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魔女先輩を紹介します  作者: NES
Fragment.3 あなたがみている
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あなたがみている(5)

 朝から、しとしとと雨が降っていた。そういえばもう梅雨の季節だ。プレハブを叩く雨音を聞きながら、シンはぼんやりとそんなことを考えた。

 その頭を、コトハが優しく撫でている。朝一で部室を訪れて、すぐに膝枕の体勢だ。知らない人間からすれば、甘くてただれた生活を送っているように見えることだろう。確かに気分としては悪くない。ただし。

「ふむ、大体のところは判ったかな」

 今回は『理由』があってのことだった。

 シンの顔を、ユイが心配そうに覗きこんでいる。その後ろでは、ヒロエとアユムが丸椅子に座ってテーブルに向かっていた。魔法研究会の面々勢揃いだ。大して広くもない部室の中は、ぎゅうぎゅうの満員状態だった。

「やはり榊田君の能力のせいだな。キクリ様とつながりを持った際、強く同期してしまったのだろう」

 キクリと出会ってから、シンは夢を視るようになった。寂れた集落に住む、貧しい兄妹の夢だ。キクという妹の女の子の視点で、熱病に苦しむ様子がありありと浮かんでくる。自分がキクであることもあったが、キクを見下ろすシンであることもあったので、シンはこれは心象世界ではないかと疑った。

「キクリ様からうかがったお話とも一致します。多分、キクリ様の一番古い記憶ですね」

 大学の裏山で最初にキクリに出会ったのはユイだ。その縁起についても、以前キクリから聞いたことがあるのだという。シンの視た夢の内容は、その話の通りだった。

「榊田君の力が強くなったこともあるんだろうね。そこに相手が神様ということもあって、相乗効果といったところか」

 そこまで言うと、コトハはテーブルを挟んでうなっているヒロエとアユムの方に目を向けた。

 モジャモジャ天然パーマで、男みたいにがっしりとしているのが経済三年の富岡ヒロエ。小柄で華奢な体つきで、女子みたいに色白ですっきりとした顔立ちなのが、教育三年の丸川アユムだ。

「そっちはどう?」

「どうもこうもないっすよ」

「ほっといて良いですから、そっちはそっちで勝手にやっててください」

 ヒロエとアユムは、そろってうるさそうに手で追い払う仕草をした。

「じゃあ、部長として何か必要なことがあったら声をかけてくれ」

「うーっす」

 会計のヒロエと副会長のアユムが頭を悩ませているのは、先日の文化会予算会議で提示された、学園祭に向けた予算編成書類だった。魔法研究会は毎年学園祭内で、マジックショーを単独で公演するのか、他のサークルの前座として公演するのかがまちまちとなっていた。どちらの公演形式にするかで、予算申請のやり方も変化する。現在は会計のヒロエが中心になって、単独公演を予定している今年の分の書類作成と、申請予算額を検討している真っ最中だった。

「シンちゃんのことも大事だけどさ、学園祭の仕事も大事なんよ」

 ヒロエがぼりぼりと頭を掻きながらぼやいた。経済専攻で酒屋の娘であるヒロエは、いい加減そうに見えてコトハよりもずっとお金勘定にしっかりとしている。アユムの方も、細かい事務作業やサポートは自ら買って出てきてくれていた。

「そそ、榊田に対して特別に冷たいわけでも、魔女先輩との蜜月を邪魔しているわけでもないから。そこは誤解なきよう」

「判ったから手を動かしてくれ」

 二人とも、口が悪いのが共通した欠点だ。コトハにひと睨みされて、ヒロエとアユムはイーッと歯をむき出しにした。いつも通りの、賑やかな魔法研究会の雰囲気。シンはこの空気が嫌いではなかった。

「さて、じゃあどうしようかね」

 コトハはシンの方に目線を戻すと、ふーむと腕を組んだ。その上に豊満な胸が乗っかっている。下から見ると大迫力だ。

「今のところは夢に視るぐらいしか影響はないんだよね。まあ、それはそれで健康被害と言えないこともないか」

 自分の視ている夢が心象世界だと気が付いた段階で、シンはコトハにメールで相談した。その後はあっという間だった。

 超低血圧のコトハのことだから、朝の起き抜けに送ったメールなど、軽く読み飛ばしているだろう。シンはそう見込んで、のんびりといつものように登校した。しかし、大学にきて直行した教務課の休講案内掲示板の前で、シンはあっさりとコトハに捕獲された。

 部室に連行されてくると部員勢ぞろいで驚かされたが、ヒロエとアユムは別件ということだった。「部室が賑やかなのは健全なサークル活動の証だよ」とコトハが楽しそうに笑っていた。

「ごめんね、榊田君、こんなことになるなんて」

 『おせっかい』のユイが、ずっとすまなそうにしている。とはいえ、シンにしてみれば夢見が悪い程度の話だ。そんなに深刻な顔をされてしまうと、逆にこれは何かとんでもなく悪いことなのかと、不安にすらなってくる。

「いや、別にそこまで困っていることでもないんで」

「そんなにひどい話ではないよね。でもまあ、いつまでもキクリ様の記憶がダダ漏れなのは気分的に良くないだろうから、つながりを消さないように、そこだけ蓋ができないか試してみようか」

 コトハの掌が、シンの額に乗せられた。ふわっ、と身体が軽くなる。触れたところが熱くなって、コトハがシンの中に入ってくるのが感じられた。

「じゃあ、おじゃまします、榊田君」

 その言葉が聞こえるのと同時に、シンの思考はふっつりと途絶えた。




 熱い。意識がはっきりとしない。見えているものが歪んでいる。

 息をするのも苦しい。手足が重くて、だるい。のどが渇く。何も考えられない。

 お水。

 お水が飲みたい。


にいちゃ、熱いよ。お水、お水が欲しいよ」

「キク、のどが渇いただか。判った、待ってろ」


 兄が家の外に出ていく。キクは、一人で残された。

 誰もいない家の中で、ちろちろと囲炉裏の炎が揺れている。

 あらゆるものの影が、伸びたり、縮んだり。

 キクの目には、それがぐにゃぐにゃと踊っているように映った。


 いつもは兄が座っていて。

 こん、こん、と音をさせている場所。


 そこには、神様がいる。


 神様が踊ってる。

 兄はこんなに上手に木を彫ることができたんだ。

 キクは驚いて、感心した。

 そこには、とても綺麗な女の神様の姿があった。

 兄が話していた。キクリヒメノミコト。願いをきき届けて、けがれを払う神様。

 キクの名前が入っている。だから、きっとキクの願いをきいてくれる。


 揺らめく光の中で、神様は華麗に舞っている。

 キクの願い。

 言葉を出そうとするのに、キクは声を発することができなかった。

 苦しい。

 のどが渇いている。


 お水。

 お水があれば、きっと願い事を言えるのに。

 熱い。何も考えられない。

 キクの願い。忘れないように、神様に伝えないと。


 兄が帰ってこない。

 布団の中で、キクは手足を縮めて、がたがたと震えた。

 熱い。寒い。

 のどが渇いている。

 目の前で、神様が踊っている。

 願い事。

 頭の中がぐるぐるする。


にいちゃ、熱いよ」


 兄を呼んでも、返事がない。屋根の隙間から、星空が見える。月のない夜。兄はキクのために、水を汲みにいった。

 熱で苦しむキクのために、良く冷えた湧水を手に入れるために。

 真っ暗な、山の中に消えていった。


にいちゃ、熱いよ」


 キクの願い。

 兄と、ずっと一緒にいたかった。

 病気が治って、春がきて。

 また二人で、笑って過ごしたかった。


 当たり前の毎日を、当たり前のように繰り返したかった。


にいちゃ」


 熱くて。

 のどが渇いて。

 苦しくて。


 どうしようもないけど。


 今、キクが欲しいのは。


にいちゃ、熱いよ。にいちゃ、にいちゃ」


 涙がぽろぽろとこぼれる。

 神様がそこにいる。

 神様、願いをきいて下さい。

 キクはもう、何もわがままは言いません。にいちゃの言うこともききます。お願いです。



 キクのにいちゃを、帰してください。



 きらきらとした神様に。

 キクは手を伸ばした。

 もう少しで届く。

 気が付いて。

 キクの願いを、きいて。


にいちゃ、にいちゃ・・・」


 キクの病は治らない。


 キクに春は訪れない。


 二人はもう、笑って過ごせない。



 ――キクのにいちゃは、帰ってこない。



 冷たくなったその手の先には、不格好な木彫りの人形が一つ。

 男のものとも、女のものとも判断がつかない。ただ、かろうじて人型と判る程度のもの。


 やがて、囲炉裏の火も小さくぜて消えて。


 後には、静けさだけが残った。




 コトハの魔女帽子が揺れた。目元を隠すように、かぶり直したせいだ。その横で、シンはただ呆然と目の前で起きた光景を見つめていた。

 これが。

 これが、キクリの持つもっとも古い記憶。その深淵なのか。

「話だけはうかがっていたがね。しかし、実際に目の当たりにすると、なんともやるせないものだ」

 熱病に侵されたキクという少女のことについては、ここ数日の間、シンは夢に視て知っていた。兄と一緒に、わびしい暮らしをしながらも、健気に生きていた。病気が治って、春がくる日をずっと待ち望んでいた。

 コトハがシンの心象世界に入り、キクリとのつながりに『つっかかり』があるのを発見した。これを取り払えば、恐らくシンが中途半端にキクリの記憶を覗き見てしまうことはなくなるだろう。そう判断して処置をおこなった際に。

 今まで見えていなかった、キクリの記憶の最奥が開いてしまった。

「ひょっとしたら、キクリ様の中に、この記憶を見せたくないという想いがあったのかもしれないね」

 そうかもしれない。これがキクリという神様の成り立ちであるのなら。

 あまりにも悲しくて。

 あまりにもむごすぎる。

「キクリ様は、あのキクという女の子なんでしょうか?」

 キクリの姿はキクと瓜二つで、着ている服装もそっくりだった。シンの問いに、コトハは首を横に振った。

「正確には違うだろう。キクという女の子の願い、そして、その後二人を葬った人々の願いが、キクリ様を生み出したんだ」

 二人の前に、また異なる風景が現れた。

 大学の裏山の中、キクリのやしろだ。今のオンボロとは違って、真新しい白木で造られている。その正面に立って、何人かの人々が手を合わせて祈りを捧げていた。

「記憶が流れ込んでくるね」

 コトハの言う通り、様々な記憶がシンの中を満たし始めた。キクに請われて、冷たい湧水を汲みにやってきた兄は、あの夜、池に落ちて死んでいた。熱病で動けないキクは、ただずっと家の中で兄の帰りを待ち続けていた。流行病はやりやまいがうつることを危惧した村人たちは、誰もキクを助けることができなかった。

「それを冷たいとは思わないでくれ、榊田君。そういう時代だったんだ」

 感染症や、ウィルスについての知識がある時代ではなかった。いたずらに手を出せば、村全体が危機におちいることも考えられた。キクは誰もいない家の中で、たった一人で、ひっそりと死んでいった。

 何もすることができなかったとはいえ、村人たちもこの兄妹を哀れだと思ったのだろう。山の池のほとりにキクリヒメノミコトをまつやしろを建てて、そこにキクの兄が彫った人形を収めた。

 この悲しみを忘れないように。二度と繰り返さないように。

 その想いから、キクリが産まれた。キクリの姿がキクをかたどっているのは、まさにその過去の悲しみそのものを表しているからだ。

「それも、今では必要のないものとなってしまった、ということだ」

 医療が発展し、人々の暮らしも格段に良くなった。まだ治らない病気は存在するが、少なくとも神様にすがらなければならないほどの病魔など、ほとんどないと言い切れる。小さな村を護るキクリ程度の神様なら、いなくなったところで問題はないし。

 ついには、その村自体がなくなってしまった。

 世界はもう、キクとその兄の悲劇を安易に繰り返すことはなくなり。

 キクリは、その役目を終えた。



「神様というのは、願いをかなえるシステムなんです」

 心象世界から戻ったシンとコトハに、ユイは自らの知る神様について語った。

「私の家が面倒をみている稲荷神社、そこも昔、水害に苦しむ人々が、水神に生贄を捧げたことが縁起となっています。その時生贄になった女の子が、平和に暮らしたいというみんなの願いを受けて、神様になりました」

 力が、願いという指向性によって、一つの形にまとめられる。神様はそうやって生み出される。

「神様は人々の願いによってまとめ上げられた力を、願いをかなえるために使います。願いがかなえられることによって、人々の生活が豊かになります。人々はそれを神様に感謝し、信仰が深まります。そして、その信仰を受けて神様の力が更に増していく。そういったエコシステムになっていると、以前教わりました」

「しかし、神様の力に頼らずにそれが達成できるのなら、信仰は薄くなり、神様の存在をまとめ上げる願いも小さくなる」

 横から補足すると、コトハはふうっ、と息を吐いた。

「ユイのところの神様は大丈夫なのかい?」

「トヨちゃんのところは、まあ、大丈夫ですよ。小さいけど、お祭りとか賑やかだし、みんな『いてほしい』って願ってますから」

 友達のような言い草だが、その神様はユイの幼馴染と結婚したりしているのだ。そういう感覚なのかもしれない。

「神様の在り方も、時代と共にだいぶ変わってきています。現代いまの世界に順応できず、消えていく神様もいるのですが」

 ふと、ユイは遠い目をした。審神者さにわとして、ユイは今までにもいくつかの神様たちと対話してきた。神様たちは常に気高くて、人々の願いのためにその力を振るっていた。雄々しく、猛々しく。そして時に厳しく。

 世界を良い方向へと導くために、数多あまたの願いを聞き届けてきた。

「私は、昔からいる神様にいなくなってほしくないんです。その言葉には、きっと現代いまを生きる私たちにも通じるものがあると思いますから」

 それが、ユイの『おせっかい』だ。

 山の中のやしろで、ひっそりと消えていなくなろうとしていたキクリ。シンも、キクリには消滅してほしくなかった。その成り立ちを知って、その想いは更に強くなった。

「俺、今度キクリ様に会いにいってきます」

 シンはぽつりと呟いた。山道を登るのは大変かもしれないが、それでキクリの存在を支えられるのなら、安いものだ。

「そうかい。まあ、なんにせよ今日のところはやめておいた方が良い。雨が止んでから、かな」

 外では雨が降り続いている。こんな天気の日のプレハブ棟は、とても静かだ。

 書類に目を落としていたヒロエが、突然頭を抱えて「こんなんわかるかぁー、クソがぁー!」と怒りの雄叫びを上げて。

 その場にいる全員が、声を出して笑った。


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