第96話 兄妹 THE LAST MASTER その6
徐々にその邪悪さが増してゆく邪神テトカポリカ。だが、その凶悪な爪と牙を俺達兄妹に任せきりにして、エイドリアンとショーンはじっとコロシアムの上空を見上げていた。
今日は雲一つ無い晴天。
上空には見つめるものなど何一つ無いというのに二人の視線は大空の一点を見つめ、まるでそこに来る何かを待っているようだ。
だがしかし――
俺とレイラには、そんななにも無い大空に気を回している余裕は無かった。エイドリアン達の奇妙な行動に、決め手となる《《何か》》を期待しながらも、俺達は次々と繰り出される邪神の攻撃にただひたすら対処し続けていた。
つまり、俺たち兄妹はこの目の前の邪神テスカポリカなる存在をどうにかしないことには、再開のハグをする余裕すらないのである。
「で、レイラならどうするよ――」
黒き巨大な獅子を目の前にして、俺は背中に立つ妹に向かって試すようにそう言った。
だが……。
とりあえず格好はついたものの、実際にはなんの策も思いつかないってのが俺の本音である。
もしこの場に冒険者の一人でもいるのなら、ドラゴンなどの巨大生物の退治の方法でも教えてもらうのだが……。皆いつの間にか邪神の姿を見て逃げてしまったのだから仕方が無い。
まぁ、結局のところ。俺は、作戦を妹に丸投げしたのである。
しかし、そんな情けない兄とは反対に、妹からは間髪入れずに提案とも要望ともつかぬ意外な言葉が帰ってきた。
「お兄ちゃん。私……ずっとアレがやってみたかったの!」
「……アレ?」
何だよ、それ。
俺達がいくら仲の良い兄妹であっても《《アレ》》だけでわかるわけがない。
けれど、レイラは目を輝かせたまま続けた。
「覚えてない? 千年求敗の物語だよ。女騎士団長カレンが大太刀の怪人に挑むとこ!」
そんな妹の言葉に、俺は正直……唖然としてしまった。
遠い昔、俺は妹にそんな話をしたような気がする――。いや、確かにした。
正直全く覚えてはいないが、『千年求敗物語』みたいな話をでっち上げて、せがむ妹に何度も聞かせてやった記憶がある。
でも、それって全くの作り話なわけで……。俺が即興のでまかせで作った話を、妹は今さら蒸し返して来たのだ。
だが、そんな細かいシーン……覚えているはずがない。
「いや待て。なんだそれ? 俺そんな話したか?」
「したよ、もしかしてお兄ちゃん――大師匠の話を忘れちゃったの? あの時は毎晩その話をしてくれたのに ……」
ごめん……全く覚えてない。
その時の俺は――多分、妹にせがまれるまま面白可笑しくデタラメの物語を話していたに違い無い。
で、もちろん今さら忘れちゃったと言うわけにも行かず、俺は取り繕うように言った。
「あゝ、あの話かぁ……。で、えっと……それを今やるのか?」
「そう! 私がカレン役ね。お兄ちゃんは番頭のおじさん!」
「……番頭?」
俺が疑問を挟む間もなく、レイラは勝手に配役を終え、満面の笑みで告げた。
「じゃあ、行くよ!」
そう言い放ち、レイラは驚くほど低い姿勢で地を蹴り、邪神に向かって一直線に駆け出した。
「おい、待てってば!」
俺は思わず叫ぶが、レイラは振り返りもしない。
なんなんだ、いったい何をしたいんだよ――っていうか、その番頭ってのはその時いったい何をしたんだ?
だが、そんな俺にも、ただ一つだけ確実に分かる事がある。
このまま一人で行かせたら、レイラは確実に死ぬ!
そう思ったとき、身体が勝手に動いていた。思考より先に、俺の足はレイラの後を追っていた。
「くそっ、こうなりゃ出たとこ勝負だ……!」
だが、風を切る音の中で、ふと、俺の脳裏にかすかな記憶がよみがえる。
……そうだ。
騎士団長カレン、番頭のおっさん、そして大太刀の怪人。
俺が適当に作り出した『千年求敗物語』の中に――たしかに、そんな登場人物がいた。
騎士団長のカレンは仲間を信じて単身突っ込み、番頭のセバストがその背を護るために全力でカレンの後を追う。そして――
「おいっ、あのシーンってたしか―― 怪人に対してフェイクで毒だ!って叫ぶんだよな!? でもさ……邪神に毒なんて効くのか?」
俺は叫んだ。
が、前を走るレイラは振り返りもせず、笑いながら言った。
「そんなの知らないわ! でもお兄ちゃんなら、なんとか出来るでしょ。」




