4-14 君、死に給う事勿れ(その14)
散々セツの胸の中で涙を流し、泣き喚いて陽が完全に登る頃に家に戻ったトモキはそれから数日、熱を出して寝込んだ。原因は夜の山の冷え込みと雨に打たれた事、そして足の捻挫による発熱だ、とはセツの診断結果だ。大人しくしとれば大事無いだろうという言葉にトモキは布団で横になり、氷枕の上に頭を寝かせながら胸を撫で下ろした。
そんなトモキを見下ろして、セツは特製の苦い薬を手にしてニヤリと口端を歪ませた。熱で朦朧とする意識の中でトモキは、魔族と相対した時とは異なる危機を感じ、暖かい布団の中で戦慄に震えた。
「また寝てばかり居られては妾もツマランからな。喜べ、トモキよ。妾特製のどんな怪我もたちどころに直してくれると評判のこの薬を特別に妾が手ずから飲ませてやろう。ぬ、味はどうか、じゃと? 心配するな、ちゃんとそこら辺も考えておる」広げた薬包紙の上に新たに薬草らしき粉末を追加する。「一等苦しい味を経験させてやろう。何、大丈夫じゃ。豚どころか古代大鷲さえも啄んだ瞬間に卒倒するらしいからの。お主なら口に含んだ瞬間に意識がぶっ飛んでよく眠れるはずじゃ」
それは大丈夫とは言わない。そんな抗議の声も虚しく、トモキの口の中に薬が無理やり突っ込まれる。
瞬間、味が爆発した。爆発というか、舌が沸騰した。侵略し、蹂躙し、虐殺する。口の中のありとあらゆる味覚が破壊されていくのをトモキは自覚した。自覚したと同時にトモキの意識は広い青空の上に飛んでいき、死んだはずのシオが一生懸命トモキの脚に重りを縛り付けて地上に引きずり降ろそうとしている。そんなデタラメな夢をトモキは見た。
眼を覚ました時には、二日が経っていた。
そして更にそれから一週間が経過した。
トモキの体調はすでに万全に回復し、足の捻挫も踏み込めば少し痛みが走るが歩いたり梯子を昇ったりする分には問題ない程度には治っていた。相変わらずセツの薬が凄いのか、トモキの回復力が優れているのかは分からないが、たぶん両方の相乗効果だとトモキは思うことにした。セツもトモキの回復力には既に突っ込むことを止めてしまった。
「ぃよっと!」
そうして今はトモキは畑に植わった大根を勢い良く引っこ抜いた。それを背中の籠に放り込み、一歩前に進んでまた次の大根を抜いていく。
すでにトモキはここを離れるという考えを捨て去っていた。
セツに信頼を寄せ、いつかは元の世界へ戻る方法を探して旅に出ようとは考えてはいるが、それでもあくまで拠点はこの場所だ。この荒屋をこの世界での「帰って来るべき場所」と定めていた。
(それで……いいよね?)
次の大根を抜くと陽気で汗ばんだ額を拭い、トモキは畑から十メートル程離れた所にある墓標を見た。
(だから――これからもずっと僕を見守っていてね、シオ)
手についた土を払い、墓標に向き直るとトモキは静かに手を合わせて眼を閉じた。
数秒だけそうして眼を開き、トモキは小さく微笑む。
「さぁて、さっさとこの大根達を皆引っこ抜いてしまいますか!」
大きく太陽に向かって伸びをして、再び収穫作業を再開した。
「うぅむ……」
しばらくして背中の籠が瑞々しい大根やその他の野菜で満たされた頃、セツが深刻そうな表情を浮かべて唸りながら家から出てきた。
「どうしたんですか?」
「うむ、ちっと、な」
セツは言葉を濁した。だがその様子は何処か落ち着かない様子だ。前髪を掻きあげて右手で頭を抱え、視線をうろつかせる。
「……何かあったんですか?」
「そうと決まったわけではないんじゃが……いや、何かあったと言えばそうなんじゃろうな」セツはトモキを見上げた。「どうにも村の様子が妙での」
「妙、ですか?」
「そうじゃ。フェデリコが昨日来んかったから村の動きを見てみたんじゃが、どうにも人の数が減っておっての。それに村人達があまり村の中も出歩いておらんようじゃ。もしかすると野盗の類に襲われたのかもしれん。或いは、魔獣が村に入り込んだか……」
「それだったら大事じゃないですか。もっと詳細に調べることは?」
「そうしたいんじゃが、これも妙でな……この間までは地下の魔素の流れを利用して村の様子くらいは可視化できたんじゃが、パスが途中で乱れておっての。ノイズが掛かって上手く見れぬのじゃ。おまけに村の向こうから変わった魔素を持った何かが近づいて来とるみたいでの」
「変わった魔素?」
「うむ。詳細は省くが、魔素は人によって微妙に異なっておっての。特徴を覚えておけば魔素を感じるだけで何処に誰が居るかを妾は判断できるんじゃ。変わった魔素、というのは妾が記憶しておる村人の誰とも特徴が一致せず、しかもかなり大きな魔素を内に蓄えておるのが一人。時折周囲の魔素を集めるような流れを作っておるのが一人。恐らくは魔術を行使してるんじゃと思うが……」
要は指紋みたいなものか、とトモキは元の世界の常識と照らし合わせて納得した。
セツの説明を聞く限り、彼女が感じている通り何か異変が起きている。トモキもまたそんな印象を受けた。何も起きていない、もしくはセツの杞憂だと聞き流すには色々な要素が重なり合いすぎている。トモキは背中の籠を下ろすと急いで家の中へ戻っていく。
畑作業用の長靴を脱ぎ捨て、囲炉裏部屋の壁に掛けられた制服の袖に腕を通す。箪笥に立てかけてあった剣を腰に挿し、一度鞘から抜いて刀身を確認する。問題は無い。
沓脱ぎ石の横に置かれていた魔技高標準装備の頑丈なブーツを履きこみ、土間に置かれてあった燻製肉の塊を乱暴に紙に包んで上着のポケットへ突っ込んだ。
「とりあえず僕が様子を見てきます。本気で急げば多分日暮れ前には着けると思いますから」
「う、む。妾もそれを頼もうと思っておったところじゃ。フェデリコの奴が予定通り来んことなぞ今まで無かったからのぅ……」
不安そうにセツは村の方角を見遣った。眉間に皺を寄せ、厳しい表情で唇を噛み締める彼女の様子はフェデリコへの心配が強く読み取れる。その事にトモキは微かな嫉妬を覚えて苦笑いを浮かべた。
(こういう人だからこそセツを信頼する気になれるんだろうけどね)
こんな時だというのに顔を覗かせた自分の中の独占欲を心の奥底にしまい込み、トモキは笑顔を敢えて浮かべて見せる。
「大丈夫ですよ。仮に魔獣とかに村が襲われたんだとしてもフェデリコさんなら上手いこと村の人を指揮して撃退してますよ」
「だと良いがのう……そうじゃ」
今度はセツが家の奥に駆け入っていく。一分ほどすると彼女は幾つもの薬包紙を握って戻って来てトモキに差し出す。
「この前お主に飲ませた薬じゃ。自己治癒力を高めてくれる。もし怪我人がおれば飲ませてやってくれ」
トモキは頷き、ポケットに突っ込む。
「それじゃ行ってきます」
「頼んだのじゃ。お主も気を付けて、戻ってくる時もまずは自身の安全を第一にの」
心配してくれるセツの声にトモキは微笑むと手を挙げて応える。そして自分の頬を軽く叩いて気合を入れるとトモキはシエナ村へ向かって全速で走っていった。
夕暮れ前、一気に山道を下って麓のシエナ村に辿り着いたトモキは走る足を一度止め、呼吸を整えると緊張した面持ちで近づいていった。
少し離れた場所から見る限り、目立って村に異変が起きている様子は無い。野盗に襲われたのであれば建物が壊れていたりだとか、村を囲う柵の一部が破損していたりしていてもよさそうなものだが、そういった所は見て取れなかった。村の入口にはいつもと同じように門番の村人が立っていて警戒している。トモキにとって既に見慣れた風景だ。
しかし目に見えない異変をトモキは何となく感じ取っていた。門番をしているのは初めて村を訪れた時と同じジャスパーだ。普段から真面目に番をしている彼だが、今日は遠目からもいつも以上に緊張している様子が見て取れた。
「ジャスパーさん!」
トモキは声を張り上げて呼びかけた。するとジャスパーはさっと手にした槍を構え、しかし来訪者がトモキであると気づくと安心した様に肩の力を抜いて笑顔で迎えてくれた。
「やあ、トモキ。どうしたんだい? まだ今日は君が来る日じゃ無かったと思うんだけど?」
気の良い先輩の様に笑って話し掛けてくるジャスパーだが、どうも声に張りがない。顔色も何処か悪く見え、元気が無さそうだ。やはり、何かが起きている。トモキは半ば確信しながら返事をした。
「昨日フェデリコさんが来るはずの日だったんですけど来られなかったので。セツ様が心配してまして、様子を見に行くように言われたんですよ」
「ああ、そうか。そういえばそうだったね……」
「何かあったんですか?」
「ん、その、まあね」
トモキが尋ねると、ジャスパーは困った様に言葉を濁して村の門を開けた。
「トモキなら教えてもいいかな。実は村で病気が流行っていてね」
「病気、ですか……?」怪訝に眉根を寄せ、トモキはジャスパーの顔を見て尋ねた。「ジャスパーさんは大丈夫なんですか? 見たところ顔色が悪いみたいですけど」
「そうかい? ここのところずっと一日中こうして立ってるからかなぁ。門番の交代要員も何人か病気にやられててね。今動けそうなのが僕くらいしか居ないんだ。だから少し疲れてるだけだよ」
「ならいいんですが……その病気って危険な感じですか?」
「若い男連中だと数日寝込めば動けるようにはなるみたいだけど、年寄りや体の弱い人なんかはやばそうだ。もうすでに何人か年寄りは亡くなってしまった。フランシスカの婆さんも先日亡くなったよ」
「そんな……」
フランシスカとは初めて村を訪れた際に涙を流してセツに感謝していた老婆の名だ。トモキを自分の孫と同じく可愛がってくれていて、村を訪ねる度にお菓子を手渡してきていた。小さい子供扱いされているみたいでトモキとしては複雑だったが、良い人だったことは違いない。そんな彼女の訃報を聞いて小さくない衝撃を受けつつも、トモキは眼を閉じて黙祷を捧げた。
「婆さんの為にわざわざありがとう、トモキ」
「いえ、僕もお婆さんには良くしてもらいましたから……」
「まあそんな訳でな。今は村全体があんまり元気が無いから、村の様子を見ても驚かないでくれ。フェデリコさんは多分自分の家に居ると思うが、もしかしたら村の様子を見て回ってるかもしれない。家に居なかったらそこらに居る誰かに聞けばきっと教えてくれるよ」
丁寧に教えてくれたジャスパーに礼を述べるとトモキは村の中に足を踏み入れた。
目抜き通りも一見して異変は無い。しかしいつもに比べて歩く人の数が明らかに少ない。たまにすれ違う人も、トモキが声を掛ければ返事をしてはくれるが俯き気味でそそくさと離れていってしまう。
「……皆結構参ってるみたいだ」
それも仕方ないか。そこまで人口の多くない村だ。村人全員が家族の様な感覚だろうし、よく知った人が何人も亡くなれば落ち込むのも当然の話だ。まして、その病がいつ自分に牙を向くか知れない、となれば怯えてしまうのも仕方なしか。
村人からも話を聞きたかったが、無理に聞き出せば心の傷を抉る事になる。村長であるフェデリコならまだしも、単なる住人に根掘り葉掘り聞くのは控えるべきだろう。
トモキは諦めてフェデリコの家に向かった。すれ違う人は皆暗く、不安そうだ。
「おい、オメェは確か……」
そうして目抜き通りが終わって肉屋の前を通り掛かったところでトモキに声が掛かる。
トモキが振り向くと真っ先に目に入ったのは山賊のようにモミアゲから顎下まで髭を伸ばした特徴的な容姿だ。体つきも熊の様に大柄で、手には巨大な肉きり包丁を持っていて、その下の作業台の上には真っ二つに両断された動物の肉が転がっていた。
威圧的な双眸にトモキは少し竦み上がるが、声の様子と肉屋という情報から男が先日、フェデリコに肉を勧めていた肉屋だと思いだした。
「……ジョセフさん、で良かったですっけ?」
「おう! ジョセフ・ガーファンドルだ! アンタはトモキって言ったけなぁ? そういやぁアンタと話すのは初めてだったな! 宜しくな!」
体と同様に豪快な口調で話す様は完全に山賊の親分、といった感じだが、ニッと歯を見せて笑う様子は何処か愛嬌があった。
「いつもアンタが店の前を通るのは見てたんだがいつもさっさと通り過ぎちまうもんだからよ。ところで今日はどうしたんだい? またセツ様のお遣いか?」
「いえ今日は別件ですよ。村の様子を見てこいって命令を受けまして」
「そうか……セツ様はいつも気にかけて下さってんだな。ありがてぇ事だ。村の連中もそれを聞きゃあちっとも元気が出るだろうよ」
「そうだと良いですけど。でもジョセフさんは元気そうですね」
「おうよ! 肉屋がショボくれた顔してたら売れるもんも売れねぇからな! いつでも笑顔で元気一杯が俺のポリシーよ!」
満面の笑みを浮かべて力こぶを作ってみせる。しかし「だがなぁ……」と表情を曇らせた。
「ウチも女房がやられちまってよ。今も奥で伏せってるんだわ」
「それは……お気の毒ですね。お加減はどうなんですか?」
「いつもは体調崩しても『寝てりゃ治る!』なんざ抜かして俺に店を開けるようケツを蹴り上げるような奴なんだがな、今回はそんな元気もねぇみたいで昨日からずっと眠ってばっかで熱も一向に下がらねぇ。いつもならセツ様の薬を飲みゃその日の夜には元気になるくらいなんだが……正直どうにも効き目がねぇみてぇなんだよ」
「……何か特別な病気が流行ってるのかもしれませんね。セツ様に伝えてみます」
「そうしてくれりゃ助かる。頼んだぜ。……しかし本当に、最近はどうなっちまったのかねぇ……」
「他にも何かあったんですか?」
「ん? ああ、これもここ最近なんだがよ、魔獣が村の近くまで寄ってくるようになってな。幸いにも小鬼とか魔素狐くれぇだから村に居る連中で何とかなっちゃいるんだがな。これまで奴らが山から出てくることなんて無かったから村の連中も皆ナーバスになっちまってんだよ。お陰で辛気臭ぇったらありゃしねぇ」
「魔王が復活したんじゃ」
そこに割って入る声。振り返れば腰が大きく曲がり、皺だらけの顔で険しい表情を浮かべる老婆が居た。
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