強制契約への顛末 その1
私の家には、古い納屋がある。
木造建築のその納屋は、大正のあたりに祖母が曾祖父に頼んで建てたらしいのだが、今年になるまで一度も祖母以外の人間を入れたことはなかった。
大正のころからあったのだから改修の工事や整備も必要だろうに、祖母以外の誰もあの納屋には入ったことがなかった。
昭和の空襲で母屋が焼けても、震度5くらいの地震で母屋が倒壊しても、屋根に穴どころか壁に煤一つもつかなかった。
表だっては言わなかったが、祖父母以外の誰もがその納屋を不気味に思い、決して近づこうとしなかった。
入り婿の父さんも、何度か世間体というもののために祖父母に納屋を壊すように頼んではいたが、無碍にされていた。
一度、なにも言わずに業者に頼んだこともあったが予定日がくるたびに重機の故障や担当者の怪我などで延期に延期が重なり、最終的には計画自体が立ち消えたそうだ。
祖父母の娘である母も納屋の話題に触れることを非常に恐れているのか、こんなことがあった。
どこかぼんやりとしていて、足取りはしっかりしているのに風が吹いたらどこかに飛んでいくんじゃないかと思うほどにフワフワとしている母は、納屋の話を聞こうとすると眉をひそめて不機嫌になる。
そして、私の目線までしゃがみこみ頑張って私と目を合わせようとするが、体がこわばるのか目線が右に左に細かくぶれ、肩におかれた手は痛いほどに握られ、何がききたいの?と唇だけが動いていた。
あまりの怖がり方に私の方も怖くなりなにも言えないでいると、急に母の震えが止まりつかまれた肩がパッと離され、一瞬の間を置き、母の身体がふらぁと倒れた。
急いで家にいた祖父を呼ぶと、祖父はどうして母が倒れたのかを私から聞き、納屋の話をしたらこうなったと言ったら、合点がいったのかフムフムとうなずき、倒れた母をサッと横抱きにして、ついてきなさいと私に言い、祖父の書斎へと向かった。
祖父は母を書斎にある仮眠用のベッドに横たえると、私にここで待つように言い書斎から出ていった。
祖父を待つ間、私は母の手を握り仕切りにあやまり続けていた。納屋のことについて聞いたのがいけないのはわかっていたのでひたすらあやまり続けた。
しばらくして、祖父が濡らしたタオルと水の入ったお盆を手に部屋に戻ってきた。
濡らしたタオルを母の額に乗せると私にソファーに座るように促した。
客の応対に使われるであろうソファーに座ると、祖父は目の前にしゃがみ手を柔らかく私の手に重ね優しい声音で、納屋について聞きたいかい、と尋ねた。
私は首を横に振り、聞きたくない、と祖父に言った。
祖父は少し寂しそうな顔をして、そうか、と言い、お母さんは大丈夫だから寝ていなさいと私の頭をなでてくれた。
私は、安堵からかすぐに眠ってしまい、目覚めたときには母はとっくに快復して、納屋のことを聞く前と同じようにふわふわとしていた。
私の中でも、納屋のことは幼き頃の苦い思い出となっている。
そういった事情もあって、一生、納屋には近づくこともないだろうと思っていたのだが。
大学2年の冬にその機会が訪れてしまった。
納屋の持ち主である祖母が亡くなったのである。
都心の大学寮に入居していた私は、隣室の男子に寮母への言付けを頼み訃報の届いたその日のうちに、地元へと駆けつけた。
家に帰ると、父が迎えてくれた。
母と祖父が、ともにお通夜をしていることを伝えられてから、祖母の安置されている祖父母の寝室へと案内された。
寝室には、天蓋のついたダブルベッドが置かれており、その真ん中に祖母は横たえられていた。
母は横たえられた祖母の手を握りながら、すすり泣いており、祖父はそんな母と横たわった祖母を慈しみを込めた目で見つめていた。
私はその光景を目にして、あぁ祖母が亡くなったというのは本当なのだな。と思い、現実味のなかった悲しみが湧き上がり、茫とした歩みで母の隣に行き床に座り込み、母に握られた祖母の手を母の手ごと両の手で包み込んだ。
母の手の柔らかな暖かさと、祖母の手の固い冷たさが余計に祖母の死を物語り、気づけば母と同じようにすすり泣いていた。
祖父は父に言づけて、部屋から出ていき、ホットミルクを入れたカップをお盆に5つ載せて戻ってきた。
祖父は、ホットミルクを父と母と私の三人に渡し、あとは私が見送るからそれを飲んだら眠りなさい。といい、明日からは忙しくなるからな。と小さく沈んだ声で呟いた。
私と母は、夜通し残るきでいると伝えたが、祖父の沈んだ様子と父の、積もるものもあるだろうから二人にしてあげよう、という気遣いに何も言えなくなり、ホットミルクをちびちびと飲むという細やかな抵抗を試みるだけ試みて、両親とともに祖父母の寝室から出ていった。
両親から、一緒の部屋で寝るか、と問われたがさみしさより恥ずかしさの方が勝り、大丈夫だから、と言って自分の部屋で眠ることにした。
大学に入ってから、一年半ぶりの私室で布団に横たわると、この家で祖母とともに過ごした半生が頭をよぎった。