牢獄の塔
裂かれんばかりの体の痛みと、それに伴う激しい熱が骨までを溶かしてしまいそうだ。
ベッドの上で苦しみから逃れようと、もがく。
シーツを握りしめ、必死に呼吸するほど胸が苦しい。
シャルティナは、このまま自分が死んでしまうような気がした。
悲しいドラゴンの胸が突き破られて死んだように、悲しみと切なさの余りに、今にも自分の胸も張り裂けるのだ。
目を瞑る瞼の裏側で、ドラゴンの瞳が蘇る。
血の色が、涙の色に変わった瞬間、確かにシャルティナは彼の最期の声を拾った。
そうだ。
彼は、祖父の居場所を理解した。
そして、追おうとした。
悲しい。切ない。そして、どうしようにもなく、愛おしい。
痛みに身を引きちぎられながら、シャルティナはベッドの外へと這い出た。
当然、自室のものより小さなそれから転がり落ちて、けたたましい音がなるも、普段はそばに付き添う女中も騎士も誰もいない。
息を荒く、瞼を持ち上げれば、薄暗い天井がすぐそこに見えた。
罰として隔離された塔の最上階に位置する部屋は、大きな窓がある割には、天井も低くひんやりとして、まるで地下牢。シャルティナを閉じ込めるにはうってつけの檻と言えるだろうか。
しかし、いつもならば父も見張りくらいは扉の外に配置させるが、今回の事件でそのような余裕も人手もないのかもしれない。人の気配はなにも感じられないことが、こんなにも苦しいなんて。
シャルティナは、青くも眩しい外を見上げようとして、体が辛くてやめた。
ーーマース…わたしの、マースは…?
シマシマ模様の唯一気のおけないお友達。
小さ過ぎて、よく誰かに踏まれかけてしまったり、高いところからよく落ちたり、転がったりと、愉快なシマリス。
彼がいないと、寂しい。
手のひらに乗せているだけで、安心感がある。
気分が悪くなっても、和らぐくらいの万能薬は、あの友達だ。
シャルティナは力なく腕を伸ばして、そっとイメージした。
ーーおやつのクッキーを食堂からこっそり運んで来て、分け合って食べるの。
そうしたら、ミーシャがやってきて、顔を真っ赤にそれはわたしの手作りよ、と…意中の人に上げるために作ったものよと、怒り出す。
そうか、ごめんね、って笑いながら、クッキーの感想を伝えれば、ミーシャは照れて少しだけ嬉しそうにする。
それを見て、マースは笑い出す。
楽しくて、優しくて、とても可愛い……
「…ーーール!!!シャル!!」
声だ。とても好きな声。
不思議な安心感のある声。
声に導かれて、シャルティナは目を開いた。
すごい、神様ってすごいわ。
「…会いたいと…思ったら……本当に、あえた…」
ため息のように唇から言葉が落ちる。
嘘みたいに、目を丸くするマースは涙さえ浮かべて、すり寄った。
「バカッ…!シャルはバカだ!!…具合悪いのか!?苦しいのか!?すぐに誰か読んで来るぞ!」
「…マースが、居てくれる…から……いいの……」
苦しみがほとんど消え去った。
痛みがするりと溶けて消えてしまった。
ただ、熱を持った体にまだ倦怠感はあるも、身を悶えさせるほどの辛さは嘘みたいになくなってしまう。
「シャル…すぐに来てやれなくて、ごめんな……」
「ううん。マース…みんなは、…どう…してる?」
「そうだ!シャル、あのな!覚えてるだろ!!えーっと…王子サマ」
「?」
「舞踏会の夜に会ってから、何度かシャルと手紙のやりとりしてただろ?」
あの素敵な月夜の出来事だ。
あれから数日後に城からシャルティナ宛に手紙が来て、進んで文通しているのだが、それはミーシャには内緒だ。
「メディウス様…?」
「そうそいつだ!!そいつが来てるんだ!」
「…そんな、」
興奮し切った様子でシマリスがピョンコピョンコ跳ね回り、シャルティナが驚きで言葉をなくしているのをいいことに、二人のこれからの出会いを面白おかしく語りだす。
ドラゴンに乗った王子が塔の窓を突き破って登場し、囚われの娘を連れて遠い彼方にランデブーした先で美味しいものをたらふく食べて過ごすのだとか、城に匿われて美味しい食事をたらふくいただくのだとか、なんと都合のいい食欲丸出しの想像だろう。
シャルティナは、シマリスの話に呆れる余裕もなく、届きもしない窓に視線を向け、キュッと唇を噛み締めた。
この窓の外に、あの人が来ている。
ドラゴンに乗った彼が青い空を背にして現れるのではないか。そして、こちらに微笑みかけながら、手を伸ばすのを期待してしまう。
しかし・・・まばゆい想像が胸を火照らせるより早く、少女は目線を手のひらに落とした。
「王子は、わたしを知らないわ・・・」
顔を合わせたのは、あの夜一度きり。
更に、手紙の中の自分は決して不自由な体ではなく、日本の両足でどこにでも駆けて行くことができる。
街に降りて、沢山の人たちや物事に出会って日々を楽しく明るく過ごすのが手紙の中のわたしだ。
王子の多忙さとその身分で合間見れないことをいいことに、筆を取ってつらつら書き連ねた嘘と偽り。
その時は、素敵な夢を見ることができた。しかし、書き終わると、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
全てが嘘だと偽りだと知られてしまったら・・・会ってしまったときの王子の反応が恐ろしい。
「・・・マース、わたしは・・・王子になんて顔をすれば・・・」
視界が歪んで、頬に生ぬるいものが伝ったのを感じる。
そうすると、涙は後から後から大きなつぶとなって親友の顔に降り注いだ。
シマリスは、そんなシャルティナの様子に胸を痛めるような表情を作ると、ハッとなって大きな尻尾で彼女の目元を拭う。
そして、明るい声で言った。
「手紙を書こう!シャル!本当のことを書いて、謝るんだ!それが一番だろ」
嘘をついてごめんなさい。
たったそれだけだ。しかし、最も勇気が必要で難しいことだ。
下手したら、不敬罪もしくは反逆罪を課せられる可能性もある。
「いいかシャル、好きなら、本当の自分を知ってもらうんだ。知ってもらって、好きになってもらえるんだぞ」
小さな体で、怖気づく少女を奮い立たせようと、両手を広げ、頬に触れる。
手のぬくもりから、不思議と涙が止まっていた。
「大丈夫!あの王子は、きっと大丈夫だ!」
「・・・マース、」
大丈夫、大丈夫と何度も言葉にする。
今まで何度このシマリスの声に励まされ慰められただろうか。
促されて頷いたのを確認すると、ペンと紙を取りに駆け出していった。
忙しい様子に、微笑む余裕まで持つと、シャルティエは先程まで感じていた胸の痛みがさっぱりなくなっていたことに気付く。
失われた二つの命に対しての虚無感、褐色のドラゴンを思って苦しみ悶えた激情が、切ないしびれに変わっていた。
なくしてしまったけれど、与えられるのだろうか。
「・・・メディウス様」
お会いしたいという思いは常に変わらず、しかし、ここでの再会は偶然なんかではなくて必然的なものなのだと確信していた。
呆れられても嫌われても、マースの選択を間違いだとは思わないだろう。
今この瞬間は、彼の人を思って幸せなのだから。
そんなシャルティエの気持ちとはうらはらに。
塔の窓の向こうの空には、薄暗い雲が掛かり始める。
――バサッ
大きな羽ばたきが、一切の光を遮断した。




