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期間限定王妃、登城

「ぐ、ぐるしっ……!」

 伸ばした右手が、フルフル震えながら虚空を掴む。

「何をおっしゃるやら。まだまだ締めますよっ!」

(こ、殺されるーっ!)

 ぐぎぎぎぎぎと背骨が音を立てた気がした。もうこれ以上ウェスト絞らなくてもいいからっ!

(コ、コルセットってこんなに大変だったの……!?)

 豪勢なベッドルームで、侍女二人がかりで紐を引っ張られてる私は、もう半ば死にかけだった。ベッドの支柱の一つに抱き付き、背中側からコルセットを絞められるという責め苦に耐えている。

「サフィニア様、これくらいでしょうか。王妃様の豊かなお胸と細いウェストが強調されましたわっ!」

 汗を拭いた侍女Aさんが同意を求めると、ベッド際に立っていた筆頭侍女のサフィニアが満足気に頷いた。

「いいでしょう。さ、あなた達。晩餐会用のドレスを王妃様に」

「はいっ!」

「それから、最高級の香油を。装飾品は全て、王妃様の瞳の色に合わせて緑柱石(エメラルド)に統一。ドレスは胸を強調して」

「はいっ!」

(くーるーしーいーっ!)

 家ではゆるい服ばかり着ている私に、この拷問はきついっ……!

「まあ、なんてお美しい髪でしょう! 艶やかで豊かで」

「お肌も張りがあって色が白くて。最新の紅がさぞかし映えることでしょう! そうですわよね、サフィニア様!」

 サフィニアの瞳が、ぎらりと光った。

「ふっふっふ……これで、あの女に一泡吹かせてやりましょう!」

「「おおーっ!」」

 物騒な事で盛り上がっている気はしたけれど、美容マッサージやら衣装選びやらですでに疲労困憊していた私は、うっかり聞き逃してしまったのだった。


 ――そうして。

 陛下との対面ついで?に私の歓迎舞踏会(そんなのいらないのに!)に出るための、戦闘準備は終わりを告げた。

 ウェストが(いつになく)きゅっと締まり、スカート部分がふわりと広がるデザインの深緑のドレスは、襟や裾、前身ごろに白のレースがふんだんに飾られていた。大きく開いた襟ぐりからは、胸の膨らみが少しだけ見えている。

 首に掛けている重いネックレスは、真ん中に行くにしたがって大きくなる正方形の金の板を繋げたもの。その板の大きさに合わせた緑柱石がそれぞれ埋め込まれている。

 いつもは下ろしている髪も、高い位置のシニヨンに纏められたおかげで、ネックレスと揃いの形のイヤリングがよく目立つ。普段はしないお化粧もしたせいか、いつもよりも目がぱっちりと大きく見えた。


 人生で初めて身に纏う豪華なドレス+装飾品は、重かった……


***


「……リゼラ=ヴェルシュタインにございます、陛下」

 きらきらと輝く大きなシャンデリアの下で、私は深々と頭を下げた。

(お辞儀してても、重いわっ……!)

 首が落ちそう。王座の前から入口まで敷かれた赤い絨毯の上で、私の背中はふるふると震えた。周囲に立ち並ぶ貴族達の視線が痛いぐらいに突き刺さってきている。

「……面を上げよ、リゼラ。かしこまらずとも、よい。よくぞこの王城に来られた」

 深みのある低い声がやっと耳に届いた。ゆっくりと頭を上げて、前を見上げる。私を見下ろす位置にある王座は、金の台座に赤い天鵞絨が貼ってある歴史を感じさせるものだった。その王座の真後ろの石壁には、鮮やかな刺繍が施されたタペストリーが飾られている。

 王座に座り、私をじっと見据えていたのは――黒曜石のような漆黒の瞳。私は思わず息を呑んだ。


 獅子のたてがみのような黒い髪に鋭い黒の瞳。きりと結ばれた薄い唇や粗削りな顎の線。彫刻の様に整った顔立ちからは、強い意志が感じられた。

 羽織っている白い毛皮で縁取られた深い藍色のマントには、金糸で精密に刺繍されたヒイラギの葉の文様が浮き出ていて、マントと同じ色のジュストコールにも金のヒイラギが刺繍されている。

 白のクラヴァットが藍色に映えて、眩しいぐらいだった。筋肉質で無駄のない体躯。自らも剣を取る王だという噂は本当の様だ。

「不慣れな事もあるかと思いますが、王妃として精一杯務めさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 軽くお辞儀をしながらそう言い、顔を上げると――陛下はまだ私をじっと見つめたままだった。

 じーっ……

「……?」

 じーっ……

「……」

(どうしよう……)

 いつまで見つめ合っていればいいのだろう。視線逸らしてくれないんだけど、陛下(この人)

(先に視線を逸らした方がいいの?)

『どうしたんだ、陛下は』『いつものあの方らしくない』『心なしか、呆然とされているような』 

 貴族達のざわめきが聞こえる。このままという訳にもいかないし。

(とりあえず笑顔よね、うん)

 私はにっこりと笑って、王座のすぐ下に立っているルイス侯爵に目を向けた。彼もこちらをちらと見た。

(何とかして下さいっ)

 私の無言の訴えに気付いたのか、ルイス侯爵がすすすと陛下に近付き、お辞儀をした後何やら耳打ちをした。陛下は小さく頷き、改めて私の方を見た。

 ルイス侯爵がさっと右手を上げると、後ろの方からゆるやかな楽曲が流れてきた。陛下が王座から立ち上がり、段を降りてきた。陛下は私の目の前で立ち止まると、白い手袋を嵌めた右手を差し出してきた。

(あ……ファーストダンス……)

 ちらと周囲を見ると、男女の組み合わせが何組か大広間の中央に集まっていた。そのど真ん中が丸く開いた状態だ。

(仕方ないなあ)

 こちらもレースの手袋を嵌めた左手を陛下に預けた。歩き出した陛下と、歩調を合わせて私も歩く。ホールのど真ん中に立った私達は、手を離してゆっくりとお互いにお辞儀をした。

 それを合図に、周囲の男女もお辞儀の後、踊り始める。私と陛下も、管弦楽の調べに身を任せてステップを踏み始めた。

 くるりと回転する度に、ドレスの裾がふわりとなびく。周りから感心したような溜息が漏れているけれど、それ絶対陛下のおかげよね。

(身体のキレがいいわね、陛下)

 自慢じゃないけれど、本の虫の私は基本ダンスは苦手だ。複雑なステップの円舞は踊れないし、エスコート役の足を踏んでしまう事もしばしば。

 だけど今、私はくるくると優雅に踊っている。ウェストを支える大きな左手が、足元が怪しい私をさり気なくリードしてくれていて、私ちょっとダンス上手になったのかも!?って誤解してしまいそうだ。


 顔を上げると、陛下がじーっと私を見下ろしていた。ええ、じーっと。小柄な私と陛下とでは、優に頭一つ分ぐらいの身長差がある。その位置からじーっと見下ろされる私の身にもなって欲しい。頬が強張ってしまうのですが。

 黒曜の瞳が、探るように私を見据えた。

「……リゼラ」

「はい」

 間近で聞くと、いい声だなあ。男らしい低音。小首を傾げると、陛下の口元が少し綻んだ。厳しい顔つきが、ふわりと柔らかくなる。

「そのドレス、似合ってる。そなたの瞳の色と同じだ」

「っ、あ、ありがとう……ございます」

(うわわわわ!)

 いきなりの褒め言葉に、右足のステップを踏み損ねた。陛下が咄嗟に庇ってくれて、何とか体勢を持ち直したけれど……いきなりはやめて下さいっ!

(美形の微笑みって、凶器よね)

 美女はロゼリアで見慣れているけれど、美男は見慣れてないんですから。独身貴族女性が陛下の後宮に争って入りたがるの、分かる気がするわ……。

 ほほほと愛想笑いを浮かべた私に、陛下がまた真面目な顔に戻った。    

「……実は、そなたに言わなければならない事が」

「申し訳ございません、陛下」

 ルイス侯爵の声が突然割り込んできた。あからさまにむっとした顔になった陛下は、足を止めて振り向いた。そこには頭を下げているルイス侯爵がいる。 

「何事だ、ルイス」

 ルイス侯爵が陛下に更に近付き、小声で告げた。

「……かの御方が陛下をお呼びだそうです」

(かの御方って?)

 私が首を傾げるのと、深い溜息が陛下の口から零れるのと、ほとんど同時だった。陛下は私を連れて、ダンスの輪からするりと抜け出した。壁際にある、飲み物を置いているテーブルのところまでエスコートしてくれた陛下は、感情の読めない顔付きで言った。

「済まない、リゼラ。所用が出来た。詳しくは後で話す」

「はい、分かりました」

 ぺこりとお辞儀をする私を見て、何か言いたげだった陛下は、ルイス侯爵にせっつかれるように一緒に歩き去った。私はその場で、大広間から見えなくなるまで、お二人の後ろ姿を見送る。


(一応、これで義務を果たした……のかしら?)

 ファーストダンスは踊ったし、陛下以外の男性と踊っていいのかどうかも分からない。もう部屋に引っ込んでもいいかなあ、そう思っていた私の前に、真っ赤なドレスを身に纏った女性が現れた。

「お初にお目にかかります、王妃様。私、ディアナ=ロードフィールドと申します」

 ゆっくりと頭を下げたその人の名前に、聞き覚えがあった。

(今の後宮で一番の権力者……)

 ロードフィールド公爵令嬢。ロードフィールド公爵と言えば、先代の王妃様のご親戚じゃなかったっけ? 御年十八歳よね、確か。

(うわ、美人よねえ……)

 顔を上げたディアナ嬢は、まさに美女と呼ぶにふさわしい女性だった。カールした長い黒髪に猫の様な緑色の瞳に肉感的な身体つき。ぱっと人目を惹く、艶やかな雰囲気を身に纏っていた。

 ドレスと同じ色の紅玉(ルビー)のイヤリングにネックレスがよく似合ってる。彼女が右手に持っている、細かい細工がされた扇にも、紅玉が埋め込まれていた。

(同じ美女でもロゼリアとは違うタイプだわ)

 私より年下の彼女は、なんとも大人っぽい色気を漂わせている。ロゼリアは、妖艶というよりは美少女系なのよね。

 じろじろと私の顔を見たディアナ嬢は、扇子を口元にあてて、くすりと感じ悪く笑った。

「王妃様でも無理でしたのね。陛下をあの女から引き離すのは」

「はい?」

(あの女?)


 ――かの御方が陛下をお呼びだそうです


 ルイス侯爵の声が頭に蘇ってきた。 

「ロゼリア様ならもしかしたら、と思っておりましたが……貴女様では……ねえ?」

 要するに、ロゼリアみたいな美少女だったら陛下を虜に出来たのだろうけど、私みたいな地味女じゃ無理無理! と言いたい訳ね。うん判るなあ、その気持ち。

(でも、あの女って誰?)

 私の顔から疑問符を感じ取ったのか、ディアナ嬢は嬉々として話し始めた。

「まあ、ご存じないのも無理ありませんわね。こんな醜聞を知っていれば、王妃として嫁がれる訳ありませんもの」

「……」

 私を見据える猫の目に、悪意に満ちた。

「王妃様は後宮の『暁の間』に案内されたとか」

「え?」

 私は目を見開いた。後宮は中央の中庭を中心に、渡り廊下で繋がれた八つの居住区に分かれている。私が案内されたのは確かに、入り口から一番近い場所にある『暁の間』と呼ばれる棟だった。

(すごい情報網だわ。もう王妃が入った部屋まで抑えているなんて)

 さすがは公爵家。私が感心していると、ディアナ嬢は嘲笑うように唇を歪めた。

「王の間の隣にある、王妃の間……残念ながら、すでに(あるじ)がおりますのよ?」

「主?」

 王妃の間の主って、普通は王妃(わたし)よね? だけど、そこに案内されなかったという事は……もしかして。

(陛下には、もう寵姫がいるって事? わざわざ『王妃の間』に入れるぐらいの?)

 そんな情報あったかしら。何も言わない私の前で、ディアナ嬢がぱしんと音を立てて扇を閉じた。


「リリティス=ベラミー男爵令嬢。お立場は側室ですけれど……彼女が『王妃の間』に身を移してから、早や三ヶ月が過ぎておりますわ。陛下がお離しにならないのですって」

「……」

 ベラミー男爵令嬢。ベラミー男爵って、海沿いの領地を持っていて、貿易で富を築いた新興貴族よね。王妃になるには、男爵令嬢では身分が低すぎるはず。

(もしかして私、身分違いの恋の目くらまし!?)

 さっき、陛下が言い掛けたのはこの事? ルイス侯爵が言ってた『後宮の秩序を正して欲しい』っていうのも、この件が関係してるとしたら。

 考えを張り巡らせる私を見て、くすくすとディアナ嬢が笑った。

「王妃でありながら、王妃の間にさえ入る事が出来ない。こんな屈辱的な事もございませんでしょう? 私ならそんなお立場、我慢できませんわ」

 お飾りの王妃よりも、寵愛を受ける側室の方がいいって言いたいらしい。まあ、王妃の責任は重いし、陛下にはないがしろにされる?し、そうなると王宮内で孤立する可能性もあるって事よね。


「別に、構いませんけど」

 ぼそっと告げた私の言葉に、ディアナ嬢の表情が固まった。

「……何ておっしゃいました?」

「別に構わない、と言いました」

 噛んで含めるように、ゆっくりと私は言葉を繰り返した。

「どこにいようと私は私、ですから。部屋の名前で私が変わる訳でもありませんし」

 私がそう言い切ると、ディアナ嬢の頬が真っ赤になった。

「ま、まあ……! せっかく親切で申し上げたのにっ!」

「そうですか。それはありがとうございました」

 にっこりと笑顔を見せると、唇をわなわなと震わせたディアナ嬢は、「失礼いたしますわっ!」とふんっと鼻を鳴らして踵を返し、退場していった。


(後宮内の人間関係って、なかなか複雑よね……)

 どうやら平穏な王妃生活は送れそうにないらしい。怒れるディアナ嬢の後ろ姿を見ながら、やれやれと溜息をついた私だった。

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