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思い出さなければよかったのに  作者: 田沢みん
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エピローグ side 成瀬


 タクシーから足を出して歩道に降り立った途端、周囲の視線が一斉に僕に集まるのを感じた。

 こんなのいつものことだ、まったく気にならない。

 駆け寄ってきた数人と握手してサインしてから、目の前の建物を見る。


 銀座一丁目の有名老舗ギャラリー。

 自分も賞を受賞した新人のころ、他の受賞者の作品とともに、ここに写真が飾られたことがある。


 納得するような作品がいくつか貯まったら、いつかはここで三部屋ぶち抜きで個展を……と思っていた。

 しかし最近では忙しく、撮影旅行もここしばらくは行けていない。


 名前が売れはじめると、商業カメラマンとしての依頼が増えて、スタジオでの撮影がメインになっていた。

 


 目の前の看板を見る。


『木崎雄大写真展 〜その瞳に写ったもの 〜 』


 そこに掲げられた名前に憐れみと苦々しさ、両方の感情を胸に抱きながら中に入ろうとして、僕ははたと足を止める。


 ――身だしなみは大丈夫かな。


 近くのショーウインドーを覗き込んで、自分の姿を確かめる。


 ブラックのカジュアルスーツにシルバータイ。

 今日はお祝いだけど、木崎君の追悼でもあるから派手であってはいけない。

 白薔薇とブルースターの清楚な花束も、その点では問題ないだろう。

 スーツにシワはない。ネクタイも歪んでいない。

 最後に手櫛で軽く髪を整えてから、今度こそ会場に足を踏み入れた。


 ファンの目は別段気にならないが、彼女からどう見られるかは気になる。

 少しでも好印象を持たれたい。


 僕がこんなことを気にしていようが、彼女にとってはまったく意味をなさないことなんて百も承知だ。

 無駄な悪あがきだとわかっていても、諦めきれないのだから仕方がない。



 ギャラリーの中は、グレーを基調としたシックな空間。

 飾られている写真は、風景だったり植物や生き物だったりと、多種多様だ。

 さすが撮影旅行三年分だけある。

 憧れの、展示スペース全三部屋ぶち抜きでの使用。入口近くまで人が溢れかえっている。


 ――凄いな、これを彩乃は、あっという間に実現させてしまったのだから。


 すべては愛する男、木崎雄大のために……。


 チクリと痛む胸を花束で隠し、まずは挨拶をと一番奥へ向かう。

 歩くたびに僕に気づいた周囲が振り返り騒ぐ。


 うるさいな……写真を見にきてるんじゃないのかよ。

 それでも客商売だ。一応の愛想は振りまきつつ、ザワめきを引き連れて先に進む。



 ――いた!


 沢山の記者とカメラマンに取り囲まれた、その中心。彩乃は大きな写真パネルと並んで立っていた。


 瞬くフラッシュを浴びて、妖艶な笑顔を見せる君。

 唇の両端をクイッと引き上げ、逆に目尻は微かに下げて。完璧なモデルスマイルだ。


 誰もが見惚れるような大人の女性の落ち着いた微笑み。

 美しいけれど、あんなのは偽物だ。

 だって僕は、彼女の本物の笑顔を知っている。


 そして君が見せる最高の笑顔は、いつだって彼のものなんだ……。



 * * *



 パシャ! パシャパシャッ!


 ――うーん……何かが違う。


 高校生活最後の夏。

 彩乃とその幼馴染から堂々とお墨付きを貰った僕は、夏休みに入ると本格的にコンクール用の写真撮影に取り掛かった。


 ダンス部の練習時間に合わせて学校に行き、一緒にお弁当を食べ、同じ時間に帰宅する。

 まるでダンス部のメンバーになったかのような熱い夏がはじまった。


 愛用しているカメラはC社製。

 使い勝手のよさは勿論だけど、このパシャパシャという軽快な音が、フットワークの軽さをそのまま表現しているようで気に入っている。



「どうですか? 最高の一枚は撮れましたか?」


 お昼休憩の時間。

 体育館で円座になってお弁当を食べているダンス部メンバーに混じってアンパンを齧っていたら、隣に座っていた彩乃が首を傾げて聞いてきた。


「もうかなり撮りましたよね? 一枚くらいは美人の私が撮れてません?」

「うーん……どうだろう」


 撮れているといえば撮れている。

 本物のモデル並みの美少女。ダンスの躍動感。光る汗と笑顔。

 被写体としては最高の条件だ。


 僕が今回応募しようとしている『高校生フォトコンテスト』に関して言えば、彩乃を被写体に選んだのは大正解だと思っている。


 同じ学校の生徒という身近な存在をモデルに選んだ点は、高校生らしく背伸びをしていなくて、審査員に好印象を与えるだろう。

 それでいながら、彩乃には素人らしからぬ華があるから、嫌でも人目を惹く。

 ダンス部というのも旬でキャッチーだ。


 たくさんの応募作品の中から見つけてもらおうと思ったら、いかに注目されるかも大切な要素なのだ。


 もちろん大賞を獲れるのが一番の理想だが、優秀賞や審査員特別賞でも構わない。

 大会のホームページや受賞作の展示会で作品が飾られ注目されることが、次のステップに繋がるのだから。

 プロを目指しているのなら、先を読んで行動しなくてはならない。


 ――だけど、何かが……。


 何かが足りない気がする。

 今のままではただの『綺麗な写真』にすぎない。

 心に響くような『引っ掛かり』がないのだ。


 その『引っ掛かり』が何なのかがわからないまま、僕は日数と焦りと撮った写真の枚数だけを、どんどん積み重ねていった。



 ある日の休憩時間。

 その日は気温が三十五度を超える猛暑で、ダンス部のメンバーは何度か休憩を挟んでは水分補給を繰り返していた。

 焼けるようなグラウンドで全力で踊っているんだ。そりゃあ体力も消耗するだろう。


 全員水筒持参で来ていたけれど、そんなものは昼過ぎには空っぽになってしまう。

 向かう先は校舎脇にある手洗い場。


 かくいう僕も、太陽の日差しをジリジリと浴びながらずっと写真を撮り続けていたものだから、背中にびっしょり汗をかいて、喉がカラカラに渇いていた。

 ダンス部員のあとを追って手洗い場に向かう。


 ダンス部は他の体育会系と同様、上下関係が厳しかったので、手洗い場を使用するのも先輩が優先。

 一年生の彩乃は一番後ろに並んで水を飲む順番を待っていた。


 ようやく迎えた彼女の順番。

 僕が見ている前で、蛇口から出る水を両手で掬い、バシャッと勢いよく顔を洗う君。


 ――本当に全く化粧っ気がないんだな。なのにこんなに色が白いのか。


 それにしても、大胆に顔を洗うなぁ。普通はもうちょっと恥ずかしがったり躊躇するもんじゃないの?

 一応僕は男なんだけど。王子とか呼ばれてるんだけど。


 ――ほんっとーに全く意識されてないんだな。


 なんだか胸にチリッと小さな焼け焦げができたような気がした。


「ねえ、木崎君のどこがそんなにいいの?」

「えっ?」

 僕が話し掛けると、彩乃は水を掬う手を止めて、顔を上げた。


「……私、自分の気持ちを先輩に言ったことありましたっけ?」

「言ってないけど、丸わかりだから」


 ――いつも二人のことを見ているからね。


「えっ、恥ずかしい!」

「ハハッ」

「なのにアイツは全然気付いてないんですよね〜、鈍感すぎですよね!」

「鈍感なヤツが、そんなにいいの?」

「ふふっ、いいんです」


 ――いいのかよ。女心をわかってくれない察しの悪い男なんて、絶対に苦労するぞ。


 胸の焼け焦げがメラメラッと大きくなる。


「……自分で自覚してる? 君、かなりモテてるよ。男なんて選び放題だよ。それでも木崎君がいいの? 彼のどこがそんなにいいわけ?」


 いつの間にか問い詰めるような口調になっていた僕に、それでも彩乃は怒るでも困るでもなく、当然だというようにサラッと言ってのけた。


「えっ、だって、あんなお馬鹿、私以外に付き合い切れないじゃないですか〜。しょうがないから、私が彼女になってあげようかな……って」


 ――ああ……。


「本当に好きなんだね」

「ふふっ………大好きですよ」


 前髪を勢いよく掻き上げて、フルッと顔を振って。

 若く張りのある白い肌から弾かれた水滴が、周囲にパッと弾け飛んだ。


 何の飾り気もない、純粋で光り輝く笑顔。


 パシャッ!

 思わずシャッターを切っていた。



 夏休みの終わり。

 僕の作品が『高校生フォトコンテスト』で金賞を受賞した。


『躍動感溢れる一瞬を見事に捉えた一枚』

『彼女の輝く笑顔と弾ける汗が、ダンスにかける青春そのものだ』

『まさしく〝彼女の青春〟』


 審査員に絶賛された作品のタイトルは、『彼女の青春』。

 僕は金賞を受賞したことを嬉しく思いながらも、心の底では苦々しくも感じていた。


 本来なら、この写真のタイトルは、『君の初恋』になるはずだった。


『ふふっ……大好きですよ』


 そう言いながら前髪を勢いよく掻き上げて、フルッと顔を振った瞬間に飛び散った飛沫(しぶき)と汗。

 太陽の光を弾きながらキラキラ輝いていたのは……。

 あれはまさしく、恋する彼女の最高の笑顔だった。


 夏休み中、ダンス部の練習を追い掛けて、ひたすら彩乃にくっついて……。

 何のことはない。結局僕が選んだ一枚は、ダンスなんかとは無関係の、恋する乙女の惚気(のろけ)る瞬間だった。


 彩乃は僕のカメラなんて見ていなかった。レンズの向こう側に木崎君の姿を思い浮かべていたんだ。


 ――彼女をあの笑顔にさせたのは……結局アイツだったんだ。


 悔しさと情けなさとプライドと。

 ギリギリまで悩んで迷って、結局僕はその写真に『君の青春』と名づけた。


 あの作品には、君の笑顔には、『初恋』のほうが相応(ふさわ)しい。

 わかっていたけど、アイツに彼女の気持ちを気づかせたくなかった。負けを認めたくなかった。

 だってあの作品は僕のもので、金賞を獲ったのは僕の作品で……。


 大盛況だった文化祭。

 話題の中心は僕の作品で、彼女の写真。


 写真部の展示の前、アイツがジッと一点を見つめていた。

 隣に並び、彼の視線の先を追う。


「この写真……どう思う?」

「……いい写真ですね」

「うん、僕の渾身の一枚」

「そうですか……」

「いい笑顔だろ?」

「最高の笑顔ですね……」


 そのまま立ち去りながら途中で振り向いたら、アイツはパネルを見上げたまま、その場でぼんやり立ち尽くしていた。


 ――その笑顔は君のものだけどな!


 そんなこと、口が裂けても言ってやらないけど。


 これくらいの意地悪、いいだろう?

 だって君は既に本物の彼女の笑顔を手に入れている。

 何の努力もしなくたって、いつだってあの笑顔を見ることができるのだから。


 ――僕がどんなに足掻こうが、君には一生敵わないのだから。



 そんなふうに考えていたから、罰が当たったのかもしれない。

 彼は鮮やかな記憶を遺して彼女の前からいなくなり、同時に彼女の本物の笑顔も連れて逝ってしまったんだ。


 あの日のあの笑顔が忘れられなくて。

 もう一度あの笑顔を撮りたくて。

 追い掛けて追い掛けて……僕はまだ、全力で走り続けている。


 いつだって君の青春はアイツで、僕の青春は君だった。



 * * *



 パシャッ! パシャパシャッ! パシャッ!

 カシャカシャ! カシャッ!


『森口さん、成瀬さん、もう少し近づいていただけますか?』

『こっちに笑顔、お願いします!』


 パシャパシャパシャッ!


 目も眩むような無数のフラッシュ。

 点滅する光の中で、隣の彼女は完璧なモデルスマイルを浮かべている。


 ふと見ると、彩乃は左手の薬指を触っていて。

 僕の視線に気づいた彼女が僕を見て、ふっと妖艶に微笑んで。


 ――僕がもらえるのは、せいぜいこんな作り笑いなんだ。


 パシャッ! パシャパシャパシャッ!

 シャッターチャンスとばかりに一斉に焚かれるフラッシュ。


 ――みんな全然わかってないな。彼女の本当の笑顔は……最高の瞬間は……。



『えっ、だって、あんなお馬鹿、私以外に付き合い切れないじゃないですか〜。しょうがないから、私が彼女になってあげようかな……って』

『本当に好きなんだね』

『ふふっ……大好きですよ』


 パシャッ!


 まるで笑顔の呪いだな。

 高校時代のあの瞬間に囚われたまま、僕はずっと呪いから解けずに足掻いている。


 あの夏の日の一枚を超える写真を、僕は未だに撮れていない。



 Fin


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