期間限定王妃、決定
「……リゼラ=ヴェルシュタイン伯爵令嬢。ぜひ、王宮にお越しいただき、このディアマンテ王国の王妃として後宮の秩序を正していただきたい」
「は?」
突然、我がヴェルシュタイン伯爵家を訪ねて来られたルイス=ラルド侯爵――若干二十五才で切れ者の摂政と名高いお方――のお言葉に、私は目を丸くした。
そっと隣を見ると、ソファに座っている父様の目も点になっている。そんな中、父様の真正面で優雅ににっこりと微笑まれたルイス侯爵。その笑顔の裏に、嫌ーな何かを感じた私は、膝の上に置かれた両手をぐっと握り締め、父様の言葉を待っているフリをした。
ダークグレーの髪を後ろで一つに括った侯爵は、紫の瞳に鼻筋の通った美丈夫だ。濃い臙脂のジュストコールに白いクラヴァットがよく映えている。ジュストコールもベストも金糸で蔦のような縁取りがされていて、きっと高級品に違いない。
「あ、あの……本当にリゼラ、なのですか? ロゼリアではなく?」
父様が汗を拭き拭き侯爵に尋ねる。父様も深緑のジュストコールにクラヴァット姿だが、侯爵と比べると布の厚みや刺繍に明らかな差があった。
狼狽える父様の左隣で、私はルイス侯爵の言葉を待っていた。
(血筋から言えば、我が家に王妃の打診があってもおかしくはないのだけれど)
創国以来の名門伯爵家であり、ディアマンテ王国にしては珍しい『魔力持ち』の家系であるヴェルシュタイン家。隣国である魔法国家シェルニアとの争いに終止符を打った、稀代の魔女を輩出した家でもある。過去にはその魔力の高さを見込まれて、王妃となった娘もいた。だがしかし。今のヴェルシュタイン家はと言うと。
(父様……お金に関しては壊滅的ですものね……)
私はこっそり溜息をついた。父様はそれはいい方なのだ。領民の事を一番に考え、病気が流行れば高価な薬も確保し、領地改革も率先して行っておられる。
――が。恐ろしく、『いい人』過ぎるのだ。今まで散々『旨い話には裏がある』と説教してきたにも関わらず、お涙頂戴の嘘話に乗せられて、ほいほいとお金を出してしまう。
(特に動物と子どもと女性が絡むと、だめなのよね……)
そのおかげ?か、ヴェルシュタイン伯爵家はよく言えば質素、悪く言えばビンボーなのである。この客室にある家具もアンティークものばかりで、使用人の皆が心を込めて手入れしてくれている事もあり落ち着ける空間だが、ルイス侯爵の目から見れば苦しい台所事情が分かってしまうだろう。色褪せた壁紙とか。
それもあって、私はお金のかかる舞踏会にはほとんど出席した事はなく、当然の事ながら陛下とお会いした事もない。専ら、そんな場に赴いているのは――
私の物思いは、冷静なルイス侯爵の声によって遮られた。
「ロゼリア嬢の評判も当然存じ上げております。女神も嫉妬するであろう美貌に悪魔すら虜にすると言われる美声。私もお目に掛かった事がありますが、噂通りの素晴らしいご令嬢でした」
妹のロゼリア=ヴェルシュタインは、金髪碧眼、白い陶器のような肌に薔薇色の、当代一の美少女と名高い娘だ。幼い頃から求婚者がひっきりなしに我が家を訪れ、贈り物や妻請いの手紙が国外からも届く程。おまけに妹の魔力は高く、ディアマンテの王宮魔術師でも敵わないと言われている。年齢だって、花も恥じらう十七歳。
婚約者もいないまま、もうすぐ二十四を迎えようとしている私とは大違いである。
(どうしてロゼリアじゃないの?)
私は自分の服装を見下ろした。襟と袖に白のレースをあしらった、深緑のシンプルなドレス。装飾品はお祖母様から頂いた黒曜石の髪飾り以外、全く身に付けていない。大体、私は瞳は緑色で、明るめの茶色い髪に平々凡々な顔立ち。髪を三つ編みにし丸眼鏡を掛けると、誰にも『伯爵令嬢』だと気付かれる事もなく、王立図書館や商店に出入り出来ているぐらいなのだ。
(きっと私の名前とロゼリアの名前を間違えておられるのよね)
そんな事は今までもよくあった。私はこほんと咳払いをし、ルイス侯爵に向き直った。
「ロゼリアは美しいだけでなく、機転の利く娘ですわ。妹なら、ディアマンテ王国の王妃として立派に」
「陛下がお望みなのはあなたなのですよ、リゼラ嬢」
にっこり笑って言葉を切られてしまった。笑顔のまま引かないこの態度。中々の曲者と見た。
「ですが、私はこの通りの見た目で絶世の美女という訳でもございませんし、魔力もなく」
「リゼラ嬢も十二分にお可愛らしいですよ。魔力がない事は、陛下もご存知です」
「陛下にお目にかかった事もなく」
「これから嫌と言う程お会いできますとも」
「趣味も読書という地味な」
「それは結構なご趣味ですね」
……何を言ってもさらりと跳ね返されてしまう。むう。
「何故、私を王妃に? もっと相応しい方がおられるでしょうに」
公爵家にも見目好く年頃の令嬢がおられたはず。私がそう聞くと、ルイス侯爵は切れ長の瞳をきらりと光らせた。
「確かに家柄で申し上げると、何名か相応しい令嬢はおられます。ですが、あなたのように類いまれな知性と推理力を兼ね備えたお方は他におられません」
「う」
たらり、と冷や汗が出た気がする。この言葉の後に続くのは、まさか
「かつて、ヴェルシュタイン伯爵家を巻き込んだ一大醜聞……それを見事に解決に導いたのが、リゼラ=ヴェルシュタイン伯爵令嬢である事は、知る筋には知られたお話ですよ」
「ごほっ」
で、出た~っ!! 思わずむせて咳き込んでしまった。私は咄嗟に右手で口元を押さえ、必死に顔を取り繕った。
(も、もう、この話は止めていただきたいのだけど……っ)
――お人良しの父様が、禁止薬物製造に巻き込まれたのは、二年前の事。『親のない子ども達に働く場所を提供したい』ととある貧乏教会の司祭に言われ、ほいほいと資金を提供してしまったのだ。屋敷を訪ねてきたこの司祭の目付きにもやもやした私は、独自に調査を開始。司祭の交友関係先、教会や孤児院を訪ねて回った(皆は私の事を伯爵家の侍女だと思っていたらしい)。
その結果、私は古い教会の礼拝堂の地下で、禁止薬物と指定されている薬草が栽培されている事を突き止めたのだ。乾燥させて燃やすと、幻覚を引き起こし、中毒性もある煙を出すやっかいな草だ。栽培は孤児院の子ども達が担当していたが、当然育てている草がキケンだなどと知る子はいなかった。見た目、普通の薬草と変わりないし。私がお祖母様のところで薬草について詳しく学んでいなかったら、気付かなかったと思う。
父様を言いくるめ、司祭に「貴族が孤児院と教会を視察に来る」と嘘の情報を流し、薬草を移して隠そうとした時に礼拝堂でボヤ騒ぎを起こし、王立警備隊を突入させた。そう、ボヤを消し止めたら禁止薬草が見つかった、とするために。
計画通りに司祭達は一網打尽、父様は騙されていたという事で、お咎めは受けなかった。多分、情報を回した私に配慮してくれたのだろうけど。
(で、何故かその噂が一部に出回ったのよねえ……)
口止めはしてたはずなんだけれど、どうやら王立警備隊の中から漏れたらしい。
その後、『リゼラ嬢は剣の達人で、逃げ惑う司祭に大刀を振るった』『お前達の悪事はこの私が全てお見通しだ!と叫んだ』『次の悪事を求めて、どこぞの貴族に潜入している』等々あらぬ噂を立てられ、「これじゃ婚期が遅れてしまうわっ」と母様に泣かれる羽目になったのだ。
(それからは、目立たないよう大人しく生きて来たのに……)
――王妃になったら、目立つじゃない
(うん、平穏な日々を望む私にとって、ゆゆしき問題だわ、これは)
私はこほんと咳払いし、やや引きつりながら笑顔をルイス侯爵に向けた。
「私にとって、王妃という立場は重すぎますわ。その、側室候補の一人、では……」
ルイス侯爵が真面目な顔をして私を見た。
「側室では権限が限られてしまいます。御身を守れるお立場でなくては」
彼の迫力を増した眼差しに、私はぐっと息を呑んだ。
(身を守る? そういえば、『秩序を正して欲しい』って言ってたわよね?)
「これは、他言無用ですが」
ルイス侯爵がこちらに身を乗り出し、一層低くなった声で言った。
「実は、後宮内は現在問題を抱えておりまして。後宮は王妃を頂点とする、ある意味治外法権に近い女性の城。陛下も私共も、下手に介入する事は許されておりません」
「問題?」
私が首を傾げると、「ええ」とルイス侯爵は重々しく頷いた。
「詳しくは王妃となられてからお話いたします。是非ともあなたのお力をお貸し願えませんか。後宮をこのまま放置しておくと――陛下の御代に汚点となる事態となるでしょう」
「……」
ふむ、と私は考えた。要は『本当の王妃になれ』ではなく、『事件解決のため、立場上王妃となって欲しい』という事なのだろう。
(でも、王妃となればそんな簡単に離縁も出来そうにないし)
少なくとも私が読んだ歴史書上、ディアマンテ王国の王妃が離縁されたという事実はないはずだ。最も『病死が実は暗殺で、しれっと王妃をすげ替えた』なんて事はあるかもしれないけれど。
「――もちろん、リゼラ嬢が王妃となられた暁には、ヴェルシュタイン伯爵家は王妃のご実家となられる訳ですから。資金面でのご心配事など、なさらないよう配慮いたしますよ?」
「うぐっ」
「一月前の大雨でヴェルシュタイン家の領地に被害が出たとか。ええ、もちろん支援させていただきますとも。なにしろ王妃のご実家への支援ですから、どうぞ遠慮なさらず」
痛いところを突かれた。右隣を見ると、父様の頬がうっすらと紅潮している。懇願する視線が私の右頬にばしばしと当たってくる。
(農地や橋が洪水で流されて、復興費の捻出に頭を痛めていたところに、この話……)
ルイス侯爵の一見爽やかな笑顔が、黒く見えて仕方がない。こちらが断らないと知ってて言ってるわよねえ、これ。
「一年、で結構です。その期間が過ぎれば、王宮を辞しても構わぬ、と陛下は仰せです」
「一年……」
その間に後宮の膿を出し切れって事ね。離縁理由は……子どもが出来ないというには期間が短すぎるし……私の体調不良かしら。
(まあ、私みたいに目立たない娘の方が向いてるかも知れないわね)
他の令嬢がすんなりと『王妃』という輝かしい椅子を手放すとは思えない。だからこそ、私にこの話が来たのだろう。あっさりと離縁に応じそうなこの私に。
「し、しかし、そうなるとリゼラの将来が」
父様の手が小さく震えている。そうよねえ、『離縁された元王妃』って貰い手がないわよねえ。私自身は全く構わないのだけれど、母様は泣きそうだわ。
「王妃を辞されたとしても、リゼラ嬢には何不自由ない生活を送っていただけるよう、手配いたします。陛下もそのおつもりですし」
(退路も断たれた感じがする)
私はううむと考えを巡らせた。一年我慢?すれば、領地問題は解決、資金は潤い、ロゼリアにも肩身の狭い思いをさせなくても済む。私は行き遅れと言われる年齢だけど、どうせ、恋人も婚約者もいない立場だ、一年ぐらいどうという事はない。
(……仕方ないわねえ)
ふうと溜息をついた私は、一瞬瞼を閉じ――そして開けた。
「……承知いたしました。一年間だけ、王妃を務めさせていただきます。ご指導の程よろしくお願いいたします」
私が深々と頭を下げると、ルイス侯爵は我が家に来て初めて、本当ににっこりと微笑まれたのだった。