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4-11 君、死に給う事勿れ(その11)


 森に分け入ったトモキの頬を風が掠めていく。葉擦れで森がざわめき、心地良い音を立てる。空を見上げれば、木陰から見えるそこには雲は無く、セツの予報は果たして本当だろうか、と疑う気持ちも出てくるが、そうしたところで意味は無く、またトモキも予測の正確性に余り興味はなかった。

 ただ、そういえば今日は何月何日なのだろう、と思った。異なる世界で暦が同じだとは限らないが似たようなものくらいはあるかもしれない。周囲を取り囲む新緑の葉を見ながら考える。葉の瑞々しさから恐らくは今は夏なのだろう。山の中故に朝はそれなりに冷え、また昼間でもこうして木の下で過ごしていれば十分に涼しいが畑仕事や薪割りなどを日光の下でしていると時折汗ばむ事もある。踏みしめている足元の土も少し湿っていて、空気も、日本の夏ほどでは無いが少し湿っぽい。だからこそ風が吹き抜けるとそれが清涼感を与えてくれているように感じる。


「ん?」


 ガサ、という風とは趣が違う葉擦れが直ぐ脇から聞こえ、トモキは振り向いた。もしかして魔獣か、と一瞬考えて剣の柄に手を掛けるが敵意や悪意といったものは感じられないため柄から手を離す。

 それと同時に草の陰から何かがピョン、と飛び出した。野うさぎだ。灰色の毛で覆われたうさぎは、口をモグモグと動かしながら、トモキからすれば何も無い土の上に鼻先を押し付けている。直ぐ側にトモキが居るというのにあまり警戒した様子が無い。その仕草にトモキは顔を綻ばせながらしゃがんだ。


「ここら辺にはあまり外敵が居ないのかな?」


 近くの葉に顔を擦り寄らせるうさぎはトモキに撫でられても気にせず葉に噛み付いた。或いは、トモキに害意が無い事を感じ取っているのか。首元を指先で擦ると黒目が細まって微かに身を捩った。

 やがてうさぎはもっと良い餌場を求めてか、トモキに背を向けてあっという間に走り去った。何となくトモキはうさぎに向かって手を振った。そしてトモキも歩き始める。今度、ここら辺で絵を描くのもいいかもしれない、と思いながら。

 しばらく辺りを見回しながら、薪にするに適した手頃な木を探していくが、調度良いものが中々見つからない。


「これは……ちょっと太いか」


 一本の幹を撫でながらぼやく。結局薪割りを行うのだから、極端に太い樹で無ければどれでも良いのだが、トモキが気にしているのは腰の剣で斬り裂けるかどうかだ。もっと言えば、樹を斬っても剣にダメージが及ばなさそうな樹であるかどうか。剣の斬れ味はこれまでの魔獣を斬った時の感触からかなり優れているのは分かっているが、硬い樹の幹に振り下ろした時は果たしてどうか。上手く斬らないと刃が折れてしまいかねない。そもそもの用途として樹を斬るのには向いていないのだ。最低でも刃毀れや刃折れだけは避けなければ、とトモキは慎重に選んでいく。


「まずはこれくらいから試してみるか」


 そう言ってトモキは、自身の二の腕ほどの太さの樹を軽く叩くと抜剣し、脇構えに構えた。肩の力を抜いてリラックスしつつも、腰を落として体勢を低くし、呼吸を整えながら集中を高めていく。


「ふっ!」


 一閃。鋭く振り抜かれた剣は、微かに抵抗を受けたものの呆気無く右から左へと通り抜けていった。

 一拍遅れて樹の幹に線が入る。細長い幹が少しずつずれ、やがて大きな音を立てて地面に向かって倒れていく。

 トモキは呆気に取られてその様を見ていた。まさかここまであっさりと、しかも一撃で切り倒せるとは予想していなかった。刃を見てみても、刃毀れは一つもなく、刀身が曲がった様子も無い。


「……マジで?」


 あまりの切れ味に顔を引き攣らせながらも、トモキは更に太い樹に当たりを付けた。今度は一気に太くなりトモキの胴回りくらいだ。先ほどと同じように腰溜めの姿勢から剣を振るうと、幹の太さなど関係ないかのように簡単に両断してしまった。


「これって……」


 もしかしなくてもとんでもない業物なのでは。マジマジと剣を見下ろしながらトモキは思った。

 剣は父であるケンジから、魔技高の入学祝いとして貰ったものだが出自は不明だ。


「知人から、お前が入学した時に渡すよう頼まれてたんだよ」


 かつてケンジに尋ねた時はそんな回答が戻ってきて、その時はそうなんだ、としか思っていなかったが、とんでもないものを譲り受けてしまったのでは無いかと今更ながらにトモキは恐縮した。そして、粗末な扱いをしてこなくて良かったと一人胸を撫で下ろした。雑に扱っていれば、もしプレゼントしてくれた人と会う時に合わせる顔が無い。


「だとしても異常な切れ味だよね……」


 当然ながら魔素技術が使われているのだろうが、それにしたって切れ過ぎだ。トモキはそっと幹の切断面に指を這わせてみるが、断面はとても滑らかで剣で斬ったとは到底思えない。


「誰なんだろ。こんなに凄い物をくれるなんて」


 ケンジの知り合いにも何度か顔を合わせた事はあるが、皆魔技とは関係のない普通の人達で、失礼だが羽振りよくこんなものをくれる程に裕福そうな人も居ない。またケンジに誰何したこともあったが、ケンジははぐらかすばかりで、決して名前を明らかにする事は無かった。それは母アカリに聞いても同じで、くれた人物を知っているようであったが、決して口にしない。普段はおしゃべりな母だが、口にしないと決めたことは絶対に守る性格なのでトモキもそれ以上追求はしなかった。


「元の世界に戻れたらもう一度聞いてみようかな」


 切り倒した木を手頃なサイズに切り分けながらトモキは呟いた。こうして、今は木を切っているがこの剣には何度も助けられた。これが無ければ、恐らくは最初の猪獅子に襲われた時点で命を落としてしまっていただろう。元々大事にしている愛剣だが、こうして振り返ってみるとますます愛着が湧いてくる。「こんな使い方して、ゴメンな」と刀身を撫でてみると、「気にするな」とでも言うかのように射光で煌めいた。


「……さて、こんなもんでいいかな?」


 大雑把に丸太を切り分け終え、数日は保つ程度に適当な量を背中の籠に放り込んでいく。残ったものは、また後日取りに来るため分かり易く付近で一番太い木の下に並べ置いておく。


「後は……山菜取りか」


 セツの依頼を思い出しながらトモキはグルリ、と周囲を見回した。正直なところ、トモキには山菜の種類も知らないし見分けもつかない。セツの家で食事をするようになって毎食何らかの山菜が出てはくるが、それがどんなもので名前が何だとかさっぱり不明だ。随分と無茶な要求をしてくれる、と溜息を吐き、だがどうせセツが分別するのだから、と思い直した。


「あんまり気にしないでいいみたいな事言ってたし、適当に食べれそうなのを採っていくか」


 そう独り言を呟きながら、手始めに、とばかりにトモキはすぐ脇にあるヨモギみたいな草を千切って籠の中に放り込む。同じ要領でこれは食べれそうだ、あれはダメっぽいな、などと言いながら少しずつ森の奥へとトモキは進んでいった。

 歩くにつれ、次第に藪が深くなっていく。足元も土から草が主に変化していき、空を覆う木の茂みも濃くなって段々と光が入りづらく暗くなっていく。それでもトモキは、途中から楽しくなってきた山菜拾いに夢中になって奥へ進んでいく。


「ちょっと奥に来すぎたかな?」


 トモキは足を止めて籠を下ろし、中を覗き込んだ。すでに籠の中は薪と野草の類いで三分の二程が埋まっている。


「もう十分だろうし、そろそろ戻るか」


 よっと、と声を出しながら籠を担ぎ直し、元来た道を引き返していく。と、何気なく空を見上げた時にトモキは「あっ」と声を上げた。

 右隣の木の遥か上、微かに陽が当たる程に高い場所に赤い実がなっていた。それも一つ二つでは無く、数えるのも面倒な程にたわわに生って枝が(しな)っている。


「確かあれは……ハジの実って言ってたっけ?」


 数日前の夕飯時に出た時の事をトモキは思い出した。食事を終え、食後のデザートとしてセツが一つだけ土間から持ってきた真っ赤な果物だった。形は木通(あけび)に似ているが、皮を向けば香り高く部屋中に甘い匂いが充満するほどだ。一口だけ貰ったが、口の中に入れた途端に濃厚な果汁が口いっぱいに広がり、舌の上を甘みが滑っていく。しかし決してしつこくなくサラリとした味わいだ。野性味が強く、表現に困るがまさに「自然な生育」をしたと思えた。

 いつもであればセツは二人で半分こに、もしくはトモキが多くなるように何でも分けてくる。だがこの実に関しては扱いがまるで違った。


「このハジの実に関してだけはお主にはやらんからな」


 真面目くさった顔で強い口調で告げてくるセツだったが、その視線は早く齧り付きたいと言わんばかりにチラチラと実の方に散っていて、持ち方も赤子を抱く様に優しそうだった。貰った一口も、本当に「一口」だけでそれもまるで鼠が齧ったかの様にホンの僅かだ。それ以上は頑なに許してくれない。

 トモキはからかうつもりで大口を開けて齧り付く素振りをした。どんな顔をしているか、と薄ら笑いを浮かべながらセツの様子を窺うと、セツは真っ赤に熱せられた火箸を握りしめてただでさえ赤い眼を更に赤く血走らせていた。般若もかくや、な憤怒の表情で白い肌も赤く染め、トモキの頭をかち割ってでも取り返す勢いだったため、トモキは顔を引き攣らせながら怖ず怖ずと実を差し出すしかなかった。


「……あれは怖かった」


 普段は優しいセツの、その時の表情を思い出してトモキは身を震わせた。それほどセツが大好きなハジの実だが、中々手に入らないのが非常に残念だと後でセツは教えてくれた。山の中に自生しているがその数は少なく、また木の高い場所に生るため採ることもできない。森の中に入った時に偶然地面に落ちているのを拾うしか無いのじゃ、と語るセツの表情は心底悔しそうであった。

 しかし今、トモキの目の前にそのハジの実がたくさん生っている。


「……まあ、セツにはお世話になっているし」


 せっかく直ぐ側に生っているのだ。採らない、という選択肢は無いだろう。ハジの実に齧り付きながら心底幸せそうなセツの表情を思い浮かべ、トモキは頬を緩ませる。そして背負っていた籠を下ろして、実の生っている位置と見比べながら籠の位置を調整していく。

 そうして今度は上を見ながらトモキは屈んだ。真上に跳躍すると、三メートルは上にあろうかという高さの枝に簡単に手を掛け、まるで曲芸師の様に軽やかに更に上へと登っていった。

 するすると、しかし慎重に。トモキは高くなるにつれて細くなる枝の強度を確かめながら上へ上へと進み、あっという間に七、八メートル程の高さまでやってきた。


「よっと」


 手頃な距離にある実に手を伸ばし、千切り取る。二個の内一個は制服の上着ポケットに何とか押し込み、もう一つは枝の上から遙か下にある籠を確認すると手を放した。赤い実は重力に引かれて落ちていき、やがて山菜で満たされた籠の中に柔らかい音を立てて収まった。


「よしっ!」


 小さくガッツポーズを取るトモキだが、今の位置から手の届く範囲にあるのは精々二、三個だ。トモキは腰から剣を引き抜き、刃先を使って身を傷つけない様に実の根本を切り下ろしていく。次々に実が落ちていき、籠や地面にぶつかる。もしかしたら実が傷ついているかもしれないが、少なくとも一個は綺麗なものは確保したのだ。それくらいは許してもらおう。

 あと一つ、あと一つ、と少しずつトモキは枝先の方へ移動していく。歩を進める度に枝が撓ってヒヤリとするのだが、それよりも実を採取したいという気持ちが勝った。たくさん持って帰ればセツもきっと喜ぶだろう。

 そう思って更に半歩、前に出たトモキだったが、不意に背後からミシ、と嫌な音が聞こえた。ゾッとして振り返れば、枝の根元の表皮が裂け、白い断面が見え隠れしていた。

 ヤバイ、と思った時はすでに遅し。慌てて戻ろうと焦って脚に力を込めてしまい、枝は根本から呆気無く折れ、トモキと共に落ちていってしまった。


「くっ!」


 トモキは体勢を崩して後頭部から落ちていった。落下時の浮遊感に弄ばれながら、しかし藻掻くようにして何とか体勢を整えて足の方から着地する。それでも十全の着地、とはいかず、右に傾いていたために衝撃を殺しきれず横に投げ出されるようにして転がっていく。

 だが、トモキが転んだ先は急な山肌になっていた。手前まで藪が濃く茂っているため直前まで気付かなかったがトモキが手を突いた先には足場は無く、もんどり打ちながらトモキは転げ落ちていく。


「……っ!!」


 そこは崖とも言える程に急な下り坂だ。転がり、視界が目まぐるしく空と地面とで切り替わる。時に滑り、時に転がりながら滑落していった。


「ぐっ……が、あ……!」


 両手両足を地面に押し付け、止まろうとあがく。しかし急な斜面で勢いのついた体は滑ることを止めない。

 そして視界の先で高速で近づいてくるのは、山肌から突き出した大岩だ。


「と、まれぇぇぇぇぇっっ!!」


 トモキは叫んだ。だが無情にも体はそのまま滑り続け、足先から岩に衝突した。

 トモキの体は大きく投げ出された。風に吹かれる木の葉の様に弄ばれ、背中から土の上に叩きつけられる。そのまま数メートル転がり、やがて坂が終わってトモキの体は止まった。

 大の字になって、気づけばトモキは空を見上げていた。放心し、呆然として口をポカンとしたまま何度も瞬きをした。


「……生きてる?」


 そんな問いが口をついて出てくるが、当然答えを返してくれる様な者など居ない。トモキも返事を期待したわけでは無く、今更ながらに痛みを主張してくる全身にムチを打ちながら蹌踉めき、立ち上がる。


「っつぅ……」


 体を起こし、両足に体重を掛けた時、鋭い痛みがトモキの右足を襲った。座り込み、ズボンに着いた汚れを軽く払うと裾をたくし上げ、足首を見る。すると踝の辺りが紫に変色し、見る間に腫れ上がっていく。


「捻挫ならいいけれど……」


 もしかしたら骨が折れているかもしれない、と痛みと不安にトモキは顔をしかめた。そして泥の着いた顔を拭い、辺りを見回すとポツリ、と呟いた。


「……何処だ、ここ……?」


 トモキは独り、山に残された。





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