2-6 欲せよ、然すれば与えられん(ぬ)(その6)
分割しようと思ったけどキリが悪かったので長いですがお楽しみください。
――そして、右手の中の剣でアルフォンスの腹を貫いた。
「が、ふっ……」
衝撃がアルフォンスの全身を襲う。最初に異物感。次に熱。灼熱と剣腹部分の金属からの冷熱が綯交ぜになる。そして最後になってようやく痛みを脳が知覚した。
熱い血液が剣を伝っていき、雫となって零れ落ちていく。一つ、二つ。命が少しずつ削げ落ちていく。斬り裂かれた臓腑が血を吐き出し、込み上げてくる吐き気を堪え切れず、アルフォンスの口からもまた溢れ落ちていく。
「アルフォンスさんっ!!」
「もうね、うんざりなんですよ。ボスにも、そして坊ちゃんにも」
「なに、を……」
もう一度溜息を吐き、ウンザリしたように吐き捨てるダグラス。頭半分ほど高い位置からアルフォンスを見下し、対照的にアルフォンスは小さく震えながら眼を見開いてダグラスを見上げた。
「『汝、弱者から搾取するなかれ。人種、種族に眼を囚われるなかれ』。立派な理念です。感情を抜きにして見れば素晴らしい。人とは斯く在るべきと教えているようだ。何処かの聖書にも是非一文載せて欲しいと思います」
そこまで話してダグラスはアルフォンスに突き刺した剣を無理矢理に捻る。
「が…あっ……!」
「そして同時に思います。
――お前らは何て反吐の出るような世界で生きてきたんだろう、とね」
苦悶に声を発することも出来ないでいるアルフォンスの耳元に向かって囁くように、ダグラスは昏い瞳で吐き捨てた。殴るような勢いでアルフォンスの胸を突き飛ばし、その勢いで剣を引き抜く。傷跡から真っ赤な血が流れ、支えを失ったアルフォンスはそのまま仰向けに倒れた。
「幸せな事に坊ちゃんらは奪われなかったんでしょう。獣人達に大切なモノは何も。だから奴らに対して対等な感情で向き合える。含むもの無く、面と向かって真面目な顔してそんな理念を高尚な雰囲気を醸しながら臆面もなく言い放てるんでしょう。だが、俺らは違うんですよ」
「何が、だよ……っ!」
「俺らは奪われてきた」
光を失った宵闇の様な眼に憎悪が灯った。
「親を目の前で殺された。母が目の前で犯され殺された。友が食い殺された。幼馴染の首が跳ね飛ばされた。大切なモノが全て一瞬で奴らに壊された。俺だけじゃない。大人しく街中で暮らすでもなく、街を、国を守る兵士になるでもない冒険者や傭兵の多くは亜人達に大切な何かを奪われてきた連中です。魔物に対峙し、時に死の危機に瀕しながらも自らを鍛えあげるのはこの手で、この剣でアイツ等にも同じ思いを、奪われる者の絶望を味わわせる為だ。その為にこうして剣を握ってるんですよ。なのにボスも坊ちゃんもそんな俺らに対してご大層な理念を守らせようってしている。堪んないですよ」
「でも、あの子達にはそんなの関係ないじゃないですかっ!!」
気づけばトモキはダグラスに向かって叫んでいた。
トモキの裡に宿るのは同情と反発だ。相反する感情が激しくトモキの胸を焼いていた。
ダグラスの言葉に共感できてしまう。何故ならばトモキもまた奪われる立場の人間であるのだから。理不尽に貶められ、侮辱され、人の尊厳を無いものとして扱われた。まるで喋る塵芥であるかの様に見なされ、助けは来ず、助けも求められず、希望は無かった。周り全てが敵であった。そして彼らを殺してしまいたいと、全てをぶち壊してしまいたいと、それ程憎んでいるのだと森の中で自覚してしまった。
「トモキ、と言ったか。事実としてはお前の言った通りだろう。あの獣人の子供達は一切与り知らぬ事だろう。だが、そんな口が利けるのも所詮お前も大切な物を奪われた経験が無いからだ」
「それでもっ!!」
トモキとて理解している。ダグラス達の絶望と自分の喪失が同等のモノでないことくらい、簡単に理解できている。父も母も壮健であるトモキと彼らでは、抱いている想いは似て非なるものだ。いや、似てもすらいないだろう。
だからこそ反発できる。ダグラス達程絶望していないからこそ、それが間違っていると判断できる。熱さを微熱に留め、昏さが手を拱いている深淵の縁に留まり、トモキの中で育まれてきた倫理観が憎悪を抑えこむことができる。
「それでも……僕はあなた達の行いを認める事は出来ません。子供達が連れ去られるのを見逃せる様な、見て見ぬふりをする様な、そんな人間にはなりたくない」
ダグラス達の行いは、彼らと同じ様な人間を増やすのと同義だ。彼らが亜人達に大切なモノを奪われて憎悪に身を焦がしている様に、亜人達もまた人間に対して憎しみの火炎を滾らせる事になるだろう。それは悪夢だ。終わらない連鎖が連綿と続き、どちらかが、もしくはどちらも居なくなるまで争いが続く。いや、もうすでにその連鎖は連綿と続いてしまっているのだろう。
だからといって、それを続けて良いわけが無い。
「僕は……奪われる痛みを知ってる。だから、その痛みを他人に強いろうとは思えない」
「だとしてどうする? 俺達を止めるか?」
「……止めます」
「本気だとしたら狂気の沙汰だな。戦うだけの力も、覚悟も無いというのに」
嘲笑と憐憫の篭ったダグラスの言葉にトモキは反論しなかった。それは冷静に自身を顧みて反論するだけの材料を持たなかったというのもあるし、そもそも反論するつもりも無かった。
人を傷つけるのも傷つけられるのも怖い。それはトモキの偽らざる本心だ。誰かを救おうだなんて、そんな思いを実現出来るだけの実力もないし思い上がりも甚だしいと我ながら思う。ここで見ぬふりをして離れれば、自分は無事に逃げ出せる。そう思う。
けれども、それが出来なかった。してはならないと思った。ここで見て見ぬふりをすれば、それは自分をこの世界に突き落とした秋山ショウと同じになってしまう。それだけは、何を犠牲にしても避けたかった。
アルフォンスが傷つき、子供達の心にも新たな傷が刻まれようとしている。幼い彼らから全てが奪われそうになっている。自身の身に置き換え、その結末を想像する。そうした時、トモキ一人でここを逃げるという選択肢は消えていた。
「本気の様だな。
ニコラウスさん、改めてお尋ねしますが――殺しても構いませんね」
「ええ、勿論。私も今改めて考えました。直感ですがトモキさん、貴方をここで生かしておいては後々マズい事態になる。そんな気がしますから」
ダグラスが剣を構え、トモキも右手に持っていた剣を正眼で構える。手の震えはすでに止まっている。それを見てダグラスは先程の様に飛び込んでくるでも無く、ジッとトモキを観察して機会を伺う。それは周囲の男達も同様で、トモキを茶化す事も無く一人の敵として見定めていた。
重苦しい空気が張り詰める。誰が、いつ動き出すか。トモキは恐怖を抑えこんで油断なく三六〇度の空気に気を配る。一同の額に、頬に、緊張の汗が流れ始めた。
その時だ。
「ガキぃっ! 何やってやがる!!」
トモキの後ろに居た一人が突然怒鳴り声を張り上げた。全員が声の主に振り返り、そして指差す方へ注意を向ける。
そこでは荷馬車の中に居た一人の少年が、男達の眼を盗んで逃げ出そうとしている所であった。誰しもの注意が荷馬車と少年達から離れてトモキとアルフォンスに注がれていた。それはこの場での唯一とも言って良いチャンスであった。
しかし少年は運が悪かった。荷馬車から降りる際に手を掛けた扉は、最初にトモキが斬り飛ばされた際の衝撃で歪み、微かに触れただけで静寂な辺りに響くだけの音を立ててしまった。
気づかれた年端もいかない少年は走り出した。すぐに最も近い男の一人が追い掛け始める。
均衡が、崩れた。
意識が自分から離れたその一瞬をトモキは逃さなかった。
地面を蹴り、抉られた土が激しく巻き上がる。脇構えのまま、衝動に動かされるままに身を低くして、風となって駆け抜ける。
「隙を突いたつもりかぁっっっ!!」
だが視界の端に油断なくトモキの姿を収めていたダグラスは直ぐに反応を示す。
構えた剣を水平に薙ぎ、迫り来るトモキの首を狩らんとタイミングを合わせて振り抜いていく。
(怖い……! だけどっ!!)
魔技高の戦闘訓練でもトモキは負けてばかりであった。それはトモキが剣を誰かに向かって振るう事ができないからでもあるが、それ以上に相手の振るう剣の恐怖に負けて眼を瞑ってしまうことが大きな要因だ。
(眼を閉じるなっ! 前を見続けるんだっ!)
猛烈な勢いで迫りくる、自身の命を奪うための武器。しかしトモキの見開かれた眼には止まって見えていた。
(もっと……低くっ!)
姿勢を更に前傾。地を這う鷹の様に地面擦々まで体を倒し、後ろ髪をダグラスの剣が斬り裂いていった。
「何とっ!!」
ダグラスには脇目も振らず走り抜けた。腹から夥しく血を流していくアルフォンスを横目に見て、だが苦痛に藻掻いているアルフォンスは、疾走するトモキに向かって親指を立てた。
(ゴメンなさい、アルフォンスさん……っ!!)
怪我の具合を考えればまずはアルフォンスを助け出すべきかもしれない。しかしトモキは謝罪を心の中で叫んで一目散に少年に肉薄する男に向かった。
「この餓鬼ィッ! やっと捕まえ……」
「その手で触るなぁァァァッッッ!!」
男はその声に振り返る。だが、その時にはすでにトモキの肩が男の腹にめり込んでいた。
悶絶と苦痛の叫びを残しながら体当たりで弾き飛ばされ、地面を滑り転がりながら畑の中へと男は消えていく。その様子をトモキは肩で大きく息をしながら見送った。
「大丈夫?」
その場に座り込んでいた少年に手を伸ばす。犬の獣人らしい少年は白金の髪の間から覗く耳を真っ直ぐに立て、気弱そうな垂れ目を見開いてトモキを見上げる。しかし状況が把握出来ていないのか、あるいは人間であるトモキに警戒しているのか、伸ばされた手を取ることは無かった。瞳は不安で揺れ動き、トモキが覗きこもうとすれば然りげ無く眼を逸らした。それが彼の受けてきた状況を示している様で、トモキは辛かった。だがそんな感傷に浸る間もない。少年はトモキの後ろを指差した。
「舐めるな小僧ぉぉぉぉっっっ」
雄叫びを上げ、トモキの後を追ってきたダグラスの渾身の一撃がトモキ目掛けて振り下ろされる。一撃、二撃、三撃。一閃一閃が鋭く風を斬り裂き、右から左からトモキを切り刻まんと襲い掛かる。全てが疾く、そして重い。
それをトモキは必死になって受け止める。勢いに押され、後退しながらも冷静に剣筋を見極めて受け、その度に剣と剣がぶつかり合い、甲高い金属音を奏でる。
「ダグラスッ、加勢する!」
残りの二人も加わり、三人で連携を取りながらトモキに斬りかかる。流石にトモキも全てを捌き切れず、時折腕を掠り、髪先を掠める様な極限の対応が続きながらも少年から離れる様にして逃げていく。
「何をしているのですかっ!! さっさと殺してしまいなさいっ!!」
外で見ているしかないニコラウスが苛立った様に怒鳴りつける。ダグラス達はその言い様に苛立った様に舌打ちしながらも、トモキに対する攻勢を止めはしない。
「くっ……!」
避けきれなかったダグラスの剣先がトモキの頬を斬り裂いた。左頬に真一文字に傷が刻まれ、真赤な鮮血が夜空を彩る。
「オラァッッッ!」
剣戟の最中、トモキの意識が一瞬痛みに気を取られた瞬間を狙ってダグラスが回し蹴りを頭目掛けて奮われた。
ゴツッ。トモキは、頭蓋から鈍い音がしたのを聞いた。目の前が刹那に暗転。気づけば視界はタイヤの様に転げ回り、トモキの体は背中から馬車に強かに打ち付けられた。
大きく揺れる荷馬車。それと同時に馬車から幾つかの影が飛び出した。
犬の獣人の少年が二人、猫の獣人の少女が一人。このタイミングを好機と捉えたか、脱兎の如く、獣人らしい身のこなしで一目散に森の中へと駆けていく。しかし、まだ馬車の中では怯えた様に縮こまった少年少女が震えながらトモキを見ていた。
「早、く……逃げろっ……!」
揺れる視界の中でトモキは咄嗟に叫んだ。
それは怒鳴り声にも近かった。トモキに余裕は無く、直ぐ目の前には追撃を仕掛けるダグラス達が迫り来ていた。優しく促すには時間的にも心理的にも無理だ。らしくない言い方だ、と呟きながらトモキは右腕でダグラスの剣戟を受け止める。
「早くっ!! 早く逃げるんだっ!!」
「こ、こら! 待ちなさいっ!」
必死なトモキの防御に急かされて残りの少女たちも馬車から降りる。一番年長らしい少女が残りの少年の手を引き、その少年が年下の少女の手を引く。
ニコラウスが焦った様に制止の声を上げるが、当然その指示を聞くはずも無い。三人で一緒になって、最初に逃げた少年達とは別の方向へと走って行く。遠ざかるトモキの背中。年長の少女は黙って走りながら振り向き、その背中を見つめるも下唇を噛み締めて夜の山へと消えていく。
「は、早く追い掛けなさいっ! 逃げられたらどれ程の損失になると思ってるのですかっ! せめて料金分の仕事はしなさい!」
「好き勝手言ってくれるっ!」
ニコラウスの怒鳴り声に悪態を吐きながらも更にダグラスの速度は増す。小声で詠唱して身体能力を強化。薄くダグラスの全身が光に包まれ、胸元に小さな魔法陣が刻まれる。より一層ダグラスの剣が疾く、そして重くなる。
「ク……!!」
だがトモキも歯を食い縛った。頬に、手に細かい傷が増えていく。しかしそれでもトモキは屈しない。ダグラスを相手に防御一辺倒だが、決して一歩も退かずに逃げた少年達への追撃を留める。
「ここは俺一人でいい! お前らは逃げたガキ共を追い掛けろっ!」
ダグラスがトモキに対する攻撃の手を緩めずに残り二人に対して怒鳴りつける。それを受けて二人は剣戟の嵐から離れて先ほど逃げた少女達の方へと向かい始める。
させるか。トモキはダグラスから距離を取り、追いかけ始めた二人を更に追い掛けようとした。しかし――
「あ、れ……?」
トモキの膝が落ちる。振り下ろされたダグラスの剣はかろうじて受け止めたものの、その場に踏ん張りきれずに押し込まれ始めた。
「ガス欠……! こんな時にっ……!」
ニコラウスに拾われるまでトモキの体力は限界に近かった。食事を恵まれ、睡眠をとって多少の回復は図れたが前回には程遠い。ただでさえ大量の栄養を必要とする体だ。この刹那の肉体的にも精神的にも緊張と疲労を強いられる攻防を長時間続けられる程の体力はまだ取り戻せていなかった。
動きたくても動けない。ままならない肉体。普段は力が強すぎて足を引っ張る肉体が、今度は肝心な場面で裏切る。臍を噛むトモキに対して、ダグラスはほくそ笑んだ。
「手間取ったが、今度こそ終わりだ小僧っっ!」
一気に方を付けようと、自らのギアを一段高く上げようとダグラスは気合の雄叫びを上げた。トモキは受けきれなくなってきた剣の重さと悔しさに表情を歪ませる。
だが。
「なっ!」
ダグラスに飛び掛かる影があった。
それは少年だった。先ほどトモキが助けた犬の獣人。その彼がダグラスの腕に掴みかかり、小さな口を目いっぱいに広げて犬歯を突き立てていた。
「この……離れろっ!!」
ダグラスは腕を振るい、少年を振り払おうとする。だがしっかりと噛み付いた少年は離れずに必死に喰らいついていた。
「離れろっつってるだろうがっ!!」
「ギャン!」
剣を持たない逆の手で少年を殴り飛ばし、少年は悲鳴を上げて地面を転がっていく。
「あんたって人はぁっ!」
「犬っころの餓鬼を一匹殴っただけで何を熱り立ってる!!」
それを見てトモキは怒りを露わにして、力を振り絞ってダグラスに斬り掛かった。その一撃はダグラスの腕を深く斬り裂いた。
しかし致命傷には及ばず、またトモキの反撃もそれだけであった。
血を撒き散らしながらダグラスはトモキを蹴り飛ばす。砂埃が舞い上がり、馬車にぶつかって止まったところに更にダグラスが躍りかかった。
だが。
「させるかよぉぉっ!!」
響き渡る怒声。攻防は続けながら、トモキは横目で声の主を探す。
果たして、アルフォンスは立っていた。歯を食い縛って痛みに耐え、大きく見開いた目尻には僅かに涙が溜まっている。刺された腹部からは絶え間なく血が流れ、しかしアルフォンスは仁王立ちにてしっかりと地に足を踏ん張っていた。
「アルフォンスさん!」
「我、願う! 父よ、母なる大地の精霊よ!」
アルフォンスは手を大きく伸ばして天に掲げた。胸当ての下の、宵闇の中でも分かるほどに赤く染めたシャツを露わにし、しかし彼は叫ぶ。
「この身に宿る怒りに応えて我が前に立ち塞がりし敵に汝らの鉄槌を与えん!」
それは魂の叫びだ。怒声とも悲鳴とも取れるアルフォンスの声を聞き、ダグラスの剣に耐えながら思った。怒り、悲しみ、そして嘆き。果たして目尻に湛えられた涙は痛みか、それとも――。
掲げたアルフォンスの手の上に光が浮かび上がる。複雑な幾何学文様を湛え、辺りに光をまき散らしながら回転している。涙を浮かべた眼で、アルフォンスはニヤリと口端を歪めて笑ってみせた。
「まさかっ!!」
「『アース・バースト』ォォォッッッ!!」
そして叩きつける様にしてその両手を地面に振り下ろした。
次の瞬間、大地が光を放った。
振り下ろしたアルフォンスの手を中心として地面に魔法陣が移動した。魔法陣から瞬く間に光が地面をまるで雷の様に不規則な模様を描きながらトモキに襲い掛かるダグラスの方へと伸びていった。
「くぉぉっ!?」
ダグラスは瞬時の判断でトモキから離れた。形振り構わず身を投げ出して無様とも言える体勢で地面を転がった。
そして地面が爆ぜた。アルフォンスの手元を始点として次から次へと、あたかも地雷が爆発したかのように地面が迫り上がり、一直線上に土砂を撒き散らす。トモキの目の前を通り過ぎた爆発は爆風と土砂の雨をトモキに浴びせていく。
ダグラスは高速で進むその魔術をかろうじて避けた。だが、子供を追い掛けてアルフォンスに背を向けていた残りの二人はそうもいかない。アルフォンスの叫び声は耳に届いていたが、魔術に対して造詣も深くない二人は反応が遅れ、迫り上がった地面によって大きく空へ弾き飛ばされ、そして消えていく。
再び夜の静寂に包まれる辺り。トモキが眼を開けて腕をどけるとすぐそこには、深さ数メートルの溝が数十メートルの長さに渡って刻まれていた。
「へへ……どうだ、やってやったぜ」
アルフォンスは満足気にそう漏らし、息を切らしながらも笑ってみせる。
「……やってくれましたね、坊ちゃん。まさか魔術まで使える様になっているとは思いませんでした」
「へ、皆には内緒でずっと訓練してたからな。俺のとっておきだ。それとダグラス。二度と俺を『坊ちゃん』なんて呼ぶんじゃねぇ。反吐が出るぜ」
そう言い捨てると、アルフォンスはダグラスから目線を外さずにトモキに向かって声を張り上げる。
「トモキ、お前はそこに居るもう一人のガキを連れて逃げろ」
言われてトモキは急いで少年の姿を探す。「何処に」と周囲を見回せば一人、口元を血で汚した少年が何処か放心したようにトモキ達を見ていた。
「早くその子を捕まえるのです! せめて一人だけでも確保しなさい!」
ニコラウスが叫び、トモキよりも先にダグラスが動いた。
「させっかよぉ!」
だがアルフォンスがダグラスに向かって斬りかかる。怪我を感じさせない鋭い踏み込みで一瞬で肉薄し、ダグラスもすぐに剣を合わせて鍔競り合いになる。
「ここは任せて早くしろ、トモキ!」
「で、でも、アルフォンスさんの体が……」
トモキはアルフォンスの体を見遣った。腹の傷からは尚も血が流れ落ち、薄暗さの中で見えるその顔は蒼白だ。激痛が今もアルフォンスを蝕み、立っているのもやっとのはず。アルフォンスの本来の実力をトモキは知らないが、ダグラスとまともに戦えるはずもない。アルフォンスの方こそ一刻も早く治療が必要なはずだ。
彼の死がトモキの頭を過り、戦慄を覚える。アルフォンスを、ニコラウスと違い、本当の恩人を喪失するかもしれない恐怖がトモキを震わせる。ならば自分も加勢して、先にダグラスを倒すべきだ。そう判断したトモキは立ち上がって剣を握り直す。
「心配すんな」それを見たアルフォンスは笑ってみせた。「さっき回復薬を飲んだから直に傷は塞がる」
アルフォンスが倒れていた血溜まりを見れば、酒を入れておく様なスキットルが一つ転がっていた。この世界には回復薬なんて物があるのか、とトモキは少し安心して、しかし尚もアルフォンスに食い下がる。
「だからって、二人で戦えば早く勝てるはずです」
「一緒に護衛に参加した奴の姿がさっきから後二人くらい見えねぇ。たぶん、ここらの警戒に当たってるはずだ。お前だって本調子じゃねえんだろ? もしそいつらが戻ってくれば一気に不利になる。それに、ダグラスを舐めちゃいけねぇ。こいつは本来は守りの名手だ。二人で掛かったって防御に徹すれば幾らでも時間を稼げる」
ダグラスは無言でアルフォンスと競り続ける。否定も肯定もしないが、それが事実だとトモキも察した。
「それにな、これは俺達の氏族『怒りの鉄剣』の問題だ。裏切りを許すわけにはいかねぇし、俺達が、俺自身が解決しなければならねぇ類の問題だ。お前の力を借りたなんざ知れたら、それこそメンツは丸潰れだからな」
「メンツなんてそんなもの……」
「それ以上言ってくれるなよ? お前にとっちゃどうでもいい事が、俺らにとっちゃこの上なく大事なもんなんだ。
問答してる時間が惜しい。早く、早く行ってくれ……!」
振り絞るようにしてトモキを促すと、ダグラスは鍔競りを解除し、距離を取ろうとする。しかしアルフォンスはすぐに追撃し、重く、強い意思の篭った剣閃を加えていく。それをダグラスも平然と受け止め、受け流していく。
擦れ合う剣と剣が音を上げる。悲鳴にも似たその音がトモキを非難しているように急かしている様に聞こえた。アルフォンスの心の叫びに聞こえた。
トモキは強く右手の剣を握りしめる。
「……分かりました」
俯いてトモキは体を震わせながらそれだけを絞り出した。小声故にアルフォンスには届いていないだろうが、トモキは気にならなかった。目元を拭い、目の前の溝を跳び越えてアルフォンス達に背を向ける。走りながら、すれ違い様に座り込んだままでいる少年を体ごと左腕で抱え上げ、そのまま街道を元々来ていた方向へと向かう。少年はトモキの腕の中でされるがままになっている。
逃げる途中、トモキは立ち止まり、アルフォンスに向かって大声を張り上げた。
「絶対! 絶対……死なないでください……!」
その一瞬、アルフォンスは少しだけ振り返ってトモキの方を見た。微かに微笑み、それは本当に刹那、瞬間でしか無かった。
僅かな時間で見せたアルフォンスの笑顔。それはまざまざとトモキの眼に、脳裏に焼き付いた。鮮烈な印象を残したが、それが何故かはトモキは分からなかった。理解りたくは無かった。
だからトモキは走って逃げる。体力的に辛いが、それ以上にその場に留まるのが辛かった。吐き気を堪え、涙を流し、嗚咽を漏らしながら少年と二人で街道を駆ける。
トモキの姿が見えなくなる。アルフォンスはそこで剣戟の手を休め、ダグラスから距離を取った。
「……分かりませんね。どうして昨日出会ったばかりのあの少年をそこまで気に掛けるのか」
「さあな。俺にも分かんねぇよ。てか、お前が何言ってんのかもさっぱり分からねぇな。俺はただ単にテメェのケツはテメェで拭くのに邪魔だからトモキを逃しただけだぜ?」
「本当に、格好つけるのが好きな親子だ」
「放っとけや」
「でも、そういう所が好きなんですよ。俺も、氏族の皆も」
「よせよ。野郎に好かれるなんざ気持ち悪くて構わねぇよ」
「だからこそ、尚更残念です。親子揃って進むべき道を間違えてしまったのが」
「間違ってなんざいねーよ」アルフォンスは胸を張った。「俺も、親父も、進むべき道を間違えたなんざ微塵も思ってねぇ。それだけは断言できる」
アルフォンスの腹から流れる血は止まらない。顔色は既に土気色に変わり、もはや限界を迎えているのは誰の眼にも明らかだ。それでもアルフォンスは膝を屈しない。
「ならばもうこれ以上語り合う事はない。せめてもの慈悲だ。一撃で楽にしてあげます」
「おお、かかって来いや。アルフォンス・"来るべき英雄"・カブラスを簡単に殺せると思わねぇことだ」
アルフォンスとダグラスの二人は剣を構えて向かい合う。月を隠す曇はいつしか厚くなり、今にも雨が降り出しそうなまでに涙を湛えていた。
「いくぞぉぉぉぁぁっ!!」
どちらとも無く地面を蹴る。十メートルは離れていた距離が、一瞬でゼロへと減じた。
「あああああああああああああぁぁぁっっっ!!」
「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!」
互いに雄叫びを上げながら渾身の一撃を奮う。振り下ろした剣と振り上げた剣が交差する。
そして、鮮血が舞った。
雨が降り始める。静まり返った夜の田舎道に、激しく地面を叩く雨音がどこまでも鳴り響く。
その中で馬車が夜道を駆け抜けていく。荷馬車が数台連なっている。その最後尾の馬車の中には荷は積まれておらず、半ば以上壊れた扉がフラフラと揺れていた。
悪路の中を馬車は進んでいく。車輪が段差にぶつかり、荷馬車全体が大きく弾んだ。
その衝撃で扉が外れ落ち、泥濘んだ道の中を転がっていく。そのまま馬車は走り去って行く。その後に続くものは誰一人として居らず、いつまでも土砂降りの雨が外れ落ちた扉を濡らしていた。
お読み頂きありがとうございました。
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今回長くなったので、次回の投稿は12/6頃になると思います。