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4-2 君、死に給う事勿れ(その2)

今回は少し短いです。

申し訳ない。



 蟀谷を流れる熱を感じてトモキは眼を覚ました。薄く眼を開ければぼやけた天井の木目が見え、眼を擦ると視界に掛かっていたフィルターは外れてクリアになった。目を擦った指に濡れた感触。指先に眼を遣ると光が反射していて、蟀谷に手を遣ったところでトモキは自身が涙を流していた事を知った。


「夢の、せいか……?」


 上半身を起こすと掠れた声でトモキは呟いた。泣く程悲しい夢を見たのだろうか。思い出そうとすると胸を叩く鈍痛。心臓が締め付けられた様に息苦しくなる。同時に、仄かな温もり。だがそれも一瞬で消え、微かに残っていた夢の残滓の記憶も瞬く間に霧散していった。

 その事をトモキは惜しいとは思わなかった。悲しい夢なら忘れてしまった方が良い。辛い事なら思い出さない方が利口だ。冷たくなった胸の内から感じる疼痛を無視して、内心でトモキは嘯いた。


「それにしてもここは……?」


 何処かの家なのだろう。トモキは部屋を見回し、自分に掛けられていた布団を軽く摘んだ。床は黒い木の板で出来ており、家の作り自体が木造で壁は土壁だろうか。白に比べて僅かに苔緑に近い色合いで、所々に黒い染み汚れが付着している。建てられてかなりの年月が経っている様だった。

 部屋の中には箪笥など家財道具らしきものが少ないながらも置かれていて、壁には家主の物なのか衣類が掛けられている。その意匠は和服の様に一枚で構成されていて、その下には幾本かの帯が無造作に置かれてあった。和服の様な衣装の隣にはトモキの魔技高の制服がハンガーに掛けられていた。

 布団の傍らには囲炉裏があって、その中では火が燃えていた。火の上には四本の脚が付いた金網があり、更にその網の部分の上には鍋が置かれて何かが煮こまれているらしく、良い香りが漂ってトモキの鼻を擽っていた。

 トモキは表情を変えずに冷静に観察していた。顔から表情が抜け落ちてしまっていた。動くのは呼吸のための口と家具の配置を確認するための眼だけ。それはトモキが意識してのことでは無く、トモキ自身も気づいていない。そして、何故ここまで落ち着いて観察をしているのかも分かっていない。心は何処までも平坦であった。

 ふと布団の中で動かした手に当たる感触。布団を捲ってみれば、トモキの剣が鞘に収まった状態で置かれていた。それを手に取り、鞘から引き抜く。そこには傷一つなく、磨き上げられたかの様に輝く剣身があった。その剣身に、幾分赤い部分が増えた髪色の自身の姿が映し出された。

 そうしていると、不意に引き戸が開いた。


「おや、起きたかの。どうじゃ調子は? 峠は越した様じゃから心配は無いと思うがの、まだ無理をせん事じゃが」


 声の主は、トモキが起きていたとは思わなかったのか、やや驚いた様に声を上げた。次いで、トモキの体を労る言葉を掛ける。トモキはその声の主を見上げた。

 声を掛けてきたのは女性だった。それも少女だ。身長は一三〇センチをやや上回るくらいだろうか。話し方の調子から年配の女性を想像していたトモキは僅かに目を見張った。

 更にトモキの眼を引いたのはその容姿だった。腰ほどまである長いストレートの髪は根本から先端まで見事なまでに真っ白だ。肌も雪の様に白く、着ている和装の服も全て白い。帯の色だけが臙脂色で印象強く、また全身が白い中でやや赤黒い(まなこ)が特別印象的だった。整った顔立ちは幼さを残しているはずで、事実幼い。なのにトモキは彼女から年長の様な印象を受けた。


「君は……?」

「おお、そういえばまだ名も伝えておらんかったか。この数日お主と顔を突き合わせておったから失念しておったわ。失礼したの。妾の事はセツ、と呼んでくれれば良い」

「セツ、さん……」

「良い良い。『さん』などと敬称付けで呼ばれる程の大層な存在じゃありゃせんからな」


 そう言ってセツはトモキの隣に腰を下ろしながらカラカラと笑った。だがトモキにしてみれば「セツ」と呼び捨てにするには気後れした。見た目は明らかに少女なのだが、話し方と言い笑い方と言い、見た目とはかけ離れて老成した様な印象を抱く。見た目通りの年齢ではないのだろうか。特別長命な種の存在をトモキは知らなかったが、ここは自分の知る世界では無い。なればそんな種が居ても不思議ではない。トモキはそう考えて敬称を付けて呼ぼうかと思ったが、そんなトモキの内心を見透かしたかのように口を尖らせたのでトモキは諦めた。その仕草は歳相応に幼い印象を受けた。


「それじゃあ、その……セツ」

「なんじゃ?」

「ここは、何処ですか? 多分セツの家だと思うんですけど、どうして僕はここで寝てたんでしょうか?」

「敬語も別に使わんでいいんじゃが……まあ、そんな問答をこれ以上しても仕方なかろう。

 その質問の答えは単純じゃ。妾が近くの川岸に打ち上げられておったお主を拾ったからじゃの」

「川岸……?」

「恐らくは脚を滑らせたかして川に落ちて流されたんじゃと思うんじゃが、なんじゃ、覚えとらんのか?」


 ズキリ、とトモキの頭に痛みが走った。胸が軋み、悲鳴を上げ、だが直ぐにその溢れそうになる感情に蓋をした。だけども、何かがひび割れた様な気がした。


「いえ……朧気ですけれど覚えています」

「まったく、何があったかは知らんがヒヤヒヤしたんじゃぞ。拾い上げて連れて帰ったはいいが眼は覚まさんし高熱は出すしで、まあ良く生きとったというべきかの。頑丈な体に産んでくれた両親には感謝せんといかんぞ?」

「そうですね……

 ありがとうございました」

「礼など良い。困った時、というのはちと違うかもしれんがお互い様じゃからな。『情けは人の為ならず』じゃったかの? お主がもし誰かが困った時に手を貸してやれば良いからの」


 言い回しの使い方を間違っているが、トモキは指摘しなかった。一度嘆息し、顎を掻くと気を取り直してトモキは尋ねた。


「それで……あの、セツが僕をここまで運んでくれたんですか?」

「ぬ? まあそうじゃな。とは言っても妾一人じゃ到底お主を運ぶことなど出来んから他の者に手伝ってはもらったが。その内にその者もお主に紹介するから奴にも礼を述べてやってくれ」

「はい。それで……」


 トモキは一度口籠った。口を開く、その事自体を逡巡し、一度瞑目。だが意を決してセツに尋ねた。


「僕……独りでしたか?」


 セツの口が止まった。だが一度眼を閉じて考える素振りをした後、すぐにトモキの問いに答えた。


「いや……もう一人、獣人の子が居った」

「シオは……その子は今何処に居ますか?」

「……そうじゃのう」


 セツは立ち上がった。そしてトモキに「立てるか?」と尋ね、トモキは頷く。だが立ち上がったところでずっと寝ていた為に足元がふらつき、それを予想していたのかセツが傍らで支えた。


「すみません」

「仕方なかろう。妾が支えれば何とか歩くくらいはできるな?」

「はい。……お願いします」


 セツに支えられながら寝ていた部屋を出ると、そこはすぐに土間であった。用意されていた履物を履き、二人は並んで外に出た。

 外は雨だった。決して激しくは無いが、何処か物悲しい気持ちにさせる冷たい雨だった。セツは傘を取り出してトモキに手渡した。


「持っておれ」


 トモキは傘を広げると一度空を見上げた。何処までも曇天は広がっていて、川に流されて行き着いた先のここもまだ山の中なのか、周りに木々が多く並び立っていた。

 傘を下げる。そして前を遮る程に斜めにしてセツと共に歩き出す。傘の縁から更に視線を落とし、足元を見ながらトモキは歩いた。

 雨が足元で跳ね、素足を濡らす。歩く度に覚束ない脚に泥が跳ねて履物を汚す。セツに支えられている為歩みは遅く、それでも着実に目的地に近づいていた。


「ここじゃ」


 セツの声にトモキは顔を上げた。

 そこには何も無かった。雑草が生えた一面の土地。だがその一角に雑草が綺麗に抜かれて整地された跡があり、そこは少しだけ地面が盛り上がっていた。土盛の奥側には長方形に整えられた石が突き刺さっていた。

 墓標だった。


「シ…オ……」

「……妾が見つけた時にはすでに事切れとった。お主にとって大事な子だったんじゃろう? 意識を失っとっても強く抱き締めておって中々引き剥がせんかった。じゃが流石にそのままではお主も死に魅入られかねんからの。申し訳ないが無理やり引き剥がせてもらった」


 トモキは傘を落とし、覚束ない足取りで土盛りへ近づく。セツはその傘を拾い上げるが、差す事無く畳んでトモキと同じ様に雨に打たれる。


「それと……すまんのう。出来るならばお主が眼を覚ましてから埋葬してやりたかったが、亡骸をそのままにしておくと色々と問題でな。先に此方で葬らせてもろうた」


 すまぬ。セツは背を向けたままのトモキに向かって(こうべ)を垂れた。

 雨が、強くなる。トモキは雨に打たれながら何も刻まれていない墓標を見下ろし、立ち尽くした。その姿を後ろから悲しそうに白髮の少女は黙ったまま見つめた。


「何ででしょうね……」

「……何がじゃ?」


 トモキは虚ろな眼で空を見上げた。雲は黒く、雨脚は激しさを増していく。顔に冷たい雨が次々と降り立って濡らし、目元に溜まりを作っては蟀谷へと流れを作って地面に落ちていく。


「悲しく、ないんですよ」

「……」

「大事な、友達だったんです。僕の、たった一人の友達だったんです。かけがえのない、本当にかけがえのない子だったんです。だから、悲しいはずなんです。

 実は、前に想像したことがあるんです。シオが居なくなったらって。その時は悲しくて悲しくて、胸が張り裂けてしまいそうで堪らなかったんです。だっていうのに、今は全然悲しくないんです。それどころか、何も感じないんです。辛くも、悲しくも……」


 トモキは雨で潤んだ瞳をセツに向けた。そして首を傾げた。


「何ででしょうね?」

「……雨が強うなってきた。まだ完全に体も癒えておるまい。これ以上濡れると体に障る。ほれ、家に戻るぞ」


 セツは息を呑んだ。そしてトモキの問いに答えずに平静を装ってトモキを家へと促す。だがトモキは動かず、セツは強引にトモキに傘を持たせると腰を押して無理やり家へと送っていく。


「後で体が温まる物を作ってやろう。じゃから濡れた服を脱いで布団の中で横になっておるが良い……いや、先に湯かの。風呂にでも入って温めるが良かろう」


 無言のままトモキは力無く頷いた。セツはトモキの手を引き、家の中に押し込む。

 雨脚は更にひどくなる。荒屋の屋根に打ち付け、太鼓の様にリズム良く音がする。遠くから雷鳴が聞こえてくる。この辺りは天候が不安定で、こういった風に雷雨を伴った荒天も珍しくない。雷鳴もいつも聞いている時は特に何の感慨も抱かない。

 だが。


「こやつのせいかのぅ……」


 今日の雷鳴は、まるで誰かが泣いている声に聞こえた。



お読み頂きありがとうございました。

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