のキーがあるので、ここからインターホンで各部屋を呼び出すのだろう。

「鍵穴、とか、どこにもないですね」

「静脈認証だ。普段はこの端末に手首をかざすだけで良い」

 コトハが何を言っているのか、シンにはさっぱり判らなかった。きっとコトハはまだ酔っているのだ。そうに違いない。

「私だけならそれで良いのだが、今日は榊田君がいるからな。一声かけておく必要があるだろう」

「え、いや、俺はここまでで帰りますよ」

 後ずさったシンの腕を、コトハがぐい、とつかんで引っ張った。さっきまで一人では歩けなかったハズなのに。ものすごい力だ。

「もう終電はなくなってしまったよ。ここから榊田君のアパートまで歩かせるのは忍びない。別に家族がいるわけでもないのだから、気兼ねせずに上がっていってくれたまえ」

 ずるずるとシンを引きずって、コトハは端末の前まで歩いていった。もうアルコールは完全に抜けきっているようだ。細い指で、リズミカルに部屋番号をプッシュする。3501、というのは何階だろうか。

「はい」

 すかさず、若い女性の声がした。コトハの言っていた召使いか。流石に男性ではないよな、とシンは何故かほっとした。

「今帰った。客人がいるんだ」

「そちらの方ですね。この時間ということは、お泊りになられるということでしょうか?」

 恐らくどこかにカメラがあるのだろう。シンが辺りを見回すと、ドアの脇に監視カメラがぶら下がっていた。あれの映像を部屋の中から見ているに違いない。

「そうだよ。榊田シン殿だ。以前話しただろう?」

 コトハのその言葉を聞いて、インターホン越しの声は沈黙した。

「どうした?」

「コトハ様、その、申し訳ありません。突然なもので、そういう準備がまるで整っておりません。今許可していただければ、コトハ様の寝室の清掃をおこなって、新しいネグリジェをお出しして、下着の方も勝負用のものを準備して、そうですね、十分間いただけますでしょうか?」

「違う違う違う、そういうことじゃない! ストップストップ!」

 コトハは慌ててカメラに向かって両掌を振ってみせた。

「終電を逃した榊田君を一晩泊めるだけ。それだけだから」


「それだけなんですか!?」


 インターホンから、大音量で聞き返されて。


「文句あんのか、こらぁ!」


 コトハはブチ切れて大声で怒鳴り返した。

「いいからセキュリティを解除してドアを開けて!」

「かしこまりました」

 悪夢のようなやり取りが終わって、ようやく自動ドアがするすると音もなく開いた。深夜にこれだけ騒いで苦情もないというのは、良いことなのだろう。そんな、今のやり取りの内容とは全然関係ないことを考えながら。仏頂面のコトハに続いて、シンはマンションの中に足を踏み入れた。



 ホテルのロビーのようなエントランスホールを抜けて、シンはコトハと共に高層階用のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの内装も立派なものだ。コトハは操作パネルの下にある四角い枠に手首をかざしてから、三十五階――最上階のボタンを押した。

「榊田君が一人で私の部屋にくるには、私の手首を切り落としておく必要があるな」

 コトハは冗談交じりにそう言った。ここにも静脈認証があるのだろう。ついさっきまで、巨大お好み焼きをひっくり返して拍手喝采していた現実が急に恋しくなってくる。シンはもう何が起きても驚かない気がしてきた。

 目頭を押さえたところで。シンは、すぐ隣でにこにこしながら見上げてきているシキのことが気になった。

「そう言えば、シキは大丈夫なんですか?」

「何が?」

「いや、ひょっとしてそういうものに対するセキュリティとかあるのかなぁ、って」

「ああ」

 宮屋敷の家は魔法使いの一族だ。普通では考えられない何が出てきてもおかしくはない。霊的な攻撃に対する守りというのは、なかなかどうしてありそうな話だった。

「その点に関しては、私が許可しているから大丈夫だ。シキも、当然榊田君も、大事な客人として認識しているよ」

 数分も経たずに、エレベーターは最上階に到着した。ドアの向こうに広がった光景を見て、シンは結局また驚かされた。

 天井があるのだから、ここはフロア内なのだろう。しかし、足元には緑の芝生と植え込み、それに庭石まで置かれている。流れる小川に、色鮮やかなコイの姿まで見えた。間違いなく屋内であるのに、そこにはちょっとした庭がしつらえてあった。

 少し歩いたところに壁があって、普通の民家の玄関先のようなドアが設けられている。恐らく夜の時間帯であるからか、照明も抑え気味になっていて、そこかしこから虫の声も聞こえてくる。これは本物なのか、録音されているものなのか。シンは自分が中にいるのか外にいるのか、全く判らなくなってきた。

「宮屋敷先輩、ひょっとしてこのフロアって」

「ん? そうだよ、このフロアには私の部屋しかない。というか、私の家だな」

 シンは考えるのを止めた。何もかもが、あまりにも想像を絶している。悩むだけ馬鹿馬鹿しい。

 コトハは玄関の前に立つと、呼び鈴を押した。特にチャイムらしい音は聞こえてこない。

 しかし、ほとんど待つこともなく扉が開いて、中から一人の女性が現れた。


「おかえりなさいませ、コトハ様。それから、いらっしゃいませ、榊田シン様」


 シンは絶句した。これ以上のものはもう出てこないだろうと、完全に油断しきっていた。

 コトハの身の回りの世話をしているという召使い――ブリジットは、うら若い金髪碧眼の美女だった。


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