3-11 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その11)
3-5話から連続更新中です。
お読み逃しが無いようお気をつけください。
ユーリスに言われたままにトモキは走る。背中に荷物を背負い、右腕にはシオを抱えながらも一定の速度を保ちながら木々生い茂る山道を駆けていく。すでに里は何処にも見えず、トモキとしては里から離れたつもりではいるが、しかし逃げるにしてもトモキにはまだ山や森の中を正確に目的の方向へ進む程の感覚は持ち合わせていない。
(ちゃんと里から離れられてればいいけど……)
少なくともユーリスと出会った場所からは離れているとは思うが、もしかすると里に沿って逃げてしまっているかもしれない。だとしたら無駄足となるが――
「シオ……」
シオなら道が分かるかもしれないが、シオは今、トモキの腕に抱えられて泣き声を漏らしながら顔を胸に押し付けている。しっかりとしがみついた指はトモキの腕に食い込み、恐らく痣を作っているだろう。そんな精神状態のシオに声を掛けるのは流石に憚られた。
(ともかく一刻も早く森を抜けないと……)
たぶん、もうしばらく時間が経ってしまえばユーリスは仲間と共に見回りを再開するだろう。こうして逃げるだけの時間を与えてくれたのは、獣人という種とシオの事の狭間で揺れる彼女の最大限の譲歩だ。もし、改めて彼女がトモキとシオを見つければ容赦なく殺しに掛かるだろうと予想できる。
逸る気持ちを何とか落ち着かせ、森の中を駆ける脚に一層力を込めて加速仕掛けた。
「――っ!」
だが突然トモキの足が止まった。その異変を察したシオも顔を上げて赤くなった瞼をトモキに向ける。
「……お兄ちゃん?」
「静かに……」
シオを黙らせるとトモキは辺りを見回し、一際藪が生い茂った一角に体を滑らせて息を潜める。
「……人の気配がする。じっとして絶対に動かないで」
「うん……」
流れる冷や汗を拭わずトモキはある方向を凝視した。シオを安心させるため頭を撫でながらも目線を外さずに早鐘の様に激しく鼓動する心臓の音を聞く。
まさか、もう獣人達が追ってきたのだろうか? それともユーリスの様に見回りをしていた獣人と遭遇してしまったのか? そうだとして自分はどう振る舞うべきだろうか? 大人しくここでやり過ごすべきか? そうした時、彼らの優れた鼻を誤魔化すことが出来るだろうか?
不安と共に様々な状況を想定していく。落ち着いて。そう自分に言い聞かせ、鼻頭を撫でる。そうしていく中で程なく草を分け入る足音達が聞こえてきた。数は二つ、いや、三つか。
「本当にこんな所に『怪人』が居たんだろうな?」
「ああ、間違いねーって、ガルディ。村の連中が皆見たことあるっつってんだからよ。そら俺だって一人や二人だと疑ったさ。でもまさか村長までグルで俺らを貶めようって話にゃならねえだろ?」
「どうだかな。お前の情報源も当てにならんからな、エヴァンス。この前も似たような情報を持ち帰ってきたが、結局大型の魔獣だっただろう?」
「ぐ……い、いいじゃねぇか、結局魔獣の肉やら骨やらで懐も潤ったわけだしよ」
トモキはそっと頭を上げて声のする方を見た。主に会話しているのは二人。ガルディと呼ばれた男はとても大柄だ。恐らくは二メートルを超えているだろう、とトモキは当たりを付けた。薄い白のシャツの下には見て分かる程に鍛えぬかれた肉体をしている。背中には所謂大剣を背負い、その出で立ちから力で戦うタイプか。
対するもう一方のエヴァンスは、体躯こそガルディが居るため小柄に見える。だが決して小柄では無く、線も細く見えるが腰に刺した二本の剣やこうした生い茂る山の中を軽い足取りで歩いている事からそれなりの実力が窺えた。話し振りから何処か軽そうな印象を受けるが、果たして実際はどうだろうか。
「それに、前回がガセだったにも関わらずまたこうして付き合ってくれるんだ。お前らの方も似たような情報を耳にでもしたんじゃねーの? なあ、アウレリウス?」
そしてもう一人。
「……そうですね。怪人種かどうかは分かりませんが、少なくともこちらの方向に普段見慣れない姿があった事は確かな様です」
「そうなのか?」
アウレリウス、と呼ばれた男はエヴァンスから振られた話に頷いて見せる。灰がかった髪色の前髪を掻きあげ、その手を魔術師然とした黒のローブの中へと戻していった。そして銀縁のメガネの奥から何処か呆れた様な視線をエヴァンスへ向けた。
「だろっ! やっぱそうなんだって。大丈夫だいじょーぶ! もし違ったとしてもどうせ人型の魔獣か何かだろ? そいつを狩れば無駄足にゃならねぇって」
「まったく、貴方という人は……いいですか、ここはすでにベネディスク獣皇国内なんです。魔獣の一匹や二匹なら我々だけでも何とかなるでしょうが、獣人達に見つかれば面倒な事になるんですよ? それを分かってるんでしょうね? さっきからお喋りばかりで、少しは周囲を警戒してください」
「アウレリウスは心配症なんだよ。そんなピリピリしてたらすぐにハゲんぞ?」
「は、ハゲっ……ったく、貴方と話をした私が愚かでした。こうなったらガルディリス、貴方だけが頼りです。敵が近づいてきたらすぐに知らせてくださいね?」
「分かっている。本来索敵はこの男の仕事だが、思いの外頼りにならんみたいだからな」
「あ? どういう意味だよ。喧嘩売ってんのか?」
「ならそう思う前に辺りの気配を探ってみろ。
――近くに人の気配がする」
「なっ!?」
反射的にトモキは頭を下げた。息を止めて物音を極限まで無くす。だが、心臓の音は激しく打ち鳴り、規則正しく刻む脈の振動が今は憎らしい。
――大丈夫だ。バレていない、バレていない。
そう自分に言い聞かせるが、ガルディリスの声は明らかにトモキの方へと投げ掛けられていた。
「……獣人ですか?」
「さて、な。敵意は感じないが、こんな場所で隠れているような輩だ。ただの通行人ということはあるまい。
あくまで隠れたままで居るのであればこちらから仕掛けるが、それでも良いのか?」
見つかっていない、という願望をトモキは即座に打ち消した。だが、このまま素直に姿を現していいものか一瞬迷う。しかしそんなトモキの心中を読んでいるかの様にガルディリスの纏う雰囲気が変わる。
「出てこんか……仕方あるまい。誰かは知らんが恨まないで貰おうか」
「……待ってください。今、出ていきます」
観念し、トモキはその身を叢から起こした。両手を挙げ、抵抗の意思が無いこと示しながらゆっくりと三人の方へ進み出ると、真っ先にエヴァンスが怪訝そうに顔を顰めた。
「あ? ガキかぁ? どうしてお前みてぇなガキが一人でンなトコに居んだよ? それに見慣れねぇ格好してんな。どっから来た?」
「東の方からです。……ずっと旅をしていまして、ここには道に迷って、気づけば居ました」
「……確かに東の方ではこの方の様に皆髪の色が黒いとは聞いた事があります。……一部、赤い髪が混じっている様ですし、極東の方と直接会った事はありませんので本当かは知りませんが……」
「道に迷った、と言ったな? ここはまだ獣人の国の中だ。君の様な少年一人では危ない。どうだ、私達と一緒に来ないか? 近くの村まで送って行こう」
「おいおい、ちょっと待てよ。こんな場所まで来たってぇのにガキの為に蜻蛉返りか? 俺はゴメンだぜ? せめて怪人種の情報くらいは手に入れてからにしようぜ? このままじゃ今回見返りはなしだ。そんなんは俺は御免こうむるね」
「しかしだな……」
「あの」
ガルディリスとエヴァンスの意見が対立し、二人の間の雲行きが怪しくなり始めた時、黙って聞いていたトモキが声を上げた。
「僕の事は気にしないでください。皆さんはその、怪人種、でしたっけ? それを探す為にここに来たんですよね? だから僕には構わず皆さんの都合を優先してください」
「ですが、ガルディリスの言う通りこの辺りは危険ですよ? それに近くの村、と言ってもかなり距離があります」
アウレリウスもガルディリスの意見に同調してトモキを説得しようとするが、トモキは「大丈夫です」と言って背中に背負った荷物に眼を遣った。
「食料ならまだ余裕がありますから。それに……」
一旦言葉を区切って左の腰に挿した剣の柄を軽く撫でた。
「僕もそれなりに腕に覚えはありますから。魔獣程度であれば逃げるくらいはできますし。大体の方向さえ教えて頂ければ自分で何とかしますよ」
「ううむ……」
にこやかに伝えてくるトモキにガルディリスは唸った。
トモキとしては早く彼らから離れたかった。いつ獣人達が探しにくるか分からず、加えてトモキはアテナ聖王国内で手配されている身だ。今はまだ三人共気がついていないみたいだが、このまま話し続ければいつバレてしまうか気が気では無い。出来るだけ急いで、しかし彼らに不審がられない様に自然に離れなければならない。
顔には笑みを仮面の様に貼り付けて。人畜無害な人族の少年として。
ガルディリスの判断を促すようにトモキは頭を下げる。
「ご心配して頂いてありがとうございました。それじゃ僕もそれなりに急いでますので」
「……分かった。こんな場所に道など無いが方向だけ伝えておこう。今の君から見て七時の方向だ。あっちに真っ直ぐ行って、小さな山を一つ越えれば村に着く」
「分かりました。ありがとうございました。それじゃ失礼します。そちらもお気をつけて」
「ああ、君もな」
表情を幾分緩めた風に見えるガルディリスにトモキはもう一度頭を下げ、指し示された方向へ向き直った。そしてバレずに済んだ事に人知れず胸を撫で下ろした。
その時だった。
「――っ!!」
突然トモキは振り返った。それと同時に直感に従って大きくその場を飛び退く。
振るわれる凶刃。トモキの居た場所を左肩から袈裟に斬り裂き、だがかわしたはずのトモキの左頬を目に見えない何かが斬り裂いていった。
「エヴァンスっ! 貴方何を……!?」
「よーやく思い出したぜ」
剣を振り下ろした体勢をゆったりとした動作で崩し、ニヤリと口端を歪めて真っ直ぐ立ち上がる。だがその眼は鋭く、トモキを油断なく見据えていた。
「どっかで見たことある顔だとは思ったんだ。黒髪なんて滅多に見ねーし、一度でも会ったことがありゃ忘れるはずもねぇ」
「なら人違いですよ。僕は貴方と初めて会いましたから」
一縷の望みを賭け、トモキはシラを切った。だがエヴァンスは小さく鼻で笑い、手にした剣をトモキに向けた。
「ああ、俺もお前に会ったのはこれが初めてさ。だから今まで思い出せなかったのさ。だが俺らは怪人種を追い掛ける以外にも賞金稼ぎみてぇな事もしててな。逐一指名手配犯なんぞもチェックしてるって訳だ」
「待て、エヴァンス。それではこの少年が犯罪者みたいではないか」
「みたい、じゃねーんだよ、ガルディ。正真正銘コイツは賞金首。強盗に殺人未遂までやらかした歴とした凶悪犯なんだよ」
「違います!」
大声でトモキは否定した。確かに罪状としてはそうかもしれないが、実情はそうではない。恥じることをした覚えもなければ、誰かに後ろ指を差される事はしていない。ならば認めてはならない。エヴァンスはともかく、ガルディリスは誰かを謀る様な人間では無い。見知らぬトモキを心配してくれた事からも、真っ直ぐな人柄なのだろう。であれば、ここで本当の事を主張すれば味方になってくれるかもしれない。
「何が違うっていうんだよ。いいぜ? ここで言いたい事があるなら言ってみな? 大人しく捕まるっていうんなら話を聞いてやってもいいぜ?」
だがトモキは言葉を続けることが出来なかった。彼らのトモキに対する態度は信頼できるかもしれない。
しかし、シオに関しては信用できなかった。
短い時間の中でトモキはこの世界を見てきた。アルフォンスに出会えた。シオに出会えた。良かったと思える事もある。それでも、人間達と獣人達の諍いにトモキは理解を示す事が出来なかった。
つまりは、トモキはこの世界を信じきれなかった。数少ないながらも人間、獣人共に接してきて、どちらの側にも立つことが出来なかった。この世界に属する立場を見定めるには、まだ時間が短過ぎた。
「どうした? 何も言う事がねぇなら問答無用でふん捕まえるぜ?」
「……僕がした事は確かに犯罪かもしれません。だけど、間違った事をしたとは思っていません」
「何か事情がありそうですが、その辺りを話しては頂けませんか?」
「いきなり斬りかかる様な人を、僕は信用できません」
「なら仕方ねぇな」
エヴァンスは慣れた手付きで右手の剣を持ち替え、開いていた左手にも小太刀を握り構える。
「力づくで捩じ伏せるまでだ。大して賞金はでかくねぇが、一月二月くらいは遊んで暮らせそうだからな。――死んでも後悔すんじゃねぇぞ?」
「犯罪者を逃すわけにもいかんし、已むを得んか……だが極力傷つけるなよ、エヴァンス」
「さぁてねぇ。そこら辺もこのガキ次第ってところかね?」
姿勢を低く構え、エヴァンスがジリジリと間を詰めてくる。その横に、背の大剣を握った状態でガルディリスが並び、後方ではアウレリウスがローブから杖を取り出して詠唱のタイミングを計っている。
トモキもまた剣を抜き、三人の動作に注意を払いながら少しずつ息を潜め続けているシオから距離を取るようにして場所を移動する。
トモキは迷う。このまま三人と剣を合わせるか、それとも一目散に逃げるか。シオに目配せの一つでもしてやりたいが、今それをすればシオの存在がバレてしまう。出来ればこの戦闘にシオを巻き込むのは避けたい。
どうする、どうする。頭の中で必死で状況のシミュレートを行うが、それが完了する前にトモキはハッと眼を見開いた。そして三人と対峙しているにも関わらず弾かれた様に明後日の方向を振り向いた。
「グォォォォォォォォッッッッ!!!!」
地鳴りだ。トモキはそう錯覚した。地面が、体が揺れるような感覚。付近一帯の空気が震え、火山の噴火が起きたような恐怖が一同を襲った。
お読み頂きありがとうございました。
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