5、夏の思い出 (4)
「――なあ、本当に先輩のモデルすんの?」
「……するよ。だって雄大が勧めたんじゃない」
それきり返す言葉がなくなって、俺は気まずげに黙りこむ。
午後七時半過ぎの急行列車は、部活帰りの学生と仕事帰りの社会人が入り乱れていて、そこそこ混んでいた。
俺と彩乃はドア近くの手すりのそばで、向かい合って立っている。
ガタンゴトンという音以外は、あちらこちらで声を潜めた会話がたまに聞こえるくらい。そんな空気の中で今日のことを話すのはなんだか憚られた。
『森口さん、僕の写真のモデルになってくれないかな』
それは見事な速攻だった。
部活が終わって写真部の部室まで上がってきた彩乃に、成瀬先輩は「お疲れ様」と一声掛けたと思うと、そのままサラリとモデルの依頼を口にしたのだ。
――凄いな……。
照れも躊躇もなく、爽やかな笑顔を浮かべてアッサリと。
学校一のイケメン王子の実力を、これでもかと見せつけられたようだった。
「えっ、でも……」
彩乃が困惑した顔で、チラリと俺の表情を窺う。
それに気付いた先輩も俺を見る。
「一応、木崎くんにも許可を得てあるんだ……そうだよね?」
「あっ、はい……」
「だけど、私がモデルなんて……」
彩乃が俺を見て、先輩を見て、口元に手を当てながら、考えるように俯く。
俺も何か言わなくてはと口をひらきかけたとき、先輩と視線が交差した。
問い詰めるような、確認するかのような真剣な眼差し。
俺は口を閉じて、キュッと唇を引き結んで……。
「いいんじゃね? 先輩ならおまえのこと、少しは美人に撮ってくれるんじゃないの?」
愚かな俺は心にもない酷い台詞を吐き出した。
彩乃がギュッと唇を噛んで俺を睨みつける。
「雄大の馬鹿っ! ほんっと〜に失礼!」
それから先輩に向かって微笑んでみせる。
「……先輩、わかりました。よろしくお願いします。アイツが見惚れちゃうくらい美人に撮ってくださいね!」
途端に先輩が相好を崩す。
「ハハッ、それじゃ決まりだ。森口さん、よろしくね」
笑顔で握手する二人の姿を、俺は引き攣った作り笑いで見つめるしかなかった。
学校から俺達の住む街までは急行で三駅。
あと一駅分の沈黙がつらい。
「……何よ、文句あるの?」
静寂を破ったのは彩乃のほうで。
だけど変に自意識過剰で、中途半端にプライドが高かった俺は、全然素直になれなくて。
「いや、ないけど……」
馬鹿だ、俺。
あのときに、『文句あるよ』、『嫌なんだ』って素直に言っておけばよかったのに。
『おまえの写真は俺が撮るんだ』、『おまえは俺のモデルになるんだろ?』そう言いたかったくせに言えなかった俺は、ただの臆病者で……。
後悔先に立たず。
結果、俺はこの先その言葉を、何度も何度も噛み締めることになる。
夏休みの終わり。
成瀬先輩が撮った彩乃の写真が、『高校生フォトコンテスト』で金賞を受賞した。
全国の高校生を対象に開催されるその写真コンテストは、毎年夏休みのあいだにおこなわれ、夏の終わりに結果発表される、カメラ版甲子園だ。
我が校の写真部は全員そのコンテストへの応募が義務づけられていて、今年入賞を果たしたのは我が校からは成瀬先輩ただ一人だった。
『君の青春』と題されたその写真は、ダンスの練習風景の一瞬を切り取った一枚。
明るい太陽の下で彩乃の汗と笑顔の煌めく、キラキラした美しい写真だった。
先輩は夏休みのダンス部の練習に何度も足を運び、ひたすら彩乃を撮り続けていたらしい。
ときにはお礼だと言って差し入れを持参し、ときにはファミレスで夕食を奢って、そのまま家まで送っていって……。
一度だけ、先輩が彩乃を家まで送ってきた場面に出くわしたことがある。
俺がコンビニでオヤツを買って帰ると、隣の彩乃の家の前で二人が立ち話をしていた。
先輩が何か話して、それを受けて彩乃が楽しそうに笑って。
そんな彩乃を見つめる先輩の目が優しくて愛しげで、『ああ、先輩はアイツのことが好きなんだな』っていうのが丸わかりで。
二人が美男美女でお似合いすぎて、自分が邪魔者に思えて……すぐそこにある自分の家に向かうことができなかった。
俺はコンビニの袋を片手にぶら下げて、少し離れた通りの隅で突っ立ったまま、彩乃が先輩に見送られて玄関に入っていくのを黙って見つめていたんだ。
そんな二人が周囲で噂にならないはずがない。
夏休みが終わって学校が始まったころには、成瀬先輩は彩乃狙いだと、二人が付き合うのは時間の問題だと、学校中の噂になっていた。