きたるべきあした(4)
「あ、えーっと、鳥・・・三昧さん?」
「鳥居塚だ」
リイチロウは何かもを諦めきった顔で訂正した。薄暗いマンガ喫茶にやってくると、そこには魔法研究会現部長、橘ユイの姿があった。教室内に仕切りがしてあって、いくつか個室が作られている。そのうちの一つからユイがひょっこりとでてきたところに、鉢合わせした格好だった。
それにしてもどうして魔法研究会の面々はこう、毎度毎度的確にリイチロウの名前を間違えるのだろうか。これはもうコトハから、そういう風にせよとの指示がだされているのかもしれなかった。何しろ、一番真面目そうな雰囲気のするユイからしてこれだ。どういうタイプの嫌がらせなのか。
「コトハさんを探しているのだが、その、なるべく穏便に済ませたくてね」
他のメンバーに比べれば、ユイは話が通じるし、融通も利かせてくれた。二年生ながら部長を務めていることにも納得がいく。これで名前さえ間違えないでいてくれれば完璧なのだが。それはもう、決まりみたいなものだと思っておくしかなかった。
「宮屋敷先輩なら、部室にいるんじゃないでしょうか」
初めての有力かつ、具体的な情報だった。素晴らしい。今までの無駄な時間は何だったのか。リイチロウは思わずユイのことを拝みそうになった。
「多分、榊田君と一緒にいます」
やっぱりか。それはまあ、そうだろう。これまでに聞いてきた話を総合して推察してみれば、コトハが榊田シンと行動を共にしていることは明白だ。それは判り切っていることだった。
そこで、リイチロウははたと気が付いた。だがちょっと待ってほしい。教室にいたのは、富岡ヒロエと丸川アユム。中庭にいたのは、ブリジット・ダルレーとマヤ・ララミィ。そしてここには、橘ユイ。
魔法研究会の関係者で残っているのは、後は榊田シンと宮屋敷コトハのみだ。
つまり――
「ありがとう、失礼するよ」
リイチロウはそれだけ言い残すと、一目散に駆けだした。なんということだ。コトハとシンはあの狭苦しいプレハブの部室に、二人きりでいるということではないか。学園祭の喧騒から離れて、あの静かな部屋の中で。コトハが持ち込んだ柔らかいソファの上に寝そべって。ああくそ、いかがわしい。
「おのれ、榊田シン!」
この尖央大学の中で、鳥居塚リイチロウが訪ねてきているというこの状況で。
そんな羨ましい・・・もとい、破廉恥な行為が許されてなるものか。リイチロウは全力でプレハブ棟に向かって走り始めた。
猛烈な勢いで去っていくリイチロウの背中を見送って、ユイはふぅと溜め息を吐いた。とりあえずこの場でのゴタゴタは避けられそうだ。シンとコトハには悪いかもしれないが、こちらにはこちらの事情がある。少なくともユイ一人の状態では、対応は難しいと判断せざるを得なかった。
「騒々しい男よのう」
ユイの後ろから、真っ白い顔がにゅるり、と覗き込んできた。この場所に合わせてか、淡い色合いのスーツにタイトスカートの女性だ。大学職員の腕章を着けていて、どこからどう見ても妙齢のキャリアウーマン、という風情だったが。
実際には、関係者どころか人間ですらない。尖央大学のヌシ、文車妖妃のフミだった。
「フミさん、ありがとうございました」
「なんの。妾も楽しませてもらっているよ」
くくく、とフミは怪しい含み笑いを漏らした。
魔法使いが一人、こちらに向かっている。フミからその知らせを受けて、ユイは泡を食った。よりによってなんでこの時に、と大慌てで飛びだして確認したところ、魔法使いは鳥居塚リイチロウであった。
すわ、と警戒して接したのだが、何のことはない、リイチロウはいつも通りのコトハ目当てだった。去年までは大体月に一度くらいのペースで、部室にまで訪ねてくることがあった。それがコトハの逆鱗に触れて、「適当に名前でも間違ってほっぽいといてくれ」とのお達しがだされている。そのせいで未だに反射的に変な呼び方をしてしまうのが、少々申し訳なかった。
「宮屋敷コトハの居場所を教えてしまって良かったのかい?」
「そうするのが一番手っ取り早く追っ払えるんですから、仕方ないです」
背に腹は代えられない。後はコトハが自分でなんとかするだろう。それにしても面倒事が増えてしまった。どうしたものかと思案しながら、ユイはフミと別れて個室の中に戻っていった。
二畳くらいのスペースには、大きなクッションが二つ並べられていた。低反発で、「人をダメにする」とか言われているヤツだ。実際にこれにハマって、ダメになっている人間が約二名。その内の一人が、ぐりん、とユイの方に顔を向けた。
「今のって、鳥居塚家のリイチロウだよね? 結構高名な魔法使いだ」
山猫のように大きな目が、さも面白いものを見たとでも言いたげに、きゅうっと細められた。ただし、視線は手元のマンガ本からは少しも動かしていない。魔法使いごときが何をしていようが、興味なんぞはこれっぽっちもない。今は王宮のバイト妃が、果たしてこの先どうなってしまうのか――その行く末について読み進めることの方が、よっぼど重要な関心事だった。
「宮屋敷先輩にお熱なんですよ。榊田君がきてから大人しくなってたんですけど、学園祭だから湧いてきたんですね」
「そりゃ災難だ」
異言語話者の仲介人、内海クウコは、まるで他人事であるみたいにケラケラと声をだして嗤った。
「笑い事じゃないですよ。こっちは肝を冷やしたんですから」
ユイはもう一つのクッションの方に視線を向けた。こちらはじっと静かに、マンガの世界に完全に没入してしまっている。これまであんまり目にする機会がなかったからか、物凄い食いつきっぷりだ。気に入ってくれたのは何よりだが、このままダメ人間になってしまうことだけは、なんとしても阻止しなければならない。
ほっそりとした手足に、独立した生き物を思わせる長い黒髪。最近はすっかり目元が優しくなってきた。とろん、とした垂れ目は彼女の暗い背景を何一つ感じさせない。
そこにいるのは、かつて悪意ある魔法使いによって実験体にされていた少女――『銀の鍵』の生体制御装置、フユだった。
ユイの大学の学園祭を見てみたい。
フユからそんな要求がでてきた時、ユイは素直に喜んだ。フユは魔法使いたちの非道な実験によって、自発的意思のほとんどを潰されていた。心を読む『銀の鍵』の特性により、言葉によるやり取りにも苦心する有様だ。何とかしてフユに社会との繋がりを持たせたかったユイにとって、フユの言葉は何よりも嬉しいものだった。
そして同時に、それは困った要求でもあった。まず第一に、フユは沢山の人間のいる場所に慣れていない。『銀の鍵』の能力はだいぶ上手く制御できるようにはなっているが、パニックでも起こしてしまったらどうなるかは判らない。不用意に攻撃的な意思の前にさらされれば、フユはどんな反応を示すことになるのか。相手が五体満足でいられるという保証は、まるでなかった。
第二の問題が、魔法使いだ。フユの存在は、魔法使いの世界では重大な極秘事項だった。悪意ある魔法使いの集団である『結社』は瓦解し、その成果である『銀の鍵』の制御装置は失われたことになっている。フユを助け出した天羽セイや、クウコ、コトハらの善意の協力によって、フユはこうして普通の人間として生きるためのリハビリをおこなえていた。第三者の魔法使いにフユの姿を目撃されることは、可能な限り避けたかった。
「それなら、妾のところにくるが良い」
そう声をかけてくれたのが、フミだった。
学園祭では、図書館職員が毎年有志でマンガ喫茶を出店している。フミはその中に、しれっとした顔で混ざっていた。どのような妖術を使っているのか、他の職員たちとも普通に会話している。老獪な尖央大学のヌシたる大妖怪は、やることが桁違いに狡猾だった。
元々このマンガ喫茶は、避難所としての機能も持っていた。学園祭の時期には、外から色々なものが入り込んでくる。トラブルの種が見つかった際には、フミが指示をだしてこのマンガ喫茶の部屋が用いられた。
個室には魔力や気配がシャットアウトする、特殊な結界が張られていた。利用方法としては、トラブルが発生している間に力の弱いものが身を隠す、シェルター的な用途が主たるものだ。それ以外にも、逆にうるさい部外者を誘い込んで閉じ込めたりと、臨機応変な対応が可能だった。
まずはフユに、外の世界に慣れさせていく。その目的を果たすため、ユイはフミの申し出を受けることにした。他のどこにいくよりも、自分が良く見知った場所の方がユイも安心ができる。それにフミが用意している部屋ならば、万が一の場合でも容易に対処がおこなえそうだった。
クウコもきてくれることになったので、ユイは万全の態勢でフユを連れてくることができたのだが。
「これ、『潮騒』にいる時とあんまり変わっていない気がするんですけど?」
むしろ、悪化していた。図書館職員おススメのマンガライブラリーは、実に見事なものだった。到着するやいなや、フユもクウコもマンガの棚に飛びついてしまった。クウコは前から気になっていたというマンガの続きを発見して、ご機嫌で読み耽っているし。フユに至っては片っ端から手に取って、クッションの横に山と積み上げている。これでは喫茶店の仕事をしている分、『潮騒』にいた方がマシではないのかという惨状だ。
「まあまあ、外にでること自体が当初の目的なんだからさ」
「これは『外』って言えるんですかね」
クウコはここに入った時から、のらりくらりと屁理屈をこねくりまわしている。まあでも、あれこれと無理矢理にやらせるよりは、この方がリハビリ向きとは言えるのかもしれなかった。千里の道も一歩から、だ。フユも落ち着いている様子だし、まずはこれで良いのだろう。
「じゃあ、もう少ししたら私は午後の公演があるのでいきますね」
「はぁーい」
クウコがひらひらと手を振った。午前中はずっとこんな調子であった。これなら午後も同じだろう。ユイはそう思っていたのだが、フユがぴくん、と反応した。
「待って」
「何? それの六巻?」
フユはふるふると首を振った。いつもなら、ユイの意識の中に直接要求を流し込んでくる。それでは良くないと、言葉を口にだして伝える練習を何度となくやってきた。その甲斐あってか、フユは今も頑張って声での会話を試みようとしていた。
「見たい。フユも、公演」
「え、ええーっ」
まさかの要望に、ユイはひっくり返りそうになった。
大学の敷地のはずれ、プレハブ棟の辺りは予想通りほとんど人の気配がなかった。普段からあまり人の寄りつかない場所ではある。それが輪をかけて誰もこないのであるから、もはや無人であると言っても過言ではなかった。
そこに年頃の男と女、それも好き合っている同士がいるとなれば、どんなことになってしまうのか。けしからん。リイチロウは鼻息を荒くしながらどかどかと歩を進めた。
魔法研究会の部室までやってくるのは、かなり久しぶりだった。以前は月イチの頻度で訪れていたのだが、コトハからの猛抗議を受けて多少は加減をするようになっていた。その後に榊田シンの存在が判明し、リュウゴに頼んでいたコトハの家の仕掛けのことがバレて。現在では、完全に出入り禁止を言い渡されている。
なので、本来ならリイチロウはここにはいてはいけないことになっていた。とはいっても、今日ばかりは特別だ。なにしろコトハの貞操の危機なのだ。リイチロウが今まで、どんな気持ちでコトハと接してきたと思っているのか。こんな学園祭の騒ぎに乗じて、大切なコトハをどうにかしてしまおうだなんて。
許されて良いはずがない。
部室のドアの前までやってくると、電灯が点いているのが判った。中に誰かがいるのは間違いない。ぼそぼそと話し声が聞こえてくる。落ち着け。リイチロウは深呼吸した。冷静に、冷静に。たとえどんな場面にでくわしたのだとしても、取り乱すことのないようにしなければ。リイチロウは紳士なのだ。
「榊田君、慌てないで。まずはこの辺りから、ね」
コトハの声がした。周りに聞こえないように配慮して、小さく抑えられたものだ。ドアの向こうで何がおこなわれているのか。リイチロウは無意識のうちに一歩前に踏みだしていた。
「そんなこと言って、俺は下の方を取りたいんです」
「強引だなぁ。ダメだって、物事には順番があるんだから」
な。
何をしているんだ。リイチロウは頭に血が昇ってきた。声自体は小さいものだが、何やら言い争っているような気配も感じられる。すりガラスの向こうで、コトハとシンと思しき人影が揺れていた。リイチロウは息を押し殺して会話に聞き入った。
「宮屋敷先輩、ズルいですよ。ここは俺がやりたいように――」
やりたいように?
「や、ちょっと、そんな乱暴なやり方――」
そんな、乱暴な、やり方?
「ちょっと待ったぁ!」
たまらずに、リイチロウは部室のドアを開け放った。榊田シンとの関係については、伝え聞いて知ってはいた。プライベートなことであるし、それはリイチロウがあれやこれやと口出しするようなことではないだろう。
しかしいくらなんでも、物事には限度というものがある。大学で、部室で。リイチロウがドア一枚挟んだところにいる状態で、そんな秘め事がおこなわれているだなんて。耐えられるはずがない。あり得ない。
あの宮屋敷家のご令嬢、宮屋敷コトハに。この春に出会ったばかりの、どこの馬の骨とも知れぬ新米の魔法使いごときが。リイチロウの許しもなく。
「コ、コトハさん!」
一体全体、どんなやり方を強要しているって?
「あれ、鳥白湯?」
テーブルを挟んで、向かい合うようにしてコトハとシンが丸椅子に座っていた。二人とも舞台袖で作業するためか、黒っぽい服装をしている。着衣に乱れはない。至って健全で、まともな状態だ。仲良くぽかんと口を開けて、リイチロウの方を凝視している。コトハの赤い下縁の眼鏡が、かくんとずり下がった。
続けて、がらがらがしゃん、と音を立てて積み木のタワーが崩れ落ちた。ばらばらになった長方形の木片が、テーブルの上に山を作っている。ジェンガだ。それを見て、ソファの上に乗っていたシンの妹――榊田ミユが嬉しそうに宣言した。
「お兄ちゃんの、負け!」




