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4-13 君、死に給う事勿れ(その13)

「魔族……っ!」


 トモキが声を発すると同時に犬型の魔族はトモキに向かって跳びかかった。地を這うように低い体勢で一目散に襲い来る。


「この……っ!」


 腕を振るい、灰色狼の時と同じようにトモキは頭を殴りつけた。動きの速さは灰色狼と同程度。両足に怪我をしているトモキが動き回れないため基本的に「待ち」の戦い方になるが、一体であれば攻撃を捌く事は難しくなく、痛みを我慢すればカウンターを取るくらいはできる。

 だが果たして、トモキは殴りつけた右拳に痛みを覚えた。ゴツ、と硬いものにぶつかる音が聞こえた。

 拳の皮膚が破れ、血が弾ける。痛みに顔を顰め、予想外の魔族の重量にトモキの体が後退った。

 殴られた犬型の魔族は無骨な見た目にそぐわない軽やかな動きで着地する。そして様子見を、トモキの力を推し量るかのようにトモキを中心とした円を描くが如くゆっくりと歩き始めた。

 トモキは戦慄を覚えた。


(一つだけ違う気配があったのはコイツか……っ!!)


 決して闇雲に突っ込んでくるのでは無く、相手の力を見極める様な動き。先ほどの灰色狼と共に襲ってこなかったのは先にトモキにけしかけさせて、消耗させるためか。


(まずいかも……)


 この敵は強い。まだ一撃殴りつけただけだが、トモキはそう感じた。高い知性と防御力を備えた難敵。トモキは焦りを覚えた。


「幸いなのは……」


 あまり疾くは無いことだろうか。飛び込んでくるだけなら何とか対処は出来るかもしれないが、あの硬い装甲では単なる打撃では決定打を与えられまい。殴ればそれだけトモキのダメージが蓄積し、動きが鈍くなる。

 獣、とこの敵を考えるのは間違いだろう。強固な鎧を纏った人間を相手にしていると考えた方が適切だろうか。注意深く様子を伺いながらトモキは勝機を探る。

 犬魔族がトモキに再び攻撃を仕掛けた。牽制の様に一瞬だけ攻撃を加えると再び後退して様子を窺う。トモキも今度は殴りはせずに、魔族の体を押し出すようにして攻撃をやり過ごす。そうするとまた様子を窺うようにしてトモキの周りを回り、単発の攻撃を仕掛けては直ぐに退く。

 何度かそうした攻防を繰り返していたが、急に魔族の様子に変化が見え始めた。


「何だ……?」


 動きは先程までと変りないが何処か低い唸り声の様なものが聞こえ始めた。だがそれは生物的なものというよりは、機械的。まるでモーターが回転しているようにトモキは思えた。


「えっ……!」


 そしてトモキは眼を疑った。魔族の体が薄い光に包まれ始める。今度こそその口から唸り声が響き始め、大きく吼えた。

 甲高い鳴き声。それをきっかけとして作り上げられていく光の魔法陣。


「うそっ!?」


 光が迸る。雷鳴が響く。しかしそれは雨雲では無く、目の前に展開された魔法陣から放たれた。

 直前、自身の直感に従ってトモキは頭を横に振った。直後、靡いた髪の毛を焼き落としながら紫電がトモキの脇を通り過ぎた。

 立ち込める閃光。けたたましく鳴り響く爆音。魔法陣から放たれた一筋の光線は後方の樹木にぶち当たり、半ばからへし折ると同時に眩い火炎を上げて燃え盛っていく。

 熱が背中に降り注ぐ。それを冷たい雨が冷ましていく。

 再度、魔法陣が光り輝いた。トモキはハッと我に返った。そして見えない何かに急かされてトモキは体を横に投げ出した。通りすぎていく紫電。樹を貫き、倒し、燃やしていく。

 トモキはその景色を見ること無く走った。足の痛みなど考えられなかった。逃げねばならない。それだけを強く思った。

 あれに素手で立ち向かうのは無理だ。せめて何か、何か武器になるものがなければ。

 だがあの体の強度はどうしたものだろうか。殴った感触だけで考えるならば生半可どころか、相当の業物でも切り裂くのは難しいかもしれない。

 そしてあの魔術。トモキは高校で習った知識を探る。恐らくは電気魔術の一種。魔素を媒介にして付近からの電子を取り出して高密度に収束させた光線を射出するものだ、と当たりを付けた。

 射出されてからの速度は、視認して避けるのは不可能に近いが、欠点として電子を集めて収束するのに少し時間がかかる。その間は無防備になり、先ほどの犬魔族も魔法陣の展開から射出まで動きは殆どなかった。そこが決定的な隙ではあるが――


「あの装甲を何とかしないとどうしようもないじゃないか……!」


 だからこそあの魔術を使ってもやられる心配が無いのだろう。鉄壁の装甲と強力な大砲。まるで昔の大艦巨砲主義みたいな考え方だ。元の世界ではとっくの昔に時代遅れとなった思想を思い出しながらトモキは歯噛みした。

 後ろを振り返る。犬型の魔族はトモキを追ってきていた。だが一気には距離を詰めてこない。脚を痛めているトモキの速度は遅い。先ほどまでの魔族の動きならすぐに追いつける程度の走力だ。それでも近づいて来ようとしないのは、トモキの力を警戒しているからか、それとも――


「――嬲り殺そうって魂胆なのかっ……!」


 腹立たしいが今のトモキには為す術が無い。土砂崩れで起伏の激しくなった土の上を這う様にしてトモキは上へと登る。必死に対抗策を考えながら泥に塗れながら行き汚く今ある生にしがみついた。

 剣が、あの剣さえあれば。脳裏を過るのは、絶大な信頼を置く自らの愛剣。あの剣であれば、あの装甲はきっと斬り裂ける。トモキは何故かそう確信していた。

 山肌を必死でよじ登っていたトモキだったが、不意に背中に戦慄が走った。直感と衝動に赴くままに振り向けば、崩れた土砂と無事な地面との境目で再び魔法陣を展開している犬型魔族の姿が眼に入った。


「くっそぉぉぉっっ!!」


 トモキは横に転がり、すぐ脇を雷光が貫いていく。トモキの左腕を掠め、魔技高の制服を焼き切って頭上の木の根本に当たる。爆音が響き、真っ赤な炎がトモキを照らす。巻き上げられた土砂がトモキに向かって降り落ちて、トモキは顔を伏せた。


「あ……」


 土砂が収まってトモキが顔を着弾点に向けると、その近くには燃える木の明かりを反射するものがあった。

 トモキは眼を疑った。夢かと思った。だが何度瞬きしてもそれは視界から消えず確固としてそこにあった。

 それは失ったトモキの剣だった。暗い上に遠目でははっきりと確認できないが、それが自分の剣だとトモキは思った。絶望の中にある希望を象徴するかのように明るく輝き、だからトモキは必死で泥を掻いて近寄った。そして剣を手にした。

 ずっと使い込んだ自分の愛剣。それを示すかのように握った瞬間にトモキの手に馴染んだ。同時に、折れかけた心に熱が灯った。剣を手に、トモキは勇んで魔族の方を振り返った。

 魔族はトモキのすぐ眼の前に居た。その剣を手にさせてはいけない。そう考えたのか、魔族はそれまでの動きを一変させてトモキに勢い良く飛び掛かってきた。


「おおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」


 奮う。雄叫びを上げ、力を、剣をトモキは横薙ぎに振るった。剣の腹で殴られる形になった魔族は泥の上を転がり、しかしすぐに起き上がって再度トモキに襲いかかろうとする。だが踏ん張った脚から力が抜けた様に折れた。そこは今しがたトモキが剣を当てた場所だ。脚に傷が付き、血のようなものが流れ落ち始めていた。

 ――今が、チャンスだ。

 トモキは泥から這い出し、鉛の様に重い体を叱咤した。今を逃せば、もうチャンスは無い。トモキの体力は底を尽きかけていた。

 泥濘の地面を全力で蹴った。骨が軋み、鋭い痛みが警告を発する。それをトモキは無視した。頭の中で鳴り響く警報音を聞かないふりをし、魔族に向かってトモキが躍り掛った。


「喰らええええぇぇェェェッッ!!!」


 型も何も無く、ただ上段から力の限り振り下ろす。無我夢中で、他に何も考えられない。願うは一つ。全力で目の前の敵を叩き潰すのみ――!


「――、――――――っ……!!」


 振り下ろされた剣は全てを斬り裂く。それは魔族の体も例外では無かった。

 固い装甲をチーズの様に裂き、その奥にある肉体を壊す。全力で振り下ろした剣圧で地面が弾け、魔族もろとも吹き飛ばす。言葉にならない悲鳴を上げながら魔族は大木へと叩きつけられ、粘り気のある液体をまき散らしながら泥の上へと落ちて、そして動かなくなった。


「はぁっ! はぁっ! はぁっ! ……やっ、た……?」


 肩で呼吸をしながらトモキは魔族を見た。腹の部分が大きく斬り裂かれ、そこから流れる液体が泥へ染みこんでいく。動かない。だがトモキは剣を構え、慎重に魔族に近づいていく。

 一足の距離になっても魔族は動く気配が無い。身動ぎさえしない。

 トモキは剣先でそっと突っついた。剣先の動きに合わせて体が揺れるが、自発的な動きの兆しは無い。


「……はあぁぁぁ……」


 大きな溜息がトモキの口から零れた。脚から力が抜けて腰が落ちる。倒れてしまいそうな体を、咄嗟に地面に突き刺した剣で支え、それでも重い頭が垂れる。虚脱感が全身を襲い、もう一歩どころか腕を上げることすら出来そうに無かった。


「……痛いなぁ」


 折れているであろう脚に灰色狼に噛み付かれた手足。気が抜けたからか、昼間に山肌を滑り落ちた時に打ち付けた全身が悲鳴を上げている。早く、早く家に帰りたい。項垂れたままトモキはそう思った。

 だから気が付くのが遅れた。倒れたままの魔族の体が小さく動いた事に。


「――――、――!!」

「え?」


 トモキが異変に気づいた時、すでに魔族は大きな口を開いて跳んでいた。トモキの頭を目掛けて、噛み砕かんと鋭い牙をむき出しにしていた。トモキは呆然とするだけだった。気を緩めていたため何一つ反応できなかった。終わった。感慨の無いそんな言葉だけがゆっくり頭を流れた。


「トモキィィィィィィィッッッ!!」


 だが終わらなかった。

 横から白い影が突然現れた。赤い目がトモキを、そして魔族を捉えた。

 トモキの名を呼びながら駆け込んできた小さな影は、トモキの目前に迫っていた犬型魔族の体の、トモキによって傷つけられた体内にその腕を叩き込み、呪文だけを口にした。


消える自我は夢の如しオーバー・ライティングッ!!!」


 鋭く尖った装甲の切っ先で無数に傷つき、だがセツは溢れる血を物ともせずに腕を更に奥に押し込む。セツの表情が痛みに歪み、険しくなる。白い肌が赤く染まった。しかしそれに臆すること無く彼女は犬型魔族の体の奥底目掛けて腕を更に押し込んだ。

 呪文が終わると共に赤い傷の入った腕を中心に眩い閃光を放ちながら魔法陣が魔族の体表面を走り抜けた。漆黒の装甲が一瞬真白に変わり、だがまたすぐに元の色に戻る。

 魔族は着地すると急に大人しくなり、寝そべる様な姿勢となった。セツはぬちゃ、と音をさせて腕を体から引き抜く。犬型の魔族はそんなセツを見上げ、可愛らし気に首を傾げると頭をセツに向かって擦り付けて甘え始めた。

 セツは赤黒く染まった掌で犬の頭を優しく一無でし、この場を去るのを促すように尻を軽く叩いてやる。そうすると犬魔族はヨタヨタとバランスを崩しながら立ち上がり、寂しそうにセツの方を向いて、しかし脚を引きずりながら夜の山の中へ消えていった。


「セツ……」


 どうしてここに、とトモキは尋ねようと口を開きかける。だがしかしそれよりも早くセツの平手がトモキの頬を張った。


「お主は……お主という奴はっ……!」


 暗い闇でも映える白い頬を怒りで紅潮させ、しかしすぐに奥歯を噛み締めてトモキの体に抱きつく。

 頬に痛みは無い。だが熱はある。ジンジンとしびれる頬に自分の手を当ててトモキは呆と鼻を擽るセツの白い髪の感触を享受する。耳元のしゃくりあげる泣き声に、トモキは何と対応すべきか困惑し、その白い髪を撫でた。髪の横ではめくり上がった袖の下の傷だらけの腕が眼に入った。


「離れてよ、セツ……綺麗な着物が汚れちゃうよ」

「構うものかっ……! どれだけ、どれだけ妾が心配したか……!!」


 そう言ってセツはより強くトモキの体を抱きしめる。雨と彼女の汗の匂いが入り混じってトモキの意識を刺激する。ツン、と鼻の奥が痛んだ。

 そういえば、とトモキはポケットの中を弄った。すでに半分程になり、実が潰れてしまったハジの実が出てきた。


「すみません……これを見つけて……」

「ハジの実……手で千切れる様な場所には生っておらんはずじゃが……まさかお主」

「セツに採って帰ろうと思って木に登ったら枝が折れて、そのまま崖下まで落ちてしまいました。心配かけて……ごめんなさい」

「お主は……真にバカじゃ……!」


 トモキを罵倒しながら、しかしセツはトモキの手からハジの実を一欠拾い上げると口に運ぶ。実が潰れ、泥が付いたそれは苦く舌触りも悪い。なのにどうしようもなく甘かった。

 セツはトモキの頭を胸に抱え込み、撫でた。優しく何度も撫でた。小さな、暖かい手で。


「妾の事を想ってくれたんじゃな、トモキ。感謝するのじゃ。

 じゃがの、トモキ……頼むから危ないことはせんでおくれ……」

「……」

「命を粗末にするでない。まず自分の身を優先するのじゃ。お主はすでに一人では無い。妾がおるのじゃ。お主は妾をただのお節介じゃと思うとるじゃろうが、妾にとってお主は家族なのじゃ。大切な、かけがえのない家族なんじゃ。お主が傷つけば妾は悲しむ。お主にもしものことがあれば妾はまた独りになって……どうしたらいいんじゃ……」

「セツ……」

「頼む。後生じゃから、後生じゃから……妾をまた独りにせんでくれ……」


 すがりつく様にしてセツは声を絞り出した。声は小さく、しかしそれは叫びだった。少なくともトモキにはそのように感じ取れた。セツの双眸から零れ落ちた暖かい涙が、トモキの開けた襟元から伝っていき、胸の辺りに温もりが灯った。同時に、トモキの中で何かが塞がった。そんな気がした。


「……トモキ、どうしてお主が泣くんじゃ」

「えっ?」


 体を離したセツに指摘され、トモキは自分の頬を指でなぞった。指先が濡れた。だが、それは冷たい雨では無く、とても暖かかった。


「何で……だろう……?」


 止まらない。悲しくないのに、止めどなくトモキの眼から涙が溢れ落ちる。熱を携えた雫がトモキを暖めていく。次から次へと溢れ出てくる。

 セツは不思議そうにトモキを眺め、だが何かに納得したように涙で濡れた顔で小さく微笑んだ。


「トモキ」


 セツが小さな両手を広げ、トモキに向かって頷いた。トモキはおずおずとして戸惑いながら、だがセツの胸の中に顔を埋めた。

 心臓の音がした。生きている音がした。


「今は、泣け。それが何よりの供養になる」


 その言葉をきっかけに、トモキの口から嗚咽が漏れ始めた。押し殺した嘆きは次第に大きくなり、号泣へ、そして慟哭へと変わっていく。それは、シオを亡くしてから初めての涙だった。

 友を悼む。友の死を嘆き、悲しみ、閉じ込めていた想いを吐き出す。空へと届けとばかりにトモキは泣き声を張り上げた。

 ごめんなさい、そして――ありがとう。

 いつしか雨は止んでいた。

 遠くから、朝陽が昇り始めていた。




お読み頂きありがとうございました。

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