めがさめてひとり(4)
携帯で一通り話をして、ようやく一段落した。最初は仕事中の時間ということもあってメールにしていたのだが、結局直接言葉を交わすのが一番手っ取り早かった。シンはふぅ、と溜め息を吐くと、携帯をポケットに戻した。
部室のドアの横では、衛兵のようにマヤの使い魔である血塗れの骸骨が控えていた。ミユにこれが見えてなくて良かった。そうでなければ、今頃はとんでもない騒ぎだっただろう。部室に入ると、ミユがぎゅう、とシンに抱き着いてきた。
「ほら、ちゃんと電話したら戻ってきただろう? どこにもいかないから」
ほんの数分の間、母と電話をするために席をはずそうとして、さっきは大変なことになった。このプレハブ棟の中は、携帯の電波の状態が悪い。それに、コトハや他の部員たちがいる前で母と話すのは、少々気恥ずかしかった。
「で、どうなったかね?」
「はい。母さんも抜けられそうにないので、夕方までは預かることにしました」
ミユは父にも母にも断りなく、たった一人で尖央大学までやってきていた。小学校は、先週の社会科見学の振り替え休日で休みなのだそうだ。ミユは電車に乗る際に、社会科見学で万が一のためと母が用意しておいた子供用のICカードを使っていた。尖央大学までの道筋は、父のスマホで調べたらしい。小学校二年生にしては実に鮮やかな、見事なまでの手際の良さだった。
「大した行動力じゃないか。榊田君は大いに反省するべきだね」
コトハに言われるまでもない。シンはひどく後悔していた。
「お兄ちゃん、急にいなくなったら、やだ!」
部室に飛び込んでくるなり、ミユはそう言って大声で泣き喚いた。突然現れた妹の姿に、シンは戸惑いながらも。
「ミユ、どうした。何かあったのか?」
すぐに走り寄って、優しく声をかけた。
「いやー、榊田君の召喚魔法も凄まじいな、と感心してしまったよ」
「俺は宮屋敷先輩の仕業かと思いましたよ。いよいよもって性質が悪いな、って」
ふふふふふ、とシンとコトハは睨み合った。お互いに好き同士で付き合ってはいるが、それとこれとは話が別だ。ちょっとでも油断しようものなら、コトハはとんでもないことをしでかしてくる。親しき仲にも悪戯アリだ。
しばらくすると、ミユは落ち着きを取り戻してきた。遅れて部室にやってきたユイから、ある程度の事情は聞くことができた。シンはミユの勇気と、それを支えていたかつての自分の心ない態度に、胸を痛めた。
「ごめんな、ミユ。俺が悪かった。寂しかったんだな」
シンはミユには何も言わずに、実家からでてきてしまった。自分の存在は、ミユにとっては余計なものでしかないと思っていた。
半分だけの繋がりを持った兄妹。シンがいることで、家族はうまく回らないこともあるだろう。
それなら、最初から関わらない方が良い。ミユには、父と、母がいる。シンは、ミユにとっては『いつか消える誰か』で良い。それ以上の繋がりなんて、必要のないものだと思っていた。
「ミユちゃんは、お兄ちゃんが好きなんだろう?」
シンにしがみついたまま、ミユははっきりとうなずいた。ずびー。ズボンが鼻水でびしゃびしゃだ。仕方がない。シンはミユの頭をそっと撫でた。細くて、ふわふわの髪。お日様の匂いがする。
「はー、榊田さん、お兄ちゃんなんですねぇ」
感心したように、マヤが呟いた。
「長男っぽい感じしないよね。うちもお兄ちゃんいるけど、あんまりイメージ湧かないかな」
ユイまで好き放題を言っている。確かに兄貴失格ではあっただろうが、何もそこまで貶めなくても良いのではなかろうか。魔法研究会の女子は、どうも全体的に情け無用すぎるきらいがある。
ミユは、シンに捨てられたものだと思っていた。
それは、あながち間違いではない。シンは家族を自分から切り捨てたのだ。
自分とは関係のないものたち。シンだけに愛を注いでくれなくなった母親と、父親を名乗る知らない他人。そして、その二人の間に生まれた、幸せいっぱいの妹。
そこには、シンの居場所なんてなかった。シンがいてはいけない。妹のため、ミユのためを思うなら。
シンなんて、いない方がうまくいくだろう。
「間違いに気付いたかい、榊田君?」
「はい」
誰にも愛されることはない。満たされることはない。シンは、ずっとそう考えてきた。切り捨てるのは、相手のため。殺しているのは、自分の心。それだけのことなのだと、思い込んでいた。
だが、そうではなかった。
目の前で、ミユが泣いている。
シンに会いたかったと。捨てられてしまったのではないかと。
シンの刃は、ミユの心をズタズタに引き裂いてしまった。この痛みは、全てシンの責任によるものだ。
電話口で、母が言っていた。
「ミユのこと、お願いね。お兄ちゃん」
シンは、ミユの兄なのだ。母にとっては、シンもミユも、同じ自分のお腹を痛めて産んだ子供だった。二人の間に、違いなんてない。母は、自分のことを突き放したシンをそれでも信用して、ミユを預けてくれた。それは家族だからだ。シンがどんなに切り捨てたつもりであっても、シンはまだ、榊田家の家族の一員だった。
「お兄ちゃんは、一人じゃないよ」
ユイに涙を拭いてもらいながら、ミユはシンの目を真っ直ぐに見つめてきた。たとえ、その繋がりが半分なのだとしても――
「だから、ミユのことも一人にしないで。お願い」
強くて、何ものにも負けなければ良い。
幼い妹に、シンはとても大きくて、大切なものを教わった。
部室、という場所にシンはいた。外から見た時にはひどい場所だと思ったが、部屋の中はそうでもなかった。あったかいお茶もでてきた。お菓子もでてきた。あと、綺麗な女の人がいっぱいいる。すごい。アニメみたい。
ここまで連れてきてくれた橘ユイというお姉さんは、部長さんだということだった。一番偉い人、ということか。落ち着いていて、大人って感じがする。お茶もお菓子も、ユイが準備してくれた。こんな人がお姉さんだったなら、ミユは毎日が楽しくて仕方がないだろう。
中学生くらいの赤い髪の女の子は、マヤ・ララミィという名前の外国の人だった。でも喋っているのは日本語だ。ためしに英語を話してもらったら、ちんぷんかんぷんだった。すごい。あと、中学生だと思っていたら、お兄ちゃんと同い年だった。色々とすごい。
そして――
「やあやあ初めまして、榊田ミユちゃん。私は宮屋敷コトハ、君のお兄さんには何かとお世話になっている者だ」
部屋の奥にある大きなソファに座っている、お胸の大きな女の人。この部屋の中で一番偉いのはユイという話だが、コトハはどういう扱いなのだろう。黒くて長い髪、眼鏡のレンズ越しに見える鋭い目。明らかにこっちの方が偉そうだ。
かちこちに固まったミユに向かって、コトハはすっと手を差し出した。なんだろう、握手? そう思って近付くと。
ひょこん、とコトハの掌の上に何かが現れた。
「わっ」
驚いて声がでてしまった。そこには、折り紙で作られた小さなウサギが乗っていた。
ペールオレンジの紙で、とても丁寧に折られている。可愛い。ミユはこのウサギの折り方を知らなかった。もらっても良いのだろうかと手を伸ばすと。
ぴょん、とウサギが跳ねた。
「わわっ」
ウサギはそのまま、ミユの手の甲の上に立った。どうなっているのだろう。恐る恐る別な方の手の指でつまんでみると、それは何の変哲もない折り紙だった。
「お近付きのしるしに、どうぞ」
すごい。本当にすごい。
コトハは、まるで魔法使いだった。いや、女の人だから、魔女だ。シンの方を向いて、コトハは楽しそうに微笑んだ。これは一体、どういうことなのだろう。
「びっくりしたかい? ここは魔法研究会、マジックショーをやっている部活なんだよ」
ミユは、ぽかんとシンの顔を見上げた。なんということだ。ミユのお兄ちゃんは、あのお胸の大きい魔女の人に弟子入りして――魔法使いになろうとしている。
「お兄ちゃん、魔法使いになるの?」
「あー、まあ、そうなるのかな」
そういうことだったのだ。
シンは大学に入ってから、魔法使いになるための修業に明け暮れていた。お家に帰ってこれなかったのには、そんな理由があったのだ。ミユは様々な事柄について、それで納得した。ミユのお兄ちゃんは、すごい。
丁度良い練習相手ということで、マヤはミユを相手にトランプマジックを始めていた。シャッフルが上手くいかなかったり、タネが丸見えになってしまったり、なかなかどうして前途は多難そうだ。それでもミユの方は、真剣にマヤのやることをじっと見ていた。手品・・・というより、魔法に興味津々だ。
「ところで榊田君、妹さんを預かるのは良いんだけど、今日は講義があるんじゃないの?」
「それなんですよね」
ユイの問いかけに、シンは頭を抱えた。
今の時間は空きなので、悠長に手品の練習などをやっていたのだが。一年生のシンには、まだまだ沢山の講義を受ける必要がある。今日の午後には、どうしても出席しなければならない必修単位が存在していた。
「出欠を取る授業なんですよね。落とすと進級できないし」
半年も通っていれば、大学生活の泳ぎ方のコツくらいは判ってくる。その中でも厄介な部類に入るのが、単位取得に全授業数の三分の二以上の出席を要する、というものだった。
「あの授業、学生証のバーコードで助手の人が一人一人チェックするんですよ」
「代返がきかないタイプだね。それはでるしかないよ」
出席の取り方も、授業によって千差万別だ。人数が多いので、名簿に書いてある名前をいちいち読む、なんてことはしない。大体が出席カードと呼ばれる紙を配って、そこに学籍番号と名前を記入する、というものだった。
そのやり方だと、誰かに頼んでカードを二枚受け取って記入してもらうことができたり、カード自体を大量に持っているバイヤーみたいな奴がいたりする。学生の方はそれが楽で良いのだが、それに対して「ズルは絶対に許さない」と息巻く年寄り連中もいた。今日シンが受ける講義の教授は、代返なんぞもっての外、という考えの持ち主だった。
「一日くらいは休んでもいいですかね」
「いやいや、そういうのは一回休むとクセになって、結局単位を落とす結果に繋がりかねないぞ?」
マヤの監督をしていたコトハが、ぐるんと首を回してシンの方を向いた。
「学生の本分は勉強だ。大学に学費を払っているんだから、その分しっかりと講義は受けるべきだろう」
「・・・宮屋敷先輩にそんなことを言われるとは思いませんでしたよ」
コトハはほぼ毎日のように部室にやってきて、ソファの上でぐうぐうと昼寝をしているだけの生活だ。授業を受けている様子など微塵もない。
しかしそれはコトハが四年生であって、これまでに必要な単位をすべからく取得済みである、ということに他ならなかった。
「榊田君、これでも私は優秀な学生なのだぞ?」
信じられないことだが、それは事実だった。心理の魔女先輩といえば、尖央大学の才媛として名物の一つとなっている。シンも少し前までは知らなかった。部室でごろごろとしているぐうたらな姿からは、想像もつかない話だった。
「何かズルとかしてませんよね? それこそ魔法とか」
その方が、シンにはまだ理解可能だった。毎回しっかりと講義に出席しているコトハなんて、コトハらしくない。悪巧みして、こっそりと単位だけ頂いている方がずっと『魔女先輩』している。
「おいおい、勘弁してくれよ、榊田君。君は自分の彼女にカンニングマスターであってほしいのかい?」
確かにそれはそれで、聞こえが大変よろしくない。コトハはシンの、自慢の彼女なのだ。美人で、スタイルが良くて、勉強もできる。実家が資産家でもある。弱点なんて、どこにも見当たらない。
そんな二人の関係を知っている、学内の知人たちの反応を見る限りにおいては――シンの扱いは『勇者』及び『冒険者』だった。羨ましがられる以前に、感心される。それがどういう意味なのか、シンは深く考えないことにしていた。
「マヤも榊田君と同じ講義を受けてるんだろう? なら、その間は私が見ておいてあげるよ」
「宮屋敷先輩、今日は授業ないんですか?」
「ないよ」
けろり、とコトハは言い切った。コトハが大学にくるのは、あまりにも杜撰な生活態度を矯正するためでしかなかった。人造人間のお手伝いであるブリジットが、毎朝苦労して家から追い出しているのだ。そんな身分であるのに。
「この宮屋敷コトハが、つきっきりで面倒をみてやんよ」
コトハの言い草は、まるでどこかの青い猫型ロボットみたいだった。
ユイも午後は講義が入っているらしい。結局のところ、子守りに最適な暇人はコトハしかいないということだった。コトハも、伊達に先代の魔法研究会部長を努めてはいない。シンにとっても、信頼がおける人物だ。不安要素がないとはいわないが、とりあえずはお願いするしかない状況だった。
「う、うええぇー?」
マヤが奇声を発した。いつの間にか攻守が交代していて、ミユがマヤにトランプマジックを仕掛けていた。どうやらミユは筋が良いらしい。カードを何回も見直して、それからマヤはシンの方にすがるような視線を向けてきた。
「榊田さん、妹さんは魔法使いなんですか?」
それは本気なのか、それとも単なるリップサービスなのか。今一つ判別がつかなかったので、シンは曖昧な笑みで応えておいた。
さっきからずっと、シキがミユの横に並んでいた。シキが一緒なら、それもまた安心できる要因になってくれる。ちょうど同じ年くらいか。シキの姿は見えないはずなのに、二人はまるで仲の良い友達のように思えて――とても微笑ましかった。




