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3-13 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その13)

3-5話から連続更新中です。

お読み逃しが無いようお気をつけください。

 エヴァンス達が戦っていた隙にトモキはシオを追い掛けた。先ほどのミノタウロスみたいな大男もすぐに追い掛けてくるはずだ。あの咆哮できっと里の人達も異変に気がついたに近いない。人が集まってくる前に一刻も早くシオと合流してここを去らなければ。

(どこだ――、どこに居る――)


 幼いシオの足だ。まだ、遠くへは行っていないはず。だが、居ない。何処までも似た景色が続く木々の間を走りぬけ、焦りを覚え始めた頃、トモキはシオを見つけた。


「シオっ!!」


 木々の拓けた場所にシオは立ち止まっていた。トモキに呼ばれてシオは振り返る。見慣れた姿を認め、シオの表情に見るからに安堵が広がった。

 互いに駆け寄り、抱きつく二人。トモキはシオの顔や手足を触り、怪我が無い事を確かめてトモキもまた安心して溜息を吐いた。


「良かった……怪我が無くて」


 シオはトモキに抱きついたまま離れない。そんなに心細かったのか、とトモキはシオを抱き抱えて髪を撫でてやるが、ふと思う。

 どうして、シオは立ち止まっていた?

 ある程度距離が離れたからトモキを待っていたのかとも思った。こうして抱きついてくるのも落ち着いて不安がこみ上げてきたからだろうか。しかし、それにしては――


「あらあら……一人で突っ込んで行ったから自信があるのかと思ったけれど、グウェインも大したことないわねぇ」


 女性の声が聞こえ、トモキはシオを背後に隠して剣を構えた。

 トモキの正面。生い茂る樹木の枝葉から降りてくる影の中をゆっくりした動作で歩いてくる二つの人影が、木漏れ日に照らされて姿を露わにする。

 一人はたった今、声を発した女性だ。スラリとした、黄色い毛並みに覆われたふくらはぎが最初に現れ、紫色の七分丈のパンツと薄いピンクのTシャツを着た姿が見えてくる。金色の髪の上には狐の耳が乗っているが、その顔はこれまでの他の獣人達と違って人に近い。手にはパイプを手にしていて、歩きながら吸っては美味しそうに煙を吐き出していた。

 もう一人は虎の獣人だ。黄色をベースとした毛色の上に幾本もの黒い線が走っている。背はトモキよりも頭半分ほど高い。女性のやや後方に黙したまま付き従う形で、いつでも引き抜けるよう腰の剣に手を付けており、油断なくトモキの動きに注視していた。


「ナーシェ…お姉ちゃん……」

「それにしても一人で戻ってきちゃったのかと思って感心してたけれど、ふぅん、そういう事ね」下から上へ、トモキの全身を舐め回す様に見上げていく。「でも折角追い出してあげたのに、人間を連れて帰ってくるなんてイケナイ子。悪い子にはお仕置きをしてあげなくちゃ」

「貴女は……」

「あらぁ? 人の名前を尋ねる時はまずは自分からじゃなくて?」

「……トモキです」

「ふふ、素直な子ね。いいわ。貴方みたいな男の子は嫌いじゃないわ」


 言い寄る男を軽くあしらう様な物言いに、トモキは苦虫を噛み潰したかの様に顔を顰めた。剣を向けられても平然としているのはトモキを取るに足らない存在だと思っているからなのか、それとも何があっても隣の虎人が守ってくれると信じているからか。いずれにせよ、こうして攻撃してくるでも無く堂々と姿を現してきた以上一筋縄では行かないだろう。


「さっきもそこのクソガキ(・・・・)が私の名前を呼んでたけど改めて自己紹介するわ。私はナーシェ。そしてコッチで今にも貴方達を斬り殺したそうにしてるのが虎人族のログワースよ。ま、もう明日以降会うことは無いでしょうけれど宜しくね」

「それじゃナーシェさん。……僕達に何か用ですか?」

「そんなの決まってるじゃない。人間の臭いがしたからどんな奴らが来たのか、見に来ただけよ」

「ならもうここから出ていきますから見逃して貰えませんか?」

「ん~、そうねぇ……」


 ナーシェはパイプを一度吹かし、立ち上る煙を見ながら考えこむ素振りを見せ、妖艶な笑みをトモキに向けた。


「別にいいわよ。私は別に人とか獣人だとかどうでもいいし」

「えっ……」

「何なら私の家に来る? 人間でも貴方みたいな可愛い子は歓迎するわよ。大丈夫よ。私の家は里から外れた所にあるから、人間の一人くらい囲うのは簡単よ」


 ナーシェは誘惑する様にウィンクしながら吐息混じりにそう答えた。

 対するトモキは、想定外の答えに戸惑った。これまでに出会った誰もが判を押したかのように人は獣人を、獣人は人を憎悪の対象としていた。当然ナーシェ達もトモキ達を捕まえに来たものと思っていたが、ナーシェはどちらかと言えば人に対して好意的な印象さえある。

 トモキはナーシェの顔を見た。色気が漂う笑顔を向けられ、トモキは少し顔を赤らめつつ背けた。獣人の中でも必ずしも一枚岩では無いということか。或いは、彼女も人に近い容姿をしていることから、あまり獣人の間で好意的に見られていないのかもしれない。いずれにせよ、見逃して貰えるというのであれば好機だ。トモキは赤らんだ顔を誤魔化す様に咳払いをして口元を隠した。


「そ、それじゃあ僕らはこれで失礼します」

「あらぁ、女の誘いを断るなんて意外と無情い(つれない)のね。お姉さん、残念だわ。でもいいわ。諦めてあげる」

「そ、そうですか。では……」

「ただし――」


 ナーシェは手に持っていたパイプをシオへと向けた。


「――その子を置いていきなさい」


 告げると同時、パイプから何かが飛び出した。

 シオに真っ直ぐに向かうそれに、トモキは反射的に左手をシオの顔の前に差し出す。チクリ、と微かな痛みが掌に走り、顔を顰めながら自分の手を見れば、小さく細い針が一本突き刺さっていた。


「トモキお兄ちゃん!」

「……見逃してくれるんじゃなかったんですか?」

「ええ、貴方は別に構わないわよ。でもその子はダメ。色々と用があるもの」


 シオを見るナーシェの眼はひどく冷たい。トモキは緩みかけていた彼女に対する警戒度を上げ、シオの前に立ち塞がってナーシェを睨みつける。


「シオを……どうするつもりですか?」

「そうね……まずはその子のお父さんに会わせてあげようかしら」

「は……?」


 一瞬、トモキは耳を疑った。もしかして、自分はナーシェの事を誤解しているのだろうか、と本気で考えた。


「きっと……あの人はさぞや嘆き苦しんでくれるでしょうね。せっかく遠ざかったはずの、人間そっくりの自分の息子がまた目の前に現れるんですもの。この子ならたくさん、たーくさん心を掻き乱してくれるわ……」


 だがすぐに考えを改めた。何を想像しているのか、表情を恍惚に歪め、唇を怪しく舌で舐めている彼女に対し、トモキは背筋が凍えるような錯覚を覚えた。


「どうしてそんな事を……」

「そんなの決まってるじゃなぁい。あの人に振り向いてもらうためよ」


 手に刺さった針を抜きながら尋ねるトモキに、ナーシェは横目で見下ろしながらパイプを一度吹かした。


「今、あの人の家庭はさぁんざん。そこの坊やのお陰でね。今は少し持ち直してるみたいだけど、ちょうど良かったわ。もう一度心を乱して乱して乱して……そこで私が優しく慰めてあげるの。そうすればきっと、今度こそエドヴァンズさんは私に振り向いてくれる。そこの邪魔な坊やは、エドヴァンズさんに会わせた後で里の真ん中に突き出せば勝手に里の連中が始末してくれるでしょうし」

「貴女って人はっ……!」


 狂っている。トモキはナーシェをそう断じた。先程は優しそうに見えたその顔が、今は醜悪に歪んで見える。色香を振りまいていたその眼差しも、単なる情欲に溺れた売女だ。他人の弱り目につけ込んで不幸をばら撒き、その事に何の呵責も見えない。見上げるトモキの眼差しを濁った眼で受け止め、その上で逆に真っ直ぐに覗きこんでくるその眼差しに、トモキは怖気を覚えた。

 シオを見るその眼はまるで汚物を見るようだった。その視線をシオに見せるわけにはいかない。トモキは両足に力を込めて逃げるタイミングを見計らっていたが、不意に膝から力が抜け落ちた。


「お兄ちゃん!?」

「な、んだ……?」

「ようやく効いてきたみたいね。さっき貴方が受け止めた針。実はあれには神経毒が塗ってあったのよ」ナーシェの後ろで黙って控えていたログワースが剣を引き抜き、一歩前に進み出る。「本当はその子に使って、動けなくなったところで連れて帰るつもりだったんだけど、いいわ」


 その時、トモキがやってきた方向から爆発音が轟いてきた。振り返れば、木々の隙間から煙が上がっているのが見えた。それを見て、ナーシェは僅かに顔を顰めて小さく舌打ちをした。


「時間も無いみたいだし、貴方も素直にその子を渡してくれるつもりは無いみたいだし、ね」

「……シオは物じゃない。貴女の欲望の道具にされるのをシオが良しとしないなら、貴女の傍に居るべきじゃない」


 シオはトモキの服の裾をしっかりと握った。怯える眼でトモキを見上げ、トモキもまた大丈夫、とシオに笑いかける。それが、二人の答えだった。


「そ。なら結構。ログワース――トモキを殺しなさい」


 言うが早いか、ログワースが脇構えから一気に加速する。全身のバネを生かして瞬く間に最高速へ。トモキの脇目掛け、唸り声と共に斬り掛かった。

 対するトモキも直ぐに抜剣し、ログワースの一撃を受け止めた。

 打ち鳴る金属音。虎人族らしく、重く鋭い一撃。だが普段のトモキであれば受け止めるのは容易いはずだった。


「くぅ……っ!」


 だがトモキの腕はログワースに押し込まれた。ナーシェから受けた毒のせいか左腕は痺れ、踏ん張る足にも力が入らない。


「シオっ! 早く逃げろっ!!」

「う、うんっ!」


 互いに鍔競りながら、トモキはすぐ後ろで心配そうに見上げるシオに叫ぶ。シオはトモキから離れる事に逡巡を見せるが、自分がトモキの邪魔になっていると悟ってすぐにトモキに背を向けた。


「余所見をするな」


 ログワースが膂力を活かしてトモキを押し返す。意識がシオへと逸れていたためそれにトモキは対応できずやや体勢を崩すものの、次いで振り下ろされた剣戟も辛うじて受け流す事に成功する。

 一戟、二戟……両者とも鋭く剣を合わせる。その一戟毎にトモキの体は重くなり、腕を上げるのも辛くなっていく。

 その中でもトモキは冷静に相手を見据える。息を切らし、気力で何とか体を動かしながら、自分の体をシオとナーシェの間に移動させ、自分がログワースと戦っている間にナーシェがシオを追い掛けられないよう目線で牽制するのを忘れない。


「さっきの毒は王種猪獅子(グレードダイナボア)さえ昏倒させる強さのはずなのに、どうして……

 何をやっているの、ログワース!! そんな人間なんてさっさと片付けてしまいなさいっ!!」


 ナーシェの激が飛び、ログワースの動きがより重く、疾くなる。ジリジリとトモキは後ろに引き下がる形になり、一度距離を取ろうと後退するが、すぐにログワースは距離を詰めてトモキの思い通りにさせない。


「貴女もそんなにシオが憎いんですかっ!?」

「別に……俺はあの子供に興味は無い」

「ならどうしてっ!?」

「ナーシェが望んだからだ」


 トモキの腕ごと剣を大きく上へ弾き飛ばし、開いた胸元に向かって剣を突き立てる。トモキの心臓から寸分狂いなく狙い、だがトモキは片足を引いて半身となることで、剣先が掠めるだけで何とか避けた。


「あの人が望めば何だってするんですかっ! どうしてっ!?」

「さあな。……惚れた弱みという奴、かなっ!!」


 再度鍔競り合いになり、トモキが身構えたところでログワースは一瞬力を抜く。力の拮抗が崩れ、トモキの体が前のめりになった。


「しまっ……!」


 ダグラスとの戦いの時と同じミスを犯し、トモキは思わず声を上げる。かつてのダグラスがそうしたようにログワースもまた回し蹴りをトモキに見舞った。

 だがトモキは咄嗟に剣を横にし、剣の腹でその蹴りを受け止める事で直撃を免れた。それでもダグラスと違い、馬力に勝るログワースのそれはトモキを蹴り上げ、大きく吹き飛ばした。


「今だわっ!」


 トモキの注意が完全に離れたのを確認し、ナーシェが動く。

 シオは離れた所からトモキ達の戦いをハラハラとした面持ちで見入っており、ナーシェに対する注意を払っていなかった。

 ナーシェの体が風となる。狐人であるナーシェはミノタウロスであるグウェインは勿論ログワースにも、それどころか一般的な人間の冒険者達にも戦闘力では劣る。だが鍛えられたしなやかな脚から生み出される走力に関してだけは引けをとらない。一歩毎に加速を続け、通り過ぎた枝葉が風に踊った。


「シオッ! 逃げてっ!!」

「遅いわっ!!」


 気づいたトモキが叫び、シオがナーシェの方を向く。眼前に迫ったナーシェが嬉しそうに歪んだ表情でシオに手を伸ばし、掴みかけた。

 その時――


「『フリーズ・バンカー』」


 飛来する氷の杭。木々の枝葉を貫き、風切り音を残しながら幾つものそれらがナーシェ達目掛けて進んでいく。

 それに気づいたログワースはトモキに向かいかけた足を止めて剣を横薙ぎに一閃。自身に向かってきていた氷塊を砕く。ナーシェもまたシオへ伸ばした手を引き戻し、舌打ちしながら大きく跳躍して避け、彼女の居た場所を通り過ぎた氷杭がシオのすぐ足元に突き刺さり、霧散していった。


「外しましたか……」


 木漏れ日の中でアウレリウスは立っていた。



お読み頂きありがとうございました。

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