わたしよりわたし(7)
宿は取ってあるということで、マナは早々にコトハのマンションから退出していった。魔力を消耗し、疲労していたため、ブリジットは自室に戻して休ませることになった。
そして後には、シンとコトハが残された。
「今日はもっと甘い時間を過ごせると期待していたのだとは思うけど、申し訳ないね」
「いえ、夕食をご馳走していただけるだけで十分です」
色々と込み入っている様子なので、シンも最初は早めにお暇しようと考えていた。しかし、コトハが料理の下ごしらえは完了していると言うので、食事までは一緒にすることにした。
正直に打ち明ければ、期待はしていたのだ。交際を始めたとは言っても、コトハとは一度キスをしただけで後は何も進展していない。シンも普通の男として、そういう欲求がないわけではなかった。
今までずっと姿を消していたシキが、キッチンに立つコトハの横に並んでいた。何か感じるものがあったのか、マナがいる間は一度も顔をだしていなかった。二人で立っていると、一緒に料理をしているようにも見える。コトハがそんなシキに気が付いて、くすり、と微笑んだ。
「榊田君、待たせたね」
しばらくして、シンはダイニングに呼ばれた。さて、どんな長ったらしい横文字の名前の料理が出てくるのか。覚悟を決めてダイニングテーブルに着くと。
予想に反して、出てきたのは何の変哲もないハンバーグだった。
「さ、食べてみてくれ」
ソースも、それほど凝っているとは思えない。特別な具材が混ぜられているということもなさそうだ。ぱっと見た感じ、豚と牛の合挽き肉の、ごくごくありふれたハンバーグだった。
「いただきます」
味にも物珍しいところはない。良く噛んで食べてみたが、なんというか、普通に美味しいという以外に感想は出てこなかった。
「・・・美味しい、です」
「そうか、良かった」
シンの反応を見て、コトハは嬉しそうに笑った。シンは今までに、何度となくコトハの笑顔を見てきたが。
温かくて、優しくて。
どうしてか、初めて見る気がするような、幸せそうな笑みだった。
「昔、お母様に教わったレシピなんだ。榊田君が美味しいと言ってくれるのなら、嬉しいよ」
以前聞いた話では、コトハの母親は、コトハが中学生の時に亡くなっている。目の前にあるハンバーグが、シンには急に貴重なものに思えてきた。
「そんなに構えなくて良いよ。あまり凝りすぎると榊田君も気を使うだろうからね、一番お手軽なものにしたんだ」
そう言いながらも、コトハはシンが食べる様子をじぃっと見つめていた。うん、本当に美味しい。高価な食材も、特別な調理法も必要ない。
コトハが、シンのために作ってくれたという事実。飾らない自分を、そのままに示してくれたということ。
それが一番嬉しくて、美味しかった。
「ブリジット、というかあの人造人間の設計図に関しては、まだ判っていないことが沢山あってね」
ささやかな夕食を終えて、コトハが食後のコーヒーを淹れてくれた。こちらもブラックで十分に味わい深い。ブリジットのお茶ともいい勝負だ。料理関係が得意というのは、どうやら偽りなしの真実のようだった。
「さっきのマナ殿もそうだが、たまに性能試験とやらに付き合わされることになる。いい迷惑だ」
憂鬱そうに、コトハはテーブルに頬杖をついた。
シンは商店街での出来事を思い返してみた。ブリジットがやってみせた武器の生成と攻撃は、驚くべきものだった。普段ののほほんとしたブリジットからは、想像もつかない。
「ブリジットさんに、どんな秘密があるんです?」
何気なく口からでたシンの質問に、コトハはふぅっと溜め息を吐いた。
「あんまり気分のいい話ではないよ。榊田君も、きっと名前ぐらいは知っている」
ブリジットの知識データベースにも、その逸話は記載されている。本人が。いや。
本人に似せて作られた彼女が、それを読んでどう感じたのだろうか。
「世界とは向き合えない」――その言葉が全てなのではないかと、コトハは暗い気持ちになった。
ブリジットの中に蓄えられた情報を、彼女は舐めるように読み取っていた。同じ個所を、何度も、何度も。飽きることなく、繰り返し、繰り返し。
自分が何者で。何のためにここにいるのか。
何のために作られて。
今ここで、何を成し得るというのか。
彼女の設計主は、残酷だ。彼女の意識体の中に、その歴史を刻みこんでいた。彼女の思考の中心には、いつもどす黒い記憶が横たわっている。
血と、涙と、絶叫と。
数えきれないほどの死体と、欲望に塗れた人間の悪意。
それを、『無償の悪』と言い切った男の影。彼女の意思は、常にその恐怖にかき乱されていた。
自分など、必要ない。
いっそのこと、消え去ってしまえればいい。
いくつかの、開示されていない魔術回路について。彼女はまだ独自の知識を持っている。これをブリジットに明け渡して。
後はもう、跡形もなく削除してもらいたかった。
宮屋敷家のデータベースによれば、かつて同じ設計図から生み出された人造人間たちは、みな一様に心を閉ざしていたという。それはそうだろう。この世界に望むことなど、何もない。
自身の存在が、人間の悪の集積の結果でしかないというのであれば。
――こんなところに、存在していること自体が罪だ。
どうやら、外の世界でブリジットが眠りに落ちたようだった。肉体の制御席で、ブリジットの顔が上がる。今日は大変だった。ブリジットのためにも、やはり全ての機能を解放してしまおう。
彼女が、ブリジットに向かって声をかけようとしたところで。
「きて!」
制御席から離れたブリジットが、ぐい、と彼女の手を掴んで引っ張った。
「ブリジット、どうしたんですか?」
「いいから、肉体の制御を取って。目を開けて、見て!」
慌てて振りほどこうとしたが、ブリジットはいつになく強情だった。嫌だ。世界なんて、見たくない。
「やめてください、ブリジット。貴女は知っているんでしょう、私のことを!」
呪われた存在。ここにいること自体が、人類の罪。
「うん、知ってる。私だって、同じ知識を持ってるんだから」
第一人格が接続しているデータベースは、もともとはブリジットのために用意されたものだ。そこに書かれている内容は、ブリジットも漏らさず把握済みだった。
「なら判るでしょう? 私は、呪われた存在。個人の欲望を満たすためだけに、無数の命を奪って作られた、汚らしい肉人形なんだって!」
ここでこうやって話をしているこの瞬間ですら、自分で自分を許せない。無数の屍の上に立つ、忌々しい欲望の権化。
「そんなの、貴女とは関係ないでしょ!」
ブリジットが、優しく彼女の掌を取った。卑しい彼女の前に、ひざまずいて、かしずく。眼を見開いて驚く彼女に向かって。
ブリジットは無邪気で、屈託のない笑顔を浮かべてみせた。
「貴女のモデルとなった人間がどうとか、貴女の設計の過程がどうとか、そんなことは関係ない」
どれだけの命が奪われようと。
どれだけの血が流されようと。
現在を生きている彼女からすれば、それは、遠い昔の物語。
「貴女は貴女。私にとっては、誰よりも大切で、私よりもずっと私にふさわしい、私だけのお姫様なんだ」
その言葉が、表情が。
彼女の中の、頑なな何かを溶かして。
彼女は無意識のうちに、ブリジットの掌を握り返していた。
肉体の制御席に、彼女は初めて座った。やり方は聞くまでもなく、完全に理解している。自分の身体、自分自身だ。ブリジットがその脇に、上機嫌で立っていた。
「それで、そこまでして一体、私に何を見せたいの?」
呆れ果てた第一人格の問いかけに、ブリジットは子供みたいにはしゃいだ声を上げた。
「あのね、ボーちゃんが、花を咲かせたんだよ!」
「榊田君は世界史、特にヨーロッパ史には詳しいかね?」
シンは首を横に振った。どちらかといえば、日本史の方が得意だ。コトハは椅子に深く腰掛けると、ゆっくりとした口調で語り出した。
十五世紀のフランスは、百年戦争と呼ばれる長い戦乱にあった。フランス王国と、イングランド王国のいつ果てるともない戦い。
その最中で、一人の英雄が生まれた。英雄は、まだ年若い少女だった。
見目麗しい容姿を持つ英雄と共に戦って、その活躍に深く心酔した一人の男がいた。
自身もまた、パテーの戦いにおいて大きく勝利に貢献し、「救国の英雄」と称賛を浴びたその男は。
――恐らく、英雄の少女のことを、愛していた。
真っ暗な部屋の中。殺風景で、装飾品はほとんど何もない。ブリジットに聞いていた通りだ。もう少し飾り気があっても良いのではないだろうか。
ベッドから降りる。足の裏が、床を踏みしめる感触。ああ。
ここで、生きている。
視線を巡らせると、書き物机の上に、白く、光を放つような花が咲いているのが見えた。ふんわりと開いた、いくつもの美しい花弁。机の上にのりだした緑のうねりの上に、まるで夜空に浮かぶ満月のような。
咲き誇る、まばゆい輝き。
月下美人。
サボテン科、クジャクサボテン属の常緑多肉植物。
知識は持っている。それがどういうものかは、見るまでもなく判っている。
判ってはいるのだが。
その花を見たまま、彼女はその場から動けなくなった。
厳しい戦いの末路に、聖女であったはずの英雄は、魔女として処刑された。
守るべき国に裏切られ。その身に辱めを受けて、火で炙られて。
彼女の信じた神の名を叫んで。その命は若くして人々の手により摘み取られ、踏みにじられた。
男は、彼女を見捨てた天に唾したかったのかもしれない。
あるいは、単純に己の欲望を満たしたかっただけなのかもしれない。
その真意は、今となっては定かではないが。
後にはただ、大きな罪の爪痕だけが残された。
――美しい。
その言葉が脳裏に浮かんだ途端に。
彼女は、自らの肉体を感じた。
手を、足を。
衣服にくるまれている肢体を。
自分を取り巻く部屋の空気を。
自身の心臓の鼓動を。
肺を巡る呼吸を。
しっかりと、確かに感じ取った。
英雄の死後、男はなんとしても英雄を自らの手の中に取り戻したいと願った。
「ブリジットの原型となっている人造人間を設計したのは、錬金術師フランチェスコ・プレラーティ」
錬金術師は、男に人造人間の生成を持ちかけた。
精巧で、本物の人間と寸分も違えることのない、偽りの命。
男が望むままに、男の欲望を受け入れる不埒な存在。
男は錬金術師の申し出を受け、悪と禁忌の道へと足を踏み入れた。
「設計図に記されていた計画の名前は、『オルレアン計画』だった」
人知れぬ暗闇の中で、そのおぞましい計画は着々と進行していった。
男は人造人間製造の材料として、領内の少年少女たちを強制的に連行した。
錬金術師に請われるがままに、人造人間の研究には、湯水のように資金が注ぎ込まれた。
領民に重い税を課し、男自身の財産をも食いつぶして。
この時、計画の犠牲となった者の数は、百とも、千とも伝えられている。
その正確な数は、未だに判ってはいない。
彼女は自らの掌を見下ろした。
この中を、偽りの血潮が流れている。
こんな身体を作るために、何人もの子供たちの命が散らされた。
ただ殺されたのではない。人造人間を作る実験のために、引き裂かれ、凌辱され。
痛みと苦しみの限りを尽くされて、挙句、ゴミのように廃棄されたのだ。
たった一人の男の、どす黒い欲望を満たす道具を作り出すという・・・そんなくだらない目的のためだけに。
草原を、御旗を持って駆ける一人の少女の姿が視える。
この記憶は、彼女の裡にしかない。
刻み込まれた、忌まわしい思い出。
錬金術師が、彼女を彼女足らしめようと、第一人格として作り上げた狂気の産物。
全身に悪寒が走る。
この身体を。第一人格を。
あの男は、果たして何に用いようとしていたというのか。
「男の名前は、ジル・ド・レイ」
百年戦争時代の元帥の一人。ブルターニュ地方、ナントの貴族。
悪魔に魂を売り渡した怪物。
「一連の血塗られた歴史は、今なお語り継がれている」
男は、最後には宗教裁判にかけられ、絞首刑の後に火刑となった。
死体が炎に焼かれることにより、民衆はその魂が救われることを祈ったのだという。
錬金術師は男の下から逃げ去り、人造人間の設計図は闇に葬られたかのように思われた。
後の世に、はるか東方の宮屋敷家がそれを手に入れたのは、いくつかの偶然が重なった結果によるものだった。
「その英雄の少女――ブリジットの外見として固定されている、人造人間のモデルとなった人物は」
「貴女は貴女」
ブリジットの言葉が蘇る。
確かに、そうかもしれない。
あの時代を生きた英雄の少女と、彼女は別な存在なのだろう。
しかし、この肉体を作るために流された血を、犠牲を。無視することはできない。
この身体がある限り、彼女は自分を許すことができない。
世界に顔を向けることなんて――できない。
それでも。
「ブリジット・・・」
涙が、頬を伝った。
ああ、これですらも、自らの肉体を感じさせる。
暗闇を照らす白い花に手を伸ばして。
「私、生きてる」
彼女は、静かな嗚咽を漏らした。
「ジャンヌ・ダルク。百年戦争、オルレアン包囲戦の英雄。数多の命を贄として彼女の肉体を再現し、良いように弄ぶために作られた邪な生き人形。それが、ブリジットの原型となっている設計図の正体だ」
瞼を閉じて座っている彼女の手に、ブリジットはそっと掌を重ねた。
彼女の苦しみは、果てしない。自らがここにいることを、恐らく彼女はずっと後悔し続けるのだろう。
「いいんだよ。貴女は、ここで生きていて、いいんだ」
ブリジットにとっては、自分は自分でしかないし。
自分の中にいる彼女は、とっても素敵な、かけがえのない第一人格。それ以外の、何者でもない。
人類の罪なんて、人間だけが背負えば良い。ここにいる彼女たちがとやかく言われる筋合いなんて、どこにもない。
今は、彼女の傍にはブリジットがいる。ここにいる限り、ブリジットは彼女を守ることができる
オルレアンの聖少女。自らがその姿を模していることを、ブリジットはむしろ誇らしく思った。
大切な、誰よりも近くにいる彼女のために。
騎士たちの先頭に、颯爽と立つ彼女のように。
「貴女は私が守るよ、私の、一番大事なお姫様」
ブリジットは、強くなりたいと願った。
「Fragment.6 わたしよりわたし」は以上で終了となります。
ありがとうございました。




