4-19 君、死に給う事勿れ(その19)
土日で一気に最後まで投稿します。
4-18が最初ですので読み逃しが無いようご注意下さい。
本日2話目の投稿になります。
「フェデリコさんっ!」
家に辿り着くや否や、トモキはフェデリコの家の戸を思い切り押し開けた。扉に付いた蝶番が悲鳴を上げ、壁にぶつかった戸が軋み音を立てる。フェデリコの断りも無く勝手に家の中に立ち入り必死の形相でトモキはもう一度フェデリコの名を呼んだ。
「何処ですか、フェデリコさんっ!! 薬を持ってきましたっ!」
だが返事は無い。ならば隣のアイリスの家か。チッと舌打ちをしてアイリス家へと飛び出していこうとしたトモキだったが、外に向き直った時、家の奥の方で扉が開く音が耳に届いた。
振り返るトモキ。そこに人の姿は無く、しかし奥の部屋からは人の気配がした。足早に奥へと進み、エントランスと部屋を繋ぐ戸を押し開けて入っていく。
「フェデリ……コ、さん?」
部屋の中にフェデリコは居た。彼に呼びかけようとし、しかしトモキはその姿を見て言葉を失った。
常に身の回りを小奇麗にしていたフェデリコだったが、今の彼の髪はボサボサに乱れ、目が窪んだ様に深い隈が出来ている。顔色も悪く頬に影が出来て、まるで一晩で別人の様になっていた。
「……ああ、何だ、トモキか」
「……どうしたんですか? 一体何が……」
明らかに様子がおかしい。トモキは怪訝な顔をし、しかしフェデリコはヨタヨタと覚束ない足取りでトモキの横を通りすぎていく。流しで顔を洗い、疲れたように溜息を吐く。そして台所の椅子に座ると、テーブルの上に置かれていた酒瓶を掴むと勢い良く中身を呷るが、寝起きの喉に障ったか、すぐに咳き込んだ。
「ああ、ほら! そんな飲み方するから」
「うるさいな!……放っておいてくれよ……」
一度声を荒らげ、しかしすぐに勢いを失って酒瓶を傾ける。その酒に溺れる姿にトモキは衝撃を受け、アイリスの身に最悪が起きた事を想起させた。
確認するのが怖い。だが、確かめないわけにはいかない。トモキは右手の中に握った薬の包みがクシャリと音を立てるのを聞いた。
「あの、フェデリコさん。これを……」
「あ? 何だよ、一体……」
フェデリコは差し出されたトモキの掌の上から乱暴に包みを取り上げると、怪訝に見つめた。トモキは半ば呆れを浮かべて言った。
「何って……薬ですよ」
「おいおいからかうなよ」フェデリコは鼻で笑った。「治癒魔術でもダメだったんだ。薬が効くはずが無いじゃないか」
その言い草にトモキは顔を顰め、苛立ちを浮かべる。
「……セツの事を信用してないんですか?」
話を聞いたセツが徹夜で作った薬だ。試す前から否定されて腹立たしい想いが胸を占め、言い放つトモキの声は冷たい。それを感じ取ったか、フェデリコは口ごもった。
「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
「なら早くアイリスさんに飲ませてあげて下さい。セツが作ったんだ。きっと効くはずです。何があったか知らないですけど、アイリスさんはまだ苦しんでるんでしょ? こんな所で飲んだくれてる場合じゃない」トモキはフェデリコの手から薬を取り上げると、フェデリコに背を向けた。「フェデリコさんが信じないなら結構です。僕が飲ませてきます」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
慌ててフェデリコは立ち上がり、トモキを呼び止めた。テーブルに両手を突き、俯いて何もないテーブルの上を見つめながらフェデリコは尋ねた。
「……本当に、効くのかい?」
「当たり前じゃないですか。セツを誰だと思ってるんですか? 僕よりもフェデリコさんの方がセツの薬の効果は知ってるはずです。長い付き合いなんでしょう?」
何を今更、とばかりに溜息がトモキの口から漏れる。フェデリコは俯いたまま静止していたが、不意に顔を上げると慌てた様子でトモキから薬を取り返す。そして椅子にぶつかりながらも部屋から飛び出していった。
その様子を見ていたトモキはもう一度嘆息し、自分もアイリスの所へ行こうとしてふと流しに使われたままのカップが二個置かれているのに気づいた。一個は何の変哲も無いものだが、一方は見た目からして随分高級そうだ。恐らくは客が来たのだろうと推測し、そこで何かを言われたのだろうか、とトモキは先程のフェデリコの様子を思い出した。
「……アイリスさんは助からない、と言われたとかかな?」
近隣の村や町の医者に相談していてもおかしくない。もしかしたら遠方にも依頼していたのかもしれない。そこまで考えてトモキは先ほどフェデリコが治癒魔術、と口にしたのを思い出した。そしてジョセフも。ということは昨日やって来たという「勇者様」がアイリスにも治癒魔術を掛けて、しかし結果が出なかったと言う事か。
「治癒魔術はそこまで万能じゃないはずだけど……」
トモキの知るそれは、怪我には有効性が高いが病気には大して効かなかったはずだ。だが異なる世界の魔術だ。トモキの世界の魔術とは効果も微妙に異なるのかもしれない。
トモキは手にとったカップを流しに戻すとフェデリコの家を出た。そして隣のアイリスの家へ入る。入り口のドアは、恐らくフェデリコがそのままにしてしまったのだろう、開けっ放しでトモキは苦笑した。
「フェデリコさん、どうでした……か……」
ドアをキチンと閉め、中に居るであろうフェデリコに声を掛ける。だが、振り返ると同時にトモキの声は尻すぼみに小さくなっていった。
部屋の中ではフェデリコがアイリスの体を抱き上げてキスをしていた。唇を重ね合わせ、その場だけ時間が止まったかのように静止していた。その光景を見て、トモキは見る見る間に顔を赤らめて、アワアワと口をパクパクさせながら慌ててソッポを向いた。
(こ、婚約者なんだからおかしくないし……)
そう嘯いてみるも自分の顔が熱を持ったままなのが自覚できる。戸のガラスに薄っすらと映る男の頬が赤く染まっていた。眼を逸らしてみても二人が口づけしていた景色が頭の中から離れてはくれない。そして、何故だかその景色の中の男女の姿がトモキとセツの姿に入れ替わっていく。トモキは猛烈な勢いで頭をブンブンと振った。
(何を考えてるんだよ、僕は!)
実年齢ではお婆ちゃんと孫。そして見た目では犯罪の匂いしかしない。
(って、そうじゃない!)
そもそもセツと自分はそんな関係では無い。セツはトモキを家族と思ってくれていて、トモキもまたセツをこの世界での新しい家族だと考えている。だがそこに家族以上の感情は無い……はずだ。
「……何やってるんだよ、トモキ。そんな所で」
煩悶として一人百面相をしていたトモキだったが、トモキの存在に気づいたフェデリコが不思議そうに声を掛けてきてやっと我に返った。慌てる必要も無いのに何故か慌てながらもトモキが振り返ると、フェデリコはアイリスをベッドに再び寝かせていた。
何でもない、と手を振って咳払いをし、トモキはフェデリコの隣に立ってアイリスを見下ろした。
「……どうですか、様子は?」
「そんな直ぐに変化が現れるわけな……い……?」
尋ねるとフェデリコは呆れた風にトモキを見遣る。アイリスから一度目を離し、だが再度横たわるアイリスを見下ろして言葉を失った。
苦しげなアイリスの様子は変わらない。顔は発熱で赤らんで、意識はまだ戻ってはいない様だ。だが、乾いていた額に汗が滲み始めていた。薄っすらと汗ばみ、それは見る見る間に玉のように大粒へと変わっていく。急いで布を取り出したフェデリコが拭きとるが、どんどん滲み出て止まるところを知らない。
「フェデリコさん!」
「あ、ああ!」
明らかな変化。苦しげなのは変わらないが、浅かった呼吸に生気が戻り、そしてそれを象徴する様にアイリスの瞼が動き始めた。
「アイリス!」
強く呼びかける、声。フェデリコの呼びかけに、アイリスの瞼がゆっくりと開いていった。
「フェデ、リコさ……ん……」
途切れ途切れの声。それを聞いた途端にフェデリコは泣き崩れた。アイリスの体に抱きつき、顔を首元に埋めて嗚咽を漏らし始めた。
「う……あ……アイ、リス……!」
「フェデリコ……さん……」
もう一度名を呼び合い、涙を流すフェデリコの背に、アイリスは手を震わせながら伸ばして抱き締め返す。トモキはその姿を見ながら微笑み、そっと目元を拭う。
「フェデリコさん。嬉しいのは分かりますけど、もう少し休ませてあげましょう」
「あ、ああ……そうだね」
トモキが肩を叩いてフェデリコを起こす。フェデリコは涙で潤んだ瞳でアイリスを見つめ、優しく頭を撫でてやる。アイリスは虚ろな瞳ながらもフェデリコを安心させる様に笑い、また眼を閉じると、程なく穏やかな寝息を立て始めた。
その姿をフェデリコはじっと見つめていた。慈しむ眼差しで、飽きること無く永遠に見つめていそうだ。しかし不意にフェデリコはアイリスから眼を離すと空を仰ぐようにして眼を瞑り、苦悶とも言える表情を浮かべた。
「フェデリコさん? どうしました?」
「……ごめん、少し僕も疲れが出たみたいだ。来てもらって申し訳ないけど、しばらく独りにしてくれないか?」
椅子に座り、呆けたように背もたれに体を預けると両手で顔を覆い、溜息を大きく吐き出した。その視線は何処か遠くを見ているようだった。
急変したフェデリコの様子にトモキは異変を感じた。何故だか危うさを感じさせた。アイリスの体調が持ち直したというのに、一体どうしたのだろうか。堪らずトモキは声を掛けた。
「フェデリコさん……」
「悪い。本当にごめん。独りにしてくれ……」
項垂れ、頭を抱え込むフェデリコ。どうすべきかトモキは悩んだが、やがて持ってきた他の薬をテーブルの上に置いた。
「……分かりました。これ、他の人の薬です。手遅れになると大変ですから、この後すぐに村の人に配って下さい」
「ああ……」
一体何に悩んでいるのか。トモキはフェデリコに寄り添いたかったが、彼から発せられる雰囲気を強く感じ、止む無く部屋の外に出た。
「すまない……」
その間際にフェデリコの掠れた小声が聞こえた。
トモキが振り返ると、ドアが締まり金具が悲しげに鳴いた。
「本当にどうしたんだろ……?」
トモキは家を出て道を歩きながら先ほどのフェデリコの様子を思い返していた。
婚約者という愛する人が危機から脱し、感極まって泣き始めたところまでは当然の反応であった。だがその後の態度の急変。アイリスに関すること以外にも何らかの悩みの種があることは窺い知れる。しかし常に村に居るわけでは無いトモキにその原因が分かるはずも無かった。
後で村の人にでも聞いてみるかと、とりあえず棚上げしたトモキだったが、ちょうどそこに見知った人が近づいてくるのが見えた。
「ヨハンさん」
「お、トモキじゃん」
赤毛の短髪の青年はトモキの姿を認めると、快活な性格を伺わせる笑顔を浮かべて近寄ってきた。
「今日もこっちに来てたのか」
「ん。セツ様が作った薬を持って、ついさっき大急ぎで来たところです」
「薬って、今村で流行ってる病気の薬の事か?」
トモキが頷いてみせると、ヨハンは「マジかっ!!」と叫んで諸手を挙げて喜んだ。
「さっすがセツ様だ! 近所の爺さんや婆さんも苦しんでたんだ! こうしちゃいられねぇ! すぐに教えてやんなきゃ!」
勇んで駆け出そうとするヨハンに、慌ててトモキは声を掛けた。
「薬は今フェデリコさんの家にありますから。……どうもフェデリコさんの様子がおかしいみたいなんで、代わりに皆に配ってくれませんか?」
「配るのは別に構わないけど、フェデリコさんが?」
「ええ、何だか思い詰めてるみたいで……ヨハンさんに何か心当たりはありませんか?」
問われてヨハンは首を捻り、考える仕草をするがすぐに首を横に振った。
「いや、俺には特には。アイリスにも薬飲ませたんだろ? それで安心して気が抜けちゃったんじゃねぇの?」
「本人もそう言うんですけどね……僕にはそれだけに思えないんです」
「そっかぁ……」唸りながらヨハンは赤髪を掻いた。「何だろうなぁ……昨日来た聖女様に何か言われたんかなぁ?」
「聖女様? 勇者様じゃなくて、ですか?」
「ああ、聖女様だ。何つったけなぁ、教会が言うには『神に選ばれた』だとか何とか言ってたか」
朧気な記憶を辿りながらのヨハンの説明だが、トモキは僅かに顔を顰めた。
この世界の宗教観が如何なるものかは知らないが、トモキは神の存在を信じてはいない。信教の自由を謳う日本で育った為に殊更に否定をするつもりはないが、魔術師の端くれでもあるトモキはリアリストでもあり、理論や観察に依らない証明されていないことを信じるのに抵抗があった。また、元の世界でも度々新興宗教が生まれ(特異点が確認された直後は更にひどかったらしいが)、神の言葉を聞いたとテレビカメラに向かって狂気じみた様子で叫ぶ胡散臭い宗教者の姿を何度も眺めてきた。そしてそんな彼らは何時でも論理的に論破されて表舞台から消えていくのが常であった。そのため、ヨハンの説明を聞く限りトモキがその聖女の事を疑わしく思うのは仕方ない事でもあった。
「すみません、僕は東の方の出身なんでよく分からないんですが、その『教会』って何なんですか?」
「おいおい、それマジで言ってんのか?」
ヨハンは眉を顰めた。そして周囲を見渡して近くに誰も居ないことを確認すると、トモキの肩を抱き寄せて耳打ちする。
「……あんま大きな声では言えねぇけどよ、正直言って俺は教会を好きじゃねぇ。俺だけじゃねぇ。村の連中だって表面上は下手に出てるけど、皆迷惑だって思ってるに違いねぇよ」
「どうしてですか?」
「だってよ、あいつら何もしてくれやしねぇくせにデケェ面して偉そうだしよ、『神に捧げるため』だとか『日々貴方がたの平穏を祈ってます』だなんつって金を要求してくんだぜ? 誰も頼んでねぇっつうの。安全な都市に住んでる人間はともかく、辺境の俺らはやってらんねぇよ。おまけに――」
「おまけに?」
「――人類至上主義って言うんか? あれがどうにも馴染めねぇんだ。そりゃ亜人と直接戦ってる連中からすりゃ奴らを殺してぇっていうのも分からねぇでもねぇけどさ、奴らだって見た目は違っても俺らと同じ暮らしをしてるわけじゃん? 兵士ならともかくさ、誰でも彼でも亜人は殺すべきだ、なんつって女子供まで探して殺そうとするのなんてとても――っておい、トモキ!」
ヨハンの話の途中でトモキは村の出口へと走った。後ろからのヨハンの声を無視し、何を置いてでも帰宅を優先せねばと思った。
最悪の連中が嗅ぎつけてしまった。湧き上がる焦燥がトモキを急かし、それを燃料にしてトモキは加速する。
教会がこの村を訪れた理由。それは――信じたくないけれど――セツだ。セツの事を何処かから聞きつけてしまったのだ。彼女を、殺すために。
「お願いだ……! 間に合ってくれ……!」
トモキは風になって村の外へ消えていく。村の中を一瞬で走り去ったその人物の正体を誰も認めることが出来ずに突然吹き抜けた一陣の風に眼を丸くするだけであった。
ただ一人を除いて。
そしてその人物も風の様に加速していくのはその直後であった。
空には分厚い雲が広がり始めていた。
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