第35話 剣聖への道 〜萬寿香(マンジュコウ)〜 その2
さて
俺が早朝に村を出て一日で行って戻れる山の数は5つ。その5つの山の中でもこの雪の降る直前の季節、一番薬草の取れ高が高いのは4つ目の山だ。
だが今日はいつもなら素通りしてしまう3つ目の山で、狙うは満寿香。これは以前一度だけ見つけたことのある千年霊芝にも負けず劣らず高値で取引される代物。薬草ハンターなら一度は見つけて見たい超レアアイテムだ。
って、違う違う――
今日3つ目の山に分け入るのは、妹のレイラに新たな剣技『第四層』の修行をつける為だった。
「もしかして俺、現実逃避してる?」
てな感じで何とも頼りない俺だけど、早朝から張り切って二人分の弁当を作ってくれた妹は、まるで今から遠足にでも出発するかの様にワクワクしちゃってて――ここまで来たら俺ももう後に引くわけにはいかない。
山の稜線に日が差し、俺は腰に長年愛用しているナタと鎌を、そして妹は……年月を経てようやく身体に合い始めた剣を背中に背負って――
とうとう『千年九剣第四層』の修行が始まった。
俺達兄妹の行く手には幾重にも重なる山々が連なっている。なんせ、このオルマル村は王国の領土の中でも極東に位置する僻地も僻地。この村よりも東に住んでいるのは妖かはたまた仙人か――と言われるぐらいに僻地なのだ。
つまり、この村より先は一つ山を越えようにも獣道に毛が生えたような道なき道を進んでいかなくてはならず、そこには足場の悪い谷や、行く手を阻むように生い茂った木々が俺達を邪魔するわけである。
もちろん妹は、俺と同じくこのオルマル村で生まれ育ったいわゆる山猿なのだが、本格的に山へ連れてきたのはこれが初めてだ。毎日山へ分け入って薬草を探している俺とは違い、険しい山道にそうとう苦戦するだろう。
だが、これも修行である。
はっきり言わしてもらおう。王国の騎士達のように整えられた訓練所で剣を振るって何の意味がある?
実際に剣を振るう戦場は、運動場かはたまた国立競技場か?
そうじゃ無いだろ?
戦場はいつも平坦な場所選んではくれない。いや、むしろそちらの方が少ない。
だからこそ俺は、妹にもこんな山の中の道なき道を平然と駆け抜ける技を身に着けて欲しいんだ。
そう思って、俺も結構全力に近い感じて山道を駆け抜けてはいるんだけど――何かがおかしい。いや、何かが――とかそんな曖昧な表現では物足りない。もう絶対におかしい。
俺だって、これでもかってぐらいにスピードを出しているつもりだよ。それなのに、どう言うわけか妹は何時までたっても俺のすぐ後ろをピタリと付いてくるんだ。
これって、どう考えてもおかしいだろ。だって妹は山道コース初心者だぜ。初心者だったら坂道でガクガクってエンストしたり、サイドブレーキを下げた瞬間に後ろに下がって冷や汗かいたりするだろ普通。
とまぁ、今はオートマ限定が主流らしいのでそんな経験をする人も少なくなったかもしれないが、車と同じ様に山道を歩くのだってそれなりの技術の修得は必要なはずだ。
ならば師匠として――この妹の秘密をどうしても確かめなければならない。何故レイラが苦も無く俺の後ろを付いてこれるのかを。
「なぁレイラ。ちょっと俺の前を歩いてくれないか?」
俺は二つ目の山を中腹まで登った時に、そう言って妹を前に立たせてみることにした。
が、妹は少し不安そうに俺を見つめてこう言った。
「でも、私――道知らないよ」
そりゃそうだ。初めての場所、道なき道。妹がそう言うのも当然である。しかしこの山は俺の庭も同然の場所なのである。
「大丈夫。お兄ちゃんはこの山の事を知り尽くしているからな。もしお前が迷ったってすぐに元の道戻してやるさ。まぁこれは『千年九剣』では無いけれど、ちょっとした修行だと思ってやってみな」
さすがにそう言えば妹も安心して納得した。それに俺は知っているのだ。妹は修行と言う言葉にめっぽう弱い。
そして俺達兄妹は、ほんの十分ほどの休憩を挟んだ後、今度は妹の先導で二つ目の山の頂上を目指す。
いや、実際には三つ目の山へと向かうにはわざわざ二つ目の山の頂上を目指す必要は無い。だが、ここはあえて頂上。あの頂に見える巨大な『立枯れ杉』が目標だ。その間に俺は妹がどうやって俺のスピードに付いてこれるのかを見定めてやる。
「じゃぁ、改めて……しゅっぱ~つ!」
そんな元気ハツラツな妹の掛け声と共に俺達は再出発。
まったくレイラときたら、これも修行と聞いて浮かれてやがる。これじゃ、逆にはしゃぎすぎて足でも挫いちゃうかも知れないな……。
なんて過保護な心配も束の間――
妹がその足を進めた途端、初っ端から想定外の事態が発生する。
「お、おい……レイラ。道が全く違うぞ――」
なんと、妹は目の前にある俺や獣達が歩きならした道を完全に無視して、一直線に山の頂上を目指し始めたのだ。
「だって、こっちのほうが分かりやすいでしょ。」
そう言って、ひたすら真っすぐに足場の悪い斜面を駆け上がって行くレイラ。そしてその後ろを必死に付いて行く俺。
正直、妹が斜面を登るスピードは尋常ではなかった。はっきり言ってしまえば、このままでは妹の秘密を確かめる前に俺が突き放されてしまいかねないレベルだ。
途端に上がり始めた心拍。気を抜けば滑り落ちそうになる身体。でも今なら――まだギリギリついていける。
だから今のうちに――
「よく見ろ俺!」
「よく考えろ俺!」
「このままじゃ、みっともない姿を妹に見せちまう――」
俺は必死になって妹の背中から、足の運び、リズム、そして上半身の使い方その他思い浮かぶ全てを血眼になって観察した。
なんせ、ここが兄としての威信を保てるかどうかの瀬戸際だ。ここで俺が出遅れてしまえば今まで俺と妹がやってきた事が全て台無しになってしまう。
だから、もうなりふり構っている暇など無い。
「妹は何処に足を置いた?」
「重心はどれだけ傾いた?」
「次は、何処に足を運ぼうとしている?」
俺は妹のありとあらゆる動きに注意をはらった。それはまさに過集中と言っても言い過ぎではないだろう。それほどに俺は妹を観察する事に全身全霊を捧げた。
そして俺はある一つの大事な事に気付かされる。
「そうだ! 今、俺がやろうとしている事、やっている事って――あのデタラメの修行で俺が妹に教えた事そのままじゃないか――」




