期間限定王妃、お茶をふるまう
――薔薇で囲まれた後宮の庭に、白いテーブルと椅子が置かれている。十数人の侍女達が控える中、綺麗に着飾った側妃達が一列に並び、背の高い男性に深々と頭を下げた。
「本日はようこそおいで下さいました、陛下」
今日も赤いドレスを着たディアナ嬢が、陛下の真正面で優雅に微笑む。深い襟ぐりから覗く白い肌には、瞳と同じ色の大ぶりな緑柱石のネックレスが光っている。くるくると巻いた黒髪も艶やかで色っぽい。
彼女の向かって左隣が、カメリア=イビオス伯爵令嬢。ほっそりとした身体に纏う深青のドレス。白いパールが縫い付けられていて、まるで夜空のように煌びやかだ。白銀のまっすぐな髪に青い瞳という取り合わせは、シェルニアの血筋よね、おそらく。陶磁器製の人形のような美しさだ。ディアナ嬢が華やかで肉感的な感じなのに対し、カメリア嬢は知的な感じがする。
そしてディアナ嬢の向かって右手が、リリアナ=ダルドー子爵令嬢だ。少し背が低めな彼女は、ふわふわの金髪にくりんとした茶色の瞳。小麦色の肌にパブスリーブ袖の橙色のドレスがよく似合ってる。どちらかといえば、可愛い顔立ちの方だろう。乗馬を嗜まれるという事だけれど、あとの二人に比べるとややがっちりとした印象を受けた。
陛下はこちらに背を向けているから表情は分からないけれど、緑に金糸の縁取りのチュニックを着ている。長い黒髪は後ろで一つ括りだ。さらさらの髪よねえ。朝会議がなければ鍛錬している事もあると聞いたから、今朝も剣を振るってらしたのかしら。
(剣の腕前も一流で、この国には珍しい魔法耐性を持つ御方なのよね)
そのお力もあり王に選ばれたのだとか。第一王子だけれど身分の低い側室からお生まれになったから、力が目覚めるまでは王位候補にもなっていなかったというのは、有名な話だ。王座に就いてからの活躍ぶりを見ると、力に関係なく王としての資質はあったと思う。
私がそんな事を考えていた時、ディアナ嬢がカナリアのような声で言った。
「王妃様はご欠席とか。残念ですわ、せっかく珍しいお茶をご用意いたしましたのに」
実は陛下の後ろの方で働いています。私はダニエラさんと協力し、彼女達から少し離れた場所でお茶の用意をしていた。
「妃は王宮に上がったばかりで、疲れているようだ。皆によろしくと言っていた」
(うん、お伝えした通りだわ)
全く声の乱れがない。さすが、陛下。何聞かれても冷静じゃないと、やっていけないわよね。私は密かに感心した。
「そうですの……では、またの機会にお誘いしますわ。さ、陛下、どうぞこちらへ。皆さま方もどうぞ」
ディアナ嬢の言葉とともに、後宮のお茶会が動き出した。
丸いテーブルには白いクロスが敷かれている。陛下の左隣にディアナ嬢、右隣にカメリア嬢、そして真正面にリリアナ嬢が座っている。
(陛下の普段着に対して、側室さん達は気合い入ってるわね)
ドレスも身に付けている宝飾品も、舞踏会の時と負けず劣らず高価なものだと一目で分かる。
陛下はお茶会には滅多に参加されない、とダニエラさんも言っていたから、今日は陛下に自分を売り込む絶好の機会なのかも。はい、売り込む現場を観察させていただきますね。
「さてと、頑張りますか」
私は陛下達に背を向け、準備用のテーブルでお茶をティーカップに注ぐ。お茶を淹れたり、お茶菓子をお皿に並べたりする役に徹し、配膳をダニエラさんにお任せすることにした。出来るだけ、陛下の目につかないようにしないといけない。
「わ、私……っ」
がちがちに緊張しているダニエラさんの顔は青ざめていた。私はそんな彼女にこそっと囁いた。
「大丈夫です。あそこにお座りの皆さんは、いもや石ころです」
背中から、ほほほ……と笑い声が聞こえてくるけど、全部石です。
「は……い……」
「石ころさんが何を言おうと、知ったこっちゃありません。ダニエラさんは上手にお茶を運べるのですから、堂々としていて下さい」
ふふっとダニエラさんの口元が綻んだ。
「ありがとう、エリナさん……私自信がなくて、つい……」
ダニエラさんに、淹れたてのお茶が載った銀のトレイを差し出した。甘さの中にもぴりっとしたいい香りが広がっていく。
「じゃあ、お願いしますね? 私はお茶淹れに専念したいので」
「はい!」
ダニエラさんが運びに行っている間に、私はオレンジが上に乗ったパウンドケーキを厚めに切り分け、銀のお皿の上に花が咲いたように並べた。
(こんな感じかしら)
でもこのケーキ、実は私が焼いたものなのだ。オレンジの花をお皿に飾りながら、私は今朝早くの出来事を思い出した。
『エ、エリナさんっ!』
真っ青な顔のダニエラさんが『暁の間』に私を訪ねてきたのは、私がエリナに変装した直後、だった。
(うわー着換え終わっててよかった……)
『どうしたの? ダニエラさん』
『そ、それが……っ』
何でも、お茶の件で気を大きくしたディアナ嬢が、『こうなったら、お茶菓子もこのお茶に合うものをっ!』と言い出したらしい。
元々用意していたのは、王宮の料理人が作ってくれたクッキーだったらしいが、これじゃ嫌!との事だった。クッキーを見せてもらったけれど、繊細な弧を描いて絞り出された生地に、杏や木の実を飾った綺麗な形をしていた。
(これで不満なの?)
『王宮の厨房で作っていただくと、他の方のお茶菓子と被ってしまうっておっしゃられて』
まあ、確かにそうだけれど。王宮の料理人が作る物だと、物珍しさはないわよねえ。
『少し待ってもらえるかしら?』
(確か、実家から持って来てた……はず)
ダニエラさんに断りを入れ、私はごそごそと鞄を探し始めた。しばらくして、目当ての物を見つけた私は鞄からそれを取り出した。
『あったわ!』
目を丸くしているダニエラさんに、私は微笑み掛けた。
『じゃあ、私が厨房を借りてケーキを作るわ。焼きっぱなしの素朴なケーキだから、逆に王宮では珍しいと思うのだけれど』
ダニエラさんがびっくりしたように叫ぶ。
『エリナさんが!?』
『ええ。私、お菓子作りが趣味なの』
まさか地味女の趣味が、王宮で役に立つ日が来るとは。どんな技術も身に付けておくべきなのよね。
(母様のお茶会でも、お菓子やケーキを焼いて出してたわねえ)
『本当、リゼラの作るケーキは美味しいわ!』
いつも母様が褒めてくれていたっけ。お客様の前でも自慢して下さるのは、少し恥ずかしかったけれど。
今日作ったのは、酸味のあるマーマレードと、干しブドウとくるみを入れたパウンドケーキ。マーマレードは私の手作りで、実家から持って来ていた。時間がないから簡単に出来るものでないといけない。マーマレードのパウンドケーキなら酸味もあるから、甘くなりすぎず男性でもいけるはず、と考えてこのケーキにしたのだ。
ダニエラさんが、空のトレイを持って戻って来た。はい、とケーキを並べた大皿を彼女に渡す。
「行ってきますね!」
(随分元気が出てきたみたいね)
陛下たちのテーブルに向かう足取りもしっかりしている。これなら大丈夫だろう。私はほっと溜息をついた。
***
「このお茶、風味があって美味しいですわね、ディアナ様」
感心したように、 リリアナ嬢がディアナ嬢に話しかけた。ほほほ、とディアナ嬢が得意げに笑う。
「この異国情緒溢れる香りがよろしいでしょう、リリアナ様? ミルクで煮出すことで、香りも味もまろやかになりますの」
「確かに、美味いな」
ぽつり、と陛下が漏らすと、ディアナ嬢の顔が一層明るくなった。
「陛下の為に、とご用意いたしましたの。お気にいっていただけて嬉しいですわ」
ダニエラさんが大皿をテーブルの真ん中にそっと置いた。
「マーマレードと干しブドウのパウンドケーキです」
「まあ……王宮ではあまり見ないお菓子ですわね?」
カメリア嬢が目を見張った。ディアナ嬢がほほほと笑い掛ける。
「こういう素朴なお菓子もたまにはよろしいでしょう? どうぞ召し上がれ」
ダニエラさんがそれぞれ小皿にケーキを取り分けていく。銀色のフォークを持った陛下が、パウンドケーキを一口食べた。
(……あれ?)
陰からこそっと観察していた私は首を傾げた。陛下、フォークを持ったまま動き止まってない?
「まあ、美味しいですわ! こういう素朴な味わいもよろしいですわね」
リリアナ嬢にも受けたらしい。良かった。
「本当……ディアナ様がこのような味を御存じだとは、存じ上げませんでしたわ」
カメリア嬢がそう言うと、ディアナ嬢も嬉しそうに言った。
「あら私、こういった庶民の味もいいものだと思っておりますの」
ディアナ嬢が陛下に視線を移し、少しだけ眉を顰めた。
「……陛下? どうかなさいました?」
ディアナ嬢の声に、陛下の手がまた動き出した。
「いや……美味いと思ってな」
陛下がぱくぱくとケーキを食べている。おおお、とつい見入ってしまった。
(よしっ、目標達成!)
やっぱりほんのりとした甘さと酸味が良かったのかもしれない。覚えておこう。
「陛下がお気に召したのでしたら、またお持ちしますわ!」
ディアナ嬢が勢いよく申し入れたけれど、陛下は彼女を右手で制した。
「ああ、それには及ばない。甘い物をそう沢山は食べられない」
綺麗にケーキを食べた陛下はお茶を飲み干し、席を立った。
「申し訳ないが仕事が残っている。私はこれで失礼するが、貴女方はここで楽しんで行かれるとよい」
「まあ、陛下……」
ディアナ嬢が少しむくれたように拗ねた表情を見せたが、諦めたのかすっと立ち上がり、礼を取った。リリアナ嬢もカメリア嬢もお辞儀をする。
陛下が踵を返してこちらに歩いてくる。私は他の侍女達と同じように俯いたままお辞儀をし、陛下の姿が見えなくなるまで見送った。
***
「ふう……終了、かしら?」
私は額の汗を拭った。陛下が居なくなって、ディアナ嬢達もお菓子を食べ終わり、そろそろお開きにする雰囲気だ。
ダニエラさんが、ぎゅっと私の両手を握りしめた。
「本当、エリナさんのおかげだわ! 陛下も美味しいって言って下さったし!」
気に入ってもらえた事は、純粋に嬉しい。
「あとは片づけよね……」
カップを集めようとトレイを持った私に、ダニエラさんが手を振って止めた。
「エリナさん、後は私が片付けます。エリナさんは、早く王妃様の所にお戻りください。王妃様、お加減が悪いのでしょう?」
(うっ)
胸がちくちくした。ここで元気に働いています……とは言えない。
「そ、そうね。じゃあ甘えさせてもらってもいいかしら?」
「ええ! それで……」
もじもじとしながら、ダニエラさんが言った。
「もし良かったら……その、私とお友達になってもらえないかしら? 私、同じ年位のお友達っていなくって……」
私はダニエラさんににっこりと笑った。
「ありがとう。私も王宮の事、いろいろ教えてもらえたらうれしいわ」
ダニエラさんがぱっと笑顔を見せた。
「もちろんよ! また案内するわね!」
「ふふ……じゃあ、ありがとう」
私はダニエラさんに手を振り、ディアナ嬢達にお辞儀をした後、渡り廊下の方へと歩き出した。
***
「んーっ、よく働いたわ……」
生垣を曲がり、皆から見えなくなったところで、私は大きく伸びをした。
(ダニエラさんというお友達も出来たし、お茶もケーキも好評だったし、やれやれよね)
石畳を『暁の間』目掛けて歩いていた私は、突然後ろから大きな手で口を塞がれた。
「!?」
あっという間に、後ろから回された腕に抱き抱えられて、両足が地面から離れた。そのまま生垣の隙間に運ばれていく。
「ふがふが……っ!!」
(一体何が!?)
後宮で人さらい!? そんなに警備穴だらけなの、ここ!? 思い切り足をばたばたさせたけれど、相手はびくともしないで歩いている。
目の前に白い壁が見えたかと思うと、私の身体は下ろされていた。そのまま身体をひっくり返され、壁に押し付けられる。
「……ふが?」
口から手を離された私は、覆いかぶさるように立っている大きな影を見上げる。ぽかんと私の口が開いた。
「……へ、いか?」
黒い髪に黒い瞳、鼻筋の通った綺麗な顔……どう見ても陛下だ。薄い唇がにやりと歪む。長い指が、私の三つ編みを弄び始めた。
「それで?」
優しげな声にぞぞぞっと背筋が寒くなる。うわ、陛下の背中から嫌な気配が駄々漏れにっ!
声も出せない私に掛けられた言葉は、それはそれは優しく――怖かった。
「身体の具合が思わしくなく、『暁の間』で臥せっているはずだが……何故侍女の姿で茶会に参加している、我が妃よ?」
(ばーれーてーるー!)
私は思わず息を呑み、呆然と陛下を見上げたのだった。