第92話 兄妹 THE LAST MASTER その2
俺達の攻撃は、確かに効いていたんだ。
でも、その効果と言えば微々たるもので、最初にエイドリアンが邪神の頭を消し飛ばした時ほどのインパクトが足りない。
邪神が実体化したことによって、俺達の攻撃に幅は生まれたけど――その分、相手の芯の部分に攻撃が通りにくくなったような気がする。
「手応えはある。けど……全然届いてないな――」
「ええ。あれは実体化と引き換えに防御力を強化した形でしょうね。こちらの攻撃に応じて変化してきたと考えれば……まぁ、当然ですけど。厄介です」
エイドリアンの言う通り、実際に厄介だった。
あの黒々とした体毛が、俺の刃を受け止め、エイドリアンの魔法の威力を削いでいた。言うなれば――守りの毛皮である。
「まったく、あの毛皮ときたら……いっそのこと全部刈り上げてやろうかしら」
苛立ち紛れにそう言ったエイドリアンを見て、俺はふとあらぬ期待をしてしまう。
「おい、まさかとは思うが……相手の毛を刈る魔法ってあるか?」
「あるわけないでしょ。そんなピンポイントな魔法」
まぁ、だろうな。俺だって半分冗談だった。けど、そのとき、別のことが俺の頭をよぎったんだ。
(……あの毛、燃えるんじゃないか?)
「カイル、次の連携に――」
そう言って次の攻撃の準備に入ったエイドリアンを、俺は無理矢理に静止した。
「待て。ちょっと試したいことがある」
エイドリアンが立ち止まり、俺を見る。即座に返ってくる一言。
「何か案が?」
「あの毛皮……燃えるんじゃ無いか?」
「確かに良く燃えそうですが……」
それが次の作戦への答え合わせだ。
「お前、火の魔法は使えるか?」
「馬鹿にしないで下さい。どんな漫画だってゲームだって、火の魔法は初歩中の初歩って決まっているんです!」
そう言って、彼女はすっと杖を掲げる。動きに迷いはない。
「ただし、王都ごと焼き払うようなのはナシな」
「さあどうですか、威力の強い魔法は調整も難しいですからね。幸い逃げ遅れた民間人はもういないようですし、少々熱かろうがある程度の事は気合で乗り切って下さいよ」
「チッ……もう好きにやれ。遠慮されても困るしな」
「では――承知!」
やり取りの最中にも、彼女の杖先には橙色の魔力が集まっていた。
それが一気に膨張し、赤熱の奔流として解き放たれる。
巨大な火球が邪神を直撃し、炎が奴の毛皮ごと包み込む。黒煙が立ち上り、邪神がこれまでにない悲鳴を上げた。
(効いてる!)
思わず拳を握りかけた、その時だった。
胸が、妙に苦しい。
いや、苦しいと言うより、呼吸が――できない。
「……あれ?」
急速に視界が揺らぎ、足がふらつく。
俺はその場に崩れ落ちた。
「っ……頭が、ぼーっと……」
空気が薄い? いや――違う。酸素が無い。
隣のエイドリアンも膝をついている。顔が青ざめて、唇に色が無い。
「まさか……」
その時、ようやく俺は――小学生でも知っている火の特性ってやつに気がついたのである。
「……爆炎魔法は……酸素を、大量に消費しますから……」
エイドリアンが他人事の様に言う。しかしその声はやはり息苦しさからかはっきりとした言葉にはなっていない。
「お前……それ、先に言えよ……!」
「やれって言ったのは……そっちです……よ」
お決まりの口喧嘩すら、もう限界だった。
炎が酸素を奪い、この結界は完全な密閉空間。
当たり前の理屈だった。火を燃やせば、酸素は無くなる――小学生でも知ってる常識に、俺たちは見事にやられたのだ。
(情け無い……)
もう、立てない。剣も、魔法も、通じない。
酸素が身体を巡らなくなれば――できるのは、もう死を待つことだけだった。
「……ねぇ」
地面に横たわったエイドリアンが――朦朧とした表情で、ぼそりと言った。
「もし次の世界で……また私たちが出会えたら……結婚しませんか?」
「……は?」
反射的に聞き返したが、それ以上の言葉は出なかった。
「良く、戦いの前に結婚の約束をすれば死亡フラグが立つって言うでしょ……じゃあ、死ぬ前に、来世の約束をしておけば、生き延びるフラグが立つんじゃ無いかと思って……」
「……逆フラグ、ってやつか」
「ええ。だから一応……それらしくやっておきたくて」
「……いいぜ。じゃあ――今度生まれ変わる時は、絶対に美人に生まれてこいよ。その時は、ちゃんと嫁にもらってやるからさ」
「ふふっ……これで、私達たぶん死にませんね……」
おかしな冗談だったけど、最後に笑えたなら――それでいい。
「ねぇ。最後にひとつお願いが……」
「なんだ?」
「手を……繋いでいただけませんか。一人で死ぬのは、やっぱり怖いので……」
憎たらしいやつだったけれど……繋いでやりたかった。
けど、もはや身体は言う事を聞かない。
しかしそれでも、俺の目から悔しさの涙だけは勝手にこぼれ落ちていた。
せめて――
せめて視線だけでも、と横を見る。
だが目を閉じたエイドリアンは、もうぴくりとも動いていなかった。
滲む視界が、そのまま彼女の向こう側へと抜けていく。
ぼやけた視界の先、誰もいないはずの観客席に――
そこに、一人の少女の影が立っていた。
(ああ……レイラ)
どうして、そんな所に……早く逃げろ。
お前まで死ぬ必要はない。
だけど、そうか――この時、俺はようやく気がついたのだ。
この物語の主人公は、やっぱりレイラ――お前だったってことにね。
…………。
だったら俺の死にざまくらい、見届けてくれ。
その悲しみを力に変えて、誰よりも強くなれ。
俺はもう、ここまでだ。だけどお前は――きっと、ここからだ。
(……わかるだろ? それが“主人公”ってもんだぜ――)
そう。まさに今が物語の終盤で、主人公が大切な人の死を乗り越える――
レイラにとって最も重要なシーンなのだ。




