侯爵家の10時のおやつ
昨夜の、夢のような出来事から一晩開け、姉妹たちから舞踏会の話を聞かされても、未だに頭がポーッとしている。
心配そうに顔を覗き込んだのは六歳上の姉上。一つ上の姉上は、私の様子に構わず、得意げに話を続けてる。二歳下の妹は、怪訝な顔をしながらも、始めての社交界デビューに興奮気味だ。
いつもの私なら、パーティの話に食いついたところだけれども、そんなことよりも昨日の出会いの方がずっと特別なことだと思う。
けれど、それを口にしてしまうなんて、なんだか勿体無い気がして、いつもよりも口数少なめにティータイムに参加している。
「シャルティナお姉さま、お疲れなの?」
「え?そんなことないわ」
「なら、先ほどからクッキーに手をつけないのはどうして?食欲がない?」
妹のアリエスに言われてハッとする。
確かに。食欲がない。
むしろ、胸がいっぱいで……
もしかしてこれが恋煩い!?
私ってば、なんていたいけな乙女かしら!
頬に手を当てて内心キャーキャーしていると、正面にいた二番目の姉上であるミリーシャが指を突きつけて来た。
「わたくしの話を聞く気がないなら、さっさと部屋に戻ってしまいなさい」
「そんな言い方ってないです。ティナ?午後のお稽古はお休みにしますか?」
最年長のエリザが、ミリーシャの指を抑え付ける。
ティナ、とは屋敷での私の愛称だ。
マースだけはシャルと呼ぶけれども、それじゃあ令嬢らしくない、というのがエリザの見解。
「ティナにはすぐ甘い顔をして!お姉さまがそんなだから、なかなか嫁ぎにいけないんですわ!」
ミリーシャは口が過ぎる。
言い切ったあとに、顔を青ざめても出た言葉は戻らない。
私とアリエスもサーっと身を低くする。
「……私が嫁ぎにいけないのが…なんですか?」
地を這うような声とはこのことだ。
妹とすぐ視線を通わせて、車椅子に座ったまま静かにその場を離れると、可愛いその子が引いてくれた。
ミリーシャが助けを乞うように見て来たけど、自分の身が一番可愛いのだ。身から出た錆は甘んじて受けてくれとも。
アリエスに押されるまま、廊下を行くと慌ただしく女中が掛けて来た。
「お嬢様方!アルディン老公がお見えです」
お爺さまだ!!
満面の笑顔で妹と顔を見合わせたが、人見知りの彼女は眉にシワを寄せて嫌悪感を露わにしている。
この屋敷じゃあ、だいたいはみんながこんな反応なのだ。
来賓室にノックをして、扉をくぐるとすぐに、体が高く高く持ち上げられた。
「ふあっ!」
「ティナー!!可愛いティナ!大きくなったな!ぬしに土産話をぎょーさん持ってきたぞ!ぬぬ!少し痩せたか?しかと飯は食らうてるか!?わしの孫たるもの、風邪も入り込む隙をつくるな!」
こんがり小麦色の肌は筋肉隆々、大柄で強面のくせに、笑顔は弾けんばかりに明るい。
天井により近い高さまで私を持ち上げた、お揃いの琥珀色の髪が眩しい老人。
「今年に入って一度も風邪はひいてないの!お爺さまのお土産のおかげよ」
「そうかそうか!ガハハハハ!!」
ジャングルとかサバイバルとかが似合うこんな人でも、かつては伯爵の位にいたのだ。
戦争ではドラゴンも慄く拳闘士だったと聞かされている。もちろん本人に。
「そこにおるのはアリエスかの?ぬしも高い高いしてやろう。ほれ来るんじゃ」
「……」
「アリエスはお爺さまが怖いって」
一言も発せず扉の影にいる妹の気持ちを代弁すれば、お爺さまの肩ががっくりと落ちる。
しかし、太い腕はまだ私を抱えたままだ。
椅子よりも安定感がすごい。
「…アリエスは内向的じゃの…父親そっくりじゃい」
「え?お父さまが?」
城へ勤めに出た厳格な父を思い浮かべて、首を捻る。
いつもしかめっ面をしていて、冗談も無駄話も言わない、むしろトイレに流してしまえ控えおろうなあのお父さまが内向的?
アリエスに似てるお父さま……むむむ…分からない。
「他の嬢たちは元気かの?」
「元気よ。でも、ミリーシャったら、お姉さまを怒らせちゃって」
「エリザは母親に似て、怒ると怖いからのォ…」
それから、ようやくフカフカのソファに降ろしてもらい、私の影に出来るだけ入ろうとするアリエスと向かい合って、お爺さまが腰掛ける。
三人分の席なのに、お爺さまが座ると窮屈そうだ。
「ぬしの父親に先に言わねばならんことだが…戦に出ることになった」
「え!?」
今は隠居と称して、世界を旅して回っており、屋敷に戻るのは一年に一度あるかないか…前回会ったときは三年振りの帰郷だったくらいだ。
もっと酷い時は、20年近く放浪していたこともあるらしい。
「お城から、要請があったの?」
「それもあるが、前々からぬしらの父親に説得されていたのじゃよ」
戦とは、隣国とこの国の領地や資源をめぐる争いだ。
実に100年続いている宿敵だ。
「……帝国の、支援が…滞ってるんでしょう?」
ボソリ、とアリエスが呟く。
帝国は、この国と海を挟んだ先の大陸にある。長年鎖国し続けていたが、前々国王による本国との協定を境にして貿易のやり取りや、間接的な戦の支援をしてくれている。
帝国の実体は、誰も知らず、謎に包まれており、東にある港だけが彼ら唯一の入国の入り口だ。
「よく知っとるな!感心じゃ!」
帝国の支援と、お爺さまの出兵がなんの関わりがあるのか理解できない。
兵士が足りないとか、隣国に圧され気味というならわかるが。
「ティナはまだ世間知らずじゃのォ」
余計なお世話よー
頬を膨らませた私を豪快に笑い飛ばし、お爺さまは説明してくれた。
「帝国の支援とは、ドラゴンの借用じゃ!ドラゴン無くして隣国を堕とすのは骨じゃよ。
手綱の取れるドラゴンはまた稀なのはわかるじゃろう?特に、この国でドラゴンライダーは希少じゃ」
お爺さまはドラゴンライダーだ。
ドラゴンライダーとは、ドラゴンが認めた人間のこと。ドラゴンは、認めた人間しか背中に乗せない生物だ。
故に、帝国のドラゴンライダーが手を引けば、多大な軍事力を失うことになる。
「どうして?帝国とは協定を結んでるんじゃないの?」
「ぬ、わしは政治なぞ知らん。ぬしの父親なら知ってるだろうが」
「お父さまはぜっっったいに言わないわ!」
お爺さまは、女中が持って来てくれた紅茶を、乱暴に口に含んで舌を出した。
熱かったらしい。
「あやつは、不器用で過保護じゃからの」
不器用?過保護?
効率を優先させて、なんでも器用にこなしているように見えるけれど、お爺さまにはそうは見えないのかな。
過保護なんてことはまずない。
「お爺さまが戦なんて……嫌よ」
「なに、戦に出た者全てが死ぬわけもなし!わしの血も騒ぐというもの!」
「でも、でも、戦に出たら、次はいつ帰って来れるの?」
「世界の果てに行くよりは近いうちに戻れる!ガハハハハ!」
「そっか!確かに!アハハハハ!」
隣のアリエスから、似たもの同士、と悪態を吐かれたけれど、私にとっては褒め言葉だ。
部屋に満ちる笑の声は、扉から吹き込んできた冷風に萎み、消えた。
「前振りもなく帰郷するのはお辞め下さいと、以前もお願いしましたね?老公」
私とお爺さまと同じ琥珀色の髪。
お姉さまと妹の髪はみんなお母さま譲りの青色なため、その人物が扉の隙間から頭部だけを覗かせていても、誰なのかすぐに知ることができる。
お父さまが帰って来られた…。
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