4-4 君、死に給う事勿れ(その4)
空に浮かぶ雲の切れ間から日差しが降り注ぐ。乱雑に並び立つ木々は土に影を作り、森の中の動物達が転がる食料を求めて動き回る。枝の上では小鳥が束の間の羽休めをし、時折会話をしているかの様に囀り合う。
――スコーンッ…………
小気味良い音が突如響いた。それに伴って驚いた鳥達が一斉に羽ばたき、小動物達は外敵の襲来を恐れて一目散にその場から逃げ出した。
――スコーンッ…………
また響く同じ音。その後も幾度と無く同じようなリズムで類似の音が誰も居なくなった木間を駆け抜ける。
トモキは手にした斧を振り上げた。真上まで振り上げられて一度静止。そして真っ直ぐに目の前に置かれた薪へと振り下ろされた。
――スコーンッ…………
振り下ろした斧で薪は縦に真っ二つに裂かれ、囲炉裏に焼べるのに適したサイズまで細くなる。絶たれた欠片は弾け飛び、土台の丸太から落ちて地面を転がる。トモキはそれを一瞥すると、振り下ろした拍子に丸太にめり込んだ切れ味のイマイチな斧を引き抜き、また新たな薪を設置して斧を振り上げた。
(僕は、馬鹿だ)
斧がまた振り下ろされる。刃が錆びついた斧にも関わらず、まるで紙を割くかの様にして薪を二つに斬り裂いていく。
(僕は馬鹿だ)
そうしながらもトモキの意識は薪には向かっていなかった。只管に内心で自らを罵り、愚かな決断をした自分の姿を薪に投影してそれを唐竹割りにする。
情に絆された。一言で言ってしまえばそういうことなのだろう。セツから向けられたあの寂しい眼差しを無視することが出来なかった。寂しさをトモキもまた知っているから。
同じ時を過ごす時が長くなればそれだけ離れづらくなる。情が湧けば距離を置くのが辛くなる。会えないと分かれば悲しくなる。だからこそ傷が十分に癒えた今、セツから離れようと思った。
それが、どうだ。トモキは自嘲した。僅かな時の間に優しくされ、食事の世話をしてもらい、傷を癒してもらった。恩としては返しきれない程の恩であり、しかしそれでも、恩を仇で返す形であってもこの後の事を思えばトモキは独りを選ぶべきだったのだ。
(辛い結果にしかならないっていうのに……!)
大切な人は、皆いつしか離れていってしまうと分かっているのに。呟きながらトモキは、もう一度大きく斧を振りかぶった。
(僕は、馬鹿だ……!)
心の中とは異なり、薪は心地良い音を立てて真っ二つになった。
「ほぅら、言わんこっちゃない」
耳元で耳障りな声が聞こえた。振り向かなくても分かる。苛立つ内心のざわめきを抑えて、無言で次の薪を丸太の上に置いた。
「だから言ったんだよ、僕は。さっさとここを離れるべきだって。だっていうのに君ときたら『利用してやる』なんて言ってさ。それが今はこうやってあの子に良いように使われちゃって。ああ、情けないったらないね」
「……別に利用されてるつもりはないさ。まだ体が癒えきってないのも確かだし、先立つモノが何も無い状態で独りで熱り立って野垂れ死ぬのも馬鹿がやることだよ。養われるのは癪ではあるけど、今のうちに近くの地理でも覚えて、最後には金目のモノでも奪い取って出て行ってやるよ」
「口だけは立派だねぇ……まあ、いいさ。この前も言ったけど、最後に泣くのはどうせ君なんだ。言いたいことはこないだ言ったしね。せいぜい今を楽しんでればいいさ」
鼻で笑い、楽しそうにトモキの正面に回り込みながら少年はそう言い放った。そしてトモキが顰めっ面をして一度瞬きをすると、すでにそこには少年の姿は無かった。
「……分かってるさ」
きっとまた最後に泣くのは自分だ。トモキは溜息を吐いて薪を割る手を止めた。
だけども、どうすれば良いって言うんだ。内心でそう吐き捨て、空を仰ぎ見る。少年に言ったような事をする度胸もなければ、セツを振り切って出て行く勇気もない。かと言ってセツに心を開いて友として接するには、トモキの心は傷つきすぎていた。
(シオ……)
亡くなった幼き友の姿を曇天の空に思い描く。白い曇が浮かぶそのキャンバスにはシオの笑った顔がまざまざと思い浮かべる事ができた。
トモキは悲しかった。シオがもうここには居ない事ではなく、彼の死を悼んで尚、彼の為に泣くことが出来ない自らがトモキは悲しかった。シオの死を悲しめない自らが憎らしかった。
もう一度トモキの口から吐息が漏れ、再び薪割りに取り掛かろうとしたトモキだったが、ふと顔を横に向けて道の方を見ると、小さな人影が近づいてきていた。
セツの家の脇には今トモキが居る薪割りのスペースがあり、更にその横には小さな畑が作られていて、今はセツがしゃがみこんで畑作業をしている。それらの前には木々の間を二つに分ける形で小道が走っていて、家と麓の村の交通路になっていた。交通路、とは言ってもそれは家の近くだけで、しばらく山道を下っていけばすぐに森の中に紛れて道に迷ってしまう程度のものだ。その森には多くの魔獣や、時折「魔族」と呼ばれる獣の形をした生物も現れるらしい。「魔族」が何なのかはセツに聞きそびれてしまったため詳細は分からない。それはともかくとして、道をキチンと歩いていれば危険はそれ程でもないとセツは言ったが、同時に道を外れれば一気に危険になるとも述べていた。それ故にトモキはセツから一人でそちらには行かないよう注意をされていた。
そんな方向から一人の男性が歩いてきている。であれば、道を知っているか、危険な場所を踏破できるほどの人物ということだ。何のために、と考えるトモキの脳裏に手配書に描かれた自分の悪人面が思い浮かび、身構えた。
「お、来たかの?」だがトモキの視線を辿ったセツは、畑の中で立ち上がるとトモキを宥めた。「そう身構えんでも良い。あやつは知り合いじゃ」
そして畑から出て、家の脇に汲んで置いてあった水で手を洗うと、近づいてきた人物に対して手を振った。対する男の方も朗らかに笑うと手を振り返した。
「よく来たの。道中は特に問題はなかったかの?」
「ええ。もうここに通い始めて二年ですからね。流石にもう慣れましたよ。森の中の獣達も大人しかったですし」
「道もどうやら踏み外さんかったようじゃしのう」
「先月に来た時は死ぬかと思いましたから。もう慣れた道だからって油断はしませんよ」
「あれだけの目にあっておいてまた同じ事しでかしたらそれこそ戯けじゃわい」
にこやかな雰囲気で談笑する二人。その様子を見て本当に危険の無い相手だとトモキは緊張を解くが、代わりに二人の中に混じることが出来ないため居心地が悪い。所在なく立ち尽くしつつ、軽口を交わし合うセツと男の様子を見て頬を掻くと、とりあえず薪割りするか、と薪に向かって斧を構えた。
「トモキよ」
だが振り被りかけた時、談笑に一区切りが着いたかセツに呼び寄せられた。
「紹介しよう。此奴はフェデリコ」
トモキは自分よりも背の高い男を見上げた。
フェデリコを見たトモキの印象は「人の良さそうな人物」だった。ブロンズの細い髪で体は細い。ひょろっとした感じだが、特別痩せている様子は無い。少し面長の顔には柔和な笑みが浮かび、宝玉の様に透き通った碧眼がトモキを柔らかく見つめる。朴訥とした青年だが、ニコラウスの様な「作られた」笑顔では無く、自然な表情のようにトモキは思えた。
(僕の人を見る目なんて、何の意味もないけど)
ともかくも気だけは抜かないようにしよう。そう言い聞かせ、トモキは笑みを貼り付けた。
「お主を川から引き上げて家まで運んでもろうた男じゃ。云わば命の恩人じゃな」
「そうでしたか……その節は本当にありがとうございました」
そう紹介されると、トモキは眼を剥いて向かいに立つフェデリコという男に対して深々と頭を下げた。
フェデリコはそんなトモキに対して困ったように笑って手を横に振ってみせる。
「そんな大げさだよ。たまたま運良く見つけただけだし、その後の世話もセツさんに任せっきりだったからね」
「いえ、フェデリコさんが助けてくださったからこうして御礼を言えますし、それに……シオも冷たい水の中で眠らなくて済みましたから」
「シオ……そうか、そうだったね」
シオの分も含めて礼を伝えるトモキに対してフェデリコは沈痛な面持ちを浮かべる。が、すぐに頭を振って笑ってみせた。
「彼の事は残念だったけど、君だけでも助かってよかったよ。シオ君の分も君は生きなきゃいけないからね。
改めて。僕の名前はフェデリコ・ナバーロ。この山の麓のシエナ村で村長の真似事をしてるんだ」
「なーにが真似事じゃ。もうすっかり村長として板に着いとるではないか」
「とんでもない!」フェデリコは大げさな身振りで否定した。「僕はまだ覚えてますよ。村長になって初めてここを訪れた時に散々セツさんにぼったくられた事を」
「あの時はまだ村長に成りたてで交渉のイロハも知らぬようじゃったからな。ちょいとした勉強じゃよ」
「先月来た時だって村で取れた野菜をとんでもなく買い叩いてくれましたし」
「その分薬を安くしておいたじゃろう?」
「この間なんて村の皆に頼りないなんて噂されてるの聞いちゃったし……」
「そこら辺は要精進ってところじゃな」
フェデリコはハァ、と溜息を吐いて肩を落とした。そして困ったような笑みをトモキに向けると肩を大きく竦めてみせた。
「……とまあ、こんな感じでね。セツさんにはいつもこうやって虐められながら何とか村の村長兼交渉役を担ってるんだ」
「交渉役、ですか?」
「そう。僕は村で取れた野菜や手に入れた肉とかをセツさんに売って、セツさんからは謹製の薬だとか山で何か異変が無いかだとか、そこら辺の情報を貰ってるんだ。彼女は……この山に住んで長いからね」
「大したことは教えられんがの。まあ、占い師みたいなことも出来るということじゃ。
ところで、フェデリコ。少し相談があるんじゃが」
セツが話を切り出すと、「おや?」とフェデリコが眼を丸くした。
「珍しいですね。セツさんの方から相談なんて。一体、何ですか?」
「なに、簡単な話じゃ。次からはもうちっと多めに食料を融通してほしいと思うての。何せ単純に食い扶持が一人増えたし、おまけにトモキはまだ育ち盛りじゃからの。これまでと同じ量じゃと全然足りんでの」
「ううん……」
そう持ちかけたセツだったが、聞いたフェデリコの表情が曇った。
「あの……」
「トモキはちと黙っとれの」
どうやら難しいらしい、と察したトモキが口を開きかけるがそれを遮ってセツが睨みを効かせる。
「お主の事じゃから『それなら僕が出ていきます』なんぞと言い出しかねんからの。そんなの却下じゃ却下。
で、フェデリコ。どうなんじゃ?」
「……難しいですね」
ブロンドの髪を掻くと、よっと、と言いながら背負ったままだった背嚢を地面に下ろす。フェデリコはそっと置くつもりだった様だが、その重さにバランスを崩しドシン、と如何にも重たげな音を立てて荷物が置かれた。慌てて背嚢の口の紐を解き、中身を確認して何処にも異常が見当たらない事に安堵の溜息を吐くとセツの顔を見上げた。
「この通りセツさんの為の荷物だけでも結構な重さなんです。到底収まらないでしょうが、仮に今の倍だとしてもとても僕一人では持ってこれませんよ。荷車を引こうにもこの坂道と森を抜けるのは危険過ぎますし……」
「そんなの、お主がここに来る頻度を増やせば良かろう?」
「勘弁して下さい! ただここに来て帰るだけでも往復で二日使うんですよ? 今の倍に増やしてしまったらそれこそ僕が村長としての立場を村の皆に追われちゃいますよ」
「ううむ……それはそれで面白そうではあるんじゃが」
「セツさぁん……」
「冗談じゃ。そんな情けない声を出すでは無いわ」
泣きそうな声で懇願するフェデリコに、セツは鬱陶しそうにその頭を小さな手で叩いて叱りつけるように窘める。
「しかし、どうしたものかのぅ……」
だからといって明暗が直ぐに浮かぶはずも無く、セツとフェデリコは二人揃って突き合わせて唸る。その様子をトモキは、声を出せばセツに怒られるため居心地悪い面持ちで眺めていた。こうして二人で悩むくらいであればさっさと追い出してくれれば気が楽なのに、と眉根を寄せるが、かといってそれを口に出すわけにもいかない。面倒な状態になった、と内心で嘆いていると、唸っていたセツが不意にトモキを見上げ、ポンっと手を掌に打ち付けた。
「そうじゃ、ちょうど良い。フェデリコよ」
「なんですか? 名案でも浮かびましたか?」
「名案と言うほどでも無いがの」
そう言いながらセツはフェデリコとトモキの顔を交互に見上げ、「フェデリコ、トモキ」と二人の名前を呼びながら顔を指差した。
「一人でダメなら二人にすれば良い。どうじゃ、トモキ。フェデリコと共に行って荷物を運んでくれんかの? それなら問題は解決じゃ!」
そう言ってセツは、残る二人が顔を見合わせてキョトンとするのを他所に、自信満々に大きく胸を張った。
お読み頂きありがとうございました。
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なお、次は日曜には投稿できると思いますので、今しばらくお待ちください。




