表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

独裁者シンフォニー

作者: 遍駆羽御

 ただ、その男は自らの劣等感を抱いていた。

 だからこそ、独裁者となり得たのかもしれない……。


 銃身を自らの頭にぶつける。自分の感覚外に在る黒鉄が震えた。その振動は皮膚を簡単に通過し、脳内で独裁者を何度も殺す夢を幻視させた。

 独裁者の記憶には数多くの死が在る。彼の声が引き金となって、打ち震えた死が大半だ。故に彼は今の自分が感じる恐怖に違和感を覚える。

 自分はこんな生きているのに……生きた心地のしない空気の薄い空間を平然と他者に強要していたのか?

 凍る時間とは反比例して、加速していく瞼の奥深くに流れる血潮の熱。その脈動が独裁者の決定を非難するように暴徒と化して暴れる。

 だが、脈動達は……内の世界から外の世界へと来る事は叶わない。どんなに願おうとも、現実は個の意志では、全の意志では変革されない。運命というろくでもない神様が創りし、法則の流れに従わなければ、願いは溺れてしまう。

 そんなのは……脈動達は知っている。

 そんなのは……独裁者は知っている。

 それでも叫ばずにはいられない!

 世界を変えたい。自分を変えたい。個ではなく、個という矮小な単位でありながら、全を狩る力になりたい!

 そうしなければ、自分はあまりにもちっぽけで、零に近い存在だからだ。

 それが故に、独裁者は破滅する。

 チカチカと、五月蠅い切れかけの蛍光灯。

 稲妻の如き、弾丸の音や……重厚な足音を振りまく傍若無人の戦車殿はいつも、彼を大多数が支持する傾向にあった。しかし、今日は違う!

 彼らは怒っているのだ。

 騙された! 騙された! 騙された! という声が空を切り裂く。時には早く、あなたの真っ白な傷一つとない肌を愛撫したいと、ゆっくりとした手並みで空気を摩る。

 空気は溜まらず、喘ぎ声と吐息を漏らす。

 暴風が見えないバッドで窓硝子を一枚残らず、叩き割る。キラキラと太陽光に反射して輝く粉粒の如き、硝子は魂の入れ物だった灰に似ている。その灰を軍用の分厚いブーツで踏みにじることに何の抵抗を独裁者はなかったはずだった。

 自分でも驚くくらい、彼は動揺している。その美しすぎる死体の肉に眼は貼り付けにされる。

 輝く死体の肉達は嗤う。

「お前は絵描きを幼い頃、目指していた。しかし、お前に欠点があった。正確な色彩を把握できない。それでも、お前はひたすら、何枚も! 何枚も! 書き続けた! だが、どうだ! 誰もお前を愛してくれなかった。誰もお前に振り向いてくれなかった。お前は独りで死ね! それがお前の独り善がりに突き合わされた同胞達へのせめてもの報いだ」

 綺麗な死体はそう、言い残して剥き出しのコンクリートに散らばった。コンクリートこそが硝子の破片の墓だった。

 独裁者は銃を頭から遠ざけて、古びた椅子に座った。目の前には壊れた巨大なパイプオルガンが深い眠りに就いていた。彼が死んだ後、パイプオルガンは修理されればきっと、元通り、荘厳な曲調を奏でられるだろう。

 自分は、自分の心は誰もが修繕を拒否するだろう。もっと、彼はそれを願わない。

 ただ、一人、自分を救えるのはノアだけだ。

 写真を妻の血で薄汚れたポケットから……取り出した。妻、彼が雌豚と呼んでいた不細工な作り物よりも数倍、可愛い七歳のノアが写真の中だけに存在していた。薔薇園の薔薇に囲まれて、両肩に蝶を乗せた金髪の少女は天使の如き、微笑みを絶やさなかった。だが、その天使は異人によって殺された。

 たった、一晩の食料と等価値だったのだ、天使の命は。

 天使だけが、ノアだけが独裁者になる前のブライアン少年の唯一の理解者だった。ブライアン少年はノアと同じく、孤児院の子どもであった。

 彼の絵を理解し、いつか、画家になれると言ってくれた。そのノアの言葉は……消えた。

 彼に残ったのは……異人への怒りだけだった。

 それからの彼は勉学に勤しみ、ついには政権を手に入れた。彼はそれを使い、復讐した。

 自分を捨てた両親に。

 ノアを殺した異人に。

 愚鈍な民には口触りの良いワッフルを。

 知恵無き異人には灼熱の針を。

 独裁者はその果てに静かにため息を吐く。

 解っていたはずだ。どんなに個から逸脱しようとしても、魂までは変質できない。色を変えただけだ。どす黒い色に。

 独裁者の最期はいつも、悲惨な死だ。

 ブライアンは闇に自分の影を同化させて微笑んだ。

 どうせ、消えるのならば、自らの手で。

 近づいてくる復讐の足音に背を向けて、ブライアンは自分の頭を銃でぶち抜いた。

 

 彼は痛みを感じたのだろうか?


 ただ、彼の死体は不気味な程の笑顔だったと各紙、新聞は足並みを揃えたかのように報道している。


 ただ、その男はただの歴史の教科書に載るような矮小な存在でしかなかった。

 それを受け入れられず、自分に価値を見いだせないからこそ、独裁者にしかなれなかった可哀想な魂の一つに過ぎない。


 時は流れて、場所も変わり、日本のとある小学校。

 幼女が一心不乱に教科書に落書きしている。幼女が口ずさんでいるのはAKBの新曲だ。そして、幼女の拙いゲイジュツは完成した。時間にして一分。カップラーメンよりもお手軽だ。ちなみに幼女はシーフード味がお好みだ。

「せんせ、よく書けてるでしょ?」

「お前なぁ……歴史の教科書は落書き帳じゃないぞ。ジャポニカ学習帳に書きなさいよ」

 幼女のゲイジュツは若い独裁者の顔に顎ひげを描き、髪の毛を長くし、眉を太くするという簡単なものだった。

 それだけだったのだが、大好きなせんせが爆笑してくれて、幼女はとても嬉しい気分で胸一杯だった。

 だけど、お腹が減った……。

 ゲイジュツではお腹までは満たせないようだ。

「のあ、お腹が減りました。いちごの乗ったケーキをくれると、おりこうさんになります。ねぇ、パパ」

「学校ではせんせ、だろう?」

「ママは、学校でもパパで良いって言ったもん」

「……ん、パパで良いかぁ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 小説なのに詩的で熱いものが巡ってくる、そんな印象でした。抽象的な感想で申し訳ないです。 最後の幼女のゲイジュツで悲しさと時間というものを覚えました。 やっぱり抽象的で申し訳ないです...
[良い点] 擬人化の使い方が上手いなあ。 [気になる点] 僅かな個所で細かい助詞の用法が気になった。 [一言] 一兎男です。少しずつ読んで行こうと思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ