4-6 君、死に給う事勿れ(その6)
「ははっ……カマを掛けてみただけだったんだけど、どうやら図星だったみたいだね。しかもどうやらワケありみたいだ」
「……何を知ってるんです?」
「何も」
剣の先がフェデリコの震える喉に触れた。
「本当だ。色々と妄想するのが趣味みたいなものなんだ。君を助けた時の身形からここら辺の人間じゃ無い事は分かったから、冗談で一番あり得ない事を言ったつもりだったんだよ。まさか本当に迷人とは思わなかったけれど」
「この事は他の人には?」
「言うはず無いよ。本当に単なる思いつきだったんだから」
トモキはフェデリコの眼を見つめた。細められた鋭い眼差しで睨みつけ、だがフェデリコは怯えた様子も見せずトモキの眼を見つめ返した。
時間が止まったように静まり返る。
睨み合う形になっていた二人だが、フェデリコの喉元からスッと剣が引かれた。
「……信じてくれるのかい?」
「分かりません」トモキはフェデリコを引き起こすと剣を収め、元の場所に腰を下ろした。「僕には分かりません。何を信じればいいのか……誰を信じればいいのか。フェデリコさんも信じてもいいのか分かりません。けれど、だからと言って手当たり次第に誰かを傷つけていいとも思いません」
そうなってしまうと、僕は。瞬きを一つしてトモキはその先を飲み込んだ。
「……御礼は言わないよ」
「構いません。僕も謝りませんから。それに――」トモキは鞘を鳴らした。「騙された、と分かったら容赦無く殺します」
「……肝に命じておくよ」
それで、と震える指先を隠してフェデリコは座り直した。
「ロストアーツの事だったね。迷人なら知らないでも仕方ないか。ロストアーツは、云わば旧時代の遺産と言ったところかな?」
「旧時代の遺産?」
「そうだ。とは言っても本当のところは誰も知らない。本当に遥か昔に作られた物が発掘されたのか、或いは君みたいな迷人が持ち込んだのか。ただ共通して言えることは、ロストアーツの何れもがその当時の技術じゃ作れなかった事、そしてどれもが魔術を組み込んだ、所謂魔道具であることだ」
もっとも。フェデリコは言葉を区切ってランタンを持ち上げた。
「このランタンはロストアーツのレプリカなんだ。こいつみたいに、最初はロストアーツだったとしても今となっては再現が可能になってしまったものも多い。とは言ってもまだまだ高価で僕らみたいな一般人じゃ中々手に入れるのも難しいんだけど」
「他にもそのロストアーツと呼ばれる物は多いんですか?」
「どうだろうね。僕が知る限りだと他にも魔物除けの設置型魔道具だとか、発熱型魔道具――料理に使うコンロとかだね。それくらいは知ってるけど、他は知らない。だけど、少なくとも王族や貴族はたくさん持ってると思うよ。完全な推測だけど」
「貴族、なんて居るんですね」
「君が居た所は居なかったのかい?」
「僕の国には。他の国では居た国もありましたけど、それでもあまり政治的には実権は無い国が多かったと思います」
「ふぅん……王族だけで国が回るんだ。それはそれで興味深いなぁ」
フェデリコは誤解したまま感心した様に唸るが、トモキはそれを否定しなかった。フェデリコがどう勘違いしようがトモキは別に構わなかった。どうせ彼が辿り着けるはずがないのだ。もし、万が一にも彼が日本に辿り着く方法を見つけたとしても、その時には彼の勘違いのことなど些細な事にしか過ぎないのだろうから。
(それはともかくとして、ロストアーツか……)
言葉の響きだけ聞くと何か想像を絶する様なとんでもない事が出来るような期待が込み上げてくるが、果たしてどうか。トモキはランタンとストーブを見た。その二つはトモキの世界ではとてもありふれた物に過ぎず、原理としてもさして難しいものでは無い。魔法陣を刻む程度であれば、魔技高を卒業した人間であれば時間さえ掛ければ出来るだろう。
フェデリコがあまり知らないように、ロストアーツ自体は一般にはあまり出回っていないみたいで、手の届くような物はせいぜいが日用品程度か。王侯貴族が所持しているかもしれない物ならば、もっと凄いロストアーツが存在するのかもしれないが、果たしてトモキが望む効果を期待してもいいものなのか。
(でも、元の世界に戻れる可能性があるなら、ロストアーツを探してみるのもいいかもしれない)
トモキは、今は自分が何を為すべきか目的を見失っている状態だ。共に歩く人も失い、腰を落ち着ける場所も無い。そうであるなら元の世界に戻る為のロストアーツが存在するのか、それを調べる事を第一の目的としてもいいのかもしれない。
(それで、元の世界に戻ったとして、君に待っているのはどんな未来なんだろうね?)
頭の中で少年が嗤う。声だけが脳内に響き、その声色は到底トモキの未来を輝かしいものと考えていない事がまざまざと理解った。
ギリ、と奥歯が軋んだ。
「黙れよ……」
「え?」
「あ、いや……」
突然の冷たい声にフェデリコがビクリと体を震わせ、トモキは顔を上げた。
トモキは普通にフェデリコを見上げたつもりだったが、眉間に皺を寄せた鋭い眼差しのままであったため余計に威嚇しているように見え、フェデリコは顔に怯えを露わにした。
トモキは声に出さずに少年に悪態を吐くと、誤魔化すようにストーブの上に置かれたケトルを手に取った。
「単なる独り言なので気にしないでください」 「そ、そうかい? なら良かった……」
「それよりも、別の質問です」
勝手にカップを手に取り、ケトルの中のコーヒーを注いでいく。暗濁とした液体が満たされていき、それをフェデリコの前に置くと続いて自分のカップにも注ぐと何も言わないまま口元へ運ぶ。感じたしつこい苦味を熱が洗い流す。
「……魔族とは、何ですか?」
「これまた難しい質問だね……」
フェデリコはトモキが注いだカップを両手で取ってそっと口付けた。
「はっきり言ってしまえば、これもよく分からないんだ」
「何も知らないんですね」
「皮肉るなよ。田舎村の村長風情に何を求めてるんだ、君は。
それに僕じゃなくっても魔族の事は知らない事の方が多いと思う。王都とかだと捕まえた魔族のサンプルを使って研究されてるっていう噂は聞いたことがあるけれど」
「フェデリコさんは見たことは無いんですか?」
「見てたら今ここに居ないさ。きっと雲の上から村の様子を優しく見守ってるよ。それだけ危険な存在なんだから、魔族ってやつは。
あ、だけど……」
「だけど?」
「ミラニエっていう王都並みの大都市があるんだけど、そこに行った時にちょうど冒険者が捕まえた魔族を運んでるのを見たことがあるな。その時にチラッとだけみたんだけど……」
「だけど?」
「何て言うか……あんまり生物って感じがしなかったかな」
首を捻りながらフェデリコは応えた。
「生物じゃない?」
「うん。いや、生物は生物なんだろうけどね。こうさ、人って基本的に角張ってないっていうか丸みを帯びてるっていうかさ。こういうランタンとかと違って柔らかい感じがするじゃない? 体温が感じられるっていうのかな。人じゃなくっても獣人もそうだし魔獣だってそうだ。そうじゃなくても犬や猫だってそうだし、曲線的だよね。でも僕が見た魔族は金属の板を張り合わせたみたいな、人工物って感じがしたんだ」
当時の記憶を掘り返しているためか、フェデリコは左手の指を額に当てる仕草をした。
「人工物……鎧みたいな物を着込んでいるとか?」
「かもしれないね。普通の剣や矢を跳ね返すし、魔術もほとんど効かないって話も聞いた事があるし、少なくとも相当手強い相手なのは間違いないかな。冒険者や傭兵、兵士が十人くらいで戦ってやっと倒せるって話もあるし」
フェデリコの話が本当だとすれば、戦うには相当にマズい相手だろう。実際にその魔族を倒せているのだから、全く歯が立たないというわけではないだろうが、魔族一体に対して十人で相手をしなければならないのはかなり非効率だ。襲われた時に十人も戦える人間がいる状況はそうそう無いであろうし、急襲されれば全滅もあり得そうだとトモキは思った。
「そんな存在が居るなら、人間と亜人で憎み合ってる場合じゃないんじゃないですか?」
「その通りだと思う。ただ、現に人間と亜人は仲は険悪だけど、もし魔族に襲われた場合は互いに戦っていても一時的に休戦してでも魔族の殲滅が最優先になる事が暗黙の了解になってるって、前に村にやってきた冒険者の方が言ってたよ。ただし、魔族を殲滅できた後はその魔族の遺体を巡って更に争いに発展するらしいけど」
「どうしてですか? せっかく協力できたのに……」
例え人と亜人が不倶戴天の敵であろうとも、共通の敵が存在すれば協力できるのだ。背中を預ける事ができるのであるから、せめてその場限りでも友好な関係を築くくらいすればいいのに、と思ってトモキは呆れた様にフェデリコを見る。すると、フェデリコも同じ意見なのだろう。一度肩を竦めて見せて、口を湿らせるためカップの茶を口に含んだ。
「全く君の言う通りの話だとは思うけどね。
また戦い始めるのは、実は魔族の体は素材として高値で取引されるんだ。剣も通さないくらいに固いし、対魔術性も高い。なら人にしろ亜人にしろ、それを武器や防具に加工すればこの上なく身を守る手段なるだろうから。武器とかにしなくても、王国の研究所に持っていけば高額で引き取ってくれるし、まさに金の成る木なんだよ」 「浅ましい話ですね」
「同意するよ。人も亜人も皆欲深い生き物さ。でもまあ、防衛戦力を上げるために王国も魔族の捕獲を推奨してるからね。国としても魔族の襲撃にはかなり頭を悩ませてるし、今はまだ魔族の数は少ないみたいなんだけど、有効な攻撃手段が無いといざ本格的な侵攻とかが起きた時に防衛すら怪しいからさ」
そこまで話を聞いて、トモキはこの道を辿っている時に聞いた、道の上に居れば安全だという話を思い出した。
「この森にも魔族が居る、みたいな話をセツさんから聞いた気がするんですけど……」
「言ってたね。でもこの道から離れすぎなければ心配ないよ。奴らはここには侵入できないからね」
「さっきも言ってましたね。けど、どうして魔獣や魔族がここに入れないって言い切れるんですか? 何か、魔族の弱点になるものがここら辺にあるとしても、安心して寝れるほど安全だとは思えないんですが」
「あー、うん、そうだね……」
頭を掻き、逡巡を見せるフェデリコ。僅かな時間悩むも、「まあ、君なら知っておくべきかな」と居住まいを正した。
「この道にはどうやら結界が張られているらしいんだよ」
「結界、ですか……?」
フェデリコは頷いた。
「僕もセツさんと死んだ父親から聞いただけだから細かい事は分からないんだけど、父親曰く、祖父とセツさんのご両親の間で、今の僕らみたいな交友を行うためにセツさんの親父さんが作ったらしいんだ、この道をね。
で、だけど、ウチの祖父は当然ながら兵士でも無いし冒険者でも無かったからこの危険な森の中を突っ切る事なんてできない。かと言って爺さんが持ってくる食料が無ければセツさん達も生活できない。そこで高名な魔術師でもあったらしいセツさんの親御さんが、ウチの爺さんが安全にやって来れる様にって、作った道全体に高度な結界を張ったって聞いてるよ」
「……疑いたくは無いですけど、本当に安全なんですか? さっきから……」
言葉が途切れ、トモキは背にしている木の更に奥の方に視線を巡らす。そこにはひっそりとした暗闇が広がり、しかし耳を澄ませば、遠くから獣達の低い唸り声が木々の合間をするすると駆け抜け、時折トモキ達の様子を伺うように闇の中で光る眼をトモキは捉えていた。
油断はできない。だからこそトモキは腰を下ろした瞬間から気を抜くこと無く、何時でも対処できる様に剣の柄を視界の端に捉え続けていた。
だがそんなトモキとは対照的に、フェデリコはトモキに対してこそまだ警戒心が解けきっていないのか横目でトモキを時折捉えながらも、道の外には気を配ってはいない様で、カップのコーヒーを一気に飲み干した。
「大丈夫だと思うよ。もちろん何でも絶対に大丈夫って事は無いとは思うけど、僕も親父の代からもう十年以上行き来してるけど、道を歩いてる限り一度も襲われた事は無いからね」
試しに道を外れてみた途端に死にそうになったけど。そう言ってフェデリコは笑った。
自らの体験を笑い飛ばすフェデリコにトモキは深く溜息を吐いて呆れてみせるが、フェデリコは気を取り直すとトモキに向き直る。
「そんな訳だから、心配しなくていいよ。僕自身も寝てる間に魔物や魔族に襲われたなんて事は一回も無いからね。さて、時間は早いけどそろそろ寝ようか。明日は夜が開けると同時に出発するからね」
そう言ってフェデリコは地面に広げたマントに横になると、それに包まってストーブとランタンのスイッチを消した。
途端に真っ暗になる辺り。明るさに慣れた眼は、トモキを持ってしても直ぐ傍にある木の幹さえ覚束なくなり、トモキとしてはまだ他にも色々と聞きたい事があったが、すでに小さな寝息を立て始めたフェデリコの様子に諦めざるを得なかった。
トモキもフェデリコと同じ様にマントに包まる。だが横になるのでは無く木に凭れ掛かる形で眼を閉じる。
二人共眼を閉じ、静まり返る山中。呼吸音が、獣達の遠吠えに混じってトモキの耳に届く。しかし、トモキは眼を閉じたままで居ることが出来なかった。
トモキは不安だった。いつ、木々の裏に隠れた魔獣や魔族達が襲いかかってくるか気が気でなかった。
もしも、フェデリコの話が嘘であったら。自分を謀る為の作り話であるとしたら。トモキは眠るフェデリコを見た。
まっすぐと仰向けになり、寝返りを打つ様子も無く眠っている。穏やかな寝息は、こんな獣の跋扈する森で寝ているとは思えない程に安心しきっている事を如実に表している。
(本当に、獣達は襲って来ないのか……?)
だとすれば、本当にこの道に結界が張られているんだろうか。本当に、ここで気を抜いてしまっても大丈夫なのか。いや、もしかしたら「道に」では無く、何か魔物除けとなる物をフェデリコ自身が保持しているのかもしれない。彼の傍に居る限りは安全かもしれないが、自分が寝ている間に離れてトモキ独りにするつもりかもしれない。
だが、何の為に? トモキの心臓が跳ねる。
殺すつもりならば、最初から助ける事などしないはず。ならば金の為か? トモキが賞金首だと知って役人に突き出す為か?
はたまた、トモキの存在そのものが邪魔なのかもしれない。理由のない、感情的な理由なら合理的な思考など意味を成さない。トモキを助けたのだって、セツが助けようとしただけで、フェデリコは助けるつもりなど無かった可能性だってあるのだ。
様々な可能性が瞬く間に頭の中を過る。不安が心を占める。心臓が早鐘を打ち鳴らし、震えが止まらない。夜の闇の中で、トモキは身を縮こまらせ、ジッとフェデリコの姿を睨み続けた。
結局、トモキはその晩、一度もまんじりともせずにフェデリコの動向だけを見続けた。
そして夜が明けた。
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