第72話 徴兵官殺し 〜あの日〜 その6
「うぐっ……!」
鈍い音と共に呻き声が漏れ、カイルの顔が苦悶に歪む。
両脇を押さえる兵士たちによって、身動きひとつ取れず、彼はただ痛みに耐えることしかできなかった。
その様子を、徴兵官は満足げに見下ろしていた。
歪んだ笑みを浮かべるその顔には、場末のごろつきと大差ない品のなさが滲んでいる。
いわゆる、この男も身分を金で買った口なのだ。
将軍職ですら金で買えると囁かれるこの国において、徴兵官など末端の役職は尚更だった。
そんな連中がのさばる王政である。この国が戦で帝国軍に押され続けるのも、ある意味当然の結果だった。
「……何だその目は。反抗的だな?」
カイルの表情が痛みによって苦悶に歪んだだけなのだが、その歪んだ眉間をも徴兵官はわざとらしく責め立てた。
「全く、生意気な目をしやがって!」
憤ったように吐き捨てると、今度は勢いを増してカイルの腹や脇腹を数度蹴り上げた。
逃げることも、反撃することもできず、ただ苦痛が幾度も体を貫いていく。
それでもカイルは、呻き声を押さえつけ、唇を噛みしめた。
この徴兵官の執拗な暴力は、果たして何のためなのか――
それを知るよしも無いカイルは、ただ痛みに身を委ね、ひたすら耐え忍ぶことしかできなかった。それもこれも兄の苦痛に歪んだ顔を妹に見せないため――
だが、それが徴兵官には気に入らなかった。
泣き叫び、地面に縋って許しを請う――そうした“分かりやすい屈服”こそが、彼の見たい光景だった。この小男は、金で手に入れた役人という立場を、そんな歪んだ快楽のために振りかざしているにすぎない。
カイルのようにただ黙って殴られ続けるだけの相手は、むしろ腹立たしい存在である。どこまで打っても、屈しない――いや、屈しているにもかかわらず、それが表に現れないのが面白く無いのだ。
「……ったく、つまらねぇ奴だな」
そうぼやきながら、徴兵官はとうとう業を煮やす。
片膝をついて屈みこむと、無造作にカイルの髪を鷲掴みにし、ぐいっと顔を持ち上げた。
視界の端が霞み、焦点の合わない目で、それでもカイルは無言のまま見返す。
そんな目を見て徴兵官は――
「……気が変わった」
おもちゃに飽きた子供の如く、冷たい口調でそう言った。
そして――
徴兵官はおもむろに腰に戻していた剣の柄に手をかけると、冷たい音を立てて再び鞘から抜き放った。その細く澄んだ金属音が、張り詰めた空気を裂くように響く。
その時――
「お兄ちゃん!」
いままでじっと耐えていたレイラの叫び声が周囲にこだました。
それは、恐怖と怒り、そして抑えきれない感情のすべてを纏った悲痛の叫び声であった。
しかしそれでも徴兵官の剣は、ゆっくりとカイルの喉元へと向けられる。その剣先は迷いは無い。
――その瞬間だった。
突然、ピシリと音を立て張り詰めた空気がカイルを包みこんだ。
まるで大気そのものが凍りつくような気配が、辺り一面をを覆う。肌を刺すように冷たい。 しかし全身からドッと汗が吹き出るような不思議な感覚。
カイルだけではなく徴兵官や兵士たちまでもがその異様な気配に息を呑んだその時。
焦点の定まらぬカイル目の前をかすめる何かの影があった。
その時、カイルの知らない何かが――確かに眼の前を横切ったのだ。




