3-5 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その5)
あけましておめでとうございます。
新年一発目は3-5話から一週間連続更新中です。今回は少々短いですがご容赦ください。
またお読み逃しが無いようお気をつけください。
――前回までのあらすじ
特異点に飲み込まれて異世界へと飛ばされてしまったトモキは、行き倒れかけたところを行商人のニコラウスに拾われる。だがニコラウスは非公式に獣人奴隷の売買を行っており、運んでいた荷物は獣人の子供だった。
それを見つけてしまったトモキはニコラウス達に殺されそうになるが、ニコラウスの護衛をしていたアルフォンスのお陰で急死に一生を得る。一緒に逃げた獣人の子供のシオを獣人の里に送り届けるためにトモキは旅を始めるが、人間と獣人の間の確執もあり上手くコミュニケーションを取ることが出来ずに苛立ちを募らせる。
そんな中見つけた人族の町へ立ち寄ったトモキ達だが、そこでトモキは、自らが凶悪犯として指名手配されている事を知る。町の兵士と戦いになり、何とか町から脱出することに成功するが、逃げた山の中で気を失ってしまう。そこに魔獣達が現れて……
再びトモキは夢を見ていた。
深夜、町の中には人の気配は無くなり、その中を必死に駆け回っていた。額から汗を流し、左手でシオを引きずる様にしながら走る。全ての街灯は消え去り、家々の明かりも無い。人が住んでいる気配さえしない、ゴーストタウンと化した町を逃げ回っていた。
体は重い。普段と比べてみれば全身が沼の中に埋まったかの様に鈍重。どれだけ全力で走ろうと切れる事の無い呼吸も今は掠れ、何処かから呼気が漏れているかの様に乾いた音が喉から鳴る。
トモキは振り返った。遠く道の向こうから何かが這い寄って来ている。黒い影の様な、山に立ち込める靄の様な実体の掴めない何か。どれ程の大きさか、どれ程の闇の深さか。そして、あれに飲み込まれた時に自分たちはどうなってしまうのか、何も分からない。だが、影に飲み込まれてしまった時、きっと自分はどうしようもなく終わってしまうだろう。そんな確信を根拠もなくトモキは抱いていた。
「はっ、はっ……頑張れっ! 頑張って……!」
走りながらトモキはシオを励ます。シオの体もトモキ同様に重た気だ。必死になって腕を振ってトモキに付いて行こうとしているが脚は上がらず、トモキを虚ろに見上げてはくるが呼吸も体の動きも、全て今にも倒れてしまいそうな様相だ。
(くそ……!)
悔しそうにトモキは顔を歪ませる。万全ならばシオを背負ってももっと早く逃げる事だって出来る。しかし今のトモキにはシオを抱える余裕は無く、かといってシオに合わせて走る以上、これ以上速度を上げる事も難しい。苛立った様にトモキは右手で自らの脚を叩いた。
そして不意に思い浮かんだ。
(僕一人だったら……)
シオを置いていけば、そうすればきっと自分だけは助かる。あの、何者かも分からないものから確実に逃げおおせる。
途端、シオの足元が突如として崩れ落ちた。
「シオッ……!!」
シオの足元が砕け、木片や石畳などの瓦礫と一緒にシオの体が穴の中へと吸い込まれていき、しかしトモキはシオの腕をしっかりと掴んでいた。
宙吊りになるシオの体。トモキの体も上半身は半ば以上落ちており、掴んだ上で自分も落ちてしまわなかったのは僥倖と言うべきか。だが息をつく暇も無く少しずつ体が穴の方へとずり落ちていく。
トモキは何とか踏ん張ろうと穴の縁を掴む。だが引っ張り上げようにもトモキの体には何故か力が入らない。
「おおぉぉぉぉ……!!」
どうして、と自らに苛立ち大声を発して自身を鼓舞する。が、その時、目の前にまたあの少年が現れた。
「頑張るねぇ、君も」
何も無い穴の上にふわふわと浮かぶ少年は呆れた様にトモキに言葉を投げ掛けた。トモキは意識して少年から眼を逸し、シオの体を引っ張り上げることに集中しようとする。が、少年はいつの間にかトモキの目の前にまで接近し、そして優しく囁いた。
「もう、離しちゃえよ」その言葉にトモキは眼を見開いた。「もういいだろ? 君だって本心じゃそう思ってるくせに」
「そんなこと……!」
「いい加減限界なんだろ? もう辛い思いするのは嫌なんだろ? 折角助けてやったのに愛想の一つも振りまかない。守られるのが当たり前みたいな態度で君に引っ付いているくせに露骨に距離を取って近寄らせない。お高く止まった女じゃあるまいし、これ以上何処に守ってやる義理がある?」
それは毒だ。トモキを腐らせる為の猛毒であり、少年はトモキの頬を優しく撫でながら幼子の様な高い声でトモキの奥底に囁きかける。
そんな事は思っていない。トモキは声高に反論しようとした。だが手の中のシオの体が突然鉛に絡みつかれたかの様に重くなり、トモキの体もまた少し深淵の中に沈んでいく。
「くっ……僕はアルフォンスさんと約束したんだ。シオを助けるって」
「死んだ人間との約束なんざ守る必要があるのかい?」
それでも何とか絞り出したトモキの言葉を少年は鼻で嗤う。
「その約束にしたって君とアルフォンスの二人だけしか知らない。そして彼は死んだ。死人にゃ口無しさ。草場の影で佇む亡霊との約束を破ったからって誰が責める? 誰も責めやしないさ。それに、ニコラウスのおっさんから助けてやって追手も来ていない。もう十分義務は果たしただろう?」
「シオは、まだ子供だ。小さい子供だ。途中で見捨てるなんて、出来るわけないじゃないか!」
「そういう君だって子供じゃないか」
今度は少年はトモキに背中から抱きつく。重さは感じない。だが背後に居ることは分かる。
首に白くて細い腕を絡ませ、まるで娼婦が男に向かって甘えるかの様に吐息をトモキの耳元へ吹きかけた。
「君だってまだ子供。青年に成り切れていない幼い子供だよ。責任を取ろうとも取れないし、取る能力も無い。子供一人養う事も出来ない。親に守られてきてばかりで、それがまだ当たり前。そんな君がどうしてこの間まで見ず知らずだった、縁も所縁も無い他人の子供の世話を見てあげないといけないんだい?」
言葉が、胸の内に染みこんでいく。心臓が見えない手に掴まれてしまったかの様に痛む。誘惑が、トモキを蝕む。
――違う、違う。それは、間違っている。
必死にトモキは否定した。少年の言葉を否定した。アルフォンスとの約束は果たすべきものだ。誰が責めるとか、そういう問題では無い。責めないから破っていいわけでは無い。
まだ、シオは助かって無い。こんなに人が、獣人を迫害する人族が多い場所で放置すればどうなるかなんて、簡単に想像できてしまう。折角奴隷として売られる前に助け出せたのだから、最後まで助けきってあげなければ。トモキは思いを重くするために何度も繰り返す。滑り落ちそうなシオを掴む腕に力を込め、腕を震わせながらシオを持ち上げる。
――助ける。助けるんだ。
「ほら、早く手を離しちゃいなよ。もう目の前まで君を喰らいに奴らが来てるよ?」
顔を上げれば、影がすぐそこに居た。黒い靄の様な物を撒き散らしながら生物みたいに不規則に輪郭が蠢いている。トモキを喰らいつくさんと、大きな口を開けて躍り掛ってきていた。
浮かぶのは恐怖だ。存在が喰われる。根源的な恐怖の中、トモキは思ってしまった。
――僕が……守る必要は、あるのかなぁ……?
トモキの腕から力が抜けていく。シオの体が漆黒の穴の中へ滑っていく。
「あうっ! ト、モキ、お兄ちゃん……」
シオの声が聞こえた。トモキは我に返った。穴を見下ろし、潤んだ瞳で自分を見上げるシオと、眼が合った。
右手から少しずつずり落ちていくシオを、トモキは自分を支えていた左腕で掴もうと伸ばす。しかし、遅かった。
「 」
シオの口が言葉を紡ぐ。だがその声はトモキには届かない。ただシオの微笑みが閃光の様に鮮やかにトモキの眼に焼きついた。
「シオぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!」
トモキは手を空に向かって伸ばしていた。
木々の端からは青々とした晴天の空が広がり、緑々とした葉がトモキの顔に影を落としている。直ぐ側の川は瀬々らぎが透明な音を奏でている。風が林立する木々の奥から川縁へと流れ、汗ばんだトモキの体を冷ましていく。
右腕を天に向かって差し出したままトモキは静止していた。眼を大きく見開き、全力で駆け抜けた後と同じ様に胸が大きく上下している。そのまましばらく呆然としていたが、やがて力無く腕を目元に重ね置いた。
「夢、か……」
呟いてトモキは自身が昨夜、川を見つけた瞬間に気を失った事を思い出した。
こちらの世界に来てから毎夜見る悪夢。常に顔の見えない少年がトモキを嘲りそして唆す。夢を見る度にトモキの胸に見えない楔を打ち込まれ、ささくれだっていくのをトモキは感じていた。
まるで、トモキの本心を暴き起こしていくのが目的であるかの様に。
「っ……!」
そんな考えが脳裏に浮かび、トモキは奥歯を強く噛み締めた。歯が軋み、目元を隠す左腕の先が強く握り込まれた。
僕は、シオをあんな風に思ってなんか無い。自分に言い聞かせるため、トモキは口の中だけで言葉を発した。けれど――
――シオは、僕の事をどう思っているのだろうか。
トモキはシオを守りたいと、彼の住む里へと送り届けてあげたいと思っている。それが義務だと無意識の内に考えていて、シオもまたトモキの護衛を必要としていると思い込んでいた。
だが、果たしてシオはトモキの庇護を期待しているのだろうか。トモキを、本当に必要としているのだろうか。守ってやらなければと勝手に思い込んでいるだけで、実はトモキの事を邪魔だと思っているのではないか。そんな疑念がトモキの内に湧き起こる。
思い返せばそうだ。最初にニコラウスから逃げ出す時こそトモキが助けはしたが、その後はどうか。起き抜けに木を殴り倒して怖がらせ、山歩きでは慣れていないせいで足手まとい。まともに興味を引く話題も出せずに気まずい空気を作り、挙句八つ当たり。町に入れば自分は指名手配されており、ロクに滞在できない。
トモキは溜息を吐いた。こんな自分をどうして必要としてくれるだろうか。
シオがトモキと距離を取っているのは、ただ単純に自分を誘拐したニコラウスと同じ「人」だからだと思っていた。獣人と人との確執に加え、為人も知らない相手と行動を共にするのはリスクだ。だからトモキはそんなシオの行動を当然だと思っていた。そしてそれは時間が経てば自然と解消されるものだと、トモキ自身が彼に対して害意が無いと理解してくれれば解決できる問題だと、深く考えもせずにそう思っていた。
(思い上がりも……甚だしいよな……)
もしかしなくても、シオに自分は必要ではない。必要とされていない。それでも一緒に居るのは、自分がシオの傍に纏わり付いているからだ。優しいシオが、トモキに対して「不要だ」とはっきりと口にしないからだ。
そう。
シオがトモキを必要としているのではなかった。トモキが、シオを、傍に居てくれる誰かを必要としていたのだ。だからこそ、自分に振り向いてくれない、儘ならないシオに対して苛立ち、そして離れていってしまうことを恐れた。
夢の中を振り返る。トモキはシオを手放した。だがあれはトモキが放したのではなく、シオがトモキを見放したことの象徴だったのでは――
「……そうだっ! シオ、シオは!? シオは何処に……」
そんな考えに囚われ、トモキは体を跳ね起こしてシオの姿を探す。もしかしてすでにシオは自分を見捨てて独りで里へと帰ったのではないか。恐怖と焦燥でトモキは体が冷え込んでいくのを感じた。
だが体を起こした時、トモキの体に掛けられていた何かがハラリと、傍らに置かれていた剥き出しの剣の上に落ちた。それを手にして広げてみると、それは服だった。そして見覚えのある意匠だった。
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