3-3 あの人は言った、君の帰る場所は何処だと(その3)
町の中は夕暮れ時ということもあって非常に賑わっていた。一番の大通りと思われる、町の入口から真っ直ぐに伸びる道の両脇にはほとんど隙間なく店が並び、その軒下を借りる形で露店も出店されている。景色の中に高い建物は無く、せいぜいが三階建て程度であり、そのためか店が密集している割りに圧迫感は無い。その建物の僅かな隙間を埋めるようにして街灯が一定の間隔で並び、茜色の町並みを白く照らしている。買い物客が店先の商品を物色し、気の早い者達は酒場やレストランに足を運んで仲間達と楽しそうに歓声を上げていた。
トモキは町の入口に立ってその町並みを眺めていた。賑わっている、といってもそれはこれまでの道程に比べての事であり、元の世界の様に人が溢れかえっていて耳を塞ごうとも話し声が鼓膜を震わす喧騒とは比べるべくも無い。それでもトモキにとっては久方ぶりの人の営みであり、目を細めて元の世界の事を思い出していた。
(家とか町の作りはレトロな感じだけれど、町の人達の雰囲気っていうのはそう変わんないもんだな……)
道行く人を眺めて湧き起こる郷愁染みた感傷を胸に秘め、トモキは隣に立つシオに優しく話し掛けた。
「それじゃ行こっか。まずは食事を取らないとね。もうお腹ペコペコで倒れそうだよ」
トモキが歩き出し、やや遅れてシオが動き出す。その際にシオは小さな右手をトモキの左手に伸ばして握る。突然のシオの行動にトモキはやや面食らったがすぐに微笑むと何も言わずにシオの手を引いて大通りを町の中心に向かって歩いて行く。
「さて、ご飯を食べるにもまずは金策をしないと……」
石畳の上を歩きながらトモキは周囲の店舗に目を配り、自分の持ち物を思い浮かべた。
学校で特異点に飲み込まれてしまったため、トモキが持っている物は殆ど無い。ニコラウスから貰った唯の鉛筆と、大切な剣。後は動きを止めたままの腕時計と、ポケットの中にはバッテリーの切れた携帯電話、財布があるくらい。当然現金は、日本円だけで、こちらの通貨は知らないが間違いなく使えないだろう。
「こっちの技術ってどのくらい進んでるんだろ?」
町に初めて来たのでその点を十分に推し量る事は出来ないが、酒場と思しき店からは陽気な音楽がスピーカーから流れてきている。だがテレビの様な物は無く、音楽の元はラジオだろうか。
道を歩く人に眼を向ければ、基本的に服装は男性はシャツと長ズボン、女性はワンピースやブラウスに単色のスカートなどだけであまりバリエーションもなさそうに思えた。道行きながら何かを手で操作していたり、電話をしていたりという事も無く、ニコラウスの馬車を見て感じた通り、あまり発達はしていなさそう。半端に魔素技術のような技術があるせいか、中世と近代が入り交じっている、そんな印象だ。
「売れるとしたら時計と携帯電話くらい……かな?」
あるいは財布か。思い入れのある剣は絶対に売りたくはないし、鉛筆なんて価値があるとは思えない。ニコラウスの言を信じるならば魔技高の制服もそこそこ価値はありそうだが、今後の事を考えると防御の手段を失うことは避けたい。
売れる物は全て売ってどれくらいの値段になるだろうか。出来れば何処かの宿に泊まれる程度には、そこまで行かなくともせめて数日分の食料代くらいにいってくれれば良い。後は、店に買い叩かれないように注意しなければ。
(あまり人を見る目には自信が無いけど……)
ニコラウスにあっさりと騙された自分だ。人の良さそうな店員は居ないか、と不安をシオには見せないよう留意しながら日暮れの町を目移りさせながら歩いていく。
「……やっぱり人が治める町なんだね」
数多くの人影があれども、道を歩く人の殆どは純粋な『人』だ。トモキの世界にも居た獣人や鳥人など、所謂『亜人』と呼ばれる人間は少ない。それでも居ないわけではないのだが。
「あの人も獣人……なのかな?」
トモキの眼に止まったのは熊の様な獣人だった。だがその姿はトモキの知る獣人とは違っていた。
元の世界での獣人は、基本的には人と変わらない姿をしている種族が多かった。見た目は人だが、その端々に種族の特徴があり、犬系の獣人であれば動物の耳だったり鋭い爪を持っている。猫系であれば感覚器官である細い髭が生えていたし、その他にも尻尾があったり口だけ嘴だったりと、あくまで人の延長線上の容姿であった。
対してトモキが注目している熊らしき獣人は、大柄な肉体を活かして人力車の様な車を引いているその仕草は人間と変わらない。だがその全身は焦茶の体毛に深く覆われていて、まるで動物園やサーカスの熊が達者に人間の真似をしているみたいだった。その他にも道端の清掃をしている栗鼠猿の獣人、買い物袋を両手いっぱいに下げて歩いている猫の獣人などざっと数人が目につくが、いずれも動きや仕草、一見した体の作りは人間そのものだが全身を覆う毛並みといい、動物の顔そのままの容姿は、元の世界のただの動物が二足歩行している、そんな印象だった。
「そういえば、あの馬車の中に居た子供達もそうだったような……」
ニコラウスに攫われていた獣人の子供達も似たような容姿だった、とトモキは思い至った。子供故に体毛が薄いのか、顔は人間のような皮膚が露出していたし、首周りなどもそこまで毛深くなかった気がするが、服の裾から覗く手の甲は毛が覆い尽くしていたし、掌にも肉球のようなものがあった。
トモキは手を繋いでいるシオの姿を見た。今はフードの下に隠れてしまっているため見えないが、髪の毛の上には突き出したような、それでいて先端が少し垂れた犬の耳があった。しかし顔自体にははっきりと分かるような毛は無いし、繋いでいる右腕も人と見た目は変わらなければ、犬を思わせるような掌の感触も無い。全くの人の手としかトモキは思えなかった。
シオと似た容姿の獣人も町には僅かに目に付くことから、殊更にシオが珍しいということは無いのだろう。獣を思わせる容姿の獣人がこの町では多いが、また場所が変われば比率も変わるかもしれない。云わば、個性のようなものだろうか。歩きながらトモキはそう結論づけた。
「テメェ! 何処見て歩いてやがるっ!!」
ツラツラと考えながら歩いている時、通りに怒号が響いた。辺り一面にその声は届き、近くに居た通行人たちは一斉に振り向き、トモキもまた声の主を探した。
振り向けば人集りが出来ており、トモキは野次馬の合間を縫って様子が見えるところへと移動して騒動の中心を見遣った。
「も、申し訳ありません! 少し、そ、その、荷物が重くてふらついて……」
そこでは人族の体格の良い男が、先ほど見かけた猫の獣人の女性を捕まえて怒鳴り散らしていた。昼間から酒を呑んでいたのか顔は夕日とは違う色に赤らんでいて、大声を上げながらも足元は覚束なくフラフラとしている。そのくせになまじ体格が良いため威圧感がある。女性はオロオロしながら立ち尽くしていたが、男は逆に女性を思い切り突き飛ばした。
「言い訳なんざ要らねぇんだよっ!!」
「きゃっ!!」
突き飛ばされた女性は両手に持っていた荷物をまき散らし、袋の中のパンや野菜が砂に塗れていく。女性もまた汚れの目立っていた、裾の擦り切れたシャツを更に汚し、その猫人の目の前で零れた野菜を踏み付けた。
「くそ、どいつもこいつも人を馬鹿にしやがってっ! この獣人風情のくせによっ!」
「あ! うっ! も、申し訳……」
「誰が人の言葉を喋って良いっつったっ! お前らみたいなのは地面を這いつくばって惨めに鳴いてりゃいいんだよっ!!」
猫人は苦痛に顔を顰めるが男は踏み付け、まるで何かの憂さを晴らすかの様に執拗に何度も何度も蹴り飛ばす。それを見て集まった野次馬たちの中からクスクスという忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
「おうおう、またあの猫絡まれてるよ。つくづく運が無いねぇ」
「まあ別にいいんじゃねぇか。所詮出来損ないの亜人だからな。どうせ俺らのストレス解消くらいにしか役に立たねぇんだからよ」
「違ぇねぇ違ぇねぇ。ストレスでも溜まったら俺も何処ぞの犬ころでも蹴飛ばしてすっきりするかねぇ」
野次馬の男二人の話にトモキは歯軋りし、拳を握りしめていた。見ていられない、と止めに入ろうとするが、その手をシオが掴んで離さない。
離せ、とシオの手を振り切ろうとするが、シオはフードの奥からトモキの眼を見て首を横に振った。
そうしている内に男性も気が済んだのか、息を切らしながら暴行を止め、去り際には顔に痣を作って丸くなって動かない猫人に向かって唾を吐き掛けて去っていった。
気づけば、野次馬の人たちもいつの間にか居なくなっており、倒れたままの女性を見ても誰一人助け起こそうともしない。喧騒は騒ぎの前のままと変わらず、ただ日暮れだけが進んでいた。
しばらくすると暴行を受けていた女性が独りで起き上がる。蹴られている時に付いた傷から赤い血が流れ落ちて白銀の体毛を濡らしていた。痛む素振りは見せるものの、女性はそのまま足を引きずりながら荷物を集め、穴の空いてしまった袋を抱える様にして路地の方へと引っ込んでいった。微かに窺えたその瞳には根深い諦めが貼り付いていた。
「もしかして、これが……普通なの?」
これが当たり前。これがこの町の日常。これが……紛れも無い現実。トモキは唖然としてその場から動けないでいた。暴行を見ても誰一人止めるでも無く、逆にありふれた娯楽と化している。一方的に蹂躙し、他方は受け入れるだけ。
他の獣人の様子を見る。よく見れば、人の身形は程度の差はあれ皆小奇麗な服装で、獣人は皆草臥れた、あちこちに擦り切れや破れのある服装ばかり纏っている。職業も馬車引きやゴミ拾いなど、肉体的にきついものばかりでその割に実入りは少なそうなものばかりだ。
あの熊の獣人も栗鼠猿の男も今の女性への暴行に憤るでも悔しさを噛み殺すでもない。日常の光景の一つとして、ただ生かされるだけの存在として受け入れてしまった諦念だけが瞳に横たわっている。
シオが袖を引っ張って促す。トモキは顔を歪め、しかしすでにこの場に残っているのは二人だけ。何か出来る事があるわけでも無い。シオに引っ張られる様にしてその場を後にした。
これが、人の在り方なのか。俯いたトモキは、黒く長く伸びる自らの影を踏みながら衝撃を受け止めきれずにいた。
人が人を傷つけることを当然として認めている。誰も良心の呵責に苛まれている様子もない。
人とはここまで残酷だっただろうか。
人とはここまで深い業を背負っていただろうか。
人とはここまで……斯くも醜い生き物であっただろうか。
傷つける相手は、人からしてみれば「敵」だ。元の世界でも人と魔物で対立しているし、更に歴史を遡れば人同士でさえ互いに傷つけ、殺し合ってきた。ただ国が違うというだけで、ただ肌の色が違うというだけで、ただ信じる宗教が違うというだけで憎しみを抱くことができる。それが人間である。そう言ってしまえばそうなのかもしれない。
しかし、だ。トモキは強く石畳を踏み付けた。
同じ町に住む隣人を、自分とは違うというだけで殴れるのか。毎日顔を合わせる人を殴打できるのか。直接的な憎しみを抱かなくても尊厳を踏み躙れるのか。そしてそれを誰一人としておかしいと感じることができないのか。異常を感じ取れないのか。
将亦、それほどまでに人と亜人の間の溝は深いのだろうか。ただ存在する、その事すら許容することが出来ない程に誰もが狭量なのだろうか。そして、自分もそんな連中と同じ「人」で在らなければならないのか。その中でこれから生きていかなければならないのか。
息苦しさがトモキを襲った。気管が締め付けられる様で呼吸がままならない。胸が締め付けられ、トモキは強く胸の辺りを握り締めた。そして苦しさから逃れる様に、シオの頭を撫でた。トモキの手が触れた瞬間、シオはフード越しでも分かる程に体を震わせた。尚更それがトモキの胸を締め付けた。
苦しさから逃れるようにトモキはシオから視線を外した。そこにあるのは店のガラス戸。繁盛していないのか木製の建屋は古びていて、ガラス戸には広告の様な張り紙が幾つもされていた。その中の一枚は、トモキの世界にもあったように犯罪者らしい指名手配犯のイラストが描かれていた。「こういうところも変わらないんだ」と、陰鬱な気持ちを紛らわすように歩きながら何気なく眺めていた。
「え……?」
しかしその中の一枚がトモキの足を止めた。
手描きで作られたと思しき何処か雑な似顔絵。金やブロンド、茶色の髪の犯罪者達が並ぶ中で一際目立つ黒髪の男。埃が張り付いた窓ガラスに映る人相とそっくりな顔。
「トモキ」と書かれた指名手配犯の顔が、そこにはあった。
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