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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.1 はんぶんのきもち
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はんぶんのきもち(7)

 その人がやってきたのは、春の日の夕方、真っ赤な夕焼けの中だった。


 学校が変わって、学童保育で通う児童館も変わって。何もかもが目まぐるしい毎日だった。週末、お母さんはたまたま仕事が休みで、久し振りに二人で買い物に出かけようという話になった。

 お母さんは、いつも優しくしてくれる。忙しくても、ちゃんと話を聞いてくれる。遊んでくれる。

 ただ、お父さんのことを話すと、ひどく不機嫌になって黙り込んでしまう。

 お父さんの写真も、お父さんにもらったものも。お母さんは全部捨ててしまった。お父さんがいたという痕跡は、どこにも残されていない。家も引っ越してしまった。住んでいる街も、今までとは全然違う。

 いつも通っていたコンビニも、別なお店になった。お父さんが好きだった甘いロールケーキが、ここのコンビニには置いてない。そんな小さな思い出ですら、色あせて消えていってしまう。


 ヤスコは、お父さんのことが好きだった。

 明るくて、いつも笑っていて。家にいる時はいつもヤスコと遊んでくれた。玩具やお洋服を買ってくれた。解らないことがあれば何でも教えてくれた。

 お父さんは、ヤスコにとって誰よりも素敵な人だった。

 お母さんのことだって大好きだ。

 ご飯を作って、ヤスコを幼稚園に送り迎えして。泣いている時には優しく抱きしめて、よしよしって撫でてくれる。柔らかくて、温かくて。ほんのりと、甘い香りがする。

 お母さんは、ヤスコにとって誰よりも大切な人だった。


 だから。


 お父さんとお母さんが喧嘩している時、ヤスコにはどうしていいのかわからなかった。

 お部屋で独りで黙り込んでいるお父さん。

 ダイニングのテーブルで静かに泣いているお母さん。

 ヤスコは、お父さんもお母さんも大好きだから。

 どうしていいのか、わからなかった。


「こんにちは」

 公園のブランコに座ったヤスコに、その人は話しかけてきた。夕焼けを背にした、痩せた男の人。お父さんよりもずっと若い。児童館のお兄さんくらいだろうか。

 穏やかで、優しい声なのに。

 どこか、悲しそう。

「水盛ヤスコちゃんだよね。お母さんは?」

 お母さんはすぐ近くのベンチに座っている。「あっち」と、ヤスコはお母さんの方を指差した。

 その人はお母さんの方を向くと、ぺこり、と頭を下げた。お母さんが気が付いて、ヤスコの方に歩いてくる。赤く染まった世界の中で、その人はこう名乗った。


「初めまして。私は、魔法使いです」



 魔法使いは、ポケットから何かを取り出してヤスコに差し出した。ヤスコは驚いて目を見開いた。

 お父さんがヤスコにくれた、懐中時計。とても大事にしていたのに、お母さんが児童館のバザーに出して、そのままどこかにいってしまっていた。

 ヤスコにとって、最後まで残されていたお父さんの記憶の欠片。かち、かち、という秒針の音を聞いていると、お父さんに抱き締められていたことを思い出す。お父さんのことを考える時、ヤスコはいつもこの時計を握っていた。

 ヤスコはどうしてもお父さんのことを忘れたくなかったのに。

 お母さんは、ヤスコにお父さんのことを忘れてほしかったのだ。

「これ、どうして?」

 お母さんの声は引きつっていた。怒りと、恐れ。両方がないまぜになった顔で、お母さんは魔法使いを睨みつけた。

 手を出すべきかどうか迷っているヤスコに向かって、魔法使いはにっこりと笑いかけた。

「合理的な理由はいくらでもつけられます。私はヤスコちゃんのお父さんに頼まれたのかもしれない、児童館の職員、あるいはヤスコちゃんの昔の友達に頼まれたのかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいんです」

 魔法使いはその場にしゃがむと、そっとヤスコの手を取った。掌の上に、懐中時計を乗せる。さらさらとチェーンが流れて、夕日を照り返して輝いた。

「私は魔法使いです。ヤスコちゃんに、大事なお届け物をしにきた。それだけなんです」

 かち、かち。

 掌の上に、秒針が時を刻む感触がある。ヤスコの中に、お父さんの記憶が蘇ってくる。お父さんの笑顔。ヤスコの頭を撫でてくれる、大きくてたくましい掌。

「お父さん・・・」

 ぼろり、ぼろりと。ヤスコの目から、大粒の涙が次から次へとあふれてくる。

 お母さんは、お父さんにはもう会えないって言っていた。忘れなさいとも言っていた。

 でも、忘れたくなかった。ヤスコの中には、お父さんがいる。お父さんの思い出がある。

 ヤスコのお父さんは、この世界で一人だけだ。ヤスコは、お父さんのことが大好きなんだ。

 ヤスコは懐中時計を握りしめた。ヤスコのお父さん。

 もう、離さない。


「こんなことされて、迷惑です」

 お母さんの言葉を聞いても、魔法使いは動じなかった。

「もう会えない父親のことなんて、覚えていても良いことなんてないでしょう。ヤスコだって、やっと忘れてくれそうだったのに」

「忘れないよ!」

 ヤスコは叫んだ。

「わたし、お父さんのこと、忘れないもん!」

 お母さんが、驚いてヤスコのことを見下ろした。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも。

 ヤスコの目は、しっかりとお母さんを見つめていた。


「わたしのお父さんは、お父さんだ! たった一人しかいない、わたしのお父さんだ!」


 呆然とするお母さんの前で、魔法使いはヤスコの背中を軽く押した。ふらり、とヤスコは前に動いて。

 お母さんに、しっかりと抱き着いた。

「お母さん、お母さん・・・!」

 ヤスコはそのまま、お母さんに顔を押し付けてわんわんと泣いた。その小さな身体を。

 お母さんは、優しく抱きしめた。


「ご家庭の事情については色々あると思います。そこに口を挟むつもりはありません」

 魔法使いの声は、ヤスコとお母さんの心に直接語りかけてくるようだった。

「ただ、ヤスコちゃんにとってお父さんとお母さんは、どちらもたった一人だけの、大切な人なんです」

 ぎゅっと閉じられたお母さんの目から。

 小さな涙がこぼれ落ちて。

 ヤスコの身体に触れて。

 消えていった。


「どうか、ヤスコちゃんからお父さんを取り上げないであげてください。お願いします」


 夕日が、魔法使いとお母さんとヤスコの影を一つにまとめて。

 長く長く伸ばしている。

 お母さんは、泣きじゃくるヤスコの頭を愛おしく撫でると。


「ごめんね、ヤスコ」


 震える声で、あやまった。



 魔法使いは、別れ際にこんなことを口にした。

「この懐中時計は電池で動いている。もし止まってしまうようなことがあったら、裏蓋を開けて電池を交換するんだ」

「うん、知ってる。まいなすどらいばーで開けるんだ。お父さんが言ってた」

 ヤスコの返事を聞いて、魔法使いは満足げにうなずいた。

 それから、お母さんに向かって丁寧に一礼すると、きびすを返して立ち去ろうとした。

「あの!」

 大事なことを言い忘れていたので、ヤスコは慌てて魔法使いを呼び止めた。

「ありがとう!」

 魔法使いは、微笑んでくれた。そのすぐ横にもう一人、小さな女の子がいたような気がした。

 女の子は魔法使いの手を握っていた。

 二人はまるで仲の良い親子のように寄り添って歩いて、公園を出ていった。




「榊田君、お疲れ様」

 ワゴン車に乗り込むと、コトハがねぎらってくれた。スライドドアを閉じると、ようやく終わった、という実感が湧き上がってきた。シンは座席に身体を沈めると、目を閉じて深く息を吐いた。

「しかし、あれで良かったのかね?」

 ヒロエがぽつんとぼやいた。

「ヤスコちゃんの家庭の問題は、我々が口を出すべきものではない。榊田君はよくやったよ。後は彼女たち自身が答えを見つけていくだろう」

 コトハの言う通りだった。ヤスコの父と母の間に何があったのか、シンには知る由もないし、知りたいとも思わない。ただ、それに巻き込まれて悲しい思いをするのは、ヤスコだ。

 かつて、ヤスコのことを愛してくれた父親がいたという事実。その思い出や記憶。そういったものまで取り上げようとされてしまっては、ヤスコがあまりにも不憫ふびんだ。

 特に、シンにはその気持ちが痛いほどよく判った。これから、ヤスコはきっとシンと同じ苦しみを受けて生きていくことになる。その毎日の中で、かつて自分にも父親がいたということを。自分を愛していくれた人がいたということを、確かに思い出すことができるというのであれば。

 それは、どれだけ心強いことだろうか。

「時計の裏蓋のこと、はっきりと伝えなくて良かったのでしょうか?」

 ユイの意見にも、一理ある気はする。だが。

「あれは希望だ。おせっかいで押し付けるものじゃない。希望は希望のまま、可能性として残しておくのが正しいのだと思うよ。私は榊田君のやり方を支持する」

 懐中時計の裏蓋の内側に刻まれていたのは、メールアドレスだった。恐らくは、ヤスコの父が自分のものを書き込んだのだろう。電池を交換するために蓋を外した時、ひょっとしたらヤスコが目に留めてくれるかもしれない。そんな一縷いちるの望み、そうであってほしいという願いだ。

 わざわざヤスコ本人にも、電池の交換について説明してあった様子だった。時が来れば、ヤスコが父のメールアドレスの存在に気が付くこともあるだろうか。

 あるいは、今回のように懐中時計自体を失うことも考えられるし、ヤスコの母が先に見つけてしまうことも十分にありえる。

 仮にヤスコが一番に発見したのだとしても、そのアドレスに連絡を入れてくるとは限らない。

 これは希望。ヤスコの父が、万に一つの可能性に賭けた、分の悪いギャンブルだった。

「ヤスコちゃんがそれを本当に必要とした時に伝わる、という保証はどこにもない。そんなものでしかないんだ。我々にはヤスコちゃんの人生そのものまでをプロデュースしてやることはできないし、その権限も持ってはいない。魔法使いとしてやるべきことは、全て果たしたよ」

 コトハはシンの方に向き直ると、にっこりと笑った。

「よくやったね、榊田君」

 シンは目を開けると、車の天井をぼんやりと眺めた。

「これで良かった・・・んですよね」

「ああ、そうだ」

 コトハははっきりと首肯した。ユイが助手席から顔を覗かせてうなずき。運転席のヒロエが、ハンドルにもたれて目を閉じた。

 シンの足元で、シキがシンを見上げていた。その表情は、笑顔だ。シキの笑顔を見ていると、シンも知らずに顔がほころんでくる。良かった。ヤスコは、半分を失くさないで済んだのだ。きっと幸せになれる。

 シキと見つめ合うシンの穏やかな横顔を見て。


「榊田君、君はいい父親になれる。榊田君で良かったよ」


 誰も聞こえないような小さな声で、コトハはそう呟いた。



 外はもう真っ暗だ。まだ肌寒さが残っている。家路を急ぐ車の列に混じって、魔法研究会の面々もワゴン車を飛ばしていた。

「これからどうします?」

「そうだなぁ、もういい時間だし、今日は『千秋』でお好み焼きでも食べて帰るか」

 『千秋』は魔法研究会のいきつけの鉄板焼き屋だ。広いテーブル席にはそれぞれ鉄板が設置されており、自分で焼いて食べるスタイルとなっている。シンの新入部員歓迎会の時もそうだったし、魔法研究会では何かにつけてお世話になっている店だった。

「んじゃ皆さんは駅で降ろしますんで。あたしはアユムに声をかけて車を置いてから合流します」

「なんだよ、このまま店に直行でいいじゃんか」

 じろり、とヒロエがルームミラーを睨みつけた。

「嫌ですよ、冗談じゃない。なんで魔女先輩が一人で酒飲んでるところを眺めてなきゃならないんです?」

 このメンバーで酒を飲むのはコトハとヒロエのみ。運転免許を持っているのはヒロエだけだ。このワゴンもヒロエの実家の配達用のもので、明日には戻しておかないといけない。

「ついでに帰りも送ってくれると嬉しい」

「ふざけんなですよ。煙草も吸えない酒も飲めないとか、もう生きている意味がないですよ。中央分離帯に突っ込んで無理心中ぶちかましますよ?」

「ちょっと、滅多なこと言わないでください!」

 ユイがいさめたが、二人の言い争いは留まるところを知らなかった。

「鉄板にチーズ垂らして強制チーズもんじゃ状態にしてやる!」

「あー、きったねぇ。人がチーズ苦手なの知ってて!」

「しかもそのまま放置してやる。片付けはヒロエの役割だ」

「ダメですよ、宮屋敷先輩もちゃんと片付け手伝ってください」

「テーブル二つ! チーズ焼くなら鉄板は分けてください! あと酒は絶対飲みますからね! 送ってもやらないから!」

 ぎゃんぎゃんと賑やかな車内から目を逸らして、シンは窓の外を見やった。

 夜空に星が浮かんでいる。ここは明るくて、温かくて、賑やかだ。

 シキもすぐ近くで、一緒に窓の外を眺めていた。

 いつか、シキがシンの子供として生まれてきたのなら。


 その時は、一緒に星を見よう。


 かつて、シンの父親がしてくれたように。

 二人で星を見上げて、その名前を教えてあげたい。

 「寒い寒い」と文句を言いながら二人の後ろに立っているコトハの姿を想像して。

 シンは、胸の中が暖かくなった。


「Fragment.1 はんぶんのきもち」は以上で終了となります。

ありがとうございました。


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