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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.6 わたしよりわたし
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わたしよりわたし(6)

 眼前に立つ少女の姿を、シンは凝視した。

 暑い季節に似合わない、真っ黒なフレアスカートに、フリルの付いた黒いブラウス。細い脚は黒いタイツに包まれ、両掌にはやはり黒の手袋がはめられていた。長い髪が、水中で揺れる海藻のようにうごめいている。顔は影になっていて良く見えないが、かすかに笑みを浮かべているのは判別できた。背格好からして、十二歳程度、中学生ぐらいだろうか。

 じり、とシンが身構えたのを見て。少女は一歩前に進み出た。

「宮屋敷家の人造人間ホムンクルス、ブリジット・ダルレーですね?」

 まだ幼さの残る、高い声だった。ブリジットは背筋を伸ばし、表情を引き締めた。

「いかにも」

 その返事を受けて、少女は右掌を眼前にかかげた。真っ黒い、闇を凝縮したような手袋だ。中指の先をおもむろに咥えると、少女はそのまま掌を下に引いて手袋を緩めた。

「榊田様、お下がりください!」

 ブリジットが叫ぶのとほぼ同時に、少女の腕が振るわれた。手袋が地面に投げ出される。中身のないはずの五本の指が、アスファルトの上で曲がりくねり、自身の体躯を支えた。まるで、そういう形状の生き物であるかのように。

 そして、手袋は高速で路上を這い進んだ。素早い動きだった。五本足の、蟲を思わせる挙動。十メートル以上の距離を一瞬で詰めて、手袋はブリジット目がけて飛び掛かってきた。

 ブリジットはエコバックを盾にして、その一撃を防いだ。ザク、という音が空気を震わせる。手袋の指先が裂けて、金属質の刃が姿を見せていた。


「シキ!」


 シンは隣に立っている、娘の魂に呼びかけた。シキは、シンの生命に危害を加えようとする者には容赦はしない。それが可能性に過ぎない場合でも、シンの意志によって攻性防御を展開することができる。どのような相手であれ、無事では済まされない強力な攻撃だ。

 だが、シキは動かなかった。シンに寄り添って、その場に立ち尽くしている。目の前でブリジットが攻撃を受けたのを、冷やかに見つめているだけだった。

「まさか」

「貴方のことは聞いているわ、榊田シン。そっちの天使ちゃんは厄介だけど、生憎今日私が用があるのは人造人間ホムンクルスの方なの」

 少女の言葉に、シンは愕然とした。この相手は、明確にブリジットのみを標的にしている。シンに対しては、一切の害意をもっていない。シキの敵は、シンの敵に限定されている。こうなると、シキは死霊術師を攻撃対象として認識することができなかった。


 エコバックの破れた傷跡を確認すると、ブリジットはキッと少女を見据えた。黒い手袋は、少女の足元近くで威嚇するように指を動かしている。その挙動はリズミカルで、タップダンスのリズムを思わせた。

「死霊術師とお見受けします。目的は私のみ、ということでよろしいか?」

 少女が顔を上げた。青白く、生気を感じさせないその貌は、恐ろしいほどに美しかった。大きくて黒い瞳。緩やかな鼻筋の曲線カーブ。小振りでも存在感のある唇。美少女と呼ぶにふさわしい。

「よろしくてよ。榊田シン殿には、見届け人になってもらいましょう」

 死霊術師が右手を振るった。それに呼応して、手袋が猛然と進み始めた。指先から、仕込まれた刃が伸びる。間一髪でそれを避けると、ブリジットはエコバックを抱いたまま大きく飛び退いた。


「榊田様、ここは私にお任せを! 非常事態用の承認をお願いいたします!」


 ブリジットと一緒にいる際に、万が一の事態が発生した場合。

 そういう時のために、コトハはシンにブリジットの制限を解除する方法を伝えていた。シンにはシキがついているので、そんなことなどまず起きないと高をくくっていたが。

 今がまさに、その時だった。


「ブリジット、第零原理適用!」


 シンの宣言を聞いて。


「イエス、マスター!」


 ブリジットは両の拳を握りしめた。


 通常時、ブリジットは三つの原理に基づいて行動するように抑制されている。それは、人造人間ホムンクルスとして危険な動作をしないように、という安全装置だった。


 第一原理、人命を尊重せよ。

 第二原理、自己を保存せよ。

 第三原理、命令に服従せよ。


 この原理が有効である限り、ブリジットは人間に対して攻撃をおこなうことができない。人の生命を最優先とし、その上で自己防衛を果たし、命令に従うということになる。人を傷付ける命令や、自分を破壊しようとしてくる人間への対処は不可能だ。

 それを回避するための原理が、『第零原理』だった。これは、限られた一部の人間の承認によって、一時的にのみ有効化することができる。コトハがブリジットに組み込んだ、非常事態専用の原理――善なる魔法使いの原理だ。


 第零原理、ヒトを守るためであれば、その限りにあらず。


 広義の『ヒト』は人間だけではなく、人造人間ホムンクルスをも含める。これは零番目の原理であり、他の全ての原理に優先して作用する。

 自分を、愛する人を守るためであれば、人間に対して攻撃することを辞さない。一歩間違えば大きな問題となるこの原理を、コトハはブリジットに与えてくれた。

 ならば、ブリジットは正しくコトハの信頼に応えてみせるつもりだった。この力で、守りたいもの、守るべきものを必ず守り通す。宮屋敷コトハの人造人間ホムンクルスは、その名に恥じない存在であると示してみせる。


 手袋がブリジットに飛び掛かってくる。ブリジットはエコバックをそこに叩きつけた。

 手応えはあった。だが、すぐにブリジットは手を離して距離を取った。一秒も経たずにエコバックがズタズタに切り裂かれ、中身が路上にぶちまけられた。

 五本の指全てから、長く鋭い刃が伸びていた。その全てが、空中に複雑な文様を描くように回転しながら、ブリジット目がけて殺到した。

 鈍い音がして、手袋は弾き飛ばされた。動きを見切って、ブリジットは蹴りを放っていた。スラックスの側面が裂け、白い脚の素肌が露出する。くっ、とブリジットは顔をしかめた。


「ふぅん、まだ余裕がありそうね」

 死霊術師の少女は、顔の前で左掌を広げた。中指を咥える。シンは嫌な予感がした。

 ブリジットがアスファルトを蹴り、落ちている大根を素早く拾い上げた。転がりながら、死霊術師の顔面目がけて投擲とうてきする。猛スピードで迫る根菜は、しかし命中の直前でバラバラに寸断された。

「残念」

 左手の手袋もまた、路上に降り立った。その指先には、右手と同じようにぎらりときらめく刃が覗いている。死霊術師の手の動きに合わせて、二つの手袋は同時にブリジットに攻撃を仕掛けてきた。


「ブリジットさん!」


 ブリジットは体勢を立て直すと、足元にあるもう一本の大根を拾い上げた。初回購入特典。お得ではあっても、これでは次の攻撃はしのげそうにない。葉の付け根を持って、正眼に構える。あの手袋二つを相手にするのは、流石に困難だ。

 腕か足を犠牲にすれば、恐らく一体ぐらいはなんとかできる。だが、その後が続かない。

 足を取られれば、あのスピードについていけなくなる。

 腕を取られれば、五本指を使った多角的な攻撃に対処できなくなる。

 それに、一たび欠損してしまえば、再生する時間的な余裕などは、恐らく与えてはもらえないだろう。


 右手袋と左手袋が、交差するようにして指の刃を突き立ててきた。ブリジットは身を引いて、間一髪でそれをかわした。シャツの袖がすっぱりと切り裂かれる。

 宙を舞い、片手を付き。そのまま、身体のばねを使って更に間合いを取る。

 今の一撃はやりすごした。次はない。手袋たちの連携は、攻撃を重ねるごとに洗練されてきている。


 万事休すだ。


 ブリジットは正面に目を向けた。だからといって、あきらめるわけにはいかない。ここで負ければ、シンはどうなる。コトハはどうなる。ブリジットには、見届けなければいけない未来がある。


 それに、ブリジットの中には、かけがえのないもう一人がいる。この身体は、ブリジットだけのものではない。

 なんとしても守り通す義務がある。ブリジットの存在にかけても、彼女だけは――



「・・・大丈夫よ」



 声が聞こえた。外からではない。その声は、ブリジットの内側から聞こえてきた。

 右手が熱い。燃えるような温度を感じる。そこに、誰かの手が添えられているのが判った。優しくて、いつくしむような。良く知っている、ブリジットに最も近くて、とても素敵な誰か。

 ブリジットの中で、何かが解放された。自分の身体に、自分の知らない何かがある。今まで血の通っていなかった領域に、どくどくと脈動が響いている。魔術回路が、繋がっていく。

 右掌の中で、握っている大根の感触が変化していた。植物、有機物から、金属、無機物へ。構成素子が変換されている。持っているものが、自動的に武器に書き換わる。武器精製ウェポナイズ――この魔術式は、この肉体が持つべき武器を生み出すものだ。


 手袋が迫る。合せて十本の刃が、今度こそブリジットの身体を切り裂こうと押し寄せた。

 ブリジットは、既に剣を振りかぶっていた。この剣は、肉体の一部のように馴染んでいる。


「喰らえ!」


 一瞬にして。

 ブリジットの剣は虹色に光る軌跡を伴って、周囲の空間を薙ぎ払っていた。


閃光の剣戟(フラッシュソード)!」


 鮮烈な、輝きの一閃だった。

 物理的な衝撃と、魔術的な衝撃。その両方が炸裂し、大気を震わせる。それは、水平に放たれた稲妻を思わせた。


 手袋は二つとも、ぼろぼろになって原型も留めていなかった。ブリジットの一撃のすさまじさがうかがえる。白銀の、まばゆいばかりにきらめく長剣。その刀身は、まるで光そのもので形作られているかのようだ。ブリジットは軽やかに剣先を躍らせると。

 ぴたり、と死霊術師の少女に向かって固定した。



「そこまでだ!」



 突然、上空から突風が吹きつけた。シンのすぐ目の前に、真っ黒い影が猛スピードで舞い降りてくる。思わず顔をかばった手の隙間から、大きなカラスの姿が垣間見えた。

 ばさばさと激しい羽ばたきの音がして、闇よりも暗い人影が屹立きつりつする。何事かと思ってシンが目を凝らすと、そこには漆黒の長衣をまとった魔法使い――宮屋敷コトハが立っていた。


「抜き打ちの性能試験とは聞いていたが、いくらなんでもこれはやりすぎだ」

 コトハは怒りをあらわにして、死霊術師の少女に向かって詰め寄った。シンがブリジットの方に目をやると。

 ブリジットは、ぽかーんとコトハの顔を眺めていた。それから右手に握っている剣に視線を落として。

 がっくりとうなだれた。「しょ、初回購入特典がぁ・・・」どうやら武器への変質は不可逆なもののようだ。残念だが、大根はあきらめるしかない。

「あら、周辺への被害は最大限考慮に入れたつもりだけど」

 死霊術師は、コトハに向かってしれっと応えた。あっさりとしていて、そこには少しも敵意は感じられない。コトハの方も、腹を立ててはいるが、顔見知りに対する態度に見えた。

「それに、コトハ様の彼氏には傷一つ付けていませんよ?」

 その言葉に、コトハはぐぎぎ、と奥歯を噛みしめた。

 何にしても、明確な危険はない、ということだろう。コトハも駆けつけてくれたのだ。シンは緊張を解くと、ぺたん、とその場に尻餅をついた。

 シキだけが無表情のまま、変わらずにその場に立ち続けていた。




 宮屋敷家のリビングで、死霊術師の少女――各務かがみマナはのんびりと紅茶を飲んでいた。この季節に、全身足の先まで黒一色だ。それでいて、不思議と暑さは感じさせない。奇妙な冷気をまとった少女だった。

 その正面には、シンとコトハが並んで腰かけていた。ブリジットはソファの後ろに立って控えている。口を真一文字に引き結んで、直立不動の姿勢だった。

「マナ殿にはブリジット作成の際に監修をお願いしていてね」

 外見からは想像もつかないが、マナはコトハ以上に人造人間ホムンクルスの知見を持つ、一流の死霊術師であるとのことだった。魔法使いの世界では、宮屋敷家と並ぶくらいに高名な存在であり、実力はそれ以上と噂されている。コトハのマナへの対応ぶりを見ても、明らかに一目置いている印象だった。

 自身が監修を請け負った、人造人間ホムンクルスのブリジット。マナは今回、その性能試験をするためにこの地を訪れて、先ほどの戦闘騒ぎを引き起こした、ということだった。

「第零原理適用の必要があったのですが、偶然、折よく榊田殿がいてくださったので助かりました」

 本当に『偶然』、なのだろうか。疑い出すとキリがない。とりあえず結果的に、シンとブリジットは無事で済んだのだ。高位の魔法使いの実力試しを相手にして、生き残ることができた。その事実だけで、感謝しておくべきなのかもしれない。

「それにしてもブリジット、あの一撃はあなただけでは到底繰り出せないものでしたよね?」

 マナに一瞥(いちべつ)されて、ブリジットはびくん、と身を震わせて委縮した。ヘビに睨まれたカエル。いや、死霊術師に睨まれた人造人間ホムンクルスか。


「・・・この肉体の第一人格の協力を得ました」


 渋々、という様子でブリジットは口を開いた。その返事を聞くと、マナはぱぁっと顔を輝かせた。表情は自然なのだが、今一つ違和感があるのは何故なのだろう。シンには、どうしてもマナがまともな人間には見えなかった。

「素晴らしい。共存関係にあるということですね? それはとても興味深い」

 紅茶のカップを置くと、マナはコトハの方に向き直った。

「第一人格とのまともなコミュニケーションに成功したのは、初めてのケースです。やはり宮屋敷コトハ、あなたにお任せして間違いはなかった」

 「それはどうも」とコトハは頭を下げた。マナの反応に対して、こちらはあまり嬉しそうではない。コトハにしてみれば、大事にしている家族が無理矢理引きずり回されたようなものだ。ブリジットと第一人格のことも、この口ぶりではまともに報告したことはなかったのだろう。

「あの剣や、最後の一撃の魔術式については解析できそうです。古いものですが、調査の役には立つでしょう」

 長剣『初回購入特典』は、あの後しばらくして跡形もなく消え失せてしまった。コトハはそれを、無茶な物質変換に耐えられなかったせいだ、と考察した。剣がなくなっても、ブリジットの右手には魔術回路が残されている。一旦顕在化さえしてしまえば、後は調べるのは容易なことだと、マナは満足気だった。

「ありがとうございました。この件、決して悪いようにはいたしません。コトハ様にも、ブリジットにも」

 そこまで言うと、マナはぐるり、とシンの方に視線を巡らせた。どこまでもくらくて、吸い込まれてしまいそうな黒い瞳。それがまるで、作り物であるかのように思われて。


「無論、榊田殿にも」


 シンは、ぞっとした。


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