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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.5 やわらかなのろい
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やわらかなのろい(4)

 土曜日、シンはミズカと待ち合わせてショッピングモールまでやってきた。夜からは花火大会ということもあって、街はどこにいっても人であふれ返っていた。そんな中、シンは先日のお詫びということで、午後いっぱい荷物持ちでもなんでもする覚悟でいたのだが。

「こんにちは、榊田君」

 やってきたミズカは、ガーリィなブラウスに、ふんわりとしたミニのフレアスカートという出で立ちだった。明るい髪の上には、赤いギンガムチェックのハンチングが乗っている。大学ではあまり見ない感じの、有体ありていに言ってしまえば可愛いらしい服装だった。

「こんにちは、川原木さん。今日は、その、この前のお詫びということで」

 口から出る言葉も、どうにもぎこちなくなってしまう。シンの大学のクラスには、明確な階級カーストのようなものは存在していない。しかし、暗黙の内に立ち位置というものは決まってくるものだ。ロクに他人とつながりを持とうとしないシンなどは、当然底辺に近い下位に属していた。

 それに対してミズカは、完全に頂点の一握りの部類だ。本来ならば、シンが直接話をすること自体がおこがましい。ミズカと並んで立っているだけで、場違い感が増してくるというか。大体、いつものTシャツにデニムというラフな格好では、失礼にあたるのではなかろうか。シンの中をネガティブな思考が駆け巡って、くらくらと眩暈めまいがしてきそうだった。

「どうしたの、榊田君? ひょっとして緊張してる?」

「まあ、正直してます。とりあえず何でも言いつけてください。俺は何をすれば良いですか?」

 開き直って、召使いにでもなった気分になるしかない。覚悟を決めると、シンはぴしっと背筋を伸ばした。あれやこれやと言われるのは、普段からコトハへの対応で慣れている。ミズカなら、あそこまでのわがままを発揮することはないだろう。

「そんなに固くならないで」

 さりげなくシンの横に立つと。

 ミズカは、そっと手を握ってきた。


「せっかくのデートなんだから」


「でっ? えっ?」

 驚いて目を白黒させるシンの様子に、ミズカはくすくすと笑みをこぼした。

「男と女が二人でお出かけすれば、デートでしょう?」

 状況についていけず、完全にパニックにおちいったシンの手を引っ張ると。

「さ、時間がもったいないから、いきましょう」

 ミズカはさっさと歩き始めた。



 目の前で起きている問題は、シンのキャパシティを完全にオーバーしていた。

 まずその一。そもそもシンは女子とデートというものをしたことがない。ミズカが言うには、男と女が二人で外出すればデートらしい。だとすると、以前大学の裏山にユイと一緒に登ったことがあった。猫のサキチはノーカウントだろうか。ユイの方にはその意志はなかったようだし、あれはやはり『なし』だろう。となれば、これが初めてのデートということになる。

 そのニ。デートの相手が、川原木ミズカである。デートの対象として考えた場合、ミズカは合格点・・・というかこれ以上を望む意味が判らないほどのハイスペックだ。美人だし、可愛い。横にいて釣り合いが取れるかと問われれば、シンは間髪入れずに「ノー」と答える自信があった。大体なんでミズカは、シンとデートをするなどと言いだしたのか。解せぬ。

 考えれば考えるほど、思考の泥沼にずぶずぶとハマっていくのだが。

 現実の方はおかまいなしだった。ミズカはシンと手をつないで、モールの雑貨屋の軒先を眺めて歩いていた。夢か、そうでなければ罠に違いない。悪質なドッキリが仕掛けられていて、ミズカは仕方なくそれに従わされているのか。その方がいっそスッキリする。誰か知ってる顔が飛び出してきて、シンに向かってあるべき現実というヤツを突きつけてもらいたい。喜んで受け入れる所存だ。

「榊田君、上の空だったりする?」

 突然ミズカに問いかけられて、シンはびくっと身体を震わせた。

「ごめん、その、何が起きているのか理解し切れてない」

 そろそろ種明かしをしてほしい。魔法研究会のマジックショーなら、後半は手品教室だ。どんなにびっくりするような出来事でも、仕組みを知ってしまえばなんてことはない。人間はみんな、過程が明らかではない事象に対して恐れを抱く。『隠された(オカルト)』とは、原因と結果をつなぐプロセスが見えないことを示す言葉だと、確かコトハが説明していた。

 コトハの名前が脳裏に浮かんで、シンははっとしてミズカの掌の感触に思い至った。ミズカの手は、細くて滑らかだが、それでもコトハのものとは違う。コトハに手を握られた時、シンはそこから暖かい何かが通うのを感じた。

 ミズカには、それがない。どうしてだろう。じっと見下ろしているシンの視線に気が付いて、ミズカはぱっと手を離した。

「ええっと、迷惑だった?」

「そうじゃないんだけど・・・」

 全ての物事には理由がある。こうしてミズカがシンとデートなどをしているのは、やはりシンにはとても不自然に感じられた。

「うん、ごめん。説明が欲しいかも。川原木さんがどういうつもりなのか。それが判らないと、安心できそうにない」

 申し訳なさそうに宣言したシンをじっと見つめてから。

「判った。じゃあ、お茶にしましょう」

 ミズカはにっこりと微笑んだ。



 フードコートの隅っこ、壁際であまり人気にんきのなさそうな小さな席が、丁度空いていた。冷たいハーブティーがあるということで、シンはそれを二つ購入し、ミズカの前に置いた。お詫びなのだから、それぐらいは普通にご馳走するべきだろう。ミズカの方も、すんなりとその申し出を受け入れた。

 こういうおごりにも慣れていそうだ。偏見かもしれないが、シンはついそう考えてしまった。

「さて、何から話そうか」

 ミズカの声は、どこかはしゃいでいるみたいだった。ジャスミンティーをストローで撹拌かくはんする。氷同士がぶつかって、カラン、と涼しげな音を立てた。

「・・・やっぱり、高校の話かな」

 リップでうっすらと光沢をもった唇が開かれて。

 ミズカの物語が、静かに語られ始めた。




 ミズカが高校に入って、最初に出来た友達がリサコだった。リサコは目立たないし、物静かで大人しくて、あまり人前に出ていくようなタイプではなかった。それでも心根は優しくて、ミズカはリサコのことが好きだった。

 時間が経つにつれて、ミズカはクラスや部活に多くの友人ができるようになった。人付き合いが苦手で、奥手なところがあるリサコは、相変わらず孤立していることが多かった。ミズカはリサコと仲の良い友人のままでいようとも思ったが、次第に距離を置くようになってしまった。


「私ね、臆病だったの」


 リサコ以外の友人と付き合うようになると、色々なことを言われるようになった。リサコは暗くて、何を考えているのか判らない。リサコと一緒にいると、ミズカまでそう思われる。ずるずると引きずられるようにして、ミズカはリサコとの接点を減らしていってしまった。

 リサコは、本当はそんな子じゃない。確かに口数は少ないし、一人でいることは多い。見た目も派手ではないし、自分からはどこかの輪に入ろうとはしてこないかもしれない。

 ミズカは一度、リサコに強く言い聞かせたことがあった。もっとみんなに話しかけて、友達を作ろうとした方が良い。判ってもらおうとしないと、いつまでもこのままだ。

 その言葉を聞いても、リサコは困ったように微笑んだだけだった。


「ミズカちゃんが友達でいてくれれば、私はそれでいいから」


 友達。

 その言葉が、とても重いもののように感じられて。


「私は、リサコの手を離してしまった」


 リサコがいじめに遭っている。

 その噂は、すぐにミズカの耳にも入ってきた。高校生にもなっていじめとか、実に幼稚だ。リサコのことが心配ではあったが、これで少しはりるだろうと。

 ミズカは、自分のすぐ近くで起きているいじめに関して、目をつぶって口を閉ざしてしまった。


「私が、リサコの味方になってあげれば良かったんだけどね」


 陰湿で、見つからないようないじめがいつまでも続いた。学校の中でたった一人のリサコには、頼れる相手が誰もいなかった。唯一の友達はミズカだ。ミズカがリサコをかばって、「こんなことはやめようよ」とだけ言えば。

 意味のない嫌がらせなんて、すぐに収まったのかもしれなかった。


「後になって思えば、リサコは何度も私にSOSを発してた」


 教室で、廊下で、昇降口で。

 何かを言いたげにしているリサコを、ミズカは幾度となく目撃していた。そしてその度に、無視してやりすごしていた。

 一度離してしまった手を。

 どうやって、また差し出せば良いのか。

 どんな顔で、リサコの言葉を聞けば良いのか。


「私は、リサコを見捨てたんだ」


 不器用なリサコが、最後の力を振り絞って書いた、たった一行だけの手紙。

 それを残して、リサコは学校からいなくなってしまった。


「リサコの家は、引っ越していて、誰もいなかった。リサコは私の前から、完全にいなくなってしまった」


 リサコの連絡先は、誰も知らなかった。

 いじめが自主退学の原因であることを把握している学校は、リサコの転居先を生徒に教えてくれることはなかった。

 胸の中に、ぽっかりと穴が開いたまま。


 ミズカは、沢山の『友達』と共に取り残された。




「榊田君、今から私は、とても失礼なことを言います」


 姿勢を正すと、ミズカは真剣な目でシンと真っ直ぐに向き合った。数秒だけ沈黙して。

 それから、寂しそうに口元を緩めた。


「榊田君は、リサコと同じ感じがしたの」


 一人ぼっちで。

 そうしていることが、さも当たり前のようで。

 それなのに、見えないような助けを求めている。

 どうしようもなく寂しがりなのに。

 誰にも声をかけられない。


「入学説明会の時とかも、榊田君は小さくなって、目立たないようにしているのに・・・でも、すごく寂しそうだった。内部生の子が楽しそうにおしゃべりしているのを、じっと見てたりしたから」


 言われてみれば、そんなこともあったかもしれない。シンはぼりぼりと頭を掻いた。

 尖央大学に入ってすぐの頃は、一人きりでいるのが普通だった。正確には、その前からもずっとそうだ。再婚した両親と、父親が違う妹。家族の中で居場所を失くして、シンはいつも一人だった。

 自分がいなくなれば、全ては丸く収まる。そう思って実家を飛び出して。結果として、シンは何もかもを捨ててしまった。自らの手に収まるものなんて、何もないとあきらめていた。


「それがびっくり。榊田君、ここ数ヶ月で随分変わったよね」

「そうかな?」

 シン自身には、何の自覚もない。実家との関係は相変わらずだ。母親は何かと連絡を取ろうとしてくるが、シンの方はあまり近付きすぎないようにしている。夏休み中にも、帰省する予定など一切ない。

 どういうことかと思いを巡らせ始めたところで、にゅう、とテーブルの横からシキが顔を出した。

 ああ、そうか。

 大学に入って、新入生向けの部活勧誘合戦がおこなわれた際に。


 シンは、魔法研究会に入ったのだ。


「もう暗くて、今にも泣き出しそうで、毎日一人で黙々と講義を受けている榊田君が、外部生のみんなと一緒にコンパなんか出ちゃって、女の子の家に転がり込んで泊っちゃうくらいになったんだよ?」

「えーっと、ごめん。ほんとにごめん」

 前半の言われようは相当にひどいものだが。後半に関しては言い逃れのしようがない。つつしんでお詫び申し上げる以外に、道はないだろう。

 ぺこん、と頭を下げたシンを見て。

 ミズカはほんの少し目を細めてから。

 ゆっくりとうつむいた。


「榊田君が変わった理由は、判っているつもりなんだ・・・」


 グラスの中で、氷が半分以上溶けている。薄くなったジャスミンティーの中で、陽炎かげろうが踊っていた。


「中学の時、担任の先生がね、こんなこと言ってたの」


 下を向いたまま、ミズカは一つ一つの言葉を噛みしめるようにして話を続けた。


「人生から後悔をなくすことはできない。ただ、振り返って、それで良かったんだって思える後悔をしなさいって」


 ミズカは、リサコを助けることができなかった。それは大きな後悔だ。

 しかし、仮にミズカがリサコの味方になったとしても、結果は変わらなかったかもしれない。リサコを助けられなかったという後悔が残ることに、違いはなかったかもしれない。


 ただ、決定的に変わるのは、後悔の『重さ』だ。


 その時やれること、それを全て出し切った上で、なお残った後悔であるのなら。それは、仕方なかったとあきらめることができる。

 ミズカが悔いているのは、リサコを助けられる可能性を放置してしまったことだ。

 ミズカには、まだやれることがあったはずのなのに、それを理解していたはずなのに。

 ミズカは、自分の意志でそれをしなかった。それが、後悔の重さを増していた。


「だから、私、言わないで後悔することだけは、もうしないようにしているの」


 ミズカが顔を上げた。眼に込められた覚悟が違う。シンは思わず座ったまま気を付けした。


「榊田君が変わった理由の見当はついている。その上で、こういうことを言えば榊田君を困らせることになるのも判ってる。でも、私は二度とあんな後悔はしたくないの」


 がやがやという、フードコートの喧騒が聴覚から消えて。

 あんぐりと口を開けて驚くシキの顔が視界から消えて。

 シンの目の前には、ミズカだけがいた。

 真正面からシンのことを見つめて。

 たとえここで砕けてしまっても、それで良いと。

 全力でぶつかってくるミズカの言葉を。


 シンは、黙って受け止めた。



「好きです、榊田君。春からずっと、貴方のことを見てきました。私とお付き合いしてくれませんか?」


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