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3-8 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その8)

3-5話から一週間連続更新中です。

お読み逃しが無いようお気をつけください。

「僕はね、お兄ちゃん。『呪い子』なんだって」


 焚き火を前に二人が並んで座る中、シオは俯いてそう切り出した。


「呪い子?」

「うん。里の皆も……お父さんとお母さんも僕をそう呼ぶんだ」


 炎に薄く顔が照らされ、シオはお湯の入った水筒を抱えながら右手を顔の前に掲げた。そして見る見るうちに右腕が手首の辺りから太くなり、赤みがかった灰色と金色の入り混じった毛が覆い隠していく。と、そこまででシオは落胆したように溜息を吐いた。


「僕は、頑張ってもここまでしか獣人になれないんだ」

「他の人は違うの?」


 シオの言葉に何処か違和感を感じ、しかしそれが何なのか分からないままトモキは尋ね、シオは再び俯いて首を横に振った。


「うん、違うんだよ。だって、皆は元々(・・)獣人なんだもん。里の人は犬や猫や熊とか、色んな人が居るけど皆は元々犬だったり猫だったり熊だったりするんだ。普段はそっちの姿で過ごしてるんだけど、必要な時は人間に近い姿になれたりもできるんだよ。でも、皆人間が嫌いだから滅多に変身しないけどね。

 だけど、僕は皆と違って今の姿が普通なんだ。お兄ちゃんは、僕達獣人が生まれた時どんな姿か知ってる?」


 問われてトモキはいつかのテレビ番組を思い出した。それはある獣人一家の生活を追ったもので、その中には獣人女性の出産の様子がカメラに映されていた。


「確か、人間とそんなに変わらない姿だったと思うけど……」

「うん。僕達は生まれた時は人とそんなに変わらないんだ。だけど、大きくなるとそれぞれの種族の姿に変わっていくんだよ。僕は灼熱狼族だから、普通はこの右手みたいに体中に紅い毛が生えていくんだ。周りの友達は皆、お父さんやお母さんと同じ姿になっていった。けれど、僕だけはいつまで経っても人と同じ姿のままだった……」


 毛に覆われた右手を見つめながらシオは言葉を吐き出す。その表情には感情が抜け落ち、様々な想いが幼い心に渦巻いているのをトモキは感じたが、如何なる言葉を掛けるべきか、トモキには分からない。


「僕が狼になれないって分かってから、皆変わってしまった。里の大人達は僕を『呪い子』って呼んでくるし、仲の良かった友達はみんな僕をいじめるんだ。優しかったお父さんとお母さんは毎日喧嘩ばかりするし、僕が近寄るとお父さんは『汚らわしい人間の子』だって叫んでブツんだ。お母さんは大声で叫びながら泣き始めるんだ……」


 シオは膝を抱え込み、膝小僧に顔を押し付けた。そしてそのまま押し黙り、声を押し殺したまま肩を時折震わせた。

 トモキはシオのその肩を抱き寄せ、優しくシオの柔らかい髪の毛を撫でた。嗚咽が少しだけ漏れた。


「だから……家には帰りたくないんだね?」


 腕の中でシオが小さく頷いたのが分かった。


「そう……」


 トモキは掛ける言葉を躊躇った。頭の中で言葉を探しまわり、しかしどんな言葉を掛けても安っぽい同情の様な気がして、どうすべきか分からなかった。シオの辛さはシオにしか分からず、トモキがどれだけ親身にしようとトモキはシオでは無くどこまで行ってもトモキだ。それでも何か言葉を掛けてあげたい。その想いにだけ押し動かされて口を開き、ただ一言だけ言葉を紡いだ。


「辛かったね……」


 腕の中の嗚咽が少しだけ大きくなった。けれど泣き声は押し殺したままで、体の震えだけが大きくなる。漏れるのは泣き声では無く、何かに堪えるだけの嗚咽だ。だがそれだけにトモキはひどく胸が、心臓が掴まれる想いがした。

――どうして、どうして……

 トモキの胸の奥で渦巻く感情をうまく言葉で表現できない。どうしてシオが声を押し殺して泣かなければならないのか。どうして人に近しい容姿であるだけで迫害されなければならないのか。言葉も通じ、考える頭があるのにどうして人と獣人はこうまで憎しみ合うのか。どうして自分は慰めの言葉一つ満足に投げかけてやれないのか。どうして、どうして――

 トモキは歯噛みした。不甲斐ない自分に下唇を噛んだ。プツリ、と避けた唇から血が小さく溢れて、しかしそれがどうしたとばかりにトモキは尚も強く、溢れる激情を抑えるかの様に噛みしめる。

 溢れる感情に、堪らずトモキはシオを正面に抱き締めた。両腕をいっぱいに使い、シオの背中と頭を強く自分の体に押し付け、自分の熱で悲しみよ溶けろと念じた。温もりで凍えた心よ消え去れ、と願った。

 只管にトモキは願い、只管にトモキはシオへと人の温もりを与え続けた。それが、シオを少しでも暖めてくれると信じて。




「もう、いいの?」


 しばらく泣き続けた後、シオはトモキから顔を話した。目元をゴシゴシと強く擦ったせいで赤くなり、シオは気恥ずかしそうにトモキから顔を逸らして頷いた。


「うん……その、ごめんなさい」

「どうしてシオが謝るのさ」トモキは苦笑を浮かべた。「悲しかったら泣けばいいし、楽しかったら笑えばいい。それが自然だし、そこに人間も獣人も無いさ。特にシオは今まで我慢してきたんだ。少なくとも僕と居る時は我慢する必要はないよ。それに……」


 トモキもまた少し恥ずかしそうに笑った。


「僕もこの前シオの前で大泣きしちゃったからね」

「……なら、これでおあいこだね」

「そうだね」


 そして二人してクスリ、と小さく笑った。だがトモキはすぐに表情を引き締めてシオの眼を見つめる。


「さっきの話だけど……僕はシオが望むならシオと一緒に旅をしたい」

「ホント!?」


 トモキの言葉にシオは一層破顔してみせた。だがトモキは「だけど」と喜びを露わにするシオを一度制した。


「それも一度シオは里に戻らないといけないと思う。お父さんとお母さんと会って、話をして、それからもう一度決めて欲しいんだ」

「…………」

「気持ちは分かるけどね」


 そう言うとシオは途端に表情を曇らせて黙り込んだ。トモキは薄く苦笑いを浮かべ、「聞いて」とシオの顔を優しく包んで逸らした眼をトモキに向けさせる。


「僕が思うに……たぶん、シオのお父さんとお母さんはすごくびっくりしたんだと思う」


 シオは首を傾げ、だがジッとトモキの眼を見つめ返す。


「他の友達がそうだったみたいに、お母さん達もシオがお母さん達に似てくるって思ってたに違いないんだ。獣人らしく成長するって思ってたはず。だってそれが当たり前だからね。けれど、シオはそうはならなかった。当たり前が当たり前じゃなかったんだ。だから凄く驚いたはずだよ。びっくりしてびっくりして……シオに対してどう接していいか分からなかったんだと思う。シオも経験は無いかな? 思ってもみなかった事が起こった時にどうしていいか分からなくなった事は無い?」

「ある……かも」

「うん。だからそういうことだと思うんだ。お父さんとお母さんはそれまで優しい人だったんでしょ?」


 シオは頷いた。


「それだけシオの事を大切に思っていたはずなんだ。大切な自分の子供が考えていたのと違ってたから驚いてしまって、それでシオに対して冷たくしちゃったんじゃないかな?」

「そう、かなぁ……?」

「そうだよ。

 ――シオは、お母さんとお父さんの事、好き?」

「……うん」

「なら同じ様にお母さんもお父さんもシオの事が好きなはずだよ。自分の子供なんだ。本気で嫌いになんてなれるはずが無い。きっとシオが突然居なくなって、物凄く心配してるさ。きっと、冷たくしてしまったことを後悔してるよ。

 だからさ、一度家に戻って、自分は元気だって言う事をキチンと伝えて、僕はお母さんとお父さんの事大好きだよって伝えるんだ。その上でシオが僕と一緒に行きたいって思ったなら、僕は何も言わないよ」


 心掛けて出来るだけ優しくトモキはシオに向かって語り掛ける。穏やかに薄く笑みを浮かべ、シオを落ち着かせる様に柔らかな髪を撫でながら。

 対するシオは、撫でられる感触に、トモキの言葉に戸惑いながら黙って聞いていた。

 シオは迷っていた。トモキの言葉を、本当だろうか、と信じられなかった。

 シオの眼には、半狂乱で泣き叫ぶ母親の姿が眼に焼き付いている。憎しみの篭った視線で自分を睨みつける父親の眼光が脳裏に刻み込まれている。初めて人から獣人に(・・・・・・)変身できて、その成果を両親に見せた時、シオの世界は終わりを告げた。あの時の両親の姿は、シオに絶望し、シオへの愛を切り捨てた。初めて、絶望と憎しみという感情を理解した。言葉として、また感覚として明確に理解したわけでは無いけれども、シオはそう感じていた。だからトモキの言葉を信じきることが出来なかった。


「う……ん……」


 だが一方で、シオの本心として両親を愛しているのも確かだ。冷たい眼差しの記憶と並んで、今よりも更に幼い時期に貰った優しい日々の記憶は今も尚、今だからこそ鮮やかな羨望の記憶としてシオの中にこびり付いていた。

 シオは信じたかった。父が、母がまだ自分を愛してくれていると信じたかったのだ。誰よりも身近な他人が、また再び自分の頭を優しく撫でて抱きしめてくれるのだと思っていたかったのだ。また、「カシオローネ」と呼び掛けてくれる暖かな声を、シオは欲していた。


「――分かったよ。お兄ちゃん」


 だからシオは頷いた。


「明日、お母さんとお父さんに会ってくる。そして、お話してくる。今までありがとうって、これまでも、これからも大好きだよって言ってくるよ」


 揺れる瞳で、やや潤んだ眼差しをトモキに向けて、けれどもはっきりとした口調でシオはそう告げてきた。怖いのだろう、シオの手はよく見なければ分からない程度に震えていたが、恐怖を胃の奥へ飲み込んで両親と向き合うことを決意した。


「シオは偉いね。凄いよ」

「……そうなの?」

「そうだよ。お母さんとお父さんと向き合うのは怖いよね? でも、それを自分の意思で決めたんだ。普通、シオくらいの――ううん、僕とかもっと大人の人でも怖いことなんだ。だからその怖さに打ち勝ったシオはとっても偉いんだ」


 トモキが褒めるとシオはむず痒そうに体を捩った。その様に微笑ましさを感じながら、トモキは「さあ、そろそろ寝よう」と促して自分も町で購入したマントを広げて横になった。シオはトモキの隣で丸くなり眼を閉じる。

 シオの様子を確認するとトモキはその体を左手で包み込み、自分も眼を閉じようと思ったその時、シオが眼を閉じたまま口を開いた。


「もし、明日が終わっても……お兄ちゃんにまた会えるよね?」

「……当たり前だろ? 僕らは――友達じゃないか」


 髪を撫で微笑んでトモキがそう言ってやると、シオは満足したように笑った。


「だよね。それじゃおやすみなさい」

「ああ――おやすみなさい」


 シオの言葉はそれっきり途絶え、程なく穏やかな寝息が聞こえてくる。それを認めるとトモキもまた眼を閉じ、微睡んでくる。

 そんな中、トモキは先ほどシオに言い聞かせた自分の言葉を振り返る。


(――母さん、父さん……)


 自分を育ててくれた両親の事を思い出す。物心着いた時から彼らはトモキと共にあり、共にたくさんの思い出を育んできた。たくさんの愛を注いできてくれた。


誰一人として(・・・・・・)君の心配なんてしていない)


 瞼の奥で少年が嘲笑う。トモキは体をギュッと丸めた。

 僕は信じない。二人は僕の事を大切に思ってくれている。あの時の夢も、きっと瞞し(まやかし)だ。二人は、絶対に僕の事を心配してくれているはずだ。トモキは自分に言い聞かせた。

 子供の事を本心から心配しない親なんて、絶対に居ない。世の中、色んな親子が居て、捨てられた子供だって、虐待された子供だって居る。だけど心から子供を憎む親なんて居ないはずだ。

 信じるんだ。僕は、独りじゃない。誰が見捨てても、あの人達だけは僕の味方であることを。

 微睡みが深くなり、トモキの思考が胡乱になっていく。トモキはそれ以上考えるのを止めて、眠りゆく流れに身を任せた。

 思考が消え失せる最中、最後にトモキは思った。

――僕の、本当の両親は僕を愛してくれていたんだろうか。



お読み頂きありがとうございました。

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