こころとかすよる(7)
夜のホームは、がらんとしていて物寂しかった。日中に訪れた時にも感じたが、この路線を利用する乗客というのは存在するのだろうか。自動販売機の横のベンチに、シンとコトハは並んで腰かけていた。
神社のお祭りは、つつがなく終了した。シンは最後にリクと握手をしてから別れた。実体のない存在を、そこにあるものとして触れることができる力。歪んだ理を、自分の理に無理矢理従わせる力。学んで身に着けられるものではない。シンは素直に、リクのことをすごい人だと思った。
きた時と同じように、シンとコトハはまず歩いて、次にバスに乗って、駅までやってきた。終電まではまだ余裕があるが、乗換駅は相変わらずの閑散ぶりだ。耳を澄ませば、虫の鳴き声まで聞こえてきそうだった。
シンの隣で、コトハはずっと黙り込んでいた。魔法使いたちの作り出した、銀の鍵を扱うための憑代。携帯で何度かの通話をして、フユのことは確認できたらしい。間違いなく、フユは銀の鍵を持っている。そしてそのフユを操っているのは、魔法研究会のOB。
宮屋敷コトハの一年先輩、天羽セイだった。
「榊田君、私は君に、謝らないといけない」
シンの方を見ずに、コトハはぽつりとそんな言葉を口にした。シンもまた、コトハの顔を見ることができなかった。
「天羽先輩から聞いたんだろう? 君の・・・二つ名のことだ」
シンは黙ってうなずいた。まだ、胸の奥には刺すような痛みがある。
思い出してしまった以上、それはもう消すことのできないものだった。
シンの中にある『栓』を外して、魔法使いとしての能力を開花させた時。
そこには、いくつかの可能性が存在していた。榊田シンの、魔法使いとしての才能は一つではなかった。豊かなその選択肢の中から、コトハは魔法使いの師匠として、シンの進むべき道を選択し、二つ名として与える権限を持っていた。
「榊田君の持つ未来のうち、確度の高い大きなものは二つあった」
一つは、シキが示しているコトハと結ばれる将来だ。『人想い』、コトハの求める魔法使いの原理の二つ名を持つ者。やはりそうか、とコトハは嬉しくなった。
魔法使いの力を得る前のシンには視えていなかったが、その時既にシキはシンの傍らにいたのだ。コトハに向かって、声なき声で訴えてきていた。
貴女の望みがここにある。この人との未来を手にしてほしい。
どうか、私を貴女の中に迎えてください。
「榊田君には、もう一つの可能性があったんだ」
天羽セイが、シンに告げた未来。『一思い』、人恋しくて涙に濡れ、触れるもの全てを傷付ける、孤独な二つ名を持つ者。
「強い力だった。危険はあるかもしれないが・・・私にはそれを『良くないもの』と断じることはできなかった」
魔法使いとして『力』を求めるのなら、それは一考に値する選択だった。愛情に満ちた家庭と、誰にも引けを取らない魔法の力。そのどちらを取るのかは、コトハが独断で決めて良いことではない。
「判っていたんだ。選ぶべきなのは、榊田君だって。榊田君にとって何が幸せなのかを決められるのは、榊田君だけなんだって」
コトハは迷った。因果律を越えてまでも、父親の下を訪れてきた魂がいる。その願いは、シキ自身のためという範囲にとどまらない。
原理を求めるコトハにとっても、それはあまりにも魅力的で。
逆らうことの難しい誘惑だった。
「私は、答えを保留にした」
人を想い流れる涙。ひとおもい。
二つ名には、そもそもいくつかの解釈を含むものの方が良いとされていた。魔法使いが成長する可能性の幅を、できる限り広げたいという意図によるものだ。
コトハはシンの二つ名に、複数の意味を込めることにした。
シンがいつでも、自らの望む方向に進む道を変えることができるように。
シンの持つ未来の芽を、コトハが摘み取ってしまわないようにという配慮だった。
「でもね、榊田君。私はそれを榊田君に告げなかった。このまま言わなくても良いかな、なんて思ってしまったんだ」
シンという人間を知り。
お互いのことを理解していくにつれて。
コトハは、シンに対して特別な想いを抱くようになってしまった。
「私は、自分の都合を優先させてしまったんだ」
「自分の、都合?」
一度口をつぐむと、コトハは胸元のペンダントを握りしめた。金色の、小さな六芒星。シンがプレゼントとして送ったものだ。コトハはそれを、毎日欠かさず身に着けていた。
「榊田君、私は、宮屋敷家の女だ。魔法使いの一族として、権威ある家の一人娘として、逃げられない役目を負ってきた」
受けたくもない見合い。
したくもないお付き合い。
宮屋敷という家のために、コトハは随分と我慢を強いられてきた。誰かを婿に迎えなければ、宮屋敷の本家筋はそこで途絶える。父のリュウゴなどは、「それでも構わない」とうそぶいてはいたのだが。
事態がそれほど簡単ではないということぐらいは、コトハにも判っているつもりだった。
コトハの一存で全てを決めてしまうには、宮屋敷家はあまりにも大きくなり過ぎていた。
「誰かと幸せになるなんて、できないと思っていた」
宮屋敷家令嬢である以上、コトハの将来はある程度は決まっていた。誰かを好きになるとか。誰かと愛し合うとか。そんな未来は、子供じみた戯言でしかなかった。
いつまでも逃げてばかりではいられない。大学の卒業も間近に迫ってきて。コトハはいよいよ自分の将来、身を固めることについて考えざるを得なくなっていた。
そんな時に、見つけてしまった。
「私が誰かを好きになって、その人のことを誰よりも大切に思って・・・幸せな家庭を持つことができるって。そんな嘘みたいな、素敵な未来がそこにあったんだ」
シンの持つ可能性の未来。アカシックレコードの上に、コトハは自分の姿を含んだ一つのビジョンを視た。
かつて幼い頃、自身の通過儀礼の際に微かに眼前をよぎった、幻のような光景。
それは言葉を失うほどに美しくて。
全てを投げ出してしまいたくなるほどに、コトハの心を虜にする。
甘くて苦い、禁断の果実だった。
コトハは、自らの欲望に打ち勝つことができなかった。
「榊田君。私は、魔法使いの師匠として失格だ。君の未来を、私の都合に基づく判断で、不幸なものと幸福なものとを決めつけて、その選択肢についての説明を怠った」
たとえ強い力を得るのだとしても。心が悲しみに飲まれてしまうのならば、そちらを選び取ることはしないだろう。
コトハはシンに問いかけることなく、その可能性について口を閉ざした。二つ名の中にひっそりとその片鱗を混ぜ込むことで、刈り取ったわけではないのだと誤魔化すことにした。
コトハはシンの将来を、コトハにとって望むものとなるように誘導してしまった。
「私は、榊田君の未来が欲しかった」
シンがいて、シキが生まれてくる。コトハは二人と一緒に、愉しそうに笑っていた。自分があんな顔をして笑うのだと、コトハは驚いた。無邪気で、心を許して。
世界のありとあらゆるものが輝いて見えるくらいに、コトハの笑顔は眩しかった。
それを与えてくれるのは、榊田シン。
ずっと求めてきた、『人を想う心』を二つ名に持つ男性。
だから。
「私にも、そういう可能性があるというのなら・・・榊田君と、幸せになってみたかったんだ!」
胸の奥に溜まっていた、全ての言葉を吐きだして。
コトハは、嗚咽を漏らし始めた。
肩を震わせて。
涙を流して。
泣いている。
魔女先輩が、泣いている。
痛い。たまらなく、痛む。
シンの胸の奥で、刃が鋭く傷を付けてくる。
内臓がずたずたに切り裂かれて。
血が、皮膚の隙間から溢れ出してくる。
この痛みは、他の誰のせいでもない。
「宮屋敷先輩」
声をだして泣き続ける、コトハの肩が。
こんなに細くて。
こんなに小さかったなんて。
知らなかった。
知らないから、判っていなかった。
シンは、バカだ。
「泣かないでください、宮屋敷先輩」
力強く、シンはコトハの身体を抱き寄せた。どうして判ってあげられなかったのか。どうして気付いてあげられなかったのか。
どうして、信じることができなかったのか。
この痛みは、全部シンの責任だ。
今まで、あれほどにシンのことを導いてくれたコトハを。
誰よりもシンのことを気にかけてくれたコトハを。
こんなに苦しみながらも、シンを愛するために強くあり続けようとしてくれていたコトハを。
どうして、シンは信じきることができなかったのか。
シンは、どうしようもないくらいに、愚かだ。
「榊田君、ごめんよ」
「謝らないでください、宮屋敷先輩」
「ごめんよ、ごめんよ」
「謝らないでください!」
息を飲んで黙り込んだコトハの顔を、間近で見つめる。
眼鏡がずれて。髪の毛が貼り付いて。
ぐちゃぐちゃの、どろどろで。
それでも、そこにいるのは。
シンにとって誰よりも大切な、憧れの、魔女先輩だ。
「そんなこと、俺に言う必要なんてないんです。言いたくないことは言わないで、言いたいことだけを言って。もっと俺を騙して、もっと俺を惑わせてください」
そうだ。宮屋敷コトハとは、そういう女性だ。
何もかも知っているような素振りで。シンのことをたぶらかして。
くつくつと笑って。
「俺の意志なんて、宮屋敷先輩の掌の上で、自由に弄んでください」
シンはいつも、コトハの言葉に、仕草に振り回されて。
気が付けば、どきどきと胸が高鳴っている。
夢中にさせられている。
「榊田君――」
コトハと視線が絡み合う。
コトハはシンの可能性を隠していた。コトハにとって、都合の良い未来になるように誘導していた。
――なんだ。
言われるまでもなく、そんなことだろうと思っていた。
宮屋敷コトハは魔女先輩なんだ。
シンはコトハに呪いをかけられて、もう逃げることができないんだ。
そんなの、とっくに判り切っていたはずじゃないか。
「貴女は俺を虜にした、魔女先輩なんです。だから、これからもちゃんと俺の未来を奪ってください。お願いします」
涙なんて似合わない。
いつもみたいに、あの挑戦的な吊り目で見つめてほしい。
ふふん、と生意気に鼻で笑って。
シンの心の奥底にまで届く、心強い声で。
「榊田君」
そうやって、呼んでほしい。
それが、宮屋敷コトハ。榊田シンを魅了してやまない、魔女先輩なのだから。
「・・・判ったよ、榊田君。私は魔女だ。君の心を惑わし、未来を奪う魔性の者だ」
コトハの手が、シンの頬に触れた。
冷たい指先が心地良い。眼鏡のレンズの向こうで、コトハの眼がきゅうっと細くなった。
「榊田君の未来は、私のものだ。誰にも渡さない――絶対に」
その日、初めて。
シンは、自分の意志でコトハと唇を重ねた。
甘くて、柔らかくて。
ほんの少し、涙の味がした。
コトハの身体を抱き締めると、その後ろにシキが立っているのが見えた。
「おいで、シキ」
声をかけると、シキはおずおずと近付いてきた。
別に、邪魔をしているなんて思わない。これから目指す場所は、この三人のものなのだから。
――必ず辿り着いてみせるよ。君のいる未来に。
シンの想いが通じたのか。
シキは二人に抱き着くようにして両手を広げると。
うっとりと両目を閉じて。
天使の微笑みを浮かべた。
お祭りが終わった後は、いつも少し虚しい。ユイは濡れ縁に腰かけて、誰もいなくなった暗い境内を眺めていた。
ついさっきまでは、沢山の人やモノで賑わっていたというのに。祭囃子も鳴り止んで、提灯からも明かりが消えて。今は、しんと静まり返っているばかりだ。
「いやぁ、参った参った」
拝殿の扉が開いて、リクが顔をだした。トヨのお説教は一段落したのだろうか。大きく伸びをして、腰の辺りを叩いて。リクはごきごきと首を鳴らした。
「お疲れ様。もう終わったの?」
「いや、今はサキチやトラジと話をしてる。次に呼ばれたら、きっと朝までだな」
リクはユイの隣に座ると、ふぅ、とため息を吐いた。
「嬉しいくせに」
髭もロクに剃らないで、リクはトヨに会うために必死になって駆け付けてきたのだ。一緒にいられるというそれだけで、リクにしてみればご褒美みたいなものだろう。
その証拠に、口では何と言っていようが、リクの表情はにやけっぱなしだ。いつまでこんなバカップルぶりを続けているつもりなのか。正直もう付き合っていられない。さっさと眷属なりなんなりになってしまえば良いのに。その方がいっそすっきりとする。
「ごめんね、いきなりトラブルで」
それにしても、よもやこんな事態にまでなってしまうとは。シンにもコトハにも悪いことをしてしまった。いつだってそうだ。先が読めない。神出鬼没。ユイの都合など、何一つ考えてはくれない。
「いや。トヨのところに戻ってくると大体こうだ。いい加減慣れてきたよ」
言われてみれば、そうかもしれなかった。リクが力に目覚めて、この神社でトヨと過ごすようになってからは、毎日がドタバタの連続だった。高校の頃の思い出が脳裏をよぎる。あの時、少しいいな、と思っていた男の子は。
今では、神様のものになってしまった。
ユイはいつもうまくいかない。そういう星の下に産まれてしまったのか。
あるいは、男を見る目がないのか。
すっかり目尻を下げてリラックスしているリクの横顔を見て。
――まあ、見る目自体は悪くないと思ってるんだけどな。
自分勝手にそんなことを考えて。ユイは、くすり、と笑みをこぼした。
「そういえばさ、さっきの天羽ってヤツはもしかして・・・」
やはりそのことを訊かれてしまった。コトハは何も語らなかった。シンは多分、それどころではなかったか。
いずれにせよ、このまま打ち明けないでおくことはできないだろう。銀の鍵。まさか、そんな大それたことに関わっているだなんて。
そっちの方が、全く想像もしていなかった。
「うん、そうだよ」
セイが消えていった方角を見つめて。
ユイは、高々ほんの数ヶ月前の過去に想いを馳せた。
まだ半年も経っていない。それなのに。
なんだかとても昔のことのような気がして。
懐かしくて、苦しくて。
「天羽セイ先輩。私が大学一年の時に、付き合っていた人」
ユイの声は、深く沈んでいた。
「Fragment.7 こころとかすよる」は以上で終了となります。
ありがとうございました。




