生と死
翼のある、小さな生き物を拾ったことがある。
朝起きたら、バルコニーに転がっていたのだ。自由に飛び回れるはずの翼に引っかかれた傷が付いていたから、多分何かに襲われてここに落下したのだろう。
侍女や姉妹は呆れて触れようとしなかったけど、私はその生き物を匿って世話をしているうちに三週間ばかりの間で愛着が湧いて、その子は私にとってかけがえのない友達になれた。
けれど、ミーシャから告げ口を受けた父が、私からその子を取り上げたのだ。
ーーシャルティナ…その生き物を渡しなさい
ーーいや、お父さま…この子を連れていかないで!!
お父さまの手の上で少し余る程度のその生き物が、そのまま握り殺されてしまうのかとも思った。
それほど父の形相は恐ろしくて、けれども、唯一の友達と引き離されたくなくて、必死に食い下がっていた。
立てない私がいくら手を伸ばしても、その子を取り返せるはずもなく。
勢い余って床に転んだ私を父が冷たい目で見下ろす。お爺さまと同じ瞳の色なのに、それを帯びる温度は全く違う。
ーーお父さまっ…返して!いやよ、
生まれて初めてだった。
自分よりも弱い生き物と出会ったのも、それを守りたいと思ったのも。
縋り付く姿を見苦しく感じたのか、それとも反抗に怒りを覚えたのか、父の大きな手のひらが振り上げられる。
ーーこれは………悪魔の従属だ
ーー目を覚ませ。お前は、魅入られているのだ
返して、連れてかないで、良い子にするわ
ちゃんとお稽古もサボらないわ、お食事も残さない
お父さまのキライなご本も読まない、ミーシャとケンカもしない
ちゃんとお利口さんにするから、
ーーうわあああああああん
小さな生き物は、父に連れていかれてから、それ以降二度と出会うことはなかった。
泣きつかれて寝てしまったら、何日も過ぎていたけれど、涙は枯れることなく、思い出すたびに泣き出していた。
どれほど酷い有様だったのか、祖父や一番上の兄が駆けつけて来てくれて、ミーシャからも謝られた。
祖父が、代わりにと連れて来た翼のない小さな生き物をくれたけれど、それでも私の気持ちはずっと闇の中。
けれど、小さな生き物を失って穴の空いた私の心は、同じくらいに小さな生き物が根気良く癒して、慰めて、どれくらい経ったか。
ようやく笑えるようになった。
食事も、喉を通るようになった。
生きようとする力が私にはまたあったのだ。
結局、初めての友達がいなくなっても、私は私を生かそうとすることに絶望した。
絶望しながらも、でも、元の私に戻ろうとしている。
新しい友達ーーマースが、翼のある友達の代わりに思えても、自分にはそうすることしか出来ないのだと。
失望して、今まで生きてる。
これからも、生きるんだとおもう。
「……あのドラゴンは、あの頃の私よ」
かけがえのない存在を失って、自分でどうしたら良いのかわからない。
誰かが、受け止めてあげないといけない。
あのまま、自分を傷つけて死んでしまうのだ。
未来に絶望して、自分を殺してしまうのだ。
「どうして、…殺してしまったの?お父さま…」
「ではなぜ、“縁”を失ったドラゴンを生かそうと考えるシャルティナ」
冷たい。
あの時と同じ冷たい目が私を一瞥して、すぐに反らされる。
その頬の、私が付けた引っ掻き傷が痛々しい。
「なぜ?…なぜ、ってどうして聞くの?生かそうとすることは悪いことなの?」
「生かすことが必ず正しいとは限らない。この屋敷の惨状を見たのか?」
見たわ。
キレイだったお庭がめちゃくちゃになっていて、生まれ育った家が無惨に崩された。
それ以上の惨状は、たくさんの人が生き埋めにされて、傷付いて、泣いていたということ。
「だからといって、殺してしまうことなかったわ」
「…お前自身も危うかった」
小さな父の声が鼓膜を震わせた。
一瞬だけ、愁傷な気配を漂わせたが、あの父がしおらしい様子を見せるはずがない。
ベッドに半身だけ起こして、届かない距離に移動しているお父さまを睨みつける。
危なくない。
止まってくれた。
あの時、ドラゴンは悲しみに吠えただけだ。
「お父さまは、いつも…私のことなんて理解していないじゃない…!!
お爺さまを戦場に送ったのなんて、なんの想いもしていないのでしょう!?
今回だって!人ではなく屋敷を守ったのよ!!お父さまはっ…お父さまはっ!」
視界が揺らぎ、涙でなにも見えなくなった。
お父さまがどういう顔をして私を見ているのか見なくて済む。
けれど、視線を感じて手のひらで顔を覆った。
キライ、と叫んだのに、喉か震えてうめき声しか声に出来ない。
父が近付いて来て、私の体をベッドから引きずり落とした。
昔から、言うことを効かないと手を上げられる。その度、私は一層泣き声を上げた。
「っ、お父さま…!!おやめ下さい!」
エリザとアリエスの悲鳴。
この部屋に、傷付いた屋敷の者たちがいたことを忘れていた。
頭に血が昇りやすい性質は、私も変わらない。
エリザに諌められ、父の手が離れる。
「…二度と、勝手をゆるさない……お前に何ができるというのだ!」
「うぅ…っ!」
「一人では床から起き上がれまい。自分の世話もできない。そんなお前が私に口答えなど、よく出来たものだ」
近くにあるものを咄嗟に掴んで、それを投げつけた。
しかし、それは足で蹴り返され、ぐえっと床に転がる。友達のシマリスが非難めいた目つきで私を見やるが、それを気遣う余裕はない。
「お前は別棟にいろ。見張りをつける。頭を冷やせ」
クラクラする。
エリザが父に取りやめるように言うが、私の頭は何の言葉も入らず、床に這い蹲ったまま、目を閉じた。
床が揺れてるように、眩暈がひどい。
怒ったり、泣いたりすると、すぐこれだ。
ーー私は、弱い…
糸がきれたように、体が重くなって、そのまま眠りについた。
シリアス………