表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/44

4-21 君、死に給う事勿れ(その21)(完)

土日で一気に最後まで投稿します。

4-18が最初ですので読み逃しが無いようご注意下さい。


土曜から4話目の投稿になります。



「メアリーっ!!」


 一人の青年が聖女の名を叫んだ。白銀の鎧に身を包み、臙脂のマントを纏った彼は呼吸に肩を上下させながら彼女の姿を探す。そして、トモキの足元に横たわるメアリーの姿を認めた。


「……うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」


 雄叫びを上げながら勇者はトモキに襲い掛かった。その身に宿る膂力を怒りで増幅させ、恐ろしい速度でトモキに肉薄。鮮やかに輝く剣でトモキを斬り裂かんと振りぬいた。

 しかしトモキは慌てる事無く落ち着いて跳躍。後ろに退いて距離を取った。鋭い斬撃が空を斬る。

 追撃にトモキは備える。だが勇者からの攻撃は止み、彼は亡骸となった聖女の体を抱き起こしていた。


「メアリィっ……!」


 悲痛な声で名前を呼ぶ。だが当然彼女からの返事は無い。周囲を見渡せば護衛として付いていたザンガー、エドモンドの二人も無残に損壊した遺体となっている。

 勇者は物言わぬ骸となった彼女に縋りつく様に顔を押し付け、泣き声が漏れていく。それを聞いてトモキは、彼と彼女の関係を察した。


「――神代君」

「久遠……っ!!」


 赤く腫れ、泣き濡れた双眸を憎しみに変え、勇者――神代ユウヤは、メアリー(最愛の人)を殺害したであろうトモキを射抜いた。


「……久し振りだね。やっぱり神代君もこっちに飛ばされていたんだ。無事だったみたいで何より」

「お前がメアリーを……っ?」

「……うん、そうだよ。彼女も、それからそこに転がっている二人もね」


 問われ、トモキは誤魔化す事無く正直に答えた。

 途端、メアリーの傍らからユウヤの姿が消え、次の瞬間には彼の拳がトモキの頬にめり込んでいた。

 殴り飛ばされたトモキは、森の中へ吹き飛ばされていく。茂みの小さな枝をへし折りながら十数メートルに渡って転がっていく。だがトモキは頬を擦りながら起き上がると何事も無かったかのように歩いて元の場所に戻ってくる。


「やっぱり、痛いなぁ……」

「お前はっ……お前だけは絶対に許さないっ……!!」


 ユウヤの身を焦がしているのは憎しみだ。召喚されてから常に共に行動してきたメアリーとの記憶が憎しみの炎に()べられ、耐え難い衝動としてユウヤを駆り立てる。

 憎悪の視線を向けられ、しかしトモキは薄く、泣き笑いを浮かべた。


「うん、いいよ。僕も――許すつもりなんてないからさ」


 一歩目はどちらからだったか。互いに地面が砕ける程の強い踏み込みで互いに駆け寄り、剣をぶつけ合う。

 剣同士がぶつかり合う金属音が夜の帳が落ち始めた山に響く。黒い線と赤い線が何度もぶつかり、その度に地面が砕け、森の木々が切り落とされていく。

 相手が振り下ろせば一方は下から振り上げる。横薙ぎにすれば逆から横薙ぎに。鋭い突きが射抜こうとすれば受け流し、返す刀で相手の首を切り落さんとする。

 幾合切合わせただろうか。雨は降り止まず、益々その勢いを増していく。

 やがて鍔迫り合いとなって二人の動きが静止した。


「どうして彼女を、メアリーを殺したっ……!? 以前のお前は誰かを傷つける様な奴じゃなかったのに……!」

「へえ、殆ど話した事なかったのに良く見てるね」


 互いに隙を伺いながらもユウヤは言葉を絞りだす。歯を食い縛り、呈される疑問に対し、トモキは感嘆してみせる。


「確かに僕は恐れてた。誰かを傷つける事を怖がってたよ。

 僕はね、小さい頃から異常に力が強かった」当時を懐かしむ様にトモキは眼を細めた。「幼稚園児なのに簡単に意思を指先で押し潰したり、魔術も使えないのに小学生の時には簡単に家を飛び越したりできたんだ。異常だよね? 今なら僕でもそう思うけど、当時はそんな事考えもしなかった。上手く制御できてたつもりだったし、自慢でもあったんだ。僕はこんな事が出来るんだって。

 だけどある日、親友と呼べる友達を僕は――殺しかけてしまった。ちょっとした喧嘩だったんだけど、つい本気で掴みかかってしまったんだ。それでも僕としては少し力を込めたぐらいだったんだけどね。そんなわけでずっと忘れてたけれど、それ以来僕は僕を恐れて力を手放して、誰かと争う事を止めた。誰かの言いなりになって、いつの間にか全てを忘れてそんな生活が当たり前になってしまった」

「そんなお前が何故っ……」

「今の神代君と同じだよ」


 少しトモキは力を込めてユウヤを押し返した。ユウヤがバランスを崩し、出来たその隙を突いて左拳をユウヤの胸元に叩きつける。それだけでユウヤの体は地面と平行に吹き飛び、押し潰された肺は呼吸を妨げる。

 しかしユウヤは脚を押し付けて勢いを殺し、意志の力で持って強引に地面を蹴る。そして再びトモキに斬りかかった。


「俺と同じだと!?」

「そう。神代君はあの女の人を殺されて僕が憎い。そして僕は、彼女達にセツを殺されて憎かったから、だから殺した」

「セツ――あの女の子か!?」


 樹の下でトモキ達を見守るかのように座らされている、血に濡れた幼女の姿をユウヤは見た。


「あの子は吸血種だぞ!」

「そんなの、関係ないよ」


 ユウヤの目の前からトモキの姿が消えた。そして背中に衝撃。頭上からのトモキの蹴りが突き刺さり、ユウヤの体は激しく地面に叩きつけられた。


「がはっ!」

「僕は――彼女を愛していた」


 立派なマントが泥に汚れ、臙脂色(高貴の証)が茶色に染まった。


「彼女はこの世界でやっと見つけた僕の『家』だったのに、君らが奪った。独り善がりのくだらない理由で」

「彼女を……侮辱するなぁっ!!」


 ユウヤは泥を握りしめ、トモキの顔目掛けて投げつけた。左頬から目元に掛けて泥が覆い、一瞬トモキの視界を半分だけ奪った。

 ユウヤは体勢を立て直すために一度トモキから離れた。その間際にトモキの足目掛けて足払いをし、トモキの体が宙に浮く。トモキは直ぐ様反応し、片手を突いて後転して体勢を整えた。その間にユウヤは飛び上がり、頭上からトモキを見据えた。


「彼女は……与えられた役目を忠実にこなそうとした! 実際、多くの人が彼女に勇気づけられ、生きる気力を取り戻してきた! 戦いで挫けてしまった人達を、再び立ち上がらせてきたんだ!!」


 魔素が励起し、ユウヤとトモキの間に魔法陣が展開される。


「だけどその中には人間以外は入ってない」

「多くの人が亜人に苦しめられている現状を見ていないからお前はそんな事を言えるんだよっ!! ……『アイシクル・ブリザード』!」


 詠唱を破棄した熱・空間複合魔術がトモキを襲う。弾丸の様な氷の刃が無数に出現し、降りしきる雨を凍りつかせながら渦を巻いて吹き荒ぶ。

 トモキは一旦後ろに跳躍し、魔術の範囲外へ避難した。そして範囲ギリギリ外側を巻くようにしてユウヤに接近していく。


「じゃあ神代君はどれだけ獣人達が人間を憎んでいるかを見てきたのかよ!」

「彼女が俺を救ってくれた! こんな世界の戦いに、善も悪も無い! なれば俺は、俺が力を貸したい思った方に付く!!」


 ユウヤは詠唱を破棄した『浮遊魔術(ウィンディア)』にてトモキを引き離しに掛かる。


「俺達は神じゃない! 誰も彼も助けるなんて出来やしない! 現に俺はメアリーを救えなかった……。教会の思想に侵されていた彼女を……助ける事が出来なかった……! それでも俺は助けたかったっ! だけど、選ばなければならないのならば、俺は助けたい側に付く!! 彼女が救いたかった人間側に! これまでも、これからも、だっ!!」

「……僕には分からない!」


 トモキはユウヤを追いかけ跳んだ。その最中、トモキの胸中に去来する想い。

 虐げられた元の世界。この世界に来て初めて騙された人は人間だった。そして助けてくれたのも人間だった。

 人としての優しさを思い出させてくれたのは獣人だった。その獣人を殺したのもまた獣人だった。

 愛してくれたのは亜人だった。大切な、大切な亜人だった。彼女はもう、この世には居ない。

 果たして、何が違うのか。人間と亜人で何が違うのか。


「僕には分からない……」

「エゴ・スペラ・エオ・ヴュッセル・ウム・ゲル……」


 詠唱がユウヤの口から紡がれる。これまでで最大量の魔素が集まっていき、励起されて熱を帯びていく。描かれていく魔法陣の発光が強くなり、幾本もの巨大な氷杭が形作られていく。鋭い刃が刻まれ、それでもトモキは臆する事無くその光目掛けて突っ込んでいく。


「何も違わない……!」


 誰もが優しくて、誰もが冷たい。誰もが悪になり、誰もが善になる。人間と亜人で、そこに区別は無い。

 そこに区別があるというのなら。


「そんなものを神が作ったというのなら――」

「『フリィィズ・ブラァストォォォ』っっっ!!!」


 氷の杭が一斉にトモキに向かって高速で射出された。放たれるや否や、直ぐ様内部から爆発したように杭が弾け、夥しい数の小さな氷の刃がトモキの行く手に立ち塞がった。ホーミングミサイルの様に高速で四方へ展開し、上下前後左右全てからトモキ目掛けていく。

 だがトモキの「眼」は全てを捉えていた。演算が無意識下で高速で行われ、トモキにだけ(・・)見える魔法陣が展開。周囲の空気を超高密度で圧縮し、解放。空気は暴力的な不可視の刃となって全ての氷の弾丸を砕いていく。


「僕が――」

「なっ……! 魔術だと……!?」


 更に突風はトモキの背を押し、驚愕に染まるユウヤの眼前に一瞬で肉薄する。

 トモキは剣を振り上げた。


壊してやる(反逆する)っ!!!」

「ぐああああぁぁぁっ!!」


 振り下ろした刃はユウヤを斬り裂く。左目から右脇に掛けて鎧をもろともせずに鋭く傷つけ、血が噴き出る。

 しかし、浅い。


「くっ……『マジカル・クラウド』!」


 ユウヤはとっさの判断で自分とトモキの間で雲を発生させた。トモキの視界を奪い、ユウヤ自身も上手く着地できずに背中を強かに打ち付けた。呼吸が一瞬止まり、しかしそれでもユウヤは痛みを堪えてすぐに起き上がるとメアリーの所へ駆け寄り、その亡骸を抱え上げると村の方へと逃走を始めた。


「久遠っ!!」


 ユウヤは雲の向こうにいるであろうトモキに向かって声を張り上げた。


「お前は絶対に俺が殺す! 何処へ逃げようとも、何年、何十年掛かろうと絶対に殺してやる!」


 負け惜しみに聞こえる事は承知の上だった。事実、ユウヤはトモキに敗北したのだ。腕の中で動かないままのメアリーの重みに、仇を取ってやれなかった悔しさにユウヤは歯噛みする。腸が煮えくり返る思いだ。それでもユウヤはこの場は敗走を選んだ。体勢を立て直し、もう一度自らを鍛えあげてトモキをこの剣が貫くために。


「だから死ぬな! 絶対に俺以外に殺される事は許さんからなっ!!」


 「死ぬな」。奇しくもそれはセツがトモキに残したものと同じ言葉。トモキは雲の向こうからユウヤのセリフをただ黙って聞いていた。

 やがてユウヤの姿がトモキが知覚出来る範囲から外れる。纏わり付いていた雲をトモキは剣を横に一振りすることで吹き飛ばし、また見慣れた景色が戻ってきた。しかし全く同じ景色は、セツが居ない以上もう二度と戻らない。


「絶対……死ぬもんか……」


 そう呟くと同時にトモキは膝から崩れ落ちた。剣を地面に突き刺し、それを支えとして何とか堪える。

 項垂れた視線の先に赤い雫が二、三滴落ちた。トモキが鼻に手を遣ると、その指先に真っ赤な血が付いた。酷い頭痛が襲い、トモキは顔を顰めた。

 トモキは仰向けになる。大の字になって黒い空を見上げ、その顔を雨は容赦無く打ち据える。だが風の流れを感じ取る限り、もう数時間もすれば雨は止むだろうと思った。

 眼を閉じて大きく息を吸い、吐き出す。胸が大きく上下し、トモキは瞼を半分だけ開いた。


「……疲れたな」








 夜が二つ明け、トモキは山奥の家を出た。背嚢に食料を詰め込み、余ったスペースにはセツが普段着ていた真っ白な着物を丁寧に畳んで入れた。布団の枕元にあった、一昨晩に描いた絵を一枚だけ折ってポケットに押し込み、もう一枚は家の壁に貼り付けてきた。

 セツの遺体はシオの隣に埋めた。二人は直接会った事は無いが、セツの事だ。きっと大切に可愛がってくれるに違いない。彼女の傍に入ればシオも安心して眠れるだろう。夜中に穴を掘りながらトモキはそう願った。

 すっかり草臥れた魔技高の黒い制服と頑丈なブーツに身を包んで山道を降りる。

 トモキはシエナ村へ向かった。門には誰も居らず、しかし目抜き通りは先日と比べると幾分活気が戻っていたようだった。少なくとも、道を歩く人達の顔に暗さは無い。


「ジョセフさん」


 トモキは肉屋へと脚を運ぶと大将の名前を呼んだ。奥で解体作業をしていたらしいジョセフは、大きないつもの肉切り包丁を手に現れ、トモキの姿を認めて破顔した。


「おう、トモキ! 聞いてくれよ! こないだオメェに貰った薬を飲んだらよ、ウチのカカァが見る見る内に元気になったぜ!」

「それは良かったです。今はどちらへ?」

「ああ、寝込みっぱなしだったからな。念のためまだ奥の部屋で休ませてるがよ、まあもう心配はいらなさそうだ」

「アンタっ!! 客とお喋りもいいけど、しっかり商売もするんだよっ!?」


 ジョセフの妻だろう女性のビリビリとした怒鳴り声が響き、思わず二人して身を竦めた。そして互いに顔を見合って小さく笑う。


「……な?」

「……みたいですね」


 二人して苦笑いをしながら頷き合い、そこでトモキは「そうだ」と背中の荷物を下ろすと、大きな袋を取り出してジョセフに差し出した。


「なんだ、こりゃ?」

「薬です。セツが最期に作ってたのも合わせて保管されてたのを集めて持ってきましたから、村の人に配ってあげて下さい」

「おいおい最期って……まさか、セツ様は……!」


 ジョセフは言葉を失い、トモキは曖昧に、だが悲しそうに笑った。

 沈痛な面持ちで空を仰ぎ、大きな手で顔を覆うジョセフ。しばらく言葉も無く目元を隠していたが、不意に大きく息を吐き出すとトモキの手から袋を受け取った。


「……悲しいが仕方ねぇ。俺の親父とお袋が若ぇ時から世話になってたって言うもんな。いつか人は死んじまうもんだ。

 分かった。この薬は俺が責任を持って村の連中に配ってやるよ。

 ところでトモキ、おめぇはどうすんだ? 荷物を見りゃ……村を離れるんだろうが、何処に行くんだ?」

「そうですね……」店先で吹く暖かい風を感じとり、トモキは言った。「暑い季節が近いみたいですし、北の方に行ってみようかと思います」

「当てはねぇのか?」

「元々根無し草なので。あ、でもセツの家を故郷だと思ってますから、いつかこの村にも戻ってきますよ」


 笑いながらそう告げると、トモキはジョセフに「薬、お願いしますね」ともう一度頭を下げてその場を辞した。それにジョセフも「おう、任せとけ!」と気前よく応じてやる。

 トモキの姿がジョセフから見えなくなり、小さく息を吐き出すとジョセフは自分の顔ほどもあるサイズの袋を掲げてみた。


「当分は何とかなるだろうけどなぁ……こりゃあこれからは今まで以上に体にゃ気を遣ってやんなきゃなぁ」

「た、大変だぁ!!」


 村の奥の方から一人の青年が騒ぎながら大通りの方へ向かって走ってくる。ヨハンだ。血相を変えて、ひどく狼狽えた様子に胸騒ぎを覚えながらもジョセフは彼を呼び止めた。


「よう、ヨハン。んなに慌ててどうしたよ?」

「たたた大変なんだよ、ジョセフのおっさん!! 大変なんだ!」

「はいはい。大変なんは分かったからよ。一体何が大変なんだ?」

「ふぇ、フェデリコさんが……フェデリコさんが……!!」






 村を出たトモキは、ジョセフに告げたように北へ独り向かった。

 何処へ行くにもアテの無い旅。セツの家に住み続けることも頭を過ったが、今のトモキにはあの家に居続けることは辛すぎた。

 人目を避け、街道を外れて木々生い茂る森や山の中を歩き続ける。食料を節約するため一度の食事の量を減らし、空腹に苛まれる毎日だったが、おいそれと町に入れないトモキではやがて食料は底を着く。

 落ちていく体力。時折朦朧とする意識。途中で見つけた山菜や木の実を食べて飢えを凌ぎながら旅を続ける。頬は痩け、まるで光を求めて彷徨う屍人(グール)の様になりながらもトモキは脚を止めない。いつか、自分にとっての希望に出会うことを信じて。


「……お前が久遠トモキで間違いないな?」


 途中で指名手配されているトモキを見つけ、冒険者や傭兵、賞金稼ぎがトモキに襲いかかるが、ふらふらながらもその全てを撃破し、進んでいく。しかし、その戦いの度にトモキの体力は消費され、満足に動かない体は傷を少しずつ増やしていく。



 そして――



「あ――」


 雨が降り続く中、トモキは道に倒れ伏した。必死に剣を地面に差して起き上がろうとするが、最早限界を等に超えていた。真っ直ぐに剣を立てることすら敵わず、前に進もうと藻掻く指先は虚しく泥をその場で掻くだけだ。

 すでに夜の帳が落ちようとしている頃合い。何処をどう歩いたのか記憶に無いが、どうやら町に近いだろうことは分かった。僅かに上がった顔の先には、煌々とした人家の明かりが幾つも灯っているのが見えた。しかし、距離はまだそれなりにあり、またトモキが自力でこれ以上先に進むことは出来そうも無かった。


「死ぬな、か――」


 頭の中で反響するセツの声。それを受けてトモキはもう一度立ち上がろうとする。せめて、あの町までは辿り着きたい、と。

 だがその意志に反して体は動かない。半ばまで立ち上がったが、すぐに為す術なく水溜りの中に身を沈めてしまう。


「……ごめん、もう無理かもしれない」


 水溜りに、真っ赤な髪をした男の姿が微かに映った。泥に塗れ、ガリガリに痩せ細った酷い顔だ。トモキの口から思わず自嘲する笑いが零れた。それを最後に瞼が閉じていく。

 暗くなっていく視界。叩かれる雨に混じって涙が滲んだ。

 瞼が完全に閉じきろうとした、その瞬間、声が聞こえた。


「……ンだよ、行き倒れかぁ?」


 やや喉が枯れた様な低い、女性の声が聞こえた。最後の力を振り絞ってトモキは瞼を開くと、長袖の白っぽいシャツを捲り上げた女性がしゃがみこんでトモキの顔を覗きこんでいた。


「ちょっと! いきなり走りださないでって……あら、どうしたの、そんなとこでしゃがみこんで? ……大変! 酷い怪我してるじゃない!」


 そして別の女性の声。


「もしもーし、お前、生きてっか?」

「ちょっと! 怪我人をペシペシ叩くの止めなさいっての!」

「へいへい」


 薄暗い中でもはっきりと分かるくらいに真っ赤な髪。それを見て、トモキは不思議と安心感を感じていた。


(僕と……同じ髪……)


 胸を満たしていく安らぎ。嬉しさが心に灯り、穏やかな表情を浮かべるとそのままトモキは眠りに就いた。


「あーらら、死んじまったか?」

「んなわけ無いでしょうが! ほら、さっさと家に運ぶわよ!!」

「って! 分かった、分かったから人の頭をさっきからパカパカ叩くなよ、ミーナ!」

「アンタがバカな事ばっかり言うからでしょ!」


 頭を擦りながら赤髪の女性は、ぶつぶつと不平を漏らしながらも細い腕でトモキの体を掴むと容易く持ち上げて肩へと担ぎあげた。


「しゃーねぇ。んじゃちょっくら家まで運んでくっから、ミーナはドクターを呼んできてくれ」

「オッケー! じゃあ頼んだわよ――ミサト!」


 息の合ったやり取りを交わすと二人の女性は町に向かって走りだした。

 その肩の上で、トモキは寝息を立てる。まるで、セツの胸に抱かれて泣いた時の様な暖かさに涙しながら。







To be Continued...



これにてトモキの異世界譚は一旦終わりになります。


ここまでお付き合いくださいました皆々様、感想にて忌憚の無い意見を下さった方々、本当にありがとうございました。心より感謝致します。

またの機会もお付き合い頂けるなら、その際は宜しくお願い致します。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ