8、初体験の思い出 (2)
ある日、机に頬杖をついてぼんやり雲を眺めていた俺は、窓の外で突如起こったザワめきに慌てて身を乗りだした。
ダンス部の部員が輪になって取り囲んでいる中心に、彩乃がいる。地面に座り込み、右足だけ前に投げ出して足首を押さえていた。
「彩乃っ!」
机に手をつき立ち上がると、膝裏で勢いよく押された椅子がガタン! と床にひっくり返る。
だけど今はそれどころじゃない。倒れた椅子をそのままに、俺は弾丸の如く部室から飛びだし、階段を駆け下りた。
「彩乃っ、どうした!」
俺の大声に、ダンス部員が一斉にこちらを振り返る。注目を浴びながらも人垣を掻き分けて輪の中に入ると、彩乃の前にしゃがみ込む。
「大丈夫か、足が痛むのか?」
「うん……ちょっと足首を捻っちゃったみたい」
つらそうに顔をしかめている。自力で歩くのは無理だろう。
「ほら、乗れよ。保健室に行くぞ」
「うん」
俺が背中を向けると、彩乃が躊躇なく首に手を回し、身体を預ける。背中にアイツの熱と体重を感じながら、今出てきた玄関へと向かった。
「雄大、駆け付けてくれて、ありがとう。王子様みたいだね」
首にギュッとつかまりながら耳元で囁かれて、心臓がドキドキする。
「まあ、王子様みたいにカッコよくはないけどさ……おまえのことは全力で守るよ。彼氏だからな」
「うん、私の彼氏は世界一カッコいい。嬉しいな……」
「そっか」
「うん、雄大はカッコいい。大好き」
細くて軽い身体を背負いながら、誇らしさと愛しさが次から次へと胸に込み上げてくる。嬉しいような泣きたいような気持ちになった。
彩乃の彼氏になれてよかった。コイツを大事にしてやらなきゃな……改めてそう思う。
横開きのドアをガラリと開けたら保健室には誰もいなくて、仕方なく俺は彩乃を丸椅子に座らせ湿布を探す。
「――彩乃、右足を出して」
俺は床にひざまずくと、自分の太腿の上に彩乃の右足を乗せ、湿布のシートを剥がす。
貼りやすいようにするためか、彩乃が膝上まで制服のスカートをたくし上げた。
目の前に現れた膝頭が妙に白くて色っぽい。
何もやましいことはないはずなのに、なんだか悪さをしている気持ちになった。心拍数が急上昇する。
なぜか緊張しながら足首に湿布を貼った。
「よし」と見上げれば、そこにはやけに色気を含んだ瞳と、いつもより大人っぽいアイツの表情。
思わずゴクリと唾を飲み込むと、俺は導かれるように丸い膝頭に口づける。
ピクリ……とたじろぐ気配があったものの、彩乃はそのままジッと動かない。
俺は立ち上がって彩乃の肩に両手を置くと、ゆっくり顔を近づけていく。
柔らかい唇が触れて、チュッと音をさせて離れて。
次にもう一度重なったときには、深くて長い、舌を絡める大人のキスになっていた。
制服の上から恐る恐る触れた胸は、思った以上に柔らかくてマシュマロみたいだ。
彩乃の口から「んっ……」と短く息が洩れ、俺の下半身が熱を持つ。
「彩乃……」
そのとき、彩乃のスマホが軽快な音をたてた。画面には彩乃の母親、明美さんの名前が表示されている。迎えが到着したらしい。
「……行くか」
「うん……」
もう一度だけ短いキスを交わしてから顔を離す。少し照れくさい。
窓から差し込む西日とかすかに揺れるカーテン。
オレンジ色に照らされた二人きりの幻想的な空間で、その日俺達はほんの少しだけ恋人としてステップアップした。
俺が彩乃を背負って外に出ると、校門の外に赤い軽自動車が停まっているのがグラウンド越しに見えた。
明美さんが運転席から出て後部座席のドアを開けている。
「お母さ〜ん!」
彩乃が片手を上げて大きくブンブン振り回すものだから、重心がズレてバランスが崩れる。
「ちょっ、おまえ、暴れるなよ。あぶねーだろ」
軽く顔だけで振り向いたら、彩乃が耳元に顔を寄せる。
「ねえ雄大、次はエッチしちゃう?」
不意打ちでとんでもないことを言うものだから、思わずアイツを落っことしそうになった。
「ばっ、馬鹿野郎! 急にそんなこと言うなよ、驚くだろっ!」
「えっ、嫌なの? 雄大はエロいこと、したくないの?」
「ばっ! そんなの……めちゃくちゃしたいに決まってるだろ。健全な男子高校生の性欲を舐めんなよ!」
「ふふっ、したいんだ」
「……したい。ハハッ、俺達なに言ってんだろうな」
「ふふっ……アハハッ」
彩乃も上体を起こして笑って、二人でフラついて、また笑いあう。
それから一緒に赤い車に乗り込んで、手を繋いで座った。