わたしよりわたし(4)
壁の板張りがむき出しのオンボロの室内は、それでもクーラーによって十分に冷やされていた。それを更に、扇風機の風がぐるぐるとかき混ぜている。外との寒暖差は五度以上。しかし、それぐらいはないと、またもや熱中症で倒れてしまう。
レジャープールから出て少し離れたところにある、昔ながらの茶店のような場所だ。夏場だけ営業している、地元民でなければ知らないような穴場中の穴場の店だった。魔法研究会の一同は、帰宅前にここで一息ついているところだった。
「あー、一応カタチだけでも夏合宿の打ち合わせはしておくからなー」
そう宣言したコトハだったが、テーブルの上にべったりと突っ伏していた。プールで体力を使い果たしたのと、テーブルの冷たさが心地よいのの相乗効果だ。それを諌めてくれるはずのユイは、店に入ってから延々とメニューとにらめっこを続けていた。ぜんざいとあんみつの、どちらを取るべきか。両方という選択肢は、カロリー的にあり得ないらしい。
アユムとヒロエは、目の前に置かれた将棋盤を凝視して、ぴくりとも動かなかった。店の隅に置いてあったものを、軽い気持ちで持ってきてからずっとそうだ。お互いに負けず嫌いというか、どうやらここでの勘定を賭けているようだった。
詰まる所、ちゃんとコトハの発言を聞いているのは、シンとブリジットの二人だけだった。ブリジットは魔法研究会の部員ではないのだから、実質シンのみだ。「うぇー」とコトハの口からやる気のないうめき声が漏れだした。
「宮屋敷先輩、せめて起きましょう。威厳もへったくれもありません」
「あかん。彼氏様の前で失礼だとは思うけど、かき氷がこないとやる気が持続しない」
「そんな、心にもないことを」
「かき氷に関しては真実だ」
それは判っているし、それじゃダメだろう。シンはやれやれと溜め息を吐いた。
結局夏合宿についても、ユイのオーダーについても何一つ決まらないまま、山盛りのかき氷が運ばれてきた。コトハは歓声を上げて飛び起きると、いそいそとスプーンで氷の山を崩し始めた。ちらりと様子を窺うと、ヒロエとアユムは氷を食べつつ、無言で将棋を指していた。しゃり、パチ。しゃり、パチ。とても声をかけられる雰囲気ではない。
イチゴのシロップがたっぷりとかけられたかき氷を一口頬張ると、ブリジットはくぅっと眉根を寄せた。
「冷たくて美味しいです。氷とシロップだけなのに、これほどの情報量を持つとはあなどれません!」
かき氷を食べるのは、ブリジットにとっては初めての体験だった。今までも機会がなかったわけではない。ただ、所詮は氷とシロップのみの代物と、さほど重要視をしていなかった。学習するにしても、より複雑度の高いものを優先としてきたのだが。これは認識を改める必要性がありそうだった。
「あんまり急いで食べると頭が痛くなるぞ」
興奮して、ブリジットははむはむと氷をかき込んでいく。あーあ、と見守るシンとコトハの前で。
「うあ、あ、頭が痛い?」
予想に違わず、ブリジットは頭を抱えて悶絶した。
「言わんこっちゃない。言いつけを守らないからだ」
「こ、こういうところまで精巧である必要はないような」
ブリジットの肉体は、限りなく人体に近く作られている。冷たいものを一気食いすれば頭が痛くなる、という点についても再現されているわけだ。なかなか大したものだろう。
「可能な限り人体を正確に再現しているんだ。病気にだってかかるんだから、無茶はするな」
人間に近いということは、人間に影響のある病気にも弱いということだ。コトハによってそれなりに強化はされているが、無敵、とまではいかない。油断すればウィルス性の風邪くらいは罹る。人間を差し置いて人造人間が病気で倒れるなど、それこそ本末転倒だ。
「医療実験用の検体になんて、なりたくはないだろう?」
「その用途だけはちょっと勘弁していただきたいです」
臨床試験用の実験体としては、確かに便利かもしれない。その場合は、人造人間に人権はあるのかと、大きな議論を呼ぶことになりそうだ。もっとも、そんな理由でブリジットを潰すつもりなど、コトハにはさらさらないのだろうが。
「去年は、プールとかはいかなかったんですか?」
プールもかき氷も、四年目にして初体験というのは、果たして早いのか遅いのか。人間の時間の感覚からだとよく判らなかった。
「あんまり急いで矢鱈と詰め込んでもな。ブリジットに関してはゆっくり、時間をかけて教えてやっていってるんだ」
他の人造人間と比較して、ブリジットの寿命はかなり長くなるように作られている。とはいえ、改修を施した肉体機構が正しく機能するかどうかは、動かしてみなければ判らないところもある。最初の一年は、ほとんど様子見だった。
安定していると判断した後も、何でもかんでも即座に詰め込めば良いというものではない。所持している知識のうち、日々の生活に必要なものから順番に実体験を伴わせていく。それでも失敗はあるし、うまく認識できていないこともあった。自然な「人間」として振る舞えるようになるまでには、それなりの時間が必要だった。
「私はブリジットをただの召使いとして作り出したわけではない。生きて、意味のある存在であると教えてやりたいんだ」
コトハが大学生になり、実家を出て生活すると決断した際のことだ。リュウゴは、コトハが一人暮らしをすることを認めなかった。親として娘が心配――というよりも、生活態度の問題だ。コトハは料理ぐらいは人並みにこなすが、それ以外についてはてんでダメだった。部屋は汚部屋だし、朝は放っておくと午後まで起きてこない。そんな状態で、一人で生活などできるはずがなかった。
せめて身の回りの世話をする誰かを置け、と言われて。コトハは困り果ててしまった。相手が何者であったとしても、宮屋敷家ご令嬢の世話係として、そこには無駄なしがらみが生じてしまう。毎日同居人に気をつかって生活するのなんて、窮屈すぎて御免こうむる。かと言って、実家に残るというのは論外だった。
そこで妥協案として提示されたのが、ブリジットの生成だった。
「人一人雇うよりもずっとコストが高いんだけどね。それでも、何が起きても私の責任範囲で済むし、気楽なものだ」
耐久性のある人造人間の製造実験をおこない、それを試験がてら自分のところで運用する。非常に珍しいものになるので、他の魔法使いたちから色々と調査や研究の申し入れがあるかもしれないが。そこは、実生活で使用しているものなのだから、無茶はしないという約束は取りつけておく。
そういったいくつかの約定を経て、コトハはようやく晴れて実家の外での生活を許されたのだ。
「それに、ブリジットそのものについても興味はあったんだ。さっきも言ったけど、私は彼女を道具とはみなしていない。大事な同居人なのだよ」
言葉を介し、多くの知識を有するブリジットは、経験を積むことで普通の人間となんら変わりがなくなってくる。人造人間という存在に対する考え方を、根本的に変えていけるかもしれない。コトハはそんなことも考えていた。
「だから、できることなら彼女とも対話を試みたいのだが・・・」
コトハが、うっすらと目を伏せた。その様子を見て、ブリジットはすまなそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、コトハ様。彼女は、やはり外には出てきてくれそうにありません」
「そうか。無理を強いるつもりはないよ。ブリジット、君から伝えてあげてくれ。そこにいても良いんだって。世界は、いつだってここにあるんだって」
二人が何について話しているのか、シンにはさっぱり判らなかった。
ただ、コトハの表情はとても穏やかで、優しさに満ちていた。シンが誰よりも信頼している、魔女先輩の笑顔。こんな時のコトハが、シンはとても好きだった。
「はい。かき氷を食べる時には注意が必要、とも伝えておきます」
「・・・それ、重要なことなのかい?」
コトハが怪訝な表情を浮かべたところで。
「うっしゃー、王手詰み! 勝ったな、がはは!」
歓声と共に、ヒロエが右腕を突き上げた。
「うあああ、くっそー、よりによってヒロエに負けるとか」
アユムがテーブルを叩いて、その衝撃で将棋の駒がバラバラと飛び散った。一気に賑やかになった店の真ん中で。
「すいません、クリームあんみつひとつ、ください!」
ユイが、ようやく声高らかにオーダーを口にした。
初めて泳いだプール。暑い陽射し、冷たい水の肌触り。手足を動かしたときの抵抗感。水を蹴って、前に進んでいく感覚。
初めて食べたかき氷。削られた氷の、白くてふわふわとした食感。香料のついたシロップの甘さ。口の中でとろけて、身体の中から涼しく冷えてくる。あまり食べすぎると、きんきんと頭が痛くなる。
いつものように、ブリジットはその日あったことを彼女に報告した。話したいこと、伝えたいことは沢山あった。これでもかと言うくらい、初めてのことが目白押しだったのだ。
彼女は、黙ってブリジットの話を聞いていた。たまに短い質問を挟んで、ブリジットが大げさにまくしたてる。いつもと同じ、いつも通りのやり取りだった。
「そう、良かったわね」
最後にそう応えて、彼女が笑顔でうなずくのもまた、同じことだった。
話を終えると、ブリジットは急に寂しくなってきた。あんなにいっぱい、楽しみにしていたのに。彼女も笑ってくれているのに。
ブリジットの中は、少しも満たされなかった。
「あの、やっぱり肉体のコントロールを持つことはしませんか? コトハ様も一度、貴女とお話ししてみたいとおっしゃっているのですが」
これももう、何度目の申し出となるのだろうか。結果も変わらない。彼女は、明確に首を横に振って拒否の意思を示した。
「いいのです、ブリジット。私は、本来あってはいけない存在なのです。この肉体も、『ブリジット』として用意されたもの。貴女のものなのです」
あってはいけない。
そうなのだろうか。彼女は、ここにいるべくして存在している。彼女の存在は必然だ。あってはいけないなんて。そんな道理が通っていいはずがない。
この肉体は、『ブリジット』として用意された。
それは、確かにその通りだ。コトハが、『ブリジット』のために生成したものだ。だが、元を正せばその設計図は、彼女を作るためのものだった。この身体は、そもそも彼女のものだ。
本当なら、ブリジットの方があってはならないものではないだろうか。人の手によって作られて、自分のものではない肉体に入り込んで。我が物顔で、人間の世界に入り込んでいる。どうしようもない『異物』は、他の誰でもない、ブリジットだ。
それなのに。
「貴女は、ここにいるだけです。ずっとここに、何もない、真っ白なだけのここにいる」
何処を見ても、白い。この身体の中は、からっぽだ。こんなところに閉じこもって、たった一人で。
「太陽の暖かさも、風の匂いも、水の冷たさも。かき氷の甘さも知らない。私だけが、それを知っている。この身体は、もともと貴女のためのものなのに!」
そうだ。
ブリジットは、彼女に外に出てもらいたかった。
いつもたった一人でいる、大切な彼女に。
せっかく与えられた肉体で、世界を感じてもらいたかった。
眩しくて、暗くて。暑くて、寒くて。固くて、柔らかくて。
良いことも、悪いこともあって。楽しいことも、嫌なこともあって。
それでもかけがえのない、素晴らしい世界だ。
ブリジットと、彼女に与えられた世界なのだ。
「ありがとう、ブリジット」
彼女の手が、ブリジットに触れた。すべすべとして、ふんわりとして。ほんのりと、温かい。しかしこの感触ですら、現実においてはどのようなものなのかを、彼女は知らない。
知ることを、拒絶している。
「貴女の意識体を作った人は、とても優しいのですね」
ブリジットの意識体を作り上げたのは、コトハだ。身の回りの世話をするだけではなくて、一緒に暮らす同居人として。人造人間ではなく、ヒトとして。言葉を介し、意志を通じ合えるものとして。
コトハは、とても丁寧にブリジットの意識の在り方を作り上げていた。
「コトハ様は、私に『ヒトを想え』と教えてくれました。それが私の第零原理です。人造人間はヒトです。貴女は、私にとってはかけがえのないヒトなのです」
現代を生きる魔法使いの原理、人を想う心。コトハはそれを、ブリジットの最も深いところに組み込んでくれた。ブリジットはそれを誇りに思っていた。自分は、今までの人造人間とは違う。善なる魔法使いの原理に従って生きる、一人の『ヒト』なのだ。
「ブリジット、貴女にそこまで想われて、私はとても嬉しい。でもごめんなさい。私は、世界とは向き合えそうにありません」
その言葉の意味は何だろう。
彼女に問いかけようとしたところで、ブリジットは目を覚ました。まだ薄暗い室内の、天井が見えている。身体を起こすと、ブリジットは眼から涙がこぼれ落ちるのが判った。
――泣いていたんだ。
ブリジットにも、感情はある。ただし、それは制御されたものだ。自分で抑えきれない感情があっては、いざという時に動けなくなってしまう。
では、この涙は何だろう。
ベッドから降りると、ブリジットは書き物机の方に向かった。サボテンの鉢植えが、静かに鎮座している。机の上にまではみ出したぐねぐねとした緑は、ぴくりとも動かない。この中には、どんな心象世界が広がっているのだろう。
「ボーちゃん、私、泣いてるみたい」
ブリジットは、呟くように語りかけた。サボテンには音を聞く器官は存在しない。ただ、空気の振動を感じることぐらいはできはずだ。サボテンの意識体に、ブリジットの意志は伝えられるのか。
彼女に対しても、ブリジットの言葉は届いているのか。
「ボーちゃん、私、どうしたらいいんだろう」
ぼろぼろと、とめどなく涙が溢れてきて。
ブリジットは、その場で声を押し殺して泣いた。




