期間限定王妃、陛下とお茶する
翌朝。豪華な昼食を終えた私は、寝室の続きにある衣裳部屋の中でエリナの姿に変装していた。
(よし、完璧だわ)
じーっとこちらを見ているエリンに告げた。
「そろそろ行ってくるわね、エリン」
「陛下の所にですか?」
「ええ、約束したし。まずはここの厨房に行って出来上がりを確認するわ」
はああ、と思わず溜息が出た。漆黒の髪に瞳。前髪はつんつんと尖ってるのに、後ろはさらさらストレートなのよね。それが荒っぽい魅力を醸し出しているというか。あの綺羅綺羅しいお顔を間近で見ると考えただけでも、倦怠感が身体を襲う。
(美形はロゼリアで慣れてるといえ、男性だもの)
陛下、油断大敵だわ。
大きな姿見を覗き込んだ。白のブリムを赤毛の上に乗せ、三つ編みを二つ垂らしている。鼻の上にそばかすがある、丸眼鏡を掛けた紺色縦縞の制服を着た侍女が映っていた。振り返って、エリンに尋ねてみる。
「ねえ、エリン? この姿、おかしいかしら? 侍女っぽくない?」
エリンが首を傾げた。
「いいえ、侍女に見えますが」
「陛下ったら、この姿に不満げだったのよね。『本当にこの姿でうろちょろするのか』みたいな感じで」
「……」
「そんなに見た目悪いのかしらと思って」
エリンが額に手を当て、はあと溜息をついた。
「リゼラ様。それは怖ろしく意味が違うと思いますよ?」
「そう?」
エリンが諭すように私に言った。
「リゼラ様の雰囲気が、何といいますか、新人のように見えるのですよ。何も知らない、王宮に勤め始めたばかりの侍女に」
「そうかしら?」
王宮に来たばかり、というのはその通りだし。雰囲気がそうなのは仕方ないのかしら、と私は思った。
「ですから、陛下は心配されているのではないですか? リゼラ様が余計な事に巻き込まれるのを」
「あ~確かに、そんな事言われた気がするわ」
陛下とかわした会話を思い出した。壁に押し付けられ、逃げられなかったわよね。
「私に格闘技術が足りないって教えてくれたのよ、陛下は」
エリンががくりと肩を落とした。
「また方向がズレましたね、リゼラ様……」
とにかく、とエリンが念押しした。
「男性に声を掛けられても、できるだけさらりと流して下さいませ。揉め事に巻き込まれないように。リゼラ様は王妃なのですからね」
「ええ、分かっているわ。じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ」
頭を下げたエリンを残し、私は寝室を出て厨房へと向かった。そうして、昨夜から仕込んでおいたものを手に取り、銀色のワゴンに乗せたのだった。
***
「失礼致します」
重そうな樫の扉が内側から開く。私はワゴンを押しながら、陛下の執務室に足を踏み入れた。色の濃い木目の壁が落ち着いた雰囲気を醸し出している。両側の棚にはずらりと並んだ書物があり、奥の机の上にも書類が山積みになっていた。机に座り書類を読んでいた陛下が顔を上げ、私を見てにっこりと笑う。
(うっ……!)
心臓に悪い。本当に心臓に悪い。男性でここまで綺麗な人って見た事がない。私は何とか冷静さを保ちながら、がらがらとワゴンを押した。
机の前に立っていたルイス侯爵が私に近付き、こちらもにっこりと笑った。
「どうぞこちらに御用意下さい」
机の前にある、ローテーブルとソファを指示したルイス侯爵が軽くお辞儀をする。これってどう見ても、バレてる……わよね。
私は溜息をつきつつも、ワゴンの上に乗せたポットやらティーカップやらを用意し始めた。
(これが『条件』なんだもの、仕方ないわよね)
そう、陛下に捕まったあの時、彼がそう言ったのだ。
『――毎日午後三時、執務室に菓子を持って来い』
『はい?』
『先程の茶会のケーキ、あれはお前が作ったんだろう?』
『どうしてわかったんですか!?』
私が尋ねると、つと陛下は身を屈めて、私の首元あたりをくんと嗅いだ。
『同じ匂いがしている』
うぐぐぐ。息が首にかかってる。あまり接近しないで……っ! 思わず身体が強張った。
『いつも執務室で詰めてるからな。たまには休憩を取りたい』
陛下が身体を起こすと身体から力が抜けた。
『でも陛下、甘い物お好きなんですか?』
『べたべたに甘い菓子は苦手だ。王宮菓子は甘すぎる。お前が作る菓子がちょうどよい甘さだ』
『……』
『そのついでに、潜入捜査とやらの報告をしろ。何を調べているのか、どこに行こうとしているのか』
『え……』
『お前がどこで何をしているのか、を把握したい。王宮とはいえ、安全な場所ばかりではないからな』
『報告・連絡・相談を大切に、ということですね』
『あと、私の事は名前で呼べ。分かったな?』
『ふえ!?』
『その条件が飲めないなら……』
『わ、分かりましたっ!! 明日から午後三時にお伺いしますっ!!』
『楽しみにしてるぞ』
陛下はまたにっこりと笑って、踵を返して立ち去った。私はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた……。
こぽこぽこぽ……お茶のいい香りが執務室に溢れた。赤茶色のお茶を淹れたカップをローテーブルに並べていく。
「これはよい香りですね」
ルイス侯爵が感心したように呟いた。私は小さく微笑み、「実家から持って来ましたの。我が家特製ブレンドティーですわ」と言った。
「ご用意できました、陛下」
私が声を掛けると、陛下が席を立って私の近くに歩いて来た。今日も陛下はチュニックの軽装だ。頭一つ分の高さを見上げると、陛下はしかめっ面をしていた。
「私の名は?」
「リュークフリード=ファン=ディアマンテ陛下、でしょう?」
この王国の民であれば、誰もがそらんじると思いますよ? 陛下が片眉を上げた。
「名で呼べと言ったはずだが」
(今から!?)
いきなりの試練に、私は思わずどもってしまった。
「でで、でもこの恰好の時にお名前呼びは」
「エリナ――いや、リゼラ?」
ううう、陛下の背後から物凄い圧力を感じるのだけれど!?
(大体、陛下で事足りてるんだからいいじゃないーっ)
そうは思ったけれど、目の前の魔王は引きそうにない。私は渋々言葉を継いだ。
「リュ、リューク様」
それでも不満げなのは何故かしら。でもこれ以上は許していただきたい。王を呼び捨てなんて、畏れ多すぎる!
陛下がソファに座り、ルイス侯爵に手で合図した。ルイス侯爵も真向かいのソファに座る。テーブルの真ん中にケーキを並べた大皿を置くと、陛下がじっとケーキを見た。
「これは? 色が鮮やかだな」
「今日は、人参のケーキにしました。見た目もオレンジ色で綺麗ですけど、味も美味しいんですよ?」
こげ茶色の焼き色のついたオレンジ色のケーキは、干しブドウとくるみも入れている。人参の甘さが美味しいのよね。しかも栄養満点。書類で目を酷使しているだろうから、ちゃんと栄養補給しないと。
陛下とルイス侯爵にケーキを取り分け、すすすと後ろに下がると、陛下から不機嫌そうな声が飛んだ。
「お前も座れ。茶を飲みながら話を聞く」
え、でも私侍女……と言いたかったけれど、こちらを見ている陛下の瞳が鋭すぎて声にならない。
「……はい」
眼力に負けました。私は諦めて、もう一杯自分の分のお茶を淹れ、ケーキを取り分けた。そして陛下の斜め前のソファの端にちょこんと座る。ルイス侯爵と同じ側で、ワゴンに一番近い末席だ。
なのに、陛下の顔はむっとしている。
「何故、そこに座っている」
「え?」
私は首を傾げた。
「一番給仕しやすい位置ですし、侍女の私はこちらでしょう?」
ぷぷっとルイス侯爵が吹き出した。
「陛下。誰かが入ってくる可能性もありますから、この位置がよろしいでしょう」
「……」
むすっとしたまま陛下がお茶を一口飲んだ。うーん、このヒトの不機嫌の理由が分からない。とりあえず、頂こう。
手を合わせて「頂きます」と頭を下げてから、紅茶を一口飲んだ。爽やかな香りが鼻の中を抜けていく。
(さすが母様ブレンドのお茶……ほんのり甘みがあって、香りは柑橘系っぽくって爽やかで……)
「このケーキ、美味しいですね。人参の風味があって」
ルイス侯爵の声に、私はにっこり笑った。
「そう言っていただけると、とても嬉しいです。お菓子作りが趣味ですので」
ケーキを一口食べる。しっとりとした感触が心地いい。人参の甘さと干しブドウの甘さが混ざって、ちょうどよい加減になっていた。我ながらいい出来だわ。
「……」
陛下は黙ったまま、もくもくと食べている。という事は、気に入ってくれたのよね、きっと。
「陛下。甘さは控えめにしたんですが、大丈夫ですか?」
「ああ。程良い甘さだ」
「そうですか、良かったです」
嬉しくなって思わず笑うと、陛下は目を大きく見開いた後、さっと目を逸らした。ルイス侯爵に目をやると、肩がふるふると小刻みに震えている。
(何かしら?)
「その、何だ」
こほんと咳払いをした陛下が私に向き合った。
「今日は何をするつもりだ」
あ、報告をしないといけない。フォークを置いた私は、姿勢を正して陛下を見た。
「ここ数年の後宮の収支決算を見せて頂きたいのですが」
そう言うと、陛下とルイス侯爵は黙って互いの顔を見合わせた。