めがさめてひとり(2)
ハンカチを敷いたテーブルの上には、硝子のコップが伏せて置いてあった。そこにチャリン、とコインがでてくる寸法だ。タネも仕掛けもない・・・ことにはなっている。前口上でそう言っているのだ。お約束、という奴だろう。
本当にトリックがないのなら、それは魔法だ。物質転送とか、瞬間移動とか。むしろその方が断然楽だった。何も考えずに済む。どこかにある物体を、そこにあったことにしてしまうだけで良い。因果に影響が少ないのなら、難易度はどんどん低くなる。いっそそれでも構わないのではなかろうか。
「こら、榊田君、ちゃんと練習する」
じろり、と鋭い吊り目で睨まれてしまった。普段はちゃらんぽらんなのに、こういう時だけはしっかりと師匠の顔になる。まあ、そういうところを好きになったと言えばそうだ。宮屋敷コトハは、シンにとっては素敵な魔女先輩だった。
シンの隣では、マヤがトランプカードと格闘を繰り広げていた。そちらの方は、一応シンにはクリア済みの課題だった。相手に引いてもらったカードが、山に戻すと一枚だけ表向きになっているマジック。タネが判れば至ってシンプルだが、その分うまく引っかけるのが難しい手品だった。
「二人とも、学園祭までには基本のマジックはできるようになっておいてくれよ」
お昼前の空き時間、国文一年の榊田シンとマヤ・ララミィは、心理四年で現役引退済みのコトハから、魔法研究会の部室でテーブルマジックの指導を受けている真っ最中だった。
尖央大学魔法研究会は、今年学園祭でマジックショーの公演をおこなうことになっている。教室を一つ使って客席とステージを設けて、子供向けとはいえ割と本格的な内容の予定だった。
主演を務めるのは、現在の魔法研究会の部長、教育二年の橘ユイだ。今までにもアシスタントや司会として舞台に立ったことがあるので、二年生とはいえ経験の方はばっちりだ。お嬢様みたいな外観に似合わず、大胆で肝も据わっている。『美人すぎる手品師』とかでも全然イケるだろう。
司会進行とアシスタントは、教育三年の丸川アユムが担当する。小柄で、ほっそりとしていて。口さえ開かなければ、女子と間違えてしまいそうになる残念系美男子だ。舞台ではわざとぶりっこな喋りをして、最後にネタばらしして少年たちの夢と希望を破壊する企みでいるらしい。ある意味イリュージョンだ。
裏方、黒子は経済三年の富岡ヒロエが走り回ってくれることになった。本当は司会進行をやる予定だったのが、「ガラではない」ということで急きょ変更となった。もじゃもじゃ天然パーマの、背の高いがっしりとした・・・女子だ。実家の酒屋の手伝いをしているせいか、色んなところで男らしい。「いっそバニーでも着るか」それはそれで伝説になりそうだが、正直やめてほしい。
シンは夏合宿に引き続いて、照明と音響の舞台効果を一手に任された。ヒロエが壊したロアーホリゾントが新しくなったので、その調整も兼ねて色々といじっている。機械関係には、実のところシンはそんなに強いわけでもない。しかし、触ってみると思いの外楽しかった。「男の子だねぇ」コトハがそう評したが、そういうものなのだろうか。
九月に特待生として入学したばかりのマヤと、すでに現役を引退したコトハは広報として宣伝活動をおこなう。ビラを配ったり、プラカードを持って校内を練り歩いたり。後は、公演中の会場整理だ。
ステージ公演は、一日に三回か四回を予定していた。大規模なものだと、道具の準備にも手間がかかるし、何よりやる人間の体力が持たない。夏合宿の一回こっきりの公演でも大騒ぎだったのだ。学園祭の三日間、合計で十回以上もそれをやるとなれば、十分に重労働の部類に入る。
ではその合間の時間には暇をしていれば良いのか、というとそうではない。
「我々の公演は子供が相手だ。大事なことだから、忘れないようにな」
魔法研究会の主なお客様は、小学校低学年及び未就学児のお子様だ。そういった小さな子供でも楽しめるように、空き時間は『簡単手品教室』を開催することになっていた。
ハンカチやトランプ。その他身の回りにあるものを使って、誰でもお手軽に実践できるマジックをやってみよう。これが毎年かなりの盛況だということで、部員はほぼ総出でこの対応に当たる必要がある。新入部員であるシンとマヤも、例外なくかりだされることになっていた。
「思ったよりも難しいです」
赤銅色の髪を後ろで一つに束ねたマヤが、ふいぃ、と息を吐いた。赤みがかった瞳に、ほんのりと残ったそばかすがチャーミングだ。マヤはアメリカのハイスクールから、九月に特待生として急遽編入させられてきた。身長から何からみんな小さくて、パッと見には中学生くらいにしか思えない。ヒロエが最初に漏らした感想が、「げっ歯類だな」というものだった。
「手先の動きは多分すぐに覚えられる。問題は注意の誘導だ」
コトハの言う通り、手品自体は単純なもので、そのまんま『子供だまし』だった。これを覚えるだけなら、一日とかからないだろう。
後は、これを『マジック』として昇華させないといけない。世の中には、どうしても手品のトリックを見破りたくてたまらないという人が必ずいる。鍵となる動作が発見されてしまえば、あっという間にバレバレだ。せめて一回目に見せる段階くらいでは、綺麗に引っかかってもらいたいものである。
「そこで、話術とか、オーバーアクションとかが重要になってくるわけだ」
ジョークを飛ばして笑いを取ったり、踊りながらカードをシャッフルしたり。一見意味がなさそうな行動のどこかに、『本物の』トリックを混ぜ込んでおく。それがさりげなく、自然なものであればあるほど、いざ成功した時の驚きは倍増して感じられるのだ。
「ではお手本を見せよう」
ガラクタばかりのオンボロ部室に不似合いなソファから、コトハはすっと立ち上がった。今日は薄いピンクのロングスカートに半袖のブラウス。最近は気温が下がってきたのもあるからか、首元がおしゃれのポイントのようだ。明るい色のアフガンスカーフを巻いている。
赤い下縁の眼鏡がきらりと光った。その向こうで、挑戦的な吊り目がシンのことを見据えてくる。どきっ、と胸が高鳴ったところで。
コトハの右手が、鋭く前に突き出された。
ぽよん。
わお。
豊かな胸が揺れた。良い。大きいだけじゃなくて、形も良い。重力に逆らっている。あれも手品か。それのタネは、知りたいような、知りたくもないような。
ぱちん。
コトハが指を鳴らした。驚いて視線をコトハの手に戻すと、そこには知らない間に一枚のカードがつままれていた。ハートのエース。半袖なので、手首のところに隠していたものではなさそうだ。シンとマヤは顔を見合わせて、うーむと考え込んだ。
「このように、相手の注意をヨソに向けさせることが重要だ」
いくらなんでも今のはズルいというか、なんというか。コトハだからできること、である気がする。仮にマヤが同じことをやったとしても、シンは間違いなく引っかからない自信がある。というか、引っかかるものがない。すとんと垂直だ。失礼だから、絶対にマヤの前では口にはだせないが。
「必要なら、榊田君も胸に詰め物でもすると良いよ」
コトハがくつくつと笑った。そんなことできるはずがない。マヤが、険しい表情で自分の胸元を見下ろしていた。いやいや、そういうことではないだろう。自分の特性を知って、活かそうという話だ。胸囲の格差社会は、この際関係がない。
「見慣れているはずの榊田さんも思わず見惚れてますからね、すごいです」
「見慣れてないから」
どうしてそうなるのか。
「まあ、榊田君はおっぱい星人だからな」
「違います」
好きなのは否定しないが、そこまでではない・・・はずだ。
シンは丸椅子の上でがっくりとうなだれた。シンと付き合うようになってから、コトハの方はギアを一段階上げてきた感じだった。他の部員がいる場所でも、平然とシンのことを挑発してくる。結果は見えているのだし、それならわざわざ取り繕う必要もないだろう、とのことだった。
ならばこっちも・・・とは、シンにはなかなか割り切ることができなかった。コトハは相変わらず、不敵で、不遜で、魅力的で。それでいて、ちょっと可愛い――シンにとっては、憧れの魔女先輩だった。
すぐ横に顔を向けると、近くにシキが立っていた。シンと眼があって、軽く首をかしげてみせる。シキは、シンとコトハの間に産まれてくるという娘の魂だ。子供ができるということは、当然そういった行為の帰結でもある。というか、それがあってようやくシキはこの世に生を受けることになるのだ。
言い逃れはできそうにない。シンは再び目線を足元に向けた。はいはい、おっぱいには勝てません。そこに目を奪われるのは、男の子の性です。
将来の妻と、将来の娘。ここには、シンの未来があった。
ミユの入学式に、お兄ちゃんは来てくれなかった。桜の花びらが舞い散る小学校の校門前で、ミユはお父さんとお母さんと写真を撮った。本当は、そこにお兄ちゃんにいてほしかった。昔のアルバムを見ていて、気が付いてしまったからだ。
家には、四人で写った写真が一つもない。
その頃からだ。知らないでも良いことに、ミユは思い至ってしまった。お兄ちゃんは、家族と距離を取ろうとしている。
家族みんなでおでかけすることなど、ほとんどない。ミユが覚えている限りでは、一度もなかったのではないか。ご飯の時も、お兄ちゃんは静かに黙って食べて、部屋に戻っていった。家族でテレビを観ていても、そっとその場から離れて、一人でベランダにでていってしまう。
お父さんもお母さんも、何も言わなかった。ただ、お母さんがちょっとだけ泣きそうな顔をする。どうしてだろう。そのことは、ミユが訊いてしまってはいけないと思っていた。
――でもあの時、聞こえてしまったんだ。
夜中に、おしっこにいきたくなって部屋の外にでたら、まだリビングの灯りが点いていた。お父さんと、お母さんと。お兄ちゃんの声がした。それはきっと大人の話で、ミユが聞いても判らないことだったのだろう。
それでも、お兄ちゃんの言葉はミユの耳にまでしっかりと届いてきた。
「いいから、俺の分までミユのことを可愛がってあげてくれよ」
意味が判らなかった。
ミユは、お父さんとお母さんにとても可愛がられていると、思う。お父さんもお母さんもすごく優しい。ミユのことを、あまり怒らない。
一度だけ、すごく怒られたことがあった。幼稚園の年長で、隣の席だった女の子のカバンがなくなったことがあった。ミユが取ったんじゃないかって言われて、ミユはみんなに疑われた。ミユは何も知らなかったけど、お父さんにも、お母さんにも沢山質問されて、沢山怒られた。ミユは何もしていなかったのに。
その時一人だけミユを庇ってくれたのが、お兄ちゃんだった。ミユはやっていない。知らないって言っているのに、どうして信じてあげられないんだ。家族が信じてあげないで、一体誰がミユを信じるんだ。
家族。
ミユとお兄ちゃんは、兄妹だ。家族だ。だから、お兄ちゃんはミユのことを信じてくれる。ミユは嬉しかった。ミユは、お兄ちゃんが大好きだ。
カバンは、全然関係ない男の子が悪戯で隠していただけだった。騒ぎが大きくなったので、怖くて言い出すことができなかったのだと弁解していた。色んな人が、ミユに謝った。お父さんもお母さんも、ミユに謝った。でも一番ミユの心に響いたのは、お兄ちゃんの言葉だった。
「良かったな、ミユ」
お兄ちゃんは、きっと誰よりもミユのことを可愛がってくれている。家族だから。兄妹だから。ミユは、お兄ちゃんを信じてる。
お兄ちゃんが、ミユを捨てていったんじゃないって、信じてる。
二人でお留守番をしている時に、ミユはお兄ちゃんに訊いてみたことがあった。夜に、ベランダで何をしているのか。お兄ちゃんは恥ずかしそうに笑いながら教えてくれた。
「星を見ているんだよ」
夜の星は、星座を作っている。ミユも知っていた。北斗七星や、夏の大三角形。お兄ちゃんはミユに、星座盤をくれた。くるくると回すと、星空と星座の絵が動く。とても面白い。
ミユも一緒に見たいとせがむと、お兄ちゃんは困ったみたいな表情を浮かべた。いつもベランダで独りぼっちのお兄ちゃん。ミユは、お兄ちゃんと星が見たい。お兄ちゃんが見ているものを、ミユも見てみたい。だって家族だから。兄妹だから。
「今はまだ寒いから、夏になったら、かな。ミユが風邪を引かないようにね」
そして春がきて、お兄ちゃんはこの家からいなくなった。ミユを置いて、どこかへいってしまった。
夏になっても、お兄ちゃんは帰ってこなかった。ミユは待っていた。お兄ちゃんのことを、信じていたから。
ミユはまだ子供だから、判らないことがいっぱいある。お父さんやお母さんが話してくれたことは、ほとんど理解できなかった。とりあえず、肝心なことだけがはっきりとしていれば良い。
ミユはお兄ちゃんの、榊田シンの妹だ。
その事実だけで良い。十分だ。家族なんだ。だから――
ミユは、お兄ちゃんのことを信じている。ミユが信じないで、誰がお兄ちゃんを信じるんだ。
力強く、ミユは前へと足を踏み出した。大丈夫、もう少しだ。尖央大学まではこられたのだ。お兄ちゃんはここにいる。
ただちょっと、この場所は広すぎて。
これからどうしたら良いのか、ミユは途方に暮れてしまっていた。すいません、銀河ステーションは、どこですか?




