4-5 君、死に給う事勿れ(その5)
トモキは薄暗くなってきた空を見上げた。
小道を覆う木々の影が長く伸び、トモキとフェデリコの姿を覆い隠す。雲が覆っていた空は、今は晴れ渡って夕日が赤く紅く森全体を染めていた。視線を直上から少しずつ下ろしていけば、遠く瑠璃色の空が森と空の境を彩っている。
左右に視線を巡らせればそこは濃密な森だ。手前は木々が疎に並んでいるが、少し奥に行けば陽の光が入らない程に密に林立してすでに真っ暗。夜目の効くトモキの眼には時折恨めしげに光を放つ双眸が見え、獣達の唸り声が聞こえてくる。
足元に視線を落とせば、整備されているのかされていないのか、眼を凝らしても分からない程に曖昧な道だ。踏みしめる靴の下にも雑草が生えており、少し脚を踏み外せば転がる石に脚を取られてしまう。また道自体が頻繁に曲がりくねっているため、前を歩くフェデリコが居なければ正しい道を歩けているのか迷ってしまうだろうと思えた。
「心配しなくても大丈夫だよ。奴らは道の近くには寄ってこないんだ」
キョロキョロしているトモキを見て、不安を感じていると思ったのだろうか。フェデリコは歩く足を止めずに振り返り、人好きのする笑みを夕日に染めてそう言った。
結局、トモキはセツの提案通りシエナ村へと向かうことに決まった。
これまでフェデリコはおおよそ一週間から十日に一度セツの元を訪れていたが、今後は五日毎にフェデリコとトモキが交互にセツの家とシエナ村を訪れる形に新たに決まった。決まったと言っても、セツの鶴の一声で二人の反論を許さない類のものではあったが。
とは言え、トモキがシエナ村への道を知っているはずもないので、村へと戻るフェデリコにまずは付いて行くことになったのだった。善は急げとばかりにセツが二人を急かしたため、フェデリコは運んできた荷物とセツの用意した薬を交換すると休む間もなく早々に元来た道を戻る羽目になって涙目になっていたが。
有無を言わさず決まった感はあるが、トモキとしても断る理由は無かった。セツの家や周辺の地理も把握でき、同時に指名手配犯である自分がどれだけ認知されているかを知ることも出来る。
フェデリコが人間であることからシエナ村も、そしてセツが居る場所も人間の国――恐らくはアテナ聖王国だろうことは想像がつく。そうであるとして、しかしながら村長であるフェデリコがトモキの素性を知っている様子は無い。仮にも村長をやっている人間が指名手配犯の通知が来て知らないはずはない。であるならば、シエナ村は連絡がやってこない程に相当に辺鄙な村にあるか、将亦フェデリコが暗愚な人物であるか、だが。
(そこまでダメな人には見えないよな……)
フェデリコの年齢は聞いていない。だが、そこまで年月を重ねている様には見えない。少なくともトモキよりは五つは上だろうが、若い事には変わりないし、そうであるとしてこの年で村長を任される人物だ。事情があるにしろ、愚鈍な人物に村の顔役を任せるのは流石に村人達が許さないだろう。
「ん? 何か僕の顔に付いてるかい?」
「いえ……たまたま見てただけですので気にしないでください」
「そうかい?」
いずれにせよ、今は一人でセツの家に戻れるよう、まずはこの道を覚える事だ。せっかく生き延びた今日をこんな場所で無駄にするつもりは無い。フェデリコの質問に首を振りながら頭の中でこれまでの道筋を思い返して復習をした。
「日も暮れてきたし、そろそろここら辺で野営の準備をしようか。ここまでくれば明日の午前中には村に着けるだろうし、暗闇を歩いて道を踏み外す羽目になる程急ぐ旅でも無いしね」
道順を思い出し始めて間もなく、フェデリコがそう告げて脚を止めた。行きよりも大分膨らみが小さくなった背嚢を下ろし、手際よく野営の準備を始める。小袋に仕舞われたカップや小皿を取り出し、手頃な太さの木に当たりを付けて、その木の前に道全部を遮る形でシートを敷いていく。
「悪いけど、トモキくんは荷物の中から今晩の食料と……そうだな、マントを出してくれるかい? 寝袋代わりにするから」
言われてトモキも荷物を下ろして燻製肉の塊と二人分の丸められたマントを広げた。その間にフェデリコはランタンと小型のランプの様な物をシートの上に並べた。その様子を何気なくトモキは眺め、その視線に気づいたフェデリコは、トモキが良く見える様にランタンをトモキ側に押し出すと土台部分に描かれた魔法陣に指先を当てて擦った。
すると魔法陣に青白い光が一度走り、ランタンの中にハロゲンの様な青みの強い光の柱が立ち上った。それを見てトモキの表情が驚きに染まり、ランタンの傍に膝を突いて大きく目を見開き、覗きこむ。
「こっちも点けるよ」
フェデリコの呼び掛けに振り向けば、もう一つのランプの様な物を手にしていた。そちらでも同じ様に魔法陣が土台部に刻まれており、フェデリコの指が触れる。それと同時にターボライターの様な力強い炎が静かに立ち昇り始めた。
「魔技製品……」
「凄いだろ? 家の自慢の品なんだ。とは言ってもロストアーツのレプリカ品に過ぎないんだけどね。結構な値段がするはずなんだけど爺さんが無理して買ったらしくて、倉庫に眠ってたんだけど勿体無いだろ? だからセツさんの家を往復する時にありがたく使わせて貰ってるんだ」
悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべてフェデリコが説明するが、トモキの耳には余り入ってこず、食い入るようにして二つの品を見ていた。
同じ様な物をトモキも使ったことがあった。小学生の時にケンジに連れて行ってもらったキャンプでほぼ同じデザインの小型ストーブを使って簡単な料理をした。湯を沸かし、上に金網を置いてソーセージなどを焼いた。目の前にあるのはそれと全くと言っていい程に同じ物だ。
どうしてこんなものが。混乱しながらもトモキは考えを巡らせる。考える事を止める事が出来ない。かつての迷人が持ち込んだ物か、将亦誰かが発明した物が偶然トモキの知るそれと似ているだけか。あるいは、トモキと同じ様に発生した特異点の中に物が吸い込まれた可能性もある。幾つかの可能性はあるが、そこにトモキは言い知れない違和感の様なものを感じていた。何か視点が欠けている気がしていた。
「えぇっと、熱心に見つめてるところ申し訳ないんだけど、そろそろいいかい?」
「え? あ……すみません」
苦笑して声を掛けてきたフェデリコに、トモキは我に返って慌ててストーブから顔を離す。だが視線はストーブから離れず、手にしたフェデリコの動きを眼だけが追い、フェデリコは一層苦笑いを深くした。
「心配しなくても後でじっくり見せてあげるよ。だから、まずは食事の準備をしようか?」
そう窘められ、トモキは気恥ずかしさを覚えた。それを誤魔化す様に慌てて背嚢から別の荷物を取り出しに掛かった。後で、色々と教えてもらおうと考えながら。
「いやぁ、料理までしてもらっちゃって申し訳ないね。どうにも料理は苦手で……」
「いえ……」
頭を掻きながら謝ってくるフェデリコに対してトモキは少し引きつった表情で応えた。
野営の準備を終えた後、フェデリコが種々取り出した食材を料理した。料理とは言っても小型のストーブで出来るものに限られるため非常に簡素なものだ。出されたのは少量の野菜を煮込んだスープと、金網の上で焼かれたソーセージ程度。それでも何日もの間を飲まず食わずで彷徨った事を思えば極上の食事だ。トモキは恐縮しながらもスープを口に運んだのだったが、一口目が舌に触れた瞬間、トモキの全身に戦慄が走った。
「フェデリコさんはもう料理しない方が良いと思います」
「いや、本当に面目ない……」
不味かった。それ以外の形容が不可能な程に不味かった。一縷の褒める所が無いくらいに毒の味だった。
一瞬、トモキは自分が毒殺されようとしてるのでは無いかと思い、口の中の物を慌てて吐き出してフェデリコを睨みつけてしまったが、フェデリコもまたトモキと同じ様に涙目で嘔吐いているのを見て真実を察した。
「こんなつもりじゃなかったんだけど……」と咳き込みながらも申し訳無さそうに謝ってくるフェデリコを責める気になれず、トモキは何とか気を取り直してソーセージの方をフォークに刺した。流石にただ焼いただけのこれなら失敗しようが無い。表面に軽く焦げ目が付き、十分に火が通ったそれを噛み切って、肩を落とすフェデリコに「ほら、美味しいですよ」と示そうと思った。
だが、辛かった。ひたすらに辛かった。本来持っているであろうソーセージの肉の旨味など微塵も感じられない程に辛かった。
(何をどうやったらただ焼くだけの食材をあそこまで不味く出来るんだ……!)
火を噴くかと思った。フェデリコをその火で燃やしてしまうかもしれないと本気で考えた時の事を、未だにヒリヒリして赤く腫れた唇を撫でつつ述懐し、同時に思い出しそうになったスープと肉の味を忘却へと追いやり、記憶を封印する事を堅く決意した。
結局はその後、改めてトモキが簡単に調理し直し、何とか空腹を収めて、今は本当にお湯を注ぐだけのコーヒーを二人して飲んでいた。
「だいたい、こんなに壊滅的な腕前でよく今まで生きてこれましたね?」
「そこまで言うかい?」
「人を毒殺直前に追い込んだんですから当然です。村の人は何をしてたんですか……!」
「実は何度か家でも料理しようとしてるんだけどね。包丁を握った途端に誰かが家に飛び込んできて取り上げるんだよ。『絶対に料理しようとしないでください!』って本気で怒ってくるからさ。だからこういう時にでも練習しようと思ったんだけど……」
「人を練習台にしないでください……」
どうやら村人達もフェデリコの腕前は十二分に把握していたらしい。普段から料理を遠ざけていたのはいいが、その結果として村とは関係の無いトモキが殺されそうになってしまったのは皮肉だが。
「ま、まあその話は良いとして。今更だけど、もう体は大丈夫なのかい? 結構な怪我だったと思うんだけど」
「ええ、まあ。こうして山道を歩くくらいは出来るようにはなりました。セツさんの薬がよく効いたみたいで」
薬の効果だけでは無い、と思ってはいるがトモキはその事は伏せた。異常な事情は極力伏せておくに限るし、そうではなくても自分の事情は教えたくはない。例え、フェデリコが信頼に値する人物だったとしても。
「そうかい? 確かにセツさんの作る薬は良く聞くからね。村でも彼女の薬は評判ですぐ売り切れちゃうんだよ。でも、彼女の腕は確かだけれど、だからといって無理は禁物だからね。少し前までは君だって命を落とす一歩手前まで行ってたんだから」
「はい……あの、フェデリコさん。少し聞きたいことがあるんですけれど……」
「ん? もしかしてこのランタンやストーブの事かな? 準備してる時は随分と熱心に見てたけど、ロストアーツに興味があるのかい?」
「まあ、そんなところなんですけど……あの、そのロストアーツって何ですか?」
トモキが尋ねると、フェデリコは首を傾げた。
「あれ? 知らない? 結構一般的な言い方だと思ってたけど違うのかな?」
「……あまりこの地方の事は詳しくないので」
顔を伏せながらトモキがそう答えると、フェデリコは右手を左掌に打ち付けた。
「ああ、そういえば顔立ちと言い着てる服と言い、こっちじゃ見ない格好だよね」合点がいった、と顎を撫で付ける。「そっかそっか。場所が変われば言葉も変わるだろうしね。まして――迷人なら尚更か」
そう口にした瞬間、トモキは劇的に反応した。
座った体勢から一瞬で剣を引き抜き、フェデリコを押し倒す。
「がはっ!?」
強かに背を地面に打ち付けたフェデリコの口から強く息が漏れ、痛みに一瞬だけ閉じた眼を開いた時にはフェデリコの目の前には鋭い切っ先が突きつけられていた。
その先ではトモキの眼が冷たく光っていた。
お読み頂きありがとうございました。
まだ途中ですが、現時点までのポイント評価を頂けると嬉しいです。




