期間限定王妃、反省する
――今私は、最大の危機に見舞われています。陛下の腕の中という檻に囚われました。しかも頑丈そうです、この檻。
(腕の筋肉凄いっ)
重い剣を振っておられるのだろう。力じゃ敵わないし逃げられない。私は思い切って顔を上げた。
「あの」
陛下の両手が、私の顔のすぐ両側についている。おまけに顔が、少しずつ近付いてきてませんか!?
(息かかりそう……)
胸がどきどきする。こんな至近距離で男の人の顔を見るなんて、人生初じゃないかしら。
無言で圧力をかけてる漆黒の瞳が、心を射抜いてきた。近くで見るとまつ毛も長い。無造作な前髪が、神話に出てくる獣の王のよう。きゅっと結ばれていた唇が、薄く開く。ますます嫌な予感がする。
(あくまで、しらを切るって選択したら)
考えたくもないような目に、遭いそうな気が。この勘は、きっと正しい。
(よし、白状しよう)
深い溜息をついた私は、私は陛下を改めて見上げた。
「……潜入捜査をしておりました」
「は?」
陛下が眉を顰めた。しかめっ面でも美しいって罪よね、この人。
「王妃としてお茶会に出席したら、何も調査できないでしょう? 皆警戒して何も話してはくれません。その点侍女でしたら、どこへでも行けますし、その他大勢に紛れますし、いい事ずくめです」
「……」
「その……お茶会に出る事になったのは、偶然なんです。あれよあれよという間に、ああいう事になってしまって」
「……」
陛下の目が残念そうな色に染まっているのは何故だろう。私はさっきから疑問に思っていた事をぶつけてみた。
「あの、陛下?」
「なんだ」
「どうして、私だと分かったのですか? 一度だって目も合わせていないのに」
私がそう言った途端、陛下の背後から邪悪な気配が立ち昇ってきた。
「自分の妃も分からない程、私の目が節穴だと思っているのか?」
うわあ、不機嫌そうな声。どうして急に? 私は首を傾げながら言った。
「節穴とは思ってませんけれど」
私はちょっと俯いて、自分の格好を見直した。
「この格好ならバレないと思っていましたから、少し驚いたのです。今まで一度もバレた事なかったのに」
「……」
「私もまだまだ修行が足りないんですね……」
私は決意を込めて、陛下の黒い瞳を見返した。
「今度はもっと変装技術を高めて、必ずや陛下でも分からない姿に変身して見せますっ!!」
そう、今の私に必要なのは隠密の技術力だわ。日々向上を目指さなければ!
やる気宣言をした私を見て、はああ……と大きな溜息が陛下の口から洩れた。
「お前、努力する方向が間違っているだろう……」
「どうしてですかっ!? 潜入捜査に変装はつきものなんですよっ!!」
この存在感のなさが通用しない相手がいるなんて、うかつだったわ。もっと努力しないと。
陛下が壁から手を離して、右手で目を覆った。手が離れた隙に、私はようやく一息つくことが出来た。
「潜入捜査だが」
「はい?」
陛下がじろじろと、私を上から下まで見回した。どれだけ見られても、ただの侍女の恰好ですが。
「本当にその姿でやるのか?」
「ええ。ディアナ嬢からも『地味女』ってお墨付きをいただきましたよ?」
「あれが派手すぎるだけだろうが」
陛下が頭を抱えながら、低い声で言った。
「とにかく、危険な真似はするな。今のように、無理矢理茂みに連れ込まれたら、どうすることも出来ぬだろう」
「え」
私は目を瞬いた。瞳を曇らせている陛下がじっと私を見下ろしている。
(もしかして、陛下は)
パッとひらめいた私は、思わず叫んだ。
「私に、格闘技術が足りないって教えて下さってるのですね!?」
「は!?」
陛下が目を剥くと、私はうんうんと大きく頷いた。
「それは私も思っておりました。いざという時に、自分の身を護れないと、潜入員としては、失格ですよね!?」
(そうよね、捕まる前に逃げられるだけの技能を身に付けないと)
私はにっこりと笑った後、ぺこりと頭を下げた。
「これから護身術も習うようにしますわ。ありがとうございます、陛下。私の至らない点を指摘して下さって」
再び頭を上げると、何とも言えない顔をした陛下がそこにいた。こうして見ると、結構表情豊かなのね、陛下は。
「陛下?」
軽く首を横に振った陛下が口を開いた。
「お前が潜入捜査をするというなら、条件がある」
「はい?」
私は目を丸くした。条件って? 陛下の瞳がきらりと光った。
「それを守れないというなら、四六時中護衛をつかせて、勝手にどこにも行けないようにする」
「う」
それはものすごく困まります。捜査出来ないじゃないですか。私は渋々頷いた。
「わ、分かりました。合法的な事でしたら、陛下のおっしゃる事に従います」
「合法的とは何だ、どこまで信用がないんだ……」
陛下がぶつぶつと呟いているけれど、私はそ知らぬふりをした。
(だって、何でも言う事きくって言ったら、まずい気がするのだもの)
陛下から感じる気配は危険だ。最低限、人権と法律は守っていただきたい。
やがて陛下は、決然とした態度で私に告げた。
「私からの条件は――」
陛下からのお言葉に、私はまた目を丸くした。
***
「へ、陛下にバレたっ!? 本当ですか、リゼラ様っ!!」
『暁の間』に逃げ帰った? 私は待っていたエリンに、『陛下にバレちゃったわ』と開口一番白状した。
「そうなの、陛下結構鋭くて。もっと技術力を高めないとだめね」
真っ青になったエリンに、私はさっきの出来事を話した。エリンは部屋の中をうろうろと歩き回った。
「ですから、言ったではないですか!! あああ、もう~!!」
まあまあ、と私はエリンをなだめた。
「落ち着いて、エリン。とりあえず、条件付きでお咎めなしって事になったから」
「……」
エリンが立ち止まり、ものすごく残念な人を見るような目で、私を見た。
「リゼラ様はなまじ頭がよろしい分、その他が抜けまくりですからね」
うっ、失礼な事言われた。エリンがハンカチで目元を拭く。
「本当に、陛下に同情いたしますわ。お気の毒に……」
「もしもし?」
どうして陛下なの? アナタ、私の侍女じゃなかったの? 私は、さめざめと泣くエリンをただ見ている事しか出来なかった。
ひとしきり嘆いた後、エリンは顔を上げ私に聞いてきた。
「それで、一体どのような条件だったのですか?」
「実はね」
私が話した内容に、エリンも目を丸くし、その後にっこりと笑って言った。
「なかなかのやり手ですわね、陛下」
「? 何の事?」
「いえ、お気になさらず。必ず陛下とのお約束は守って下さいませ、リゼラ様」
エリンの言葉に、私は深く頷いた。
「分かっているわ。ちゃんと約束は守るわよ」
(でも、面倒なのよね。毎日だし)
明日からどうしようとうんうん唸っている私の横で、エリンがほくそ笑んでいた事に、私はとんと気が付かなかった。