3-12 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その12)
3-5話から連続更新中です。
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「グォォォォォォォォッッッッ!!!!」
地鳴りだ。トモキはそう錯覚した。地面が、体が揺れるような感覚。付近一帯の空気が震え、火山の噴火が起きたような恐怖が一同を襲った。
何かが、来る。耳を抑えながらトモキは声のした方を注視した。眼を離してはいけない。そんな予感に囚われた。
不意に幾つもの枝が折れる音がした。バキバキと不気味な音が鳴り、そして巨大な影が一面を覆い隠していく。
「上だっ、エヴァンス!!」
「ちぃっ!!」
ガルディリスの声と同時にエヴァンスが空を見上げ、襲い来る影を視認すると同時に両手の剣を掲げて受け止めた。
「ォォォォォォォォッ!!」
だがそれも刹那。コンマ秒にも満たない時間の中で決着した力比べは、まるで羽毛でも扱っているかの様にエヴァンスの体を容易く弾き飛ばし、樹の幹へと叩きつけて潰れる音を奏でる。
「エヴァンスっ!!」
「ふぅぅぅぅぅ……どうにも嫌な匂いがすると思ったらやっぱり居やがったか」
果たして、着地の轟音を響かせて現れたのは、ガルディリスよりも遥かに巨大な肉体だった。黒い体毛に覆われた巨体は、トモキを何人合わせれば辿り着けるか、と思えるくらいに巨躯。右手にはそんな自身の巨体をも切り裂ける程の巨大なナタとも斧とも取れる武器。着地と共に地面にそれが叩きつけられた箇所は、まるで隕石が墜落したかの様なクレーターが刻まれていた。突き出た鼻から出される息は荒く、興奮している様子が見て取れる。そして、巨躯の上に乗っかった二本の角を持つ牛面にある両目は影となった顔の中にあって爛々と闘志を漲らせていた。
「よぉ、人間……誰の断りを得て人様ン庭に入り込んでんだぁ?」
大きく踏み鳴らしながら牛頭男は前に出た。遥か高みから見下され、トモキやアウレリウスは勿論、人の範疇において大男に類されるはずのガルディリスでさえも彼の体から放たれる威圧感に圧倒されて冷や汗を流していた。
「それに……」
ミノタウロスは眼を血走らせたままグルリとトモキを見下ろした。一瞬トモキで視線を止め、しかし更に視線を横に滑らせて脇の叢へと向けた。
「随分と人間クセェ臭いをさせるようになったじゃねぇか。自分から出て行くたぁ半端モンにしちゃあ気が利くとは思っていたが、いよいよ人間共に媚を売って獣人としての埃まで金に変えちまったかぁ?
なあ――エドヴァンズのガキッ!!」
「シオっ!!」
トモキが叫ぶ。それと同時、シオは叢から飛び出した。ミノタウロスに背を向け、誰も居ない方向へと駆け出す。
「逃しゃしねぇよっ!!」
しかしシオよりもミノタウロスの方が早い。飛び出したシオの姿を認めると同時に、巨体に似合わぬ敏捷な動きで対峙していたガルディリス達の目の前から消え、シオの方へと跳んだ。
「速いっ!?」
「あの巨体で何て動きだっ!」
シオが決して遅いわけでは無い。だがその体格には大人と子供以上の差があり、一歩の差は歴然。わずか数歩の跳躍で十数メートルあったシオとの距離をゼロに変えた。
「カシオローネェッ!!」
「う…あ……」
敵意の腕がシオに向かって伸びる。シオが振り返り、その口から悲鳴が伸びた。筋張った巨大な掌がシオの頭を掴もうとしていた。
その直前。
「ぬっ!?」
ミノタウロスは突然シオから視線を外し、右手の大ナタをデタラメに横に振るった。その巨大さ故に振るわれただけで暴風が巻き起こり、あらゆるものを砕かんとばかりの迫力があった。
ガキィンッ!――果たして、金属同士がぶつかり合い、木々の隙間を甲高い音が駆け巡った。
「テメェ……!」
「シオは、渡さない……!」
ミノタウロスの大ナタと剣を合わせながらトモキは言葉を絞り出した。力が拮抗し、激しく擦れ合った剣がナタの刃を微かに削りとっていく。ミシミシとナタが悲鳴を上げ、全体の拮抗もトモキの方へと傾きかける。
巨体を誇る自分とただの人間風情が力比べを出来ている。その事実にミノタウロスは目を剥き、しかしすぐに楽しそうに口を歪めた。
「人間のくせに中々やるじゃねぇか。だがな……!」
「ぐっ……」
「俺と力比べしようなんざ百年早ぇんだよっ!!」
ミノタウロスはナタを片手から両手に持ち替え、力任せに振り切った。流石にトモキも堪え切れず大きく吹き飛ばされ、しかし空中で体勢を整えると、飛ばされた先にあった木の幹を足場に跳躍した。
高さを利用してミノタウロスの頭を越え、空を跳ぶ。別の樹の枝を掴んで鉄棒の大車輪の要領で更に遠くへ。そして軽やかな足音を立て、正面から背後に変わったミノタウロスに見向きもせず、逃げ続けているシオの後ろを追いかけていった。
「……糞がぁッッッ!!」
最初から力比べをするつもりなどトモキには無かった。体躯を比べれば圧倒的に不利なのは明白で、ミノタウロスの横を抜け様にもあの大鉈の範囲は広く、また動きも俊敏だ。
だが上下方向は違う。人間は左右に比べて上下には通常反応しづらく、故にトモキは剣を上から振り下ろし、ミノタウロスが振り上げる形になるよう攻撃した。ミノタウロスも人間同様に高さ方向の変化に弱いかは賭けであったが、その目論見は成功した。トモキに利用にされたミノタウロスは怒声を辺りに撒き散らし、眼を血走らせてトモキの後を追おうと肩を怒らせる。トモキはその声に恐怖を覚えながらも意識をシオへ集中させた。
「おおっと、そうはさせねぇぜ?」
ミノタウロスが走りだす直前、背後から声。頭の中で鳴り響く直感に従い、ミノタウロスは再び大鉈を振るう。腕に伝わる抵抗。だが打ち合ったにしては軽い感触。振り返ってみれば、たった今剣を合わせたエヴァンスが軽やかに宙を舞っていた。
「貴様! まだ生きて……」
「お前の相手はこちらだ」
次いで掛けられる声。いつの間にか背後にガルディリスが迫っていた。
上段から振り下ろされる剣。ミノタウロスはすぐに鉈を振り上げて弾き返すが、ガルディリスはその勢いを利用して大剣をすぐに振り返す。
鮮血が舞う。ミノタウロスの体正面を浅く斬り裂き、斜めに傷を作り上げる。
「この程度……!」
「まだ終わんねーよ」
眼を剥き、呻きながらもミノタウロスは踏み留まる。大鉈を振り被り、ガルディリスに狙いを絞る。だが、すぐに足元から別の声が。
右肩と頭部を負傷し、血を撒き散らしながらもエヴァンスは左手に剣を握ってミノタウロスの足元を走り抜けた。すれ違い様に大腿を、回りこんで次に脇腹を。傷は小さくともダメージを与えることに成功すると、すぐにミノタウロスから距離を取って安全圏へと逃げる。
「この……ちょこまかと……!」
荒く鼻息を吐き出し、デタラメに鉈を振り回し、だが鉈が通過する頃にはエヴァンスとガルディリスの二人はミノタウロスから離れた所に居た。
「貴様らぁ……!」
小馬鹿にされている感覚に、地味に痛む各傷も相まってミノタウロスは一層頭に血を上らせる。すでにミノタウロスの眼には二人しか見えておらず、追い掛けようと地面を蹴りかける。だが、両足に重い抵抗。何だ、と足元を見遣れば、地面が盛り上がり両足をふくらはぎ付近まで固く土に縫いつけていた。
「――我が精霊に命ずる。我が身に宿りし魔力を喰らいて眼前に立ち塞がりし敵を焼き払え」
詠唱の声が木々の間を駆け抜けた。
ミノタウロスの立っている場所を中心として地面に魔法陣が描き出され、空に向かって光が伸びる。離れた樹の枝の上に立つアウレリウスは、ミノタウロスに無視されていた不快感を口にし、灰色の髪を苛立った様に掻き上げた。
「全く――この場に居るのは二人だけでは無いんですよ?」
「貴様……!」
「獣風情に忘れ去られるのはこの上なく不愉快なんですよ」
「やめろぉぉぉっ!!」
眩い光がミノタウロスを包み込んでいく。必死に足元に絡みつく土を振り払い、魔法陣の中から逃れようとするが、それよりも早く魔法陣に魔素が満ちていった。
「――『イノセンス・フレイム』」
アウレリウスの口から放たれる最後の詠唱。魔素が膨大な熱量に変換され、直後、灼熱の火炎がドーム上にミノタウロスを焼き尽くす。アウレリウスは高温の熱風と耳を劈く爆発音に顔を僅かに顰め、しかし哀悼の意を示すかの様に胸元で光る十字のロザリオを掲げた。
「全ての異端に等しく死を――」
風が爆煙を流していく。立ち込めた煙が徐々に晴れ、黒く焼け焦げたミノタウロスが横たわった姿が露わになる。蛋白質が焦げた独特の臭いに、アウレリウスは顔を顰めて鼻を摘んだ。
「全く、相変わらず派手にやったねぇ」
「貴方の方こそ大丈夫なのですか?」
足を引きずりながらも飄々とした様子でエヴァンスがやってくる。顔の前を仰ぎながら、疲れた様子で溜息を吐いた。
「ンなわけねーよ。腕は痛ーし頭はクラクラするし、もう最悪だ」
「全てはお前が油断したせいだ。むしろあの一撃を食らって生きている事を感謝すべきだな」
「わーってるって」
そんなエヴァンスにガルディリスは肩を貸しながら、呆れた様に悪態を吐き、エヴァンスは軽く肩を竦めてみせた。そんな二人の様子を見ながらアウレリウスは薄く笑みを浮かべ、「これからどうしますか?」と尋ねた。
「……一度途中の村へ戻った方がいいだろう。流石にこのまま怪人種の探索を続けるのはリスクが大きい。それでいいな、エヴァンス」
「ちっ、まあ仕方ねぇか。賞金首は惜しいし逃したのは悔しいけど、俺の油断が招いた事だしな。ここは大人しく戻ってやるよ」
「そうですか……分かりました。ではそうしましょう。エヴァンスの怪我が癒えてからまた再度捜索ということで」
「ああ。
よし、ほら行くぞ、エヴァンス。何なら今ならお前の大好きなお姫様抱っこでもしてやろうか?」
「ああ!? ふざけんな……ってこら! 止めやがれっ! ふざけんなガルディ……おい、分かった! 俺が悪かった! だから……」
真顔でエヴァンスを抱き上げて、その腕の上でエヴァンスが暴れながらやってきた方向へ帰っていく。緊張がほぐれて賑やかになってきた雰囲気を、アウレリウスは穏やかな表情を貼り付けて微笑んだ。しかし立ち止まったまま二人に付いて行く様子は無い。
「アウレリウス?」
「すいません、魔術の火が木に燃え移っていないか確認しますので先に戻っていて貰えますか? すぐに追いつきますので」
「……危険だぞ。一人で大丈夫か?」
「心配症ですね、ガルディリスは。大丈夫ですよ、少し見て回るだけですから」
眼鏡のレンズの奥で切れ長の眼が細まり、口元が軽く弧を描く。アウレリウスが笑ったのを確認して安心したのか、「なら先に行っている」とだけ残してガルディリスは暴れるエヴァンスを抱えたまま去っていった。
立ち止まったまま見送り、完全に二人の姿が消えたのを確認するとアウレリウスは一度眼鏡を外してレンズを磨く。レンズの曇りが完全に取れたのを確認して掛け直すと、トモキが去っていった方向を鋭く見据えた。
「……我は裁きを下す者なり。代教者にして全ての異端に死の鉄槌を――神の名の下に」
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