年末ジャンボで10億当たってしまった俺、幼馴染がグイグイきて困らない。
年末ジャンボ宝くじで十億円が当たった。
最初は何かの間違いだと思った。何度も当選番号を確認し、公式サイトを開き直し、しまいには銀行の窓口まで足を運んだ。ところが、どうやら本当に当たっているらしい。
俺、佐藤健一。二十八歳。独身。彼女なし。
どこにでもいる平凡なサラリーマンだった俺は、こうして一夜にして億万長者になった。
もっとも、生活はそれほど変わらなかった。
会社には相変わらず通っているし、昼飯はコンビニのおにぎりだ。少し贅沢をしたといえば、スーパーで半額シールの貼られていない牛肉を買うようになったくらいだろうか。
そんな俺の生活が一変したのは、当選から三か月ほど経ったある日のことだった。
「健一くん! 久しぶり!」
会社帰り、最寄り駅の改札を抜けたところで、懐かしい声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
肩まで伸びた栗色の髪に、大きな瞳。薄いベージュのコートを羽織り、白いブラウスに膝丈のスカートを合わせた彼女は、昔と変わらず可愛らしかった。
「……莉子?」
「そうだよ! もう、忘れちゃったの?」
幼馴染の小鳥遊莉子だった。
小学校から高校まで一緒だった彼女は、俺の初恋の相手でもある。
もっとも、その恋が実ることはなかった。
高校三年生の卒業式。意を決して告白した俺に、莉子は困ったような笑顔を浮かべてこう言った。
『健一くんのこと、そういうふうには見られないかな』
それ以来、俺たちは疎遠になった。
だから、こうして向こうから声をかけてくるなんて、正直驚いた。
「どうしたんだよ、急に」
「えへへ。ちょっと会いたくなっちゃって」
「俺に?」
「うん!」
莉子は満面の笑みを浮かべると、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
柔らかな感触と、ほのかに甘い香水の匂い。
高校時代の俺なら、この時点で心臓が破裂していたかもしれない。
「ねえ、健一くん。これからご飯でも行かない?」
「……いいけど」
「やった!」
莉子は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ながら、俺は考えていた。
――なるほど。そういうことか。
どうやら俺が宝くじに当選したという噂は、彼女の耳にも届いていたらしい。
そして俺は、もう一つ知っていることがあった。
莉子の父親が経営していた会社が倒産したこと。
そして彼女が、連帯保証などの事情で一億円近い借金を背負っていることだ。
共通の知人から聞いた話なので、詳しい事情までは知らない。
だが、目の前の彼女が俺に何を期待しているのか。それくらいは想像がついた。
俺は腕に絡みつく莉子を見下ろし、思わず笑みを浮かべた。
昔から好きだった女の子が、向こうから俺にすり寄ってきている。
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
*
「健一くんって、昔から優しかったよね」
駅前のイタリアンレストラン。
向かいの席に座った莉子は、赤ワインのグラスを片手にそんなことを言い出した。
「そうか?」
「うん。私が困ってると、いつも助けてくれたじゃない?」
「まあ、幼馴染だったしな」
「ふふっ。そういうところ、好きだったなあ」
好き。
なんとも便利な言葉である。
十年前に聞きたかった言葉を、今になってこんなに簡単に聞けるとは思わなかった。
「そういえば健一くん、宝くじが当たったんだって?」
来た。
「まあな」
「すごいよね! 十億円だっけ?」
「そうだよ」
「いいなあ。私なんて最近、嫌なことばっかりで……」
莉子は悲しそうに目を伏せた。
なるほど。ここから身の上話が始まるわけだ。
「実はね、お父さんの会社が倒産しちゃって……」
「そうなのか。大変だったな」
「うん。それでね、色々あって、私にも借金ができちゃったの」
「へえ。いくら?」
「……一億円」
莉子は小さな声で答えた。
俺はフォークを置き、彼女の顔を見つめた。
「一億円か。そりゃ大変だ」
「うん……」
「でも、頑張って返さないとな」
「…………え?」
莉子が顔を上げた。
「いや、だから。頑張れよ。応援してる」
「う、うん。ありがとう……」
彼女の笑顔が少し引きつった。
俺はグラスの水を一口飲んだ。
さて。
どうやら彼女は、俺が自分から借金の肩代わりを申し出るよう仕向けたいらしい。
化粧で隠してはいたが、彼女の目にはうっすらとクマの跡がある。どうやらそれなりに苦労しているようだ。
十億円のうちの一億円。
確かに、今の俺なら払えない金額ではない。
だが、どうして払わなければならないのだろう。
「ねえ、健一くん」
「ん?」
「十億円って、使い切れないくらいのお金だよね?」
「まあ、普通に暮らしてればな」
「そうだよね……」
莉子はしばらく黙り込んだあと、意を決したように身を乗り出した。
「あのね、健一くん。お願いがあるんだけど……」
「何?」
「私に、一億円貸してくれないかな?」
とうとう言った。
「もちろん、絶対に返すから! 時間はかかると思うけど、ちゃんと働いて返すつもりだし!」
「そうか」
「それに、私たち幼馴染じゃない? 昔からずっと仲良しだったし……」
「うんうん」
「だから……お願い!」
莉子は両手を合わせ、上目遣いで俺を見つめた。
可愛い。
実に可愛い。
昔から俺は、この顔に弱かった。
「分かった」
「本当!?」
莉子の顔がぱっと明るくなった。
俺はにっこり笑った。
「お金はあーげ……」
「うん!」
「……ないっ!」
「…………は?」
莉子が固まった。
「え?」
「だから、あげない」
「……なんで?」
「なんでって、俺の金だから」
「で、でも、十億円もあるんでしょ!?」
「あるよ」
「だったら一億円くらい……!」
「莉子」
俺は彼女の目をまっすぐ見つめた。
「俺、お前のこと好きなんだよ」
「…………え?」
「高校の頃からずっと好きだった。今でも好きだよ」
莉子は目を見開いた。
そして、少し頬を赤らめる。
「そ、そうなんだ……。だったら、私たち……」
「でも、お金はあげない」
「なんでよ!!」
とうとう素が出た。
懐かしい。
昔から莉子は、思い通りにならないことがあるとすぐに怒る女の子だった。
俺はそんなところも好きだった。
「だってさ、莉子。俺が一億円あげたら、お前、もう俺に会いに来ないだろ?」
「そ、そんなことないよ!」
「本当に?」
「本当だよ! 私だって健一くんのこと、ずっと気になってたし……」
「じゃあ、お金をあげなくても付き合ってくれる?」
「…………」
沈黙。
莉子の視線が泳いだ。
俺はその様子を眺めながら、残っていたワインを飲み干した。
「まあ、いいよ。急いで答えなくても」
「……健一くん」
「そうだ。ちょっとお願いしてもいい?」
「えっ?」
「俺のこと、大好きって言ってみてよ」
「……は?」
「ほら、昔から好きだったんだろ? だったら言えるよな?」
莉子は困惑した表情を浮かべた。
しかし、すぐに笑顔を作る。
「も、もちろん! 健一くん、大好きだよ♡」
「声が小さいなあ」
「えっ?」
「もうちょっと大きな声で」
「こ、ここで!?」
「うん」
莉子は周囲を見回した。
店内には仕事帰りの会社員やカップルが何組もいる。隣のテーブルでは、若い男女が楽しそうに談笑していた。
「そ、そんなの恥ずかしいよ……」
「そっか。残念だなあ」
俺はわざとらしくため息をついた。
「一億円かあ……」
「…………っ!」
莉子の肩が跳ねた。
しばらく唇を噛みしめていた彼女は、やがて意を決したように立ち上がった。
「け、健一くん!」
「はい」
「だ、大好きですっ!!」
店内に響き渡る大声。
周囲の客たちが一斉にこちらを振り返った。
隣のテーブルの女性が、驚いたように目を丸くしている。
莉子は耳まで真っ赤になっていた。
「こ、これでいいでしょ……!」
「うん。可愛かったよ」
「じゃ、じゃあ……!」
俺は満面の笑みを浮かべた。
「お金はあーげ……ないっ!」
「なんでよおおおおっ!!」
店内に再び莉子の絶叫が響き渡った。
*
食事を終えた俺たちは、駅前の広場を歩いていた。
夜の街には色とりどりのネオンが輝き、行き交う人々の話し声が賑やかに響いている。
莉子は俺の隣を歩きながら、ずっと不機嫌そうに頬を膨らませていた。
「……健一くんって、昔はもっと優しかったよね」
「そうか?」
「そうだよ。私がお願いしたら、何でも聞いてくれたじゃない」
「まあ、昔はな」
「今は違うの?」
「今だって莉子のことは大好きだよ」
「だったら……」
「でも、お金はあげない」
「もうっ!」
莉子は地団駄を踏んだ。
その姿があまりにも可愛らしくて、俺は思わず笑ってしまった。
「そうだ、莉子。もう一つお願いしていい?」
「……今度は何?」
「俺のこと、健一様って呼んでみて」
「はあ!?」
「健一様」
「な、なんでそんなこと言わなきゃいけないのよ!」
「別に嫌ならいいけど」
俺はポケットからスマートフォンを取り出し、銀行口座の残高を確認するふりをした。
「十億円って、すごい金額だよなあ」
「…………っ!」
莉子の顔が引きつった。
そして、周囲を見回したあと、小さな声で呟いた。
「……健一様」
「聞こえないなあ」
「け、健一様っ!」
「はい、よくできました」
「じゃあ、今度こそ……!」
「お金はあーげ……ないっ!」
「きいいいいっ!!」
莉子は両手を握りしめ、悔しそうに俺を睨みつけた。
俺は笑顔でその頭を撫でた。
「いい子いい子」
「子供扱いしないでよ!」
「はいはい」
「もうっ! ほんっとに性格悪い!」
「そうだな」
俺は素直に頷いた。
昔の俺なら、彼女に嫌われるのが怖くてこんなことはできなかっただろう。
でも、今は違う。
俺には十億円がある。
そして彼女には、一億円の借金がある。
その事実が、俺たちの関係をすっかり変えてしまった。
「ねえ、莉子」
「……何よ」
「俺と付き合わない?」
「…………え?」
莉子は目を見開いた。
「付き合ってくれたら、毎週美味しいものを食べに行こう。旅行だって連れていってあげるし、欲しい服も買ってあげる」
「ほ、本当!?」
「ああ。もちろん」
莉子の表情がみるみる明るくなった。
「じゃ、じゃあ……借金も……?」
「お金はあーげ……ないっ!」
「だからなんでよおおおおっ!!」
俺は腹を抱えて笑った。
莉子は本当に可愛い。
こんなに表情豊かで、こんなに面白い女の子だったなんて。
高校時代には気づかなかった。
いや、違うな。
昔から知っていたからこそ、俺は彼女が好きだったのだ。
*
帰り際、莉子は駅の改札前で立ち止まった。
「……ねえ、健一くん」
「ん?」
「本当に、私のこと好きなの?」
「もちろん」
「だったら、どうして助けてくれないの?」
その声には、先ほどまでの甘ったるさがなかった。
俺は少し考えてから答えた。
「だって、莉子。俺が一億円払ったら、お前はもう俺に会いに来ないだろ?」
「そんなこと……」
「ないって言える?」
莉子は黙り込んだ。
俺は彼女の顔を見つめた。
昔から大好きだった栗色の髪。少し吊り上がった大きな瞳。怒ると唇を尖らせる癖。
何もかもが懐かしく、愛おしかった。
「俺はさ、莉子と一緒にいたいんだよ」
「…………」
「だから、これからもいっぱい遊ぼうぜ」
俺は彼女の手を握った。
莉子は一瞬身を固くしたが、振り払おうとはしなかった。
「……最低」
「うん」
「健一くん、最低だよ」
「知ってる」
「……大嫌い」
「俺は大好きだよ」
莉子は悔しそうに顔を歪めた。
しかし、しばらくすると小さな声で尋ねてきた。
「……ねえ、次はいつ会える?」
俺は笑った。
「今度の土曜日はどう?」
「……うん」
「温泉旅行でも行こうか。露天風呂付きの高級旅館」
「……行く」
「二人きりだけど、いい?」
「…………いいよ」
莉子は真っ赤になって俯いた。
俺はそんな彼女を見つめながら、心の底から幸せを感じていた。
十億円。
そのうちの一億円を渡せば、彼女は救われる。
だが、俺は絶対に渡さない。
だって、渡してしまったら終わりじゃないか。
これからも彼女と食事をして、旅行をして、デートをして。
時には恥ずかしいことをお願いして、真っ赤になって怒る彼女を眺める。
そんな楽しい毎日を、俺はずっと続けたいのだ。
「じゃあ、また土曜日な」
「……うん」
莉子は小さく手を振り、改札の向こうへ消えていった。
俺はその後ろ姿を見送りながら、スマートフォンを取り出した。
さっそく高級旅館を予約しよう。
きっと莉子も喜んでくれるだろう。
そう思ったところで、彼女からメッセージが届いた。
『健一くん、今日はありがとう。土曜日、楽しみにしてるね♡』
俺は満面の笑みを浮かべた。
ああ、幸せだ。
昔は俺から連絡しなければ、何か月だって音沙汰がなかった女の子が、今では向こうからハートマークを送ってくれる。
お金って、本当にすごいなあ。
俺は夜空を見上げ、小さく呟いた。
「莉子。俺たち、ずっと一緒にいような」
彼女が俺を好きになってくれるかどうかなんて、もうどうでもよかった。
俺が彼女を好きなのだから。
それで十分じゃないか。
そして、これから先も。
十年経っても、二十年経っても。
たとえ彼女が泣いて頼んできたとしても。
俺はきっと、同じ言葉を返すだろう。
「お金はあーげ……ないっ!」
――おしまい。




