4-8 君、死に給う事勿れ(その8)
来週更新できなさそうだから二日連続で更新
トモキはゆっくりしていくよう求める村人達に頭を下げてセツの家へと急いだ。セツの弟子を粗雑に扱うことは出来ない、と言って引き留めようとする村人達だったが、トモキはそれを振り切った。
「セツ様のお手伝いをしないといけませんから」
困った様な表情を作り、その中で笑みを浮かべてみせる。すると集まった村人達は残念そうにしながらも、フェデリコを急かすと薬の代金として支払う野菜や肉類を集めてトモキに渡した。それを受け取って背嚢へ押し込み、トモキは足早に村を出る。
「セツ様に宜しくお願いします!」
口々にそう伝えてくる彼らに手を振り、逸る心を押し隠して歩いて山へと向かっていく。そして村から離れて見えなくなると、トモキは一気に速度を上げた。
風を切って駆け、瞬く間に草原を抜けて山道へ入る。獣道に入ると、転倒を逃れるため走ることは止めたが、上り坂にも関わらず行きよりも遥かに速いペースで登っていく。
怒りと不安がトモキの内を占めていた。やはりセツは自分に隠し事をしていた。老婆とフェデリコの態度からトモキはそう決めつけた。セツが何者なのか、重大なその事実を隠していた。無害さを装って、やはりトモキに対して何事か謀り事を胸に抱え込んでいたのだ。騙されていたという怒りがこみ上げ、しかし同時に不安が首を擡げる。
何故、隠していたのか。それは知る必要がないからではないのか。フェデリコが言っていたように「謎のままで良いことだってある」のだ。それに「彼女の事を知ってどうなる?」と疑問が沸き起こる。
どうせ、長居するつもりの無い相手だ。下手に藪を突いて蛇を出す必要もあるまい。セツにどんな秘密があろうと構わない。しばらく大人しくしていれば、何事も無かったかの様に平穏に彼女の元を辞する事ができるだろう。
(僕は……何を怖がっている?)
彼女が、自分を害する事をか? 何かを隠し、油断したトモキを害そうとしているのか? 或いは何かに利用しようとしている?
何か、とは何だ? 分からない。衰えたトモキでは利用できない事か。元気であることに意味があるのか。
そういえば、とトモキは彼女の作業部屋にある巨大な機械を思い出した。ゴツゴツとして随分と家に不釣り合いな物だった。あの時は何か分からなかったが、フェデリコから話を聞いた今、あれもまたロストアーツなのでは無いかと考えた。薬を調合する作業場に在ったことから恐らくは、トモキや村人達に処方している薬を作り出す魔技機械だ。
しかし、だ。トモキは眉根を寄せた。俯いて歩く視界の先の足元は、日がすっかり傾いた今ではほとんど見えなくなっている。
よく効くのは村人の話から間違いない。自分も身を持って実感した。それで、その薬の材料は何だ? あの魔技製品を使う以上、普通の工程で使うような材料ではあるまい。何か、特殊な材料を使っているのだろう。ではその特別な材料とは?
まさか、人間では無かろうか? もしくは生物の血や肉。生き物の体には多くの栄養が含まれているものだ。そして、魔素などもまた然り。健康で若い肉体ほど含まれる魔素は多く、薬の材料として優れているはずだ。その為に、セツはトモキの世話をし、栄養を与え、健康な体を取り戻させようとしているのだ。まるで、美味しい肉の為に豚を肥え太らせるかのように。
「……馬鹿馬鹿しい」
妄想にも程がある。小さく首を振り、溜息と共にトモキは吐き捨てた。この世界よりも遥かに魔技が発展したトモキの世界に置いてさえ、当たり前だが人を材料とするような魔技機械など存在していない。それなのにこの世界で想像した様な機械があるはずなど無い。
それに彼女がトモキを害そうと考えているのであれば、対処は容易い。彼女の元に戻らず、シエナ村で情報収集をしてそのまま居なくなってしまえばいいのだ。このまま再び坂道を下り、村の門を叩けばいいのだ。そうすれば彼女の不明さに怯えることの無い生活が望めるだろう。
「だっていうのに……」
今、こうしてトモキはセツの家へと赴いている。律儀に村からの荷物を背に抱えて、だ。どうしてそうしているのか、トモキ自身分からない。
「恩だけは返さないと……」
そう呟くが、果たしてそれだけか。義理堅くありたいからか、それとも何か気づいていない理由があるのか。結局、自分が何に突き動かされて行動しているのか、その根因に思い至る事は遂に無かった。
やがて、視界の前を遮っていた木々が途絶え、窓から光が漏れる荒屋が見えた。トモキは無性に走りたくなり、否、家に帰りたくなって走り出した。
見る間に大きくなるセツの家。トモキは入り口のドアの前に辿り着くと乱れた息を整える事もせずに引き戸を思い切り引き開けた。
バンッ、と音を立てて扉が全開になった。土間に満たされていた裸電球と竈の光が一気に外に溢れ出し、眩しさにトモキは眼を細めた。
「ト、トモキか?」
音に驚いたらしいセツは、どうやら土間で料理をしていたらしい。白い着物の上に割烹着を纏い、ミトンをはめた両手の中には小振りな土鍋が抱えられていて、その体勢のまま固まっていた。何とか、といった様子で言葉を捻り出すも、驚いているその姿は歳相応といった感じで、何故かトモキは安堵を覚えた。
蓋に開けられた小さな穴からは細く湯気が立ち昇り、トモキの鼻腔を微かにくすぐる。そういえば村を出てから何も食べていなかった、とトモキは今更になって気付き、現金な胃は空腹を殊更に主張し始めた。
「……驚かすな。びっくりしたわい。別に家のドアを開けるのにノックしろとは言わぬから、せめてもう少し大人しく開けて欲しいのじゃ」
「すいません、そんなに力を込めたわけでは無かったのですが」
驚かされた事に対して拗ねる様にセツは口を尖らせて文句を口にする。トモキは息を弾ませながらも謝罪を口にした。
「まあ良い。それにしても帰ってくるの早かったの。もしかしてフェデリコと逸れでもしたか?」
「いえ、きちんと村に言って食材も貰ってきましたよ」
そう言いながらトモキは背嚢を下ろし、紐で縛っていた口を広げてセツに見せる。セツはその中を覗き込み、中身を取り出そうとして自分が鍋を抱えたままであったことを思い出し、鍋とトモキを見比べた。
「中身は後で検めるとしようかの。しかし、随分と急いだようじゃの。もし明日の分まで作ってなかったらトモキは飯抜きになるところじゃったわ。
ともかく、ひとまずは夕飯とするかの。風呂でも入って汗と汚れを流してこい。お主が出る頃には鍋も煮詰まっていよう」
セツは履いていたサンダルを脱ぎ、囲炉裏部屋へと入って行くと手にしていた鍋を自在鉤に引っ掛け、囲炉裏の中で燃えている火との距離を調整していく。そして入り口の前で立ったままのトモキに向かって「早うせんか」と急かし、急かされたトモキは難しい顔をしながら頭を掻き、土間の奥の浴室へと向かっていった。
浴室に入る直前でトモキはセツの方を振り返った。割烹着姿で忙しなく皿に料理を盛り付けたり、釜で焚いた米をかき混ぜたりしている。その顔は一生懸命で、しかし何処か楽しそうとも嬉しそうとも取れる顔色をしていた。
トモキはその様子をジッと見つめ、俯いて強く眼を閉じ、何かを振り切るようにして浴室の中に消えていった。
パチパチと囲炉裏の中で薪が音を立てて燃える。炎は自在鉤に吊るされた鍋底に当たって鍋を包み込む様に回りこみ、中身を温める。木蓋の取り除かれた鍋からは暖かな湯気が昇り、炎は部屋全体を照らすと共に空気を温める。
トモキとセツは囲炉裏を挟んで向かい合っていた。二人揃って汁茶碗を手に取り、静かに夕餉を突く。牛の乳を使った白いスープを啜り、山の夜で冷えた喉を、そして胃を優しく温めていく。
「……うむ」
セツは自らが作ったスープの味わい、満足そうに頷いた。しつこくなく、それでいてコクがあり野菜と肉の旨味が濃厚に舌を滑っていく。
「どうじゃ? 中々の味じゃと自負しとるんじゃが」
「はい、凄く美味しいです」
即座にトモキは答えた。だがそれは何処か予め決めていた返事を口にした様であり、実際、答えたトモキの視線は料理にもセツにも向いておらず、表情も固い。
「そうじゃろう、そうじゃろう」しかしセツは気にせず嬉しそうに頷いた。「これまでは腹の傷の事もあって負担の少ない物しか食わせてやれんかったが、もう大丈夫じゃろう。後は旨いもんをいっぱい食って体力を回復させるがよい」
そう言いながら鍋の中に掛けてあったお玉を手にとってかき混ぜると、「ほれ、さっさと食え。お代わりが注げんでは無いか」とトモキを急かす。トモキはどうしようかと迷い、器をセツに差し出しかけるがすぐに手を引っ込めた。
「いえ、この一杯でまだ大丈夫です。いっぱい食べるにはまだ胃が本調子じゃないですから」
「む? そうか。それもそうじゃの。どうも気が急く。ゆっくりと食うのが良かろう」
苦笑いを浮かべてセツは少し気恥ずかしそうに顔を背けた。そして鍋の中身を覗き込み、白い髪が鍋の中へと落ち込みそうになっているのに気づくと、懐から紐を取り出して長い髪を縛った。
「どうじゃったかの、村の様子は? 皆、息災じゃったかの?」
トモキは器を抱えたまま数瞬、考える素振りをする。迷い、空いた手で脇の鞘を撫でた。
「ええ、皆さん元気そうでしたよ。どの方も皆セツへの感謝の言葉を述べてました」
「そうかそうか。であれば妾も作った甲斐があったというものじゃ。では次も頑張るとするかの」
「皆さんそれを望んでました。お婆さんも不安がっていましたし」
トモキは喉を鳴らし――一歩を踏み込んだ。
「――子供の頃から飲んでいたセツの薬が無くなるのを」
ピタリ、とセツの手が止まった。
「教えてください」一度出た言葉は止まらない。「セツは――セツは、何者なんですか?」
畳み掛けるトモキに、セツは抱えたばかりの茶碗をじっと見つめて押し黙った。
沈黙が流れる。トモキもまた押し黙り、じっとセツの返事を待つ。重苦しく薪が崩れる。
どれだけの間を置いたか、やがてセツは大きく溜息を吐いた。フーっと長く吐息の音が響き、軽く瞑目して空を仰いだ。
「……聞いてどうする?」
「……分かりません。本当の事を知らずにどうするか、なんて決められません」
「知らずに居ることが幸せな事もあるのじゃぞ?」
「フェデリコさんも同じことを言ってました。ですけど――」
トモキは脇に置いた鞘を握り締めた。
「騙されたままで居られる事を僕は我慢できません」
そう言い切って、セツを睨みつけた。
そうして再び静寂が立ち込める。薪が音を立てて弾け、一瞬だけ炎が大きく立ち昇る。炎が、生気の乏しい白いセツの頬を赤く染めた。
「全く……フェデリコの奴め。肝心なところで抜かりおって」溜息混じりにセツは吐き捨てた。「いや、注意を失念して居った妾の責任か」
「セツ」
「そう急くな」逸るトモキを諌める。「急がんでも妾は逃げぬわ」
コトリ、と手に抱えていた器を床に置き、居住まいを正す。そして腕を組み、数回瞬きをしてトモキを見つめた。
「まず、お主に妾の事を黙っていた事を謝ろう。だが理解して欲しいのは、別にお主を謀ったりするために語らなかったのではないと言うことじゃ。だからその剣を握り締めた手の力を抜いてくれぬか?」
言われてトモキははっとした。左手は堅く握られており、筋が浮き出ている。ギシギシと鞘が軋んで悲鳴を上げ、トモキは力を緩めかけた。だが首を横に振る。
「……それは出来ません。僕はセツが良く理解らない。何を考え、何を狙っているのか。それが分かるまでは気を緩める事は出来ない」
「ぬぅ、頑なじゃな。そんなに妾が信用できんか」
「出来ませんね。少なくとも今は」
即答するトモキに、セツは肩を落とした。項垂れた頭を抱え、だがふっ、と短く息を吐くと気を取り直す。
「冷たい言葉じゃな。まあしかし、因果応報、自業自得という奴か。それに、お主も中々に難儀な性格をしとるようじゃが、妾がお主を誰かに売り払うというような心配は無用じゃ」
「それはどういう……」
「単純な話じゃよ。そうして得られる利益より不利益の方が大きいからの。
のう? ――賞金首の久遠トモキよ」
――バレた。
ほくそ笑むセツに向かってトモキは跳んだ。鞘から剣を引き抜く。鋼糸の如く鋭い一閃がトモキとセツに介する間を斬り裂いた。自在鉤に吊るされた鍋を剣の柄で殴り飛ばし、重い鍋が鞠の様に弾き飛ばされてセツの頬を微かに掠めていく。
その直後、トモキは鋭い眼差しをセツに向け、切っ先をセツの顔目掛けて突き出した。
何も考えられない。何も思わない。訳のわからぬ衝動に押されて、深く考える間も無くこの敵を殺せと叫ぶ小心に操られる。操られるがままに剣をセツの顔に突き立てる。
だが剣がセツに届く刹那の前、トモキの眼前に亡きシオが立ち塞がった。
眼を剥くトモキ。咄嗟に剣の軌道を変え、シオの左頬を僅かに斬り裂くに留まった。シオの姿が消えさり、ハラリ、と白い髪が宙に舞った。
息が掛かる程に二人の顔が肉薄する。止められていた時間が動き出したかのように今更に鍋が床に転がって中身をぶちまける。何時間も走ったかの様な荒いトモキの息がセツの前髪を揺らし、セツは鷹揚とした態度を崩さないまま真っ直ぐにトモキを見上げた。
「……気の短い奴じゃな。今のは妾もヒヤリとしたぞ」
「貴女は――お前は、何者だ」
先ほどと同じ問いかけをトモキは繰り返した。しかし持つ意味合いは変質した。最初よりもずっと重く、苦い味わいだ。苦虫を噛み潰したような渋い表情で、だが泣きそうな声でもう一度尋ねた。
「言ったじゃろう? 利益よりも不利益の方が大きい、と。妾もまたお主と同じく人に追われる立場なんじゃよ」
寂しそうにセツは言った。一瞬だけ濃い憂いが赤い瞳に混じり、息を吐き出す。
「どういう意味、ですか?」
「それを話す前に剣を収めんか? 妾を殺そうとされたままじゃおちおち落ち着いて話も出来ぬ」
言われてトモキは剣を引いた。逡巡し、ゆっくりとセツの動きに注視しながら剣をセツから離し、鞘に収める。それを確認すると、セツは後ろに転がった鍋の傍に膝を突き、零れた中身を片付けながら話を再開した。
「まず、じゃが……妾はお主の考えている通り見た目通りの年齢では無い。これが人に知れただけでも人は離れ、恐怖を覚えるであろうな」
「実際は、何歳なんですか?」
「数えてはおらんが、そうさのう……もう六十年にはなろうかの」
「六十……!」
話し方などから薄々察してはいたが、想像以上の高齢にトモキは面食らって言葉を失った。セツはその様子に苦笑を浮かべつつ、「そう驚くことでは無い」と述べた。
「どういうことですか……?」
「人間ならすでに老齢であろうが、妾の様な種族では六十ではまだこの通り幼子よ」
「その言い方だと人じゃ無いように聞こえるんですが……」
かと言って、獣人の様にも見えない。耳が毛に覆われているわけでもなく、羽が生えているわけでもない。獣人なら人の姿に化けれる者も多いが、人を嫌う獣人は人に化ける事も嫌う。そもそも、獣人が人に化けたとしてもその時の容姿は年齢相応にしかならない。理解が及ばず、トモキは惑った。
「左様。妾は人では無い」
セツは首肯した。
「なら……獣人ですか? ですが獣人は……」
「そうよ。人が獣人を憎むのと同じく獣人もまた人を憎む。故に獣人が人の姿に化ける事も無い」
「そうです。しかしセツは――」
「人にしか見えぬ、か。しかも齢六十には到底見えぬ、といったところか」
今度はトモキが頷いてみせた。
「それも道理であり、しかし過ちでもある。確かに妾は人では無い。だが獣人でも無い。無論鳥人でも無いぞ」
それでは、如何な種族か。その問いをトモキが口にする前にセツが答えようと赤みの乏しい唇が動く。だが一度止まり、迷う心中を表現するかのように音も奏でず眼を伏せた。それでも平静を貼り付け、彼女は言った。
「妾は吸血種。すでに絶えて久しい『怪人』の一種じゃ」
セツは皆大好きロリババアだった。
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