わたしよりわたし(2)
お昼を過ぎて、人の波は更に増え続けていた。もうプールの中まで大混雑、完全なイモ洗い、もとい、イモ煮状態だ。このレジャープールには、流れるプールや波のプールなど、いくつかの大きなプールが設置されている。そのどれもがぎゅうぎゅうの満員で、見ているだけで息苦しさを覚えるほどだった。
プールの水面のすぐ近くに、シキが立っていた。シンとコトハの間に、将来産まれることになっている娘の魂。二人の縁を取り持った立役者、とも言える。シキにしてみれば、自分がこの世界に誕生するために、なんとしてもシンとコトハには結ばれて欲しいのだろう。とんだ押しかけ娘だ。
黒髪と、白いワンピースがひらひらと揺らめいていた。その頭上には、青い空と、大きな白い雲。夏の趣だ。写真に収めることができないのが悔やまれる。せめてシンに絵心があれば、スケッチくらいは残せただろうに。しっかりと瞼に焼き付けておくことくらいしか、手段はなかった。
「・・・榊田様?」
背後で、ブリジットが声を発した。どうやら意識を取り戻したようだ。プールサイドにある、休憩用のスペース。そこに設置されたサマーベッドに、ブリジットは横になっていた。
「やれやれ、起きたかいブリジット」
コトハがすぐに気が付いて、冷たいスポーツドリンクのボトルをクーラーボックスから取り出した。ブリジットのいるサマーベッドは、丁度ビーチパラソルの影に入っている。たまに吹き抜ける風が心地よい。ボトルを受け取ると、ブリジットはぼんやりとそれを見つめた。
「張り切りすぎてのびてたんだよ。覚えてないのかい?」
場所取り、飲み物、昼食。
甲斐甲斐しいというか、子供みたいなはしゃぎっぷりで、ブリジットは右へ左へと駆けずりまわっていた。炎天下であれだけ走ったのならば、普通の人間ならあっという間に熱中症になってしまう。
「ブリジットの場合、極めて人間に近い構造をしているんだ。こんな中で無理をすれば、脱水症状を起こすことになる」
案の定、目を回して倒れたところを、確保しておいたサマーベッドに寝かせて介護していたところだった。
「他の皆様は?」
「自由に遊んでいるから安心したまえ。正確には、ヒロエが引きずり回している」
ウォータースライダーが余程のお気に入りだったのか、ヒロエはアユムとユイを連れて延々と滑り続けていた。十分並んで数秒で終わるとか理不尽だ、とアユムは文句たらたらだった。しかし、意外にもユイの方がノリノリになってしまったらしい。ブリジットの傍には、コトハとシンが残って様子を見ていた。
「ご迷惑をおかけいたしました。コトハ様も榊田様も、私は大丈夫ですので、皆様と遊びにいってくださいませ」
わざわざ連れてきてもらったのだから、何かとお役に立とうと息巻いていたのだが。逆にとんだお荷物に成り下がってしまった。しょぼん、とうつむいたブリジットの頭を、コトハが優しく撫でた。
「ブリジット、君はまだこういう場所での行動に慣れていないんだ」
人造人間としてブリジットが製造されたのは、三年ちょっと前になる。コトハが大学に入学し、実家から離れて暮らす際に、身の回りの世話兼お目付け役として作られた。外見上は二十歳前後の白人女性だが、実年齢は満三歳だ。
その代わり、見た目の年齢をはるかに上回る膨大な情報を保持している。リュウゴによってまとめられた知識データベース。それも、日々情報の更新、追加を繰り返しているものだ。知識量だけなら、普通の成人女性に大きく引けを取ることはないだろう。
ただし、それは知識のみに限った話だ。そこには実際の経験は含まれていない。ブリジット自身は、あくまで三年半程度の生活経験しか持っていないのだ。実体験の伴わない知識など、正に机上の空論に過ぎなかった。
「もともと、人造人間の寿命は短くてね」
仮初の肉体に、人工的な意識体を組み込んだだけのもの。人造人間の寿命は、本来であればもって数年というものだった。そんな理由もあって、人造人間は単純な労働力であるとみなされてきた。不要な知識や経験を持たせることは、時間や手間の無駄である。それが魔法使いたちの間での、一般的な見解だった。
だが、ブリジットは例外的、かつ特別な存在だ。宮屋敷家に伝わる、様々な秘術。そこにコトハが独自のアレンジを加えることによって、ブリジットは今までにない耐久性を備えていた。肉体的にも、意識体においても。今までの人造人間とは、数多くの点で異なり、優れたものになっていた。
「だから、ブリジットには色々なものを見せてやりたいんだ」
面倒な仕事を押し付けられるだけの存在。使い捨てで、数年で消えてしまうような道具。コトハはブリジットをそんなものとして扱いたくはなかった。人の姿をしたもの。人と対話できるもの。それならば、可能な限り人としてあるようにしてやりたい。ブリジットを作りだす時、コトハはそういった想いを込めていた。
今日、ブリジットをプールに連れてきたのも、ブリジットを一人の人間として成長させたいがためだった。知識があるのなら、それを活かす場を設けてやりたい。ただ頭の中に情報として詰まっているだけではなく、実際の経験として、様々なものに触れさせてやりたい。プールに限らず、コトハはブリジットに沢山の体験を促していた。
「人間でも、失敗から多くのことを学ぶんだ。繰り返さなければそれで良い」
「はい」とブリジットは小さく返事をした。
ブリジットは、素直にコトハの言いつけを守るつもりらしい。サマーベッドの上に座って、ちびちびとスポーツドリンクを口に運んでいる。顔色も落ち着いてきたし、体調は回復してきているのだろう。
改めて、シンはブリジットを眺めてみた。金髪で碧眼、色素の薄い透き通るような肌が美しい。白い水着が、素晴らしく良く似合っている。全体的にスレンダーで、四肢もほっそりとしなやかだ。それでいて、女性らしい魅力的な曲線で溢れている。編み上げた金髪が、水面の照り返しを受けてきらきらと煌めいて。ビー玉のように透き通った青い瞳は、ふと視線が合うとそれだけで胸が高鳴った。
「なんだ、榊田君。ブリジットにそんなに興味があるのか?」
シンが顔を赤らめるのを見て、コトハはにやにやと笑った。ブリジットが小首をかしげてみせたので、シンは慌てて首を振った。
「え、いや、そうじゃないです。そうじゃないですけど・・・ブリジットさんって、その、どこまで人間に近いんですか?」
興味がない・・・というわけではない。肌理の細かい滑らかな肢体に、柔らかそうな胸の膨らみ。コトハみたいな、ダイナミックなそれとは対極にある、やや控え目なスタイル。それでいて、ブリジットにはしっかりと女性を想起させる、不思議な魅力があった。
シンは今まで、ブリジットのことをなるべくそういう目で見ないように努めていた。宮屋敷家の召使いであり、先輩であるコトハの身の回りの世話をしている人物。それに、そもそも人間ではなくて、コトハの作りだした人造人間である。
しかし、水着姿で目の前にいられてしまうと、もうアウトだった。人造人間とはいっても、パッと見は完全に人間の女性、しかもとびきりの美人だ。
仮に、万が一。
劣情をもよおしてしまったのだとしても。それを非難されるいわれはない――と思う。男として。
「どこまでも、だよ榊田君。ブリジットの設計コンセプトはね、恐らく肉体を限りなく人間に近付けることで、人間そのものと区別のつかない存在に仕上げようというものだ」
シンの様子が余程おかしかったのだろう。コトハは笑いを噛み殺すようにしながら説明してくれた。
ブリジットは、こうして一般人が多く訪れる場所にいたとしても、全く違和感を覚えさせない。せいぜい、白人がいるという驚きを与えるくらいだ。日本ではなく欧米であれば、完全に人混みの中に溶け込むことができる。
それも、単純な見かけ上のものだけではない。コトハの住んでいるマンションは、厳しいセキュリティによって出入りが管理されている。シンも知っているものとして、静脈認証や指紋認証が要求されていた。ブリジットは、そのどちらも普通の人間として登録、利用することができている。肉体の細部、内部に至るまで、完全に人間と区別がつかないということだった。
「それにブリジットの原型はね、何と言うか、そもそもあまりよからぬ目的のために設計されていたと思われるんだ。榊田君が鼻の下を伸ばすのは仕方のないことだよ」
完全な女性の肉体を持つということ――『よからぬ目的』とは、つまりはそういうことなのだろうか。シンは急に自分が情けなくなってきた。無邪気なブリジットの視線が痛い。その上「仕方がない」などと言われてしまっては、まるでシンがそういう男だと見なされているみたいだ。何だか惨めな気持ちになってくる。
いたたまれなくなって、二人から目を逸らそうとしたところで。
ふと、シンはコトハの口ぶりが気になった。
「『恐らく』とか『思われる』って、ブリジットさんって宮屋敷家で造られたんじゃないんですか?」
ブリジットの製作者であり、主人であるのは、他の誰でもない宮屋敷コトハだ。ブリジットの構造には、宮屋敷家において門外不出とされている秘術が用いられているという。であるのならば、そこに推測が入ってくるのはおかしくはないだろうか。
「いいところに気が付いたね、榊田君」
コトハは満足そうにうなずいて手を打った。ぽいん、と胸が揺れる。水着だとそういったちょっとした仕草で、身体のあちこちに振動が伝わるのがよく判る。学校の勉強とかでも、こういうご褒美があった方が断然に捗りそうに思えた。
「ブリジットの原型となる設計図は、明治時代頃にヨーロッパから伝わってきたものなんだよ。それをベースにしてあちこちに手を入れた結果が、今のブリジットなんだが、ね」
コトハに顔を向けられて、ブリジットは口許に微笑みを浮かべてみせた。実に自然な仕草だ。これが人間ではないなどと言われても、まずもって信じられるはずがない。
「細かいところはまだ判っていないことも多いんだ。何しろ複雑なものだ。金も手間もかかっている」
「宮屋敷家でも判らないんですか?」
驚いて、シンは思わず声が大きくなってしまった。宮屋敷家は、シンから見ればもう世界の頂点くらいのお金持ちだ。娘に三十五階建てのマンションを買い与えるとか、スケールが大きすぎて見当もつかない。それに、魔法使いとしても非常に長い歴史を持っていると聞いている。どちらにせよ、シンからしてみれば完全に雲の上の存在であった。
大体、今こうしてシンがコトハと馴れ馴れしく話をしていること自体が、本来ならばあり得ない話なのだ。『セレブ』という言葉が、自分と関連性を持つなど。シンは尖央大学に入るまでに、妄想ですらしたことがなかった。
その宮屋敷家であっても、判らないことがあるというのか。
「そりゃあもう、当時国が一つ傾くほどの予算がかかっていて、それでも完成には至らなかったんだ。今でも、ブリジット一人を生成するのには、べらぼうな予算と手間がかかっている。下手をすれば命の値段よりも高い」
はぁ、と息を吐いて。シンはまた、再度改まってブリジットの姿を見つめてみた。
言い方は悪いが、女が欲しくて金をだすという場合。それなりの金額さえ払えば、それなりの女は買える。『美人』であることだけが条件ならば、それこそ難しい話では全然ない。
何でも命令を聞く、従順な女が欲しいとして。それもまた、金を積めばある程度はなんとかできる。命令がどの程度理不尽か、無茶振りか、というところにも依存するだろう。もっとも、そんな無理のためにわざわざ金を払ってなんとかするという発想自体が、既にどうにかしているとも思うが。
このとぼけた美人一人に、一体どれだけの価値があるというのか。まむしドリンクを自作しようとして怒られる白人女性を作るために、国が傾いたとか。それは果たして何の冗談なのだろうか。
「ブリジットが金髪碧眼なのも、その大元の設計図が問題なんだ。設計図の方がそうなっているのでね、おいそれといじれない部分の一つなのだよ」
ヨーロッパから渡ってきた人造人間を日本で運用するにあたって、西欧人の風貌はあまりにも目立ちすぎた。外観のカスタマイズは、かなり早い段階で調査の対象となっていた。
ところが、外観要因に関しては、ディティールアップはできても基本構造の書き換えは一切できなかった。無理に黒髪などに変更すると、人造人間としての基本機能が何一つ動作しなかった。
この設計図には、外観用の設計の中に基本機能用の魔術式が隠ぺいされている。宮屋敷家の魔法使いはそのように結論付けて、長い間その解析に心血を注いできた。しかし、残念ながらその全容の解明には、未だに至ってはいないとのことだった。
「ま、私にとってはそんなことはどうでも良いんだがね。ブリジットはブリジットだ。いてくれなければ色々と困る」
コトハは、最初からそういうところは諦めていた。別に、アジア系の外観に大きなこだわりがあるわけではない。素材の変更による耐久性の強化や、組み込む意識体についての方がずっと重要なテーマだった。
「髪を染めれば良いのですか?」
きょとん、とした表情で、ブリジットが訊いてきた。
言ってしまえばその程度の話だ。シンとコトハは顔を見合わせると。
可笑しそうに笑いだした。
宮屋敷家の祖先が、その魔術知識を総動員して解決しようとしていた問題が、毛染め一つで解決可能だ。
楽しそうな二人の様子を、ブリジットはただにこにこと眺めていた。




