4-18 君、死に給う事勿れ(その18)
土日で一気に最後まで投稿します。
読み逃しが無いようご注意下さい。(これが1話目です)
「ふむ……話を聞く限りは恐らく高魔毒障害じゃろうな」
急ぎ山道を駆け抜け、その日の内にセツの家へ帰り着いたトモキは村で見聞きした事を具にセツに伝えた。トモキが伝える情報を聞き、時折質問を投げ掛けながらセツは自身が知る病のリストを頭の中で探していく。そわそわと落ち着かない様子のトモキを尻目に、薪が鳴き声を上げる囲炉裏の傍で腕を組み眼を閉じていたセツだったが、赤い眼が露わになるや否や開口一番にその病名を口にした。
「高魔毒障害、ですか?」
医学の知識のないトモキがその名を当然知るわけも無い。首を傾げながら単語を鸚鵡返しに繰り返すだけだが、セツは鷹揚に頷いた。
「うむ……高濃度に濃縮された魔素を摂取し続ける事で体内に異常に魔素が溜まった症状の事じゃ。本来ならば汗とかと共に体外へ排出されるはずじゃが、摂取された魔素は物質化して粘度の高い液状となるからの。濃縮されたせいで排出ラインの何処かで詰まりが起こったんじゃろう」
元の世界で一般的な知識に照らし合わせてトモキは高血圧を思い浮かべた。ドロドロになった血液によって血管が詰まって様々な合併症を引き起こすが、それと似たような病気だろうか。
「確か村では皆井戸水を飲んでおるんじゃったな? 農作業にもその井戸水を使っておる、と」
「たぶん。何箇所かにポンプ付きの井戸が設置されてるのを見ましたから」
「であればこの間の大雨で山の魔素が地下水に流れ出したか……この山は魔獣や魔族が多く生きておるが、それはその分魔素が濃いという事じゃ。これまでも魔素は地下に染みておったんじゃろうが、雨で土砂崩れが起きたせいで一気に井戸水に混入したのかもしれんの」
セツは顰めっ面をして小さく舌打ちをした。
「迂闊じゃった……普段からもうちっと真面目に魔素流れを確認しておくんじゃった。そうしておれば死なずに済んだ者もおったろうに……」
組んだ腕の中で小さな手が強く握られる。歪んだ表情の下にあるのは自らへの怒りか、それとも悔しさか。セツは内に渦巻く澱みを溜息と共に吐き出した。
「ともかく、今更悔やんでも仕方ない。時間がありませんし、今からでも薬を持っていきますからセツは準備をお願いします」
「う、む……そうじゃな。お主の言う通り今更後悔しても遅い。ならば急ぎ作る事としよう」
スクっと立ち上がり、白い着物の裾を翻しながらセツは隣の調合部屋へ歩いて行く。その後にトモキも続くが、セツはトモキに部屋で休むよう告げた。
「残念じゃが、この薬に作り置きは無くての。幸いにして材料は揃っておるから今から一から作り始める。出来上がるまでトモキは寝て体力を温存しておくのじゃ」
「……どれくらい掛かりますか?」
「徹夜で作り続けて……ある程度の人数分が揃うのは早くて夜明けくらいになろう」
「何か僕に手伝える事はありませんか? 雑用でも何でもいいですから……」
「落ち着かんのは理解るがの」セツは脚を止め、部屋の明かりを付ける。手早く箪笥から種々材料を取り出して笊の上に乗せていく。「ハッキリ言えば、作業に慣れぬ人間が傍におると返って邪魔になるんじゃ。お主の役目は出来上がった薬を逸早く村に届ける事じゃ。寝不足の頭で道を間違えでもすればそれだけ余計に時間が掛かる。出来上がれば直ぐに声を掛ける。じゃからお主は体調を万全にして、一秒でも早く村に届けられる様にするのじゃ」
少し強めの口調で言われ、トモキはたじろいだ。言い募りたい気持ちはあったが、今が一刻を争うのは承知している。口論をして薬の作成が遅れればその分命を落とす人が出るかもしれない。仕方なく囲炉裏部屋へと脚を向け、横になろうと布団の収納された押入れを開けた。少し肩を落としながら。
それを見たセツは小さく嘆息すると白い髪を掻き毟った。
「そう拗ねるでない。要は適材適所、と言うやつじゃ。妾にはお主の如くあの山道を駆け抜ける事は出来んでの。明朝は期待しとるからの」
「……頼みますよ? アイリスさんの命がセツにかかってるんですから」
「任せい!」セツは自分の胸を叩いてみせた。「アヤツには妾にまで奥方の事を黙っておったんじゃからの。紹介させるまでは絶対に死なせんのじゃ」
では、の。最後に笑顔を見せてセツは部屋の中に消え、トモキもまた笑顔で応えてみせる。
部屋を仕切る戸が閉められ、トモキは小さく鼻から息を吐き出すとポリポリと頭を掻いて囲炉裏端に敷いた布団の上に寝転がる。そして独り眼を閉じ、セツに言われた通り眠りに就こうとした。
しかしトモキは寝付けなかった。自分の心臓の音が、穏やかなのにやけに耳につく。備え付けの時計が針を刻み、囲炉裏の中の薪が小さく弾ける。
それでも尚も眠ろうと寝返りを打つが、シャツの微かな擦れが気になってしまう。シーツがざわめく僅かな音さえやけにはっきりと聞こえた。
諦めてトモキは眼を開けた。胸を一度大きく膨らませて息を吐き出し、目元を強く擦る。どれくらい時間が経ったか、と時計を見てもまだ一時間と少ししか経っていない。
トモキは調薬部屋を見て耳を澄ませた。奥からは物音が絶えず聞こえてきて、セツが作業しているのが理解る。トモキは寝直して天井を見上げた。
(こんな事なら調薬の仕方とか教えてもらっとけば良かったな……)
元の世界みたいに時間に追われる訳でもないのだ。幾らでも時間があったのに、畑仕事だとか薪拾いをのんびりやってるんじゃなくて、人の為に使えそうな知識を学ぶべきだった。そうすればもっと早く調薬作業も終わったかもしれないし、こうして落ち着かない時間を過ごさずに済んだ。
(今回の一件が終わったら教えてもらおう)
反省し、トモキはそう決意した。そして手を真っ直ぐ前に伸ばして見た。
今まで何も出来やしない。誰も助ける事が出来ない。剣を奮うばかりで、それすらも結果が伴わない。無力だ。そう思っていたが、もしそんな手でも薬を作ることが出来たら誰かの役に立てる。必要とされる。そう考えると心が震えた気がした。だがそれは恐怖では無く、昂った震えだ。
「……そうだ」
少し落ち着いて再び眼を閉じかけたトモキだったが、不意に体を起こすと壁際に這って行く。箪笥の中の一角をセツからトモキ用に割り当ててもらったが、その抽斗を開け、画用紙と鉛筆を取り出した。それを持って布団の上に戻ると、うつ伏せの状態で眼を閉じた。
そのまま三分が経ち、五分経つ。やがて十分程その状態のままで居たトモキだが唐突に眼を開くと、画用紙に丁寧なタッチで絵を描き始めた。
鉛筆が擦れる音が静かな夜に響く。そうして夜は更けていった。
「出来たのじゃ、トモキ!!」
「ふぇ?」
夜が明け、日が昇り始めた時、調薬部屋の戸が勢い良く開けられて景気の良い音が静かな家に鳴り響いた。その音にトモキは眼を覚ますと、寝ぼけ眼を音を立てた主に向け、それを見たセツは溜息を吐いた。
「その様子じゃと言いつけ通りちゃんと休んだようじゃが……いつまで寝ぼけとるんじゃ! 薬が出来たぞ!」
「……ほ、本当ですかっ!?」
セツの声に眼は覚ましたものの、シパシパと瞬きを繰り返していたトモキだが、改めて大声で伝えられて一気に眼を覚ました。布団を跳ね除け、口元のヨダレを右手の甲で拭うと覚束ない足取りながら慌ててセツの傍に駆け寄る。
「ほれ、これじゃ。正確な人数が分からんでの、とりあえず重症患者に合わせて十人分程作った。症状が軽いようなら全部飲み干さんでも良いじゃろうから他の患者と融通させれば良い」
トモキの手に十個ほどの薬包紙を乗せ、セツは大きな欠伸をした。流石に徹夜での集中作業は堪えたのか、目の下にはくっきりと隈が出来ている。眠いのか眼は半分閉じかけて、しかしそれでも必死で開こうとしているせいか随分と険しい表情だ。
「それじゃあ後は任せたぞい。妾の役割はここまでじゃ。流石に徹夜は眠いわ。歳じゃのう……」
「セツが言っても説得力無いですよ、それ」
見た目がどう見ても幼女にしか見えないのに、そんな彼女が婆臭く腰をトントンと叩く様子に違和感しか無く、苦笑を禁じ得ない。
「とりあえず妾は一旦休むでの。もし薬の数が足りなかったらすぐに戻ってくるのじゃ。お主が戻ってくるまでにはもう少し数を整えておくからの」
「分かりました」
トモキは急いで制服を着こみ、剣を携える。薬をポケットに突っ込んで村へ向かって駆け出そうとしたその時、セツが呼び止めた。
「トモキ、ほれ」
「……ハジの実?」
セツから投げ渡された赤く熟した果物。それはセツの大好物で、先日トモキが持ち帰った内の最後の一個だった。
「道中で食べるが良い。大して腹の足しにはならんじゃろうが、無いよりマシじゃろう?」
「……ありがとうございます」
普段なら決して譲ってくれないそれを渡してくれた事に感謝し、トモキは頭を下げた。そして今度こそ走りだし、あっという間にセツの視界からトモキの姿が消えていく。
「やれやれ……これで一安心じゃと良いがのう」
トモキを見送ったセツは朝ぼらけの空を見上げ、遠くに雲を見つける。黒い雲の姿に、また一雨来るかもしれんの、とボヤいた。
湿った空気を感じながら家の中に入り、土間の沓脱ぎ石に履物を脱いでセツは囲炉裏部屋に上がる。囲炉裏の火はすでに消えているが、湿気が高いためかあまり寒さは感じない。
「折角じゃし、このままトモキの布団で横になるとするかの」
眠い目を擦り、めくられたままの布団の中に脚を突っ込んだセツだが、ふと枕元に画用紙が置かれているのに気づいた。手に取ると、そこには鉛筆で画が細かく描き込まれていた。
「トモキ、が描いたんじゃろうか。何じゃ、立派な腕を持っておるではないか」
画は二枚。一枚は囲炉裏部屋でトモキと思われる男がセツと二人して調薬をしているもので、もう一枚は同じく囲炉裏を四人で囲んで食事を取る団欒の光景を描いたものだ。
一枚目では作業は男性の方が行い、隣のセツが何やら指示を飛ばしているのか薬草を片手に持ってトモキに向かって話し掛けると共に指で何かを指し示していた。トモキの表情は描かれていないが、セツの方は真面目な表情を浮かべ、しかし何処か口元は嬉しそうに綻んでいる。
「ふむ……薬について学びたい、という主張なのかのぅ……」セツは絵を眺めながら口元を撫でた。「そうじゃな……であればこの件が落ち着いたらトモキにも少し手伝いを頼んでみるかの」
セツはそう言いながら、描かれている光景を想像した。囲炉裏の暖かい橙色が二人を照らし、不器用なトモキが調合する様を隣で苛々しながら指図している。だがその苛立ちも何処か心地よさを伴っている。セツは眼を細め、優しい眼差しで絵を見つめた。
「二枚目は……妾とトモキ、フェデリコの奴は分かるんじゃが……」
残りの女性は誰だろうか、と思案したところで礑と思い至った。
「此奴がアイリス、とかいうフェデリコの婚約者か」
恐らくはフェデリコに紹介させる、というセツの昨夜の言葉を受けて描いたのだろう。四人とも仲良さげに談笑しながら食事を楽しんでいるのが分かる。
「しかし……妾の表情が何処か不満気なのはどういうつもりかのぅ」
これではまるで息子の嫁に対して一物を持つ姑の様では無いか。帰ってきたらトモキに問い質さねば、とセツは不服そうに口を尖らせた。
「じゃが……」
こうしていつか、四人で暮らすのも悪くないかもしれない。そんな考えが浮かび、しかし実現は難しいであろう未来を夢想してセツは微笑み、布団の中で横になって眼を閉じた。
(シオ君、じゃったか。あの子には悪いが、トモキ達が川を流れてきてくれたお陰で随分と妾の生活も変わったもんじゃ……)
嬉しげに口元を綻ばせたまま、セツは寝息を静かに立て始めた。
トモキが思い描き、決して叶うはずのない光景を夢で見ながら。
焦る気持ちを押さえつけながらトモキは一気に山道を駆け抜けた。村との間は何度か往復している。方向はすでに掴んだ。道など関係ないとばかりにセツの家とシエナ村を結ぶ直線状を走る。
立ち並ぶ樹木の幹を細やかなステップで避け、襲い掛かってくる野獣や魔獣の類は一刀のもとに切り刻んでいく。恐ろしいばかりの剣速と切れ味で行く手を遮る全てを切り伏せ、すれ違う木々の枝葉を靡かせながら凄まじい速度で走り抜ける。
「ハァッ!!」
トモキは跳躍し、樹の枝を軽業師の様に駆け上った。両腕を顔の前で交差させ、生い茂った枝葉を勢いそのままにへし折って宙へ舞った。
空中で一度前転。膝を上手に折り曲げて衝撃を逃し、森の外へ着地。即座に地面が捲れる程に力強く地面を蹴り、瞬く間に最高速へ到達する。
空を見上げた。薄い雲が陽光を遮り、太陽の位置を正確に教えてくれる。まだ陽は南の空に昇り切ってはいない。予定よりも早いペースだが、トモキは尚も速度を上げた。一秒早く辿り着けば助かる人が一人増えるかもしれない。逆に一秒遅れることで一人死んでしまうかもしれない。
「ジャスパーさん!!」
急速に大きくなってくるシエナ村。その入り口で今日も疲れた表情で門番をしているジャスパーに対してトモキは叫んだ。
「と、トモキ? あれ、君は昨日の夕方に帰ったはずじゃあ……」
「そんな事より早く開けて下さい! セツの薬を持ってきました!!」
「はぁ!?」
ジャスパーは耳を疑った。数時間の滞在でとんぼ返りするトモキを見送ってから一日も経っていない。フェデリコの話からは帰るだけでも丸一日掛かるはずなのに、挙句には薬を持ってきたという。何か自分が勘違いしているのかもしれない。やはり疲れているのだろうか、と呑気に眼を擦り始めたジャスパー。トモキは苛立ちから、普段には出すことの無い怒鳴り声で叱りつけた。
「早くしてくださいっ!! 村の人が死んでもいいんですかっ!?」
「わ、分かった! ちょっと待ってくれ!」
トモキの剣幕に驚き、戸惑いながらもジャスパーは門に取り付けられたロープを引張り、門が開き始める。しかし待ちきれないトモキは半ば開いたところで強引に押し入り、あっという間にジャスパーを置き去りにしていった。
門から続く目抜き通りは昨日と同じく人通りは少ない。それどころか、昨日にはまばらにも村人の姿があったのだが今は人影さえ見当たらない。
「まさか……」
病気が更に広まってしまったのだろうか。セツの推測通り水が原因だとすれば、村人全員に発症の可能性がある。一刻も早くフェデリコに会って、水の使用を止めてもらわなければ。
そうして走っていたトモキだったが、通りの一角に人集りが出来ているのを見つけた。
(何だ……?)
十数人が集まってある家の中を押し合いながら覗きこんでいる。脚を止めて確認しようかという考えが一瞬頭を過るが、すぐに今はフェデリコに薬を届けるべきだと誘惑を振り切ろうとした。
「トモキ!」
だが人集りを通り過ぎた所で、トモキは呼び止められた。舌打ちをして無視すべきか、とも思ったが、声を掛けてきた人物を確認して脚を止めた。
「ジョセフさん!?」
ジョセフもまた人集りの方へ脚を向けていた様だが、その背には膨よかな女性が背負われ、日々の生活で鍛えられたであろう太い腕がぐったりとした様子の女性を支えていた。そしてトモキはその女性が恐らくはジョセフの妻であろうと気付き声を上げる。
「何処に行くんですか!? そんな状態の奥さんを連れて……」
「おう! なんでも教会の勇者様って名乗る野郎が昨日の夜来たらしくてな。治癒魔術が使えるっていうんでコイツを診てもらおうと思って連れて行くところなんだよ!」
焦っているのかそれだけ告げて足早に去ろうとするジョセフだが、トモキはポケットから薬包紙を取り出すとジョセフの肩を掴んで止めた。
「なんだよ!? ワリィが今は急いで……」
「これを奥さんに飲ませてあげて下さい! セツが……セツ様が昨夜作ってくれた薬です!」
「っ! マジかっ!? そいつぁありがてぇ!」
その時、人集りから歓声のような声が一斉に上がる。トモキは一瞬そちらに気を取られたものの、すぐに気を取り直してフェデリコの家の方へ脚を向けた。
「それじゃあ僕も急いでフェデリコさんのところに向かいますから! 奥さんと同じ病気の人を知ってたらフェデリコさんの家に来るように伝えてください! あの人に薬を預けて置きます!」
「あいよ! セツ様にも伝えといてくれや! 今度肉屋のジョセフが飛び切りの肉を送ってやるってよ!」
見た目にそぐった豪快な笑みを浮かべ、ジョセフはグッと親指を立ててトモキに向かって突き出した。走りだしながらトモキもまたサムズアップをした。
ジョセフはトモキの後ろ姿を見送ると、人集りの方から引き返し、薬包紙をしっかりと握りしめて肉屋の方へ引き返していった。
そしてその直後、人集りの中心から掻き分けながら黒髪の青年が慌てて出てくる。青年が見遣った先にはすでに誰も居らず、臙脂色のマントをはためかせながらトモキが去っていった方向を見つめた。
「久遠……?」
名を呟き、しかしすぐに頭を振った。
「そんな訳ないか……」
「勇者様! 次は娘を頼みますっ!」
「……分かった! すぐに行く!」
切羽詰まった声で呼ばれ、ユウヤは再び人集りの方へと戻っていく。人集りに飲み込まれるその間際、もう一度ユウヤは振り返った。当然、そこには誰も居らず、ただ風だけが通り過ぎていった。
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