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3-7 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その7)

3-5話から一週間連続更新中です。

お読み逃しが無いようお気をつけください。

 トモキとシオが互いに打ち解け合ってからの道のりは、少なくともトモキにとってはそれまでとは百八十度異なるものになった。これまでトモキは、鬱々とした気持ちを奥底に抱えて、どのようにコミュニケーションを取るべきか悩み、またトモキがシオを守ってあげなければと強い強迫観念に囚われていた。全ての思考に重い澱が絡みついていた。

 しかし今、トモキの心は軽やかだった。

 時折どちらからともなく話題が見つかれば話し掛け、笑い合う。山の歩き方はシオの方が優れているから、トモキの方からアドバイスを求め、逆に判断に迷うような時には二人で相談の上で最終的にトモキが方針を決め、どちらが上位となるわけでもなく、対等な立場で接することができていた。

 会話は増えたとはいえ、トモキもシオもそれぞれ話題を豊富に持っているわけでもなく、また口が達者なわけでも無い。自然、道中には互いに無言の時間も多かったが、それでも二人の距離は手を伸ばし合えば届く程度であり、沈黙の時間を苦痛と感じる事は無かった。


「今日はここら辺で休もうか。ちょっと疲れちゃった」

「分かった! さっき川があったからそこでお魚取ってくる!」

「お願いするよ。なら僕は薪に使えそうな木を集めてくるから、シオの方が先に戻ってきたらそのままちょっと待ってて」

「うん! 気をつけて!」


 初めの内は一日に進める距離もそう長くは無かった。矢を受けた後遺症とそれまでの精神的、肉体的過労からトモキの体力が直ぐに尽きてしまい、日が暮れ始めたらそこで野営の準備を行う。以前ならトモキも辛いのを我慢して先へ進むことを優先していただろうが、今は素直に疲れたと口にすることが出来ていた。何でも自分でしなければ、という考えはなくなり、食料の調達もシオに任せ、トモキ自身は自分で出来る範囲の事をする。気負いが無くなり、シオに仕事を任せる事に対する自分への罪悪感も無い。そして、その事にもう特に思う所も無かった。ただ誰かに任せられる安心感があった。


「……ちょっと待って。近くに誰かが居る」

「……本当だ。足音が聞こえる」

「右後ろからだ。何処か隠れられそうな場所は?」

「お兄ちゃん、こっちだよ」


 魔術を使えないトモキだが、魔技高の中でも図抜けた身体能力の他にも空間を把握する能力に長けていた。近くに人が近づいたり、見知った場所で何か変化があれば直ぐに気づくことが出来た。なので人里近くまで近づいた時にシオ以外の人間が近づけば、トモキがいち早くシオに知らせ、そして山の歩き方に慣れているシオが身の隠し場所を探して二人して息を潜める。

 今のトモキは犯罪者であるし、シオは人間に見つかるわけにいかない。山の茂みや自然にあった山肌の凹みに身を隠して何度も人間の兵士をやり過ごした。


「それじゃ今日は僕が何か探してくるよ」

「うん! じゃあ僕は焚き火を作っておくね!」


 体調が回復してからはその日の食料を調達するのはトモキの役目に変わった。川が傍にあればシオと二人して魚を捕まえるが――とは言ってもその場合は殆どシオが捕まえてトモキは一匹捕まえられれば良い方だが――無い場合はトモキが山に潜む魔獣や野生生物を狩っていく。狩りなど殆ど経験の無いトモキが普通の野生生物を捕まえるのは本来ならば至難の業だが、この世界では違った。

 魔獣は血気盛んにトモキを獲物と見定めて、そうではない通常の生物もトモキを餌と思うのか、向こうの方から近寄ってくる。普通は人を見かければ逃げ出すはずの鹿でさえそうだ。いや、それは鹿の様な別の生き物だったのかもしれない。いずれにせよ体調の回復したトモキからしてみれば、それらの獲物を返り討ちにするのは然程難しい話ではなかった。

 魔獣(えもの)の動きを冷静に見定め、ぶつかり合う直前に必要な分だけ体をずらす。すれ違い様に、まるで居合の様に鞘から剣を抜刀してそのまま一閃。それだけで全ての魔獣を物言わぬ骸へと帰する事が出来た。


「ふふっ、お見事。もう生き物を殺す事に躊躇いは無くなったようだね。いや流石、流石」

「お前は黙ってろよ」


 獣を一匹消す度にまたあの少年が現れる様になったが、トモキは気にならなかった。彼が何者なのかは分からないが、どうせ相手にするだけ無駄なのだ。

 それに、とトモキは血で汚れた自分の手を見つめた。魔獣や動物を殺すのに戸惑いや恐怖が自分の中から消えたのは、少年の言う通り事実だ。人に限らず生き物を傷つける事を避けていた自分はもう居ない。自分は変わってしまった。だがそんな自分を悪いとは、嫌だとは思えなかった。

 その要因がただ単に命を奪うことに慣れてしまったからなのか、それともシオという守りたい存在のせいなのかは分からない。無闇に命を奪うことはしたくない。けれど――


「一方的に奪われるくらいなら――」


 元の世界の人達。そしてニコラウス達の存在。彼らの顔が浮かんで消えていく。トモキは(かぶり)を振った。手の中の剣を握り締め、そしてたった今斬り殺した猪獅子型の魔獣の元へ歩いて行く。前足から尻へ掛けて両断されたその遺骸にそっと手を合わせると、右手で猪獅子を引きずりながらシオの所へと戻っていく。


「それでね、それでね、その時は――」


 食料を確保した後は二人で楽しく喋りながら夕食を取る。この時ばかりはシオも一生懸命お喋りをし、これまでで楽しかった事、面白かった事を語り、トモキもまた昔の、トモキがトモキらしく友達と仲良く過ごしていた時期の思い出を出来る限り話してあげる。

 語り合い、笑い合う。焚き火の仄暗い灯りが火を挟んで向き合う二人の顔を平等に照らし、肌寒い夜の山の空気を優しく温める。

 一日が終わりに近づくと更に二人の間の空気は和らぐ。眠気がトモキを襲い、ウトウトしていると、シオがそっと背後に近づいて、水で濡らしてひんやりした手でトモキの首にあてがって悪戯をしたり。

 それでトモキが跳ね起きてシオの体を抱え上げて「悪戯する子にはお仕置きだっ!」と叫びながらクルクルと振り回してみたり。

 その途中で足元の石に躓いて二人して転んでみたり。そして、二人してお尻を擦りながら笑い合って。

 夜には火の傍で二人で並んで横になって、シオが体を丸め、トモキはシオが寒くないように上着を掛け、シオを抱き抱えるような体勢になる。横になり、二人して眼を瞑ればすぐにどちらともなく寝息を立て始める。仲良く寄り添って眠りにつくその姿は、まるで仲の良い兄弟のようだった。




 二人にとって楽しく、そして心地良い日々は瞬く間に過ぎていった。




「何をしてるの、お兄ちゃん?」


 翌日にはとうとうシオの住んでいた獣人の里に辿り着く程に近づいたその前夜。

 小さな切り株の上に腰を下ろして空を見上げていたトモキは、シオから声を掛けられて徐ろに顔を上げた。


「ああ、久々に絵を描きたくなってさ。せっかくシオが買ってきてくれたからね」


 そう言ってトモキは、まだ何も描かれていない真っ白なスケッチブックを掲げてみせる。

 トモキが言った様にこの新しいスケッチブックは、先日見つけた町でシオに買ってきてもらった物だ。

 ニコラウスから逃げ出してすで一週間近く経過しており、その間歩き続けた二人はいつの間にか人族の国であるアテナ聖王国を抜けてベネディスク獣皇国へと達していた。山の中を只管に進み続け、食料などは魔獣などを狩って何とか過ごしていたが、やはり一番の懸念は水の確保だった。時折見つけた小川で渇きを凌いではいたものの、近くに川の無い場所を進む時に備えて携帯できる水筒などの必要性をトモキは感じていた。

 そんな折に町を見つけ、水筒の他にも必要な物を買い込むことに決めた。二人で町へ降りて行って買い物をしてもいいが、すでに獣人の国である。先日の人族の町の事もあって、人であるトモキが町に入ればトラブルが起こると予想するのは容易い。なので携帯や時計、日本の紙幣など売れそうなものをシオに手渡して買い出しを頼む事となった。その時に色々と相談して買う物を決め、旅装としてのマントや水筒、荷物を入れる鞄など様々だが、一つだけトモキが「我が儘」としてお願いしたのがこのスケッチブックであった。

 食事も終えて、トモキは独り切り株の上でぼんやりと空を見つめていたが、不意に絵を描くことを思い立ち、夜空に浮かぶ真ん丸の月を眺めていたのだった。しかしどうにもイメージが固まらず、単なる物思いの時間に類しかけていた。


「そうだ、シオ。ちょっとそっち行って」

「こっち?」


 トモキに言われるがままにシオはトモキと月の間へと移動する。ゆっくりと木立を抜け、すぐ傍の、つい数十分前に焚き火をしていた小さな草原の真ん中に達した時、トモキは「ストップ」と声を上げた。


「うん、そこ。そこの石の上に座って。そう、こっちに背を向けて少し月を見上げて」


 トモキの指示通り、岩と言うには小さい石の上に腰掛け、両腕を石に突いて満月をシオは見上げた。「そのまま動かないで」と言われ、これでいいのかな、と小さく呟きながら体勢を維持する。

 やがて十分程経ち、そろそろシオの腕が痺れてき始めた頃、トモキから声が掛かった。


「うん、もう良いよ。ありがとう」


 シオが振り向いた時には、すでにトモキは景色を見ておらず、何かに集中する様に両目を閉じていた。トモキの元に戻り、その手元を覗きこむがスケッチブックはまだ真っ白のままだ。

 どうしたんだろう、描かないのかな、とシオが首を傾げていると俄にトモキが眼を開いた。

 鉛筆を軽く握りしめ、黒鉛を白いキャンバスに擦り付けていく。右へ左へ。上へ下へ。一切の躊躇いも無く鉛筆を動かし続け、瞬く間にスケッチブックに一枚の絵が描き出されていく。


「……!」


 何処か鬼気迫る様子のあるトモキに気圧されてシオは立ち尽くしたままその様子を見ていた。

 瞬きさえ忘れたかの様にトモキは頭の中に見えている景色を、鉛筆を使って叩きつけていく。額から汗が滲み、大きな粒となって蟀谷(こめかみ)を流れ落ちようかという時、不意にトモキの手が止まった。


「ふぅ……どうかな?」


 大きく息を吐き出し、額の汗を拭いながらスケッチブックを後ろに立っていたシオに差し出した。

 そこに描かれていたのは、一枚の風景画の様な絵であった。しかし真ん中には、近くの何処にも無い大きな泉の様な水面が描かれ、その奥によく茂った木々が並んでいる。空からは真ん丸の大きな月が照らし、水面の中心ではシオが楽しそうに笑いながら踊っている様子が描かれていた。


「すごいよ、お兄ちゃん! すっごい絵が上手なんだね! 僕、ゲージュツとか良く分かんないけど、何だかこの絵を見てるとすっごくドキドキしてくる!」


 鉛筆だけで描かれた白黒の絵。だが巧みに濃淡が付けられ、モノクロでありながら彩りが感じられる。

 興奮した様子で賛辞を惜しみなく投げ掛けてくるシオ。褒められて面映いのか、トモキは含羞み(はにかみ)ながら頬を指先で描く。


「でも」シオは絵を見ながら小首を傾げた。「この中の僕、独りだけど他の人と一緒に踊ってるみたい」


 シオの指摘した通り、描かれているのはシオ一人だがその体勢や伸ばされた腕の様子はまるでそこに見えない誰かが存在しているかの様だ。もちろんそれもトモキが意図したもので、そこの意味するところをトモキは解説しようとするが、少し考えて止めた。


「そうだね。きっと、いつかシオがこんな風に誰かと踊る日が来るのかもね」


 そう言うに留め、トモキは微笑んだ。そんなトモキをシオは不思議そうに眺めていたが、これまで見せていた笑顔が消え、不意に表情を曇らせる。


「どうしたの? 気に入らなかった?」

「ううん。そうじゃないんだけど……」


 様子が急変したシオに、トモキは絵が好きになれなかったのか、と尋ねるがシオは首を横に振った。


「ねぇ、お兄ちゃん」

「ん? 何かな?」

「明日には、里に着いちゃうんだよね?」

「たぶんね。シオがさっき言ってたじゃない? どうしたの? 何か気になる事でもあるの? 言ってごらん?」


 切り株から降りてシオの前に屈み込み、下からシオの顔を覗きこんで優しく話し掛ける。小さく笑みを浮かべるトモキの顔をシオは一瞥するが、どこか躊躇うかのようにトモキから視線を逸らした。それでもトモキは辛抱強く黙って待ち、それ以上促すことはしない。シオの視線がトモキとスケッチブックを何度か行き来した後、ギュッとスケッチブックをシオは抱き締めて、下唇を噛んだ。


「里に着いた後、お兄ちゃんはどうするの?」

「どう……しようかなぁ?」


 そういえば、何も考えて居なかった、とここに来て初めてトモキは気づいた。


(そうか……もう、明日にはシオともお別れなんだ……)


 この世界に来たばかりの頃は生きる事に必死で、耐える事に必死で他に何も考えられなかった。シオと二人で逃げ、こうして山の中で過ごしている間は、その居心地の良さに安住し、シオを無事に里へ送り届ける事だけを考え、そこで思考を停止させていた。

 その先にある「前」を考えれば、否応なしにやがて来る別れの事を意識せざるを得ない。それをトモキは無意識に恐れていた。


「まだ、特に何も考えていないけど……そうだね、何処か暖かい場所でも探してみようかな」


 空を見上げてトモキは呟いた。ゆっくりと歩き出し、木立を抜ける。ポケットに手を突っ込み、叢に立ち尽くす。

 少し前は、帰りたいと思っていた。世界地図を見て、この世界がトモキが過ごした世界と異なる場所であると知って落胆した。失望した。

 だけども、今はどうだろうか。今、自分は元の世界に戻ることを望んでいるのだろうか。あの、下を向いてただ過ごすだけの日々を甘受したいのか。


「この世界で生きていくのも……悪くないのかなぁ」


 そんな言の葉が口から滑り落ちた。


(ここらだってそんなワリィもんじゃねぇさ!)


 夜の風がトモキの頬を撫で、頭の中でアルフォンスの言葉が反響して消えていった。


「……お兄ちゃん」


 トモキが雲が近づいてきた月を見上げている中、シオは意を決した様に尋ねた。


「僕も、お兄ちゃんに付いて行ったらダメかなぁ?」




お読み頂きありがとうございました。

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